The Chronicle of Broadway and me #019

★1991年6月~7月(その2)

『City Of Angels』(@Virginia Theatre 1991年6月2日 15:00)は、もう一度観たいミュージカル自分内ランキングの現時点第1位。舞台ミュージカルならではの魅力にあふれた超面白い作品。これで作曲家サイ・コールマンと出会った。
#17にも書いたが、前(1989/1990年)シーズンの新作。トニー賞で、作品賞、楽曲賞、脚本賞、主演男優賞、助演女優賞、装置デザイン賞を獲っている。

観劇当時の感想は、手を抜いて小林信彦氏の感想の引用ですませている(苦笑)。と言うのも、過不足のない見事な表現だったから。以下に再掲するが、一部を省略してあり、その際に意味がつながるように若干だが手を加えた部分もある(小林先生すみません)。では、この年の5月にブロードウェイでこの作品を見た小林氏の「本の雑誌」連載コラム「小説探検」の28回目、91年8月号掲載分、編集版をどうぞ(注も私)。

<このミュージカルは、メタフィクション的趣向を用い、知的エンタテインメントとして、みごとに成功していた。
まずなによりも、1940年代のハリウッドの犯罪映画へのオマージュである。一大讃歌であり、同時にそれらの世界の上質なパロディである。西日のさす探偵事務所、退屈している女秘書、仕事のない探偵、ナゾの依頼人という発端からして、涙ものである。
作者 (ラリー・ゲルバート)は、TV・ミュージカル・映画の脚本のベテランだけあって、ひと筋なわではいかない構成を考えた。巨大な映画会社にシナリオライターとしてやとわれたスタインという作家がそれである。スタジオのボスのとてつもない指令によって、スタインはハードボイルド映画のシナリオ執筆に苦戦している。その作中の私立探偵がストーンである。
舞台は、通俗的なシナリオ執筆に苦しむスタインとその妻、撮影所のボス、グラマラスな女秘書がからむ〈ハリウッド〉と、ストーンが活躍する〈映画〉が、交互に現れ、ときには交錯する。
たとえば、舞台の上手でストーンと女秘書が近づこうとしているとき、下手の闇の中でスタインがタイプライターを叩いている。タイプの音がつづいているときはよいのだが、音がとまると、上手の二人は静止する。さらに、スタインがタイプの紙を出して破きすてると、上手の二人は〈フィルムの逆回転のように〉離れて、元の位置に戻る。
これは一例だが、こうした〈作者と作中人物〉の関係がつづくうちに、ストーンはスタインに文句をつけるようになり、第一幕の終りは、敵対した二人のデュエット(“You’re Nothing Without Me”)で終る。
また、この舞台には、小説では不可能なことが数々あって、たとえば、〈ハリウッド=作家の世界〉ではAという女が〈映画=作中の世界〉ではBという女として現れる。同じ女優が演じるのだから、一瞬のうちに、AからBへ、BからAへ移りかわるのも可能である。
第二幕の終り(フィナーレ)では、私立探偵ストーンがタイプを叩いてスタインを助けてやる。二人の役割が入れかわってしまうのだが、これも舞台ならではの効果で、二人が”I’m Nothing Without You”(注/“You’re Nothing Without Me”の逆内容版)をうたいあげて終る。>

2つの世界の人物入れ替わりで印象的だったのが、〈映画〉でストレッチャーに乗せられて白い布をかけられていた死体が、〈ハリウッド〉に変わった途端に、プールサイドでバスタオルをかけて日光浴をしているプロデューサーになるシーン。
ちなみに、照明技術で、〈映画=作中の世界〉はモノクロ、〈ハリウッド=作家の世界〉はカラーとして描かれるのも見事なアイディア。

サイ・コールマン(作曲)×デイヴィッド・ジッペル(作詞)の楽曲は、あえて絞り込んで言えばメル・トーメ的。スウィンギーなアップ・テンポから叙情的なスロウ、加えてメルトーンズぽいコーラス・ワークまで、とことん小粋に迫る。
そのメルトーンズぽい楽曲は、Angel City 4と名づけられたラジオ用のコーラス隊が歌うという設定。彼らが場面転換でいい仕事をする。

役者は、オープンからすでに1年半経っていたこともあり、オリジナル・キャストはけっこう抜けていた。ここらも、プレイビルを探し出したら改めて訂正を入れるが、確か、ストーン役のジェイムズ・ノートン、その秘書役のランディ・グラフという二人のトニー賞受賞者はいなかった。……今調べたら、この二人、ちょうどこの6月から始まった国内ツアーに同じ役で出てたんだな。残念。
しかし、ランディ・グラフ、ディー・ハッティ、キャロリー・カーメロというオリジナルの女性陣は強力。個人的なツボだ。オリジナル・キャスト盤CDを何度も聴き返す所以です。

作品が好きすぎて、翌年、中村雅俊=スタイン、桑名正博=ストーンによる日本版まで観たが、まるで別物に見えた。ま、誰がやっても無理だろう。……と思って今年のヴァージョンも観ないが、さて?

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