不徳の伴侶~infelicity@赤坂Red/Theater 2018/05/30

IMG_0636作・演出/荻田浩一 作曲・音楽監督/福井小百合。

彩乃かなみ…スコットランド女王メアリー・スチュアート
藤岡正明…スコットランド貴族、ボスウェル伯ジェームズ・ヘップバーン
百名ヒロキ…仏王フランソワ一世/夫ダーンリ/息子ジェームズ一世
舘形比呂一…兄ジェームズ/義母カトリーヌ・ド・メディシス
吉本真悟…イタリア人秘書リッチォ/スペイン王太子ドン・カルロス
シルビア・グラブ…イングランド女王エリザベス一世

以上、作品の公式サイトからの引用。

作った人たちも演じている人たちも、やりがいと手応えを感じているに違いない力作。が、もったいないことに、こちらの胸には響いてこない。
理由は2つ。1つは、感情移入できる人物がいない。もう1つは、物語を引っぱる仕掛けがない。

前者については、ことに、主人公たるべきメアリー・スチュアート。その人物像が曖昧。奇矯とも思える行動と、幼くして政治に利用された無垢な女性という解釈が、ときに齟齬をきたす。もっと強烈な何かが潜んでいいる人物として描くべきではなかったか。例えば『エリザベート』の綱渡りのようなエピソードを交えて。
そういう意味では、エリザベス一世は動機と行動が一貫している。ドラマの鍵になる人物として、うまく描かれている。が、主役でない分、残念ながら、彼女は面白みのある人物ではない。
ボスウェル伯ジェームズ・ヘップバーン(不徳の伴侶とは彼を指すのか)は、メアリーにとって信頼するに足る人物に見えたがそうではなかった、という解釈でいいのか。どうにも心底が見えない。メアリーと一線を越えるときの2人の心情が、劇中で一番不明。そのせいで全体が混乱してくる。おそらく、ここがクライマックスなのだが。
それ以外の人物は、わかりやすい脇役として描かれているので問題ない。イタリア人秘書リッチォのわからなさは、わからない人物として描かれていると解釈。が、彼らは観客が感情移入していく存在ではない。役者のファンでない限り。

仕掛けについて。
これはスコットランドとイングランドとフランスの王家の人々の物語。その表面的な結果については、すでに知れ渡っている話。それをあえて描くからには、何か飛び道具が必要だろう。
『ベルばら』ならオスカル、『エリザベート』ならトートという、鍵となる架空の存在。あるいはフリードリッヒ・シラー作『メアリー・スチュアート』のように、2人の女優の対決といった現実的な見せどころの設定。
それがない。だから、何か歴史の勉強をさせてもらっている感じ。歴史好きの新解釈を聞かされている感じ、というべきか。

再度言うが、力作ではある。役者も力演。が、以上の点で、惜しい結果に終わっている。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中