The Chronicle of Broadway and me #003

★1988年5月(その3)

Les Miserables』で書き忘れたことが一つ。
まだインペリアル劇場に移る前のブロードウェイ劇場(固有名詞)での公演だったのだが、地下鉄が通過すると振動が伝わってくるのには驚いた。劇場の真下を通っているんですね、たぶん。そういう劇場は他にもある。
あと、ブロードウェイの劇場(一般名詞)は、けっこう外の音が入ってくる。サイレンとか、てきめん。それが作品の効果音の一部だと思えるようになれば、観客として一人前(笑)。

そうそう、劇場と言えば、ブロードウェイの劇場(一般名詞)の内部が小ぶりだったのも意外だった。
後に日本の演劇用劇場をいろいろと体験してわかるのだが、ニューヨークの劇場は一般に、席の前後の間隔が近い。それが、狭い土地に建てた劇場に多くの人を入れようという意図からだったのかどうかはわからないが、結果として、舞台を身近に感じる親密な空間を生み出している。だから逆に、例えば帝国劇場などに入るとスカスカな感じがしてしまう。
ちなみに、この時に小ぶりだと感じた『Les Miserables』のブロードウェイ劇場(固有名詞)は、実はブロードウェイとしては大きめの劇場で席数は1,761。あんなに大きく見える帝国劇場も席数は1,897。そう言えば、歌舞伎座建て替えの前に、「新しい劇場は椅子がもっとゆったりするといいわよね」なんていう会話を客席でけっこう耳にしたが、なにかその辺に、舞台を観るという行為についての考え方の彼我の違いを感じなくもない。

さて、どん尻に控えしはAnything Goes。つってもホントに最後だったかどうか今のところ不明だが、その方が話としては盛り上がるので。
お立ち会い。巡り会いが人生ならば、すばらしき相手に巡り会うのもこれ人生であります。この舞台に出会わなければ、その後ニューヨークに通うようになったかどうかわからないという運命の一作。
これぞブロードウェイ・ミュージカル。そう思った。
粋なジャズ・ソングと、タップ・ダンスを中心にした陽気なショウ場面の洪水。洒落のめしたハッピー・エンドな話……は当時はよくわかってなかったが。ともあれ大いに楽しんだ。とにかく、フレッド・アステア映画のイメージを追って海を渡っているので、見事にハマったわけだ。
コール・ポーター(作曲・作詞)の作品だというのは知っていたはず。だから選んだと思う。
初演は1934年。脚本は、ガイ・ボルトンとP・G・ウッドハウスが書いたものにハワード・リンゼイとラッセル・クルーズが手を入れたらしい。1988年版の脚本は、そのラッセル・クルーズの息子のティモシー・クルーズと、個人的には後に『Pacific Overtures』の脚本家として認識することになるジョン・ワイドマンが、さらに改稿している。楽曲も、他のポーター作品から持ってきて加えてある。といった情報は、もちろん後で調べて知った。
主演のリノ・スウィーティ役はパティ・ルポン。最近のパティ・ルポンしか知らない人は信じられないかもしれないが、彼女がタップ・ダンスを踊る。2011年版のサットン・フォスターほどじゃないけど、ちゃんと踊る。振付はマイケル・スムイン。トニー賞授賞式でのパフォーマンスがネットに上がっているので、ご覧あれ。
ルポンは1979年開幕のブロードウェイ版『Evita』ですでにスターになっており、1985年の『Les Miserables』ロンドン版オリジナル・キャストでフォンテーヌを演じていた、ということも当時は知らない。思ったのは、宝塚歌劇に出てくるような派手な顔をしている、ということ。当時の覚え書きに残っているので間違いない。その頃はまだ宝塚歌劇を観たこともなかったのだが。いずれにしても、最初に動いたものを親と思うひよこのごとく、彼女の次のミュージカル『Sunset Boulevard』を観に5年後にはロンドンに渡り、その後も、くまなくとは言わないが数多くの彼女の主演舞台を観ていくことになる。今日に到るまで、ずっと第一線のスターとして活躍し続けているのは素晴らしい。
演出のジェリー・ザックスとも長い付き合いになっていくのだが、この人についてはその都度語ることになるだろう。
もう一人この舞台で印象に残ったのが、リンダ・ハート。ギャングの愛人アーマ役で登場するが、2幕後半の水夫たちとのダンス・ナンバーで可愛いヴァンプとしての魅力炸裂。その後、2002年の『Hairspray』で復活するまで長い間姿を観なかったのだが、元々はカントリー系のミュージシャンで、TVや映画には出ていたようだ。
また、この時の二枚目ビリー役のハワード・マッギリンは、その後、断続的にだが最も数多くブロードウェイでオペラ座の怪人を演じた役者として知られることになる。

この『Anything Goes』、観劇からひと月後には、トニー賞で見事リヴァイヴァル作品賞を獲る。次回は、その1988年トニー賞絡みで一席。

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