[archives/考察001]ボブ・フォッシー初期振付映画の謎を追って

では、過去に自分のサイトで公開した「観劇記」以外の文章をアップしていくつもりです。たいして数はありませんが。公開時のリンクが生かせないなどの事情もあり、ブログ用に若干手直しをしてあります。人物名は正確を期すために英語表記を併記しました。

第1弾は、ボブ・フォッシー Bob Fosse の、映画の振付家としてのキャリア初期の謎を追いかけた2003年の文章です。いろいろ寄り道してます。

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■『Fosse』から消えたダンス・ナンバーを巡っての謎

1998/1999シーズンにブロードウェイに登場した、演出家/振付家ボブ・フォッシーの集大成ミュージカル『Fosse』には、プレヴュー時にはあって正式オープンした時には消えていたナンバーがあった。
プレイビルには「Alley Dance」と書かれていたそのナンバーのオリジナルは、1955年公開(日本未公開)のミュージカル映画『My Sister Eileen』(監督/リチャード・クイン Richard Quine)のワンシーンで、そちらでのタイトルは、資料によれば「Got No Room for Mr. Gloom」となっている。その映画に振付家としてクレジットされているだけでなく出演もしているボブ・フォッシーが、トミー・ロール Tommy Rall というバレエ出身のダンサーとダンス合戦をするというナンバーで、オープン後の『Fosse』からカットされた背景には、その難易度の高い振付を舞台で毎日繰り返すのは困難すぎるという判断があったのかもしれない。なにしろ、『Fosse』の中で最もミスの多かったと思われる「Steam Heat」(from『The Pajama Game』)の“吸い上げ帽子”を含みつつ、さらに“ハンカチ縄跳び”だのなんだのが加わるというアクロバティックな振付だったから。
映画のその場面映像を、NHKでオンエアされた宮本亜門の前説付きのボブ・フォッシー特集(おそらく追悼)番組で観たことがあったが、確か、その場面についての解説で、グウェン・ヴァードン Gwen Verdon が、出自の異なるダンサーとダンスを競い合う撮影をフォッシーは心から楽しんでいた、と発言していたように記憶している。

その『My Sister Eileen』のヴィデオをニューヨークで見つけた。
で、買って帰って観てみると、いくつかの謎が浮かび上がってきた。そうした謎について調べたりしているうちに思ったのは、この映画はフォッシーの転換期を象徴する不思議な作品なのではないか、ということだ。

■題材の謎

観て、まず驚いたのは、その内容。オハイオからニューヨークに出てきた姉妹がダウンタウンのアパートで暮らすことになる話なのだが、これって、『Wonderful Town』と同じじゃないのか?
同じはずだ。スタンリー・グリーンの「Broadway Musicals: Show By Show」に、以下のことが書いてあった。
『My Sister Eileen』は、元々はニューヨーカー誌に発表されたルース・マッキニー Ruth McKinney の短編小説シリーズのタイトルで、その最初の舞台化が1940年にブロードウェイでヒットした同名のストレート・プレイ。そのミュージカル化が1953年にブロードウェイでオープンする『Wonderful Town』。そして、どちらも脚本は、ジョセフ・フィールズ Joseph Fields とジェローム・チョードロフ Jerome Chodorov。
なるほど、元ネタが同じだったことはわかった。しかし、だとすると、わからないのは、なぜ『Wonderful Town』をミュージカル映画化せずに、『My Sister Eileen』を新たにミュージカル仕立てで映画化したのかということ。
『Wonderful Town』は、 559公演という当時としてはまずまずのロングランを記録しているし、なにより、「Ohio」「Conga!」という傑出した楽曲があった(作曲/レナード・バーンスタイン Leonard Bernstein、作詞/ベティ・コムデン Betty Comden &アドルフ・グリーン Adolph Green)。それを、わずか 2年後に、わざわざ別の楽曲作者(作曲/ジュール・スタイン Jule Styne、作詞/レオ・ロビン Leo Robin)を立ててミュージカル映画化した理由がわからない。
調べてみると、『My Sister Eileen』は 1942年に舞台と同じ非ミュージカルとして 1度映画化されている。その時の主演がロザリンド・ラッセル Rozalind Russell で、ごぞんじの通り彼女は 11年後に『Wonderful Town』の舞台で同じ役(姉妹の姉)を演じていて、この辺も面白いのだが、それはそれとして……。そうやって 1度映画化されたタイトルの方が知名度が高いと考えたということなのだろうか。あるいは、権利の問題か何かで『Wonderful Town』の映画化がうまくいかなかったのか。

ともあれ、コロンビア映画のボス、ハリー・コーン Harry Cohn は『My Sister Eileen』のミュージカル映画化を実行に移したわけだ。

余談だが、ミュージカル映画版『My Sister Eileen』の監督リチャード・クインは、日本ではリチャード・クワインとして知られているようで、その理由は、戦前から子役として活躍していたため、その頃に日本でクワインという読みで定着してしまったからではないかと推測する。が、発音としては「クイン」だろう。ま、それはともかく、この人、ブロードウェイのストレート・プレイ版『My Sister Eileen』初演に出演している。その関係もあっての監督起用だったのだと思われる。あるいは監督の持ち込み企画か?

■映画初振付の謎

ハリー・コーンが準主役兼振付家としてのフォッシーと契約するにあたっては、振付家としてのブロードウェイ・デビュー作である前年(1954年)のヒット舞台『The Pajama Game』が大きく影響している、と、フォッシーの伝記「Razzle Dazzle: The Life and Work of Bob Fosse」(St.Martin’s Press)の中で著者ケヴィン・ボイド・グラブ Kevin Boyd Grubb は書いている。
そして、同書によれば、フォッシーが振付家として、その舞台版『The Pajama Game』に関わるまでには次のような経緯があったという。
ブロードウェイ周辺で活動していたフォッシーは、MGMのスカウトに見出されて、フレッド・アステア Fred Astaire の後を継ぐ者と期待されてハリウッド入りする。そして、ハーミズ・パン Hermes Pan 振付の1953年の映画版『Kiss Me, Kate』に出演したフォッシーは、クレジットはされないものの、『Fosse』でも再現されていた「From This Moment On」の中の自分とキャロル・ヘイニー Carol Haney のデュオ部分の振付を任される。その「48秒のフォッシーとヘイニーのダンス」を観て、舞台版『The Pajama Game』の演出家チーム、ジョージ・アボット George Abbott とジェローム・ロビンズ Jerome Robbins はフォッシーに声をかけることになる(ロビンズはそれ以前に、フォッシーが振付を手がけた舞台レヴューのワークショップを観ていたらしいが)。ちなみに、『The Pajama Game』の舞台で「Steam Heat」を踊るのがヘイニー。
この「From This Moment On」での振付が、映画でのフォッシーの実質的振付家デビューであることは、よく知られている事実だ。
ところが、伝記「Razzle Dazzle」に、こんな記述があるのだ。

<フォッシー自身が、映画の振付活動の始まりは『Kiss Me, Kate』の「From This Moment On」のダンスからだと認めているけれども、デビー・レイノルズ Debbie Reynolds によれば、フォッシーは『Give A Girl A Break』での自分のダンスは自分で振り付けている。>

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『Give A Girl A Break』というのは、映画版『Kiss Me, Kate』と同じ1953年に公開されたMGM映画で、レイノルズもフォッシーと共に出演している。伝記「Razzle Dazzle」には、『Give A Girl A Break』『Kiss Me, Kate』より先に作られたようなニュアンスで書かれている。だからこそ、先の引用のような表現、つまり、『Kiss Me, Kate』より前にフォッシーが映画で振付をしている、というような表現になるわけだが、この2作、スタンリー・グリーンの「ハリウッド・ミュージカル映画のすべて Hollywood Musicals: Year By Year」(音楽之友社)によれば、公開順は逆になっている。
実はこの年、『The Affairs Of Dobie Gillis』というフォッシー出演の MGM映画がもう1本公開されていて、「Razzle Dazzle」では、『Give A Girl A Break』『The Affairs Of Dobie Gillis』『Kiss Me, Kate』の順で作られたかのように書かれているのだが、他のデータで調べると、公開順は、『Kiss Me, Kate』『The Affairs Of Dobie Gillis』『Give A Girl A Break』ということのようだ。もしかしたら、製作順は公開順と違って「Razzle Dazzle」の記述通りなのかもしれないが、根拠になる記述がないので何とも言えない。
となれば、だ。どちらが先かはともかく、クレジットはないけれども『Give A Girl A Break』でのフォッシーのダンスが彼自身の振付だ、というレイノルズの発言の真偽を確かめたい。さらに言えば、同じ年に同じ会社で撮った3本の内2本でそうなら(クレジットなしで自分のダンスを振り付けているのなら)、残るもう1本でもそうである可能性も高い。とにかく、『The Affairs Of Dobie Gillis』『Give A Girl A Break』を観てみよう。
ってことで、その2本のヴィデオを取り寄せた。なお、上記の1953年公開3作品の内、日本で公開されたのは『The Affairs Of Dobie Gillis』(やんちゃ学生)のみ。公開は1960年で、きっかけは、年表的に見ると、この映画版を元にした TVシリーズ『The Many Loves Of Dobie Gillis』(ドビーの青春)の同年の国内オンエアだと思われる。

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■レイノルズ発言の謎

結論から言うと、予想は大当たり。両作ともに“フォッシー印”のダンスが確認できる。

まず、『The Affairs Of Dobie Gillis』の場合。主演はデビー・レイノルズ。
クレジットされている振付家は、ラス・タンブリン Russ Tamblyn 主演の『Tom Thumb』(親指トム)で知られるアレックス・ロメロ Alex Romero だが、『The Affairs Of Dobie Gillis』のダンス・ナンバーは数も少ないし質的にも食い足りない。『Singin’ In The Rain』(雨に唄えば)の翌年公開ってあたりから推測するに、レイノルズの人気に乗っかって低予算で作られたとおぼしいモノクロ映画で、甘い脚本の学園コメディにちょこっとショウ場面をくっつけたという印象なのだ(監督/ドン・ワイズ Don Weis、製作/アーサー・M・ロウ・ジュニア Arthur M. Loew, Jr.)。
そんな中で唯一見応えがあるのが、フォッシーのソロから入るナンバー「You Can’t Do Wrong Doin’ Right」。
場所は食堂。ジュークボックスにもたれかかったフォッシーが、始まった音楽に合わせて踊り始める。で、共演のバーバラ・ルイック Barbara Ruick の歌に移り、彼女の歌に合わせて今度は2人で踊る。ここまでの印象が『Kiss Me, Kate』の「From This Moment On」にかなり近いシャープなもの。これは紛れもなくフォッシーの振付だ。
同ナンバーの後半は、同じ店にいた主演カップル、レイノルズとドビー・ギリス役のボビー・ヴァン Bobby Van が加わって、男女2ペアのダンスになる。すると、シャープさが薄れてヴォードヴィル調のコミカルさが加わる。この後半については確信はないが、途中でフォッシーとヴァンのアクロバティックな動きが入ることからして、フォッシー振付の可能性は高い(ちなみに、ボビー・ヴァンと『My Sister Eileen』のトミー・ロールとフォッシーの3人は映画版『Kiss Me, Kate』で一緒に踊っている)。
ところで、このナンバーの初めにフォッシーが被っているのが、短いフチのついた帽子で、ここではすぐに脱ぎ捨ててしまうが、『My Sister Eileen』の「Alley Dance」(「Got No Room for Mr. Gloom」)でも、後述するが『Give A Girl A Break』のデビー・レイノルズとのデュオ・ダンスでも、やはり似た帽子を被っている。こうした帽子使いは“フォッシー印”の証拠のような気がするのだが、どうだろう。
『Give A Girl A Break』の振付は、ガワー・チャンピオン Gower Champion と、演出も兼ねているスタンリー・ドーネン Stanley Donen との並列クレジット(ドーネンがジーン・ケリー Gene Kelly の代わりにチャンピオンと組んでみたという印象もある)。製作は『Kiss Me, Kate』と同じくジャック・カミングス Jack Cummings、作曲はバートン・レイン Burton Lane、作詞はアイラ・ガーシュウィン Ira Gershwin で、こちらはお金のかかったカラー作品。ブロードウェイ・ミュージカルの主演女優を選ぶというのが話の骨子で、ショウ場面も多く、けっこう楽しめる。そして、ミュージカル・スターとしてフォッシーを売り出しにかかっている印象を受ける。
しかし、伝記「Razzle Dazzle」によれば、ヒットしなかったらしい。「ひどい映画。 42丁目(の映画館)で公開されて、即、死んだはず」というフォッシー自身の発言も載っている。
ガワーとその妻マージ Marge のチャンピオン夫妻がビリングのトップになっていて、ヒットしなかった理由はその辺にもあるのかもしれないが(残念ながら2人はスクリーンではイマイチ華がない)、実質上の主演は明らかに2番目に名前が出るレイノルズで、実にイキイキしている。これで相手役のフォッシーにスター性があれば案外当たったかもしれない、とも思う。役の設定は、ガワーがブロードウェイの演出・振付家、フォッシーはその助手、マージとレイノルズは主演女優候補。その他に、作曲家役でカート・カズナー Kurt Kasznar、主演女優候補役でヘレン・ウッド Helen Wood が出演。
ともあれ、ここでのフォッシーは、『The Affairs Of Dobie Gillis』と違い、3つのナンバーで踊りまくる。
その内の1つが、前述の帽子を使ったレイノルズとのデュオ・ナンバーで、川の傍の公園で2人が踊って最後にフォッシーが川に落ちる「In Our United State」。フォッシーのダンスがバック転から入ってジャグラー風に帽子を扱うあたり、「Alley Dance」(「Got No Room for Mr. Gloom」)がジャグラー風な帽子扱いから入ってバック転で終わるのと呼応していて、フォッシー自身の振付と思われる。レイノルズとのデュオ・ダンスになってからは、ちょっと特定しがたいが、流れから言ってフォッシー振付ナンバーだと考えて間違いないだろう。
残る2つの内、1つは、やはりレイノルズとのデュオ・ダンスで、こちらも「In Our United State」。アレンジ違いだ。もう1つは、チャンピオン、カズナーと組んで3人で踊るコミカルな「Nothing Is Impossible」。
これらについては、フォッシーがどこまで振付に関わっているか、観ただけでは確信を持てない。と言うのが、逆に映画におけるチャンピオンの振付の特徴というのがよくわからないからで(調べた限りでは、彼の映画での振付作品はこれの他にもう1作、前年公開のMGM作品『Everything I Have Is Yours』があるだけで、そちらは未見)、この作品での他のナンバーを観るとかなりジーン・ケリーを意識したような“バレエ+アスレティック”な印象を受けるが、もちろんチャンピオンの手法はそればかりではないはず。フォッシー同様、ヴォードヴィル的ルーティンもしっかり身についているのは間違いないし。
とりあえず後者は、クレジットされている振付家のチャンピオン自身も踊っているナンバーなので、これはチャンピオンの振付だろうという気はする。が、3人が交互に踊ったりする部分のフォッシーのソロとか、チャンピオンとフォッシーによるトリッキーなデュオ部分とかには、フォッシーのアイディアが反映している可能性もありそうだ(チャンピオンとフォッシーが一緒に踊っているというのは、後の大物振付家の共演なわけで、それだけですごいのだが、振付のアイディアも共同だとしたら余計に面白くなる)。
気になるのは前者。フォッシー演じる演出助手の夢想の中でレイノルズが主演女優となり、人工的なセットの上で2人で踊るのだが、これが映画的に凝っている。半分ぐらいが逆回しの映像になっているのだ。しかも、その逆回し部分が充分に計算された振付らしく、とても自然に見える不思議な動きをする。フォッシーがメインのナンバーだし、このチャレンジ精神に満ちたアイディアはフォッシーのものなのではないだろうか。

■『My Sister Eileen』振付の謎

さて、こうして観てくると、この1953年はフォッシーが映画の振付家としての基礎を築いた年だということがわかる。その活動が舞台版『The Pajama Game』の振付家起用につながり、舞台振付家として名を挙げ、やがてフォッシーは本格的に振付・演出家として多方面で活躍するようになっていく。
しかし、同時にこの年、集中的にスクリーンに登場してハリウッドにおけるミュージカル・スターの座を目指したフォッシーの役者としてのキャリアは、以降、急速に終息に向かう。具体的に言うと、晩年近くの若干の映画出演――1974年スタンリー・ドーネン監督『The Little Prince』(星の王子さま)の蛇役と、 77年『Thieves』に麻薬中毒者役でゲスト出演――を除けば、1955年の『My Sister Eileen』と、舞台同様振付を担当した1958年公開の『Damn Yankees』(くたばれ!ヤンキース)映画版の2作に出演するだけ。しかも、後者での登場はグエン・ヴァードンのダンス・パートナーとしてで、帽子を被って(ここでも帽子だ!)顔もわからないぐらいの印象でだ。つまり、本格的な出演は『My Sister Eileen』で終わっていると言っていい。

『My Sister Eileen』でのフォッシーの役どころは『Give A Girl A Break』の時と似ていなくもない。主演級が、オハイオから来た姉妹役のベティ・ギャレット Betty Garrett(姉)とジャネット・リー Janet Leigh(妹)、姉と恋仲になるのがジャック・レモン Jack Lemmon(お付き合い出演の印象だが一応ソロで歌うナンバーもある)の3人で、ビリングで言うと、リー、レモン、ギャレットの順。リーにひと目惚れする純な青年役のフォッシーは、その次に名前の来る準主役。
で、フォッシーが踊るのも、『Give A Girl A Break』と同じく3つのナンバー。トミー・ロールと組んで踊る「Alley Dance」(「Got No Room for Mr. Gloom」)。リー、ギャレット、ロールと組んで4人で踊る「Give Me a Band and My Baby」。リーと踊る「There’s Nothin’ Like Love」。
この内、ダンサーとしてのフォッシーの魅力が全面的に発揮されるのは「Alley Dance」(「Got No Room for Mr. Gloom」)だけで、あとの2つは、その意味では物足りなさが残る。しかし、視点を振付家フォッシーに向けると、いずれも“らしさ”がよく出ていて楽しめるダンス・ナンバーに仕上がっている。具体的には以下の通り。
「Alley Dance」(「Got No Room for Mr. Gloom」)は、冒頭にも書いた通り『Fosse』のプレヴュー時に再現されていた、2人のダンサーが技を競い合うアクロバティックなナンバーで、演技者的にも振付家的にも文句なし。
「Give Me a Band and My Baby」は基本的に4人が並んで踊るコミカルなナンバー。あまり踊れないジャネット・リーも含めてのアンサンブル重視のダンスなので、フォッシーにしてもロールにしても派手には踊らないが、振付家フォッシーならではの奇妙な動きが多彩にちりばめられていて飽きない。
「There’s Nothin’ Like Love」は、『Give A Girl A Break』のレイノルズとの公園でのダンスと設定の似た、中庭でのデュオ・ダンスだが(木を女性に見立てて枝に帽子をかけるのも一緒)、こちらは指鳴らし等の小さい動きを組み合わせた抑えめの振付。おそらくリーが踊れない(踊れないったって全然踊れないわけじゃないので誤解なきよう)がゆえのアイディアだと思うが、それを感じさせないロマンティックな仕上がり。
こうしたナンバーを“今の目”で観ていると、フォッシーが、衰退し始めている映画ミュージカルの流れに、舞台ミュージカルのダンスの技で抗おうとしているように見えてくる。
しかし、ブロードウェイ・ミュージカル『The Pajama Game』の「Steam Heat」を創出した“新進気鋭”の振付家フォッシーを起用したにしては、製作者側の姿勢は曖昧だ。コロンビア映画のハリー・コーンは古臭い自分のダンス観をフォッシーに押しつけようとした、という共演者トミー・ロールの発言が伝記「Razzle Dazzle」に載っているが、だいたい、ホントに踊れるキャストがフォッシーとロール以外にいなかったり、脚本(ブレイク・エドワーズ Blake Edwards と監督リチャード・クインの共同)の力点がショウ場面よりギャグに寄っていて、しかも両者が融合していないので盛り上がりに欠ける結果になっていたりするのは、製作者が本気じゃないか勘どころがわかっていないかどちらかで、これではフォッシーもやりにくかっただろう。
その証拠に、フォッシーが加わらないダンス・ナンバーは、結果的にはルーティンをこなしている程度の振付にしか見えない。『Wonderful Town』で言えば「Conga!」にあたる、大団円を迎えるための大人数によるナンバー「What Happened to the Conga」のスラップスティック的面白さも生かし切れていないし。

こうして『My Sister Eileen』は、イマイチ煮え切らないミュージカル映画となった。
ブロードウェイから呼び戻されてこの1作をハリウッドで作ったフォッシーは、再びブロードウェイに戻った後、自分の舞台振付作の映画化で、1957年『The Pajama Game』、1958年『Damn Yankees』の映画版に関わるが、その後、再び映画の世界に戻ってくるまでに10年以上の時を要する。そして、監督も兼ねることになる 69年の復帰作『Sweet Charity』(スイート・チャリティ)以降、フォッシーの映画ミュージカルのショウ場面は、それまでの正面からダンサーの全身を長回しで撮るオーソドックスなものから、映画的技法を駆使した凝ったものに変わる。
その10年の空白と作風の変化の背景に旧来のミュージカル映画作りが崩壊していった時代があったわけだが、フォッシーがそうした時代の変化を強く予感したのが『My Sister Eileen』だったのではないだろうか。そんなことを思いながら観ていると、この振付家フォッシーの映画公式デビュー作にしてミュージカル俳優フォッシーの実質的最終作、なんだか愛おしいものに思えてくる。

■余談的謎

以下、余談。

コロンビアで作られた『My Sister Eileen』だが、キャストはまるでMGMだ。
フォッシーや『Kiss Me, Kate』に出ていたトミー・ロールの他、主演のベティ・ギャレット、ジャネット・リーは 1948年の『Words And Music』にそれなりの役で揃って出ているし、同作品には監督のリチャード・クインも役者として出てくる。また、ギャレット&リー姉妹が住むアパートの大家役は、『Give A Girl A Break』に出ていたカート・カズナーで、彼は『The Affairs Of Dobie Gillis』にもチョイ役で出てくる。
MGMがまとめて貸し出したのか、それともMGMから役者が離れていった時期だということなのか、これまた謎。

『Give A Girl A Break』がブロードウェイの主演女優を決める話だということはすでに書いたが、そのオーディションに集まった候補者の中から、作曲者役のカズナーがヘレン・ウッドを見初めるシーンがある。その時にウッドの向かって左隣に立っている女優は、同年に公開された『The Band Wagon』(バンド・ワゴン)で、やはり作曲者役のオスカー・レヴァント Oscar Levant がオーディションで見初める女優だと思うが、どうだろう。

『My Sister Eileen』は、その後CBSでTVシリーズになったらしい。1960年から1961年にかけて30分番組で26回オンエア。で、そのシリーズの主演(姉妹の姉役)が、イレイン・ストリッチ Elaine Stritch。ってことは、もしかしてミュージカル仕立てだったのか。観てみたい。

★from WEBsite Misoppa’s Band Wagon (2/25/2003)

ここで採り上げた映画『My Sister Eileen』『The Affairs Of Dobie Gillis』『Give A Girl A Break』は、いずれもDVDが出ている。

ところで、冒頭でNHKでオンエアされたボブ・フォッシー特集番組について触れたが、実はその番組では、『The Affairs Of Dobie Gillis』のジューク・ボックスにもたれかかっているところから始まるダンス・ナンバー→『Give A Girl A Break』のレイノルズとの公園でのデュオ・ダンス→『Kiss Me, Kate』のフォッシー初振付シーン→『My Sister Eileen』のダンス・バトル、という流れで紹介されていたらしい。
上記の文章を公開した後、ネットのミュージカル仲間NANAさんから教えていただいた。結果的には、その流れを改めてたどり直す検証の旅だったというオチ。
長文、失礼いたしました。

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