The Chronicle of Broadway and me #002

★1988年5月(その2)

英語のヒアリングについては高をくくっていたと言うしかない。とにかく、まるでわからない。
だから、Speed-The-Plowは悲惨だった。これ、マドンナが出ているという理由だけで観たストレート・プレイ。作者のデイヴィッド・マメットのことも知らなかった。

しかし、なぜ、この時期マドンナはブロードウェイの、しかも地味な芝居の舞台に立ったのか。
音楽方面は絶好調。出世作となったセカンド・アルバム『Like A Virgin』(1984)に次ぐサード・アルバム『True Blue』(1986)も大ヒット。映画にも、『Desperately Seeking Susan(スーザンを探して)』(1985)『Shanghai Surprise(上海サプライズ)』(1986)『Who’s That Girl(フーズ・ザット・ガール)』(1987)と立て続けに出ていて、大スターへの道をまっしぐらな感じだった。
思うに、って、もちろんホントのところはわからないけど、役者志向の時期だったんでしょうね。なんか、音楽より芝居の方が実は好きそうに見えなくもない。
閑話休題(それはともかく)。まあ、そんなマドンナの舞台、まあどんなかしら、とミーハーな気持ちで出かけた舞台は100%こちらのせいで理解不能。なにしろ、3人しか出ない会話劇。言葉がわからなけりゃ、お手上げです。もちろんマドンナの演技についても判断不能だが、調べた限りでは賞争いには加われなかったようだ。

Les Miserablesは、『Starlight Express』同様、前年の3月に正式オープン。1986-1987年シーズンのトニー賞で、作品賞、楽曲賞、脚本賞、演出賞、装置デザイン賞、照明デザイン賞、助演男優賞、助演女優賞を受賞している。
とはいえ、当時はトニー賞についての認識もおぼろげ。ただし、日本版がすでに開幕していて、そちらも大いに話題になっていたから、人気作であることはわかっていた。だから、やっぱりチケットはホテルのコンシェルジュに頼んだんじゃないかな。ところで、今調べたら、日本版の帝国劇場公演はブロードウェイ版から間を置かない前年6月に始まっている。早!
で、『Les Miserables』を観ての感想は、舞台上を役者がやたらグルグル回るなあ、ということ(笑)。
回ると言えば、バリケードを載せた舞台がグルっと回って、それまで隠れていた反対側の惨状を見せる演出には驚いた。もう一つよく覚えているのは、ジャヴェールが橋から落ちるところ。よく考えられているなあ、と、ここは感銘を受けた。
あとはあんまり覚えていない。とにかくケレン味の強い作品だという印象が残った。まあ、だから観ていられたというのもある。なにしろ会話がわからないからディテールがわからないわけで。視覚的な変化に頼って追っていくしかなかった。音楽的な好みも合ってなかったし。今では最大の見どころだと個人的に思うエポニーヌの「On My Own」とか、後に島田歌穂版を観るまで記憶の彼方だった、と正直に告白しておこう。
いずれにしろ、ようやく大物感のある舞台を観ることができたものの、違和感は去らず、といった心境ではあった。

さて、残るは1本。
今思えば、ここまで観たのはロンドン産ミュージカル2本とストレート・プレイ1本。まだ生粋のブロードウェイ・ミュージカルに出会っていなかった。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中