ANOTHER WORLD/Killer Rouge@東京宝塚劇場 2018/7/4 13:30

紅ゆずる、ついに本領発揮! 星組トップ・スターとしての自信に満ちあふれた舞台。いや、正直ここまで長かった。期待されながらクラシックで2着続きだった素質馬が3歳暮れの有馬記念で勝つ、みたいな(笑)。

『ANOTHER WORLD』(作・演出/谷正純)は、紅ゆずる率いる星組にしかできない、宝塚としては破格のコメディ。
サブタイトルが「RAKUGO MUSICAL」で、落語の死後の世界にまつわる複数の噺を寄せ集めて作られているが、中心になる噺が上方落語の「地獄八景亡者戯」(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)。これが成功の元。コテコテの大阪人、紅ゆずるに演じさせるにあたり上方落語の大ネタを持ってくるなんざ、あ~た、さすが谷先生、エラい!
あたくし上方落語に暗いもので、このネタ知らなかった。おかげさまで観劇後、ネットで亡き米朝師匠の口演を拝見。シビレました。
てなわけで、紅ゆずるも大阪弁遣い放題で自由闊達に演じまくる。一方、二番手の礼真琴は江戸川生まれ。なもんで、こちらは江戸弁。西と東をないまぜにしたことで舞台の間口が広がり、観客も入りやすくなって、これもうまく転がった一因かと。
全てが完璧かというと必ずしもそうでもなく、いろいろと入れ込んだ他の噺との整合性とか、宝塚歌劇が避けて通れない各生徒の見せ場作りとかについての腐心が見え隠れもするが、そこを紅ゆずるの求心力で半ば強引に運んでいく。貧乏神役・華形ひかるの助演も効いていた。この2人、相性がかなりいいのでは?

一方のショウ『Killer Rouge』も、紅ゆずるの“洗練されすぎない”カッコよさが全編にあふれて、出色の出来。つられて他のメンバーもいきいき。テンションが高かった。
終盤の西城秀樹ナンバー以降の一気呵成な展開に、今回の星組の勢いが集約されている気がする。これからが楽しみ。

雨に唄えば~Singin’ In The Rain@赤坂ACTシアター 2018/06/22 13:00

宝塚歌劇月組公演。演出は、2003年星組、2008年宙組と同様、中村一徳。
15年前の星組公演@日生劇場を観ているが、こんなに映画をなぞってたっけ? というのが第一印象。それはキツいだろう。でも、演出家が同じということは歴代そうやってきたのかぁ。てなことを思いながら観た。

そもそも元の映画『雨に唄えば』(Singin’ In The Rain)の見どころの一つはコズモ役ドナルド・オコナーのヴォードヴィル的軽業アクションにある。だから、同じ演出で舞台化するとすれば、同役にアクロバティックな体技とコメディ演技とに優れた役者を持ってくるしかない。
しかしながら、それができるミュージカル俳優は日本にはほとんどいないだろう。観ていないから成否のほどはわからないが、1996年の松竹による上演の際に、この役に川平慈英を起用したのは一つの見識だと思う。想像だが、若き日の体力充分な川平慈英ならかなり健闘したんじゃないだろうか。
というわけで、宝塚歌劇でコズモを映画と同じように演じるのは、まず無理。『Grand Hotel』のオットー役をこなした美弥るりかの技術をもってしても厳しい。演出を大胆に変えるべきだろう。彼女を中心にしながら歌劇団得意の人海戦術で楽しげに盛り上げることは可能だと思う。

珠城りょうのドン・ロックウッドも、ダンスの振付(玉野和紀)が無難な感じなので、今ひとつ弾けない印象。それも含めて、ショウ場面に関してはもっと宝塚的群舞を多用してもよかったのでは? アダム・クーパー版ですら派手に改変していたのだから。
光ったのは、輝月ゆうまのリナ・ラモント。儲け役でもあるが、無理のない誇張で憎めない憎まれ役をうまく演じた。
美園さくらのキャシー・セルダンは堅実な出来。

不徳の伴侶~infelicity@赤坂Red/Theater 2018/05/30

作・演出/荻田浩一 作曲・音楽監督/福井小百合。

彩乃かなみ…スコットランド女王メアリー・スチュアート
藤岡正明…スコットランド貴族、ボスウェル伯ジェームズ・ヘップバーン
百名ヒロキ…仏王フランソワ一世/夫ダーンリ/息子ジェームズ一世
舘形比呂一…兄ジェームズ/義母カトリーヌ・ド・メディシス
吉本真悟…イタリア人秘書リッチォ/スペイン王太子ドン・カルロス
シルビア・グラブ…イングランド女王エリザベス一世

以上、作品の公式サイトからの引用。

作った人たちも演じている人たちも、やりがいと手応えを感じているに違いない力作。が、もったいないことに、こちらの胸には響いてこない。
理由は2つ。1つは、感情移入できる人物がいない。もう1つは、物語を引っぱる仕掛けがない。

前者については、ことに、主人公たるべきメアリー・スチュアート。その人物像が曖昧。奇矯とも思える行動と、幼くして政治に利用された無垢な女性という解釈が、ときに齟齬をきたす。もっと強烈な何かが潜んでいいる人物として描くべきではなかったか。例えば『エリザベート』の綱渡りのようなエピソードを交えて。
そういう意味では、エリザベス一世は動機と行動が一貫している。ドラマの鍵になる人物として、うまく描かれている。が、主役でない分、残念ながら、彼女は面白みのある人物ではない。
ボスウェル伯ジェームズ・ヘップバーン(不徳の伴侶とは彼を指すのか)は、メアリーにとって信頼するに足る人物に見えたがそうではなかった、という解釈でいいのか。どうにも心底が見えない。メアリーと一線を越えるときの2人の心情が、劇中で一番不明。そのせいで全体が混乱してくる。おそらく、ここがクライマックスなのだが。
それ以外の人物は、わかりやすい脇役として描かれているので問題ない。イタリア人秘書リッチォのわからなさは、わからない人物として描かれていると解釈。が、彼らは観客が感情移入していく存在ではない。役者のファンでない限り。

仕掛けについて。
これはスコットランドとイングランドとフランスの王家の人々の物語。その表面的な結果については、すでに知れ渡っている話。それをあえて描くからには、何か飛び道具が必要だろう。
『ベルばら』ならオスカル、『エリザベート』ならトートという、鍵となる架空の存在。あるいはフリードリッヒ・シラー作『メアリー・スチュアート』のように、2人の女優の対決といった現実的な見せどころの設定。
それがない。だから、何か歴史の勉強をさせてもらっている感じ。歴史好きの新解釈を聞かされている感じ、というべきか。

再度言うが、力作ではある。役者も力演。が、以上の点で、惜しい結果に終わっている。

虹のかけら~もうひとりのジュディ@スパイラルホール 2018/05/24

戸田恵子の還暦記念公演だそうで。おめでたい舞台にケチをつけたくはないが、三谷幸喜の脚本が「おいおい」と思ってしまうシロモノなので。とりあえず全公演の終わった本日、ネタばらし込みで苦言を呈させていただきます。

ジュディ・ガーランドの生涯については、けっこう徹底して暴かれていて、英語で出版されている評伝の類は数知れない。日本でも少数だが、彼女の人生について詳しく書かれた本は出ている。
だから、ジュディ・シルヴァーマンなる女性がいて、映画『オズの魔法使い』のドロシー役に決まりかけたり、後年、クスリで瀕死のガーランドをホテルのバスルームから救い出したりという事実は、まずありえない、というぐらいには日本においても熱心なジュディ・ガーランド・ファンなら知っている。
三谷幸喜としては、そうした観客は相手にしていないということか。あるいは大目に見てほしいと甘えているのか。自身による録音の前説や、ひと通り舞台が終わっての種明かし的言い訳を聞いていると、後者のように思われるが。
架空の人物を登場させ、その人物の手記という形で歴史上の人物を語るのは珍しくない手法だが、語る内容が事実に反する場合は、それなりの理由づけを劇中で行なうべきで、終わってから「ちょっとウソが混じってました」なんて作家本人が言うのは、プロの仕事として、どうかと思う。
さらに言えば、その架空の人物を登場させたことで面白くなったかと言えば、全然。その人物像がまるで面白みに欠けていて、まだるっこしくなっただけだ。普通にジュディ・ガーランドの足跡を辿った方が、まだしもだった。
細かいことだが、聞き間違いでなければ、ジュディ・ガーランドは『スタア誕生』を最後に映画から身を引くという説明があったはず。が、誤り。知ってはいたが面倒なので、そう書いたのだと思うが、ここは架空の人物の手記じゃなく戸田恵子による地の語りだったので、よけい気になった。

しかし、そもそも戸田恵子の還暦記念が、なぜジュディ・ガーランドだったのか。彼女がガーランド・ファンなのか。よくわからないが、似合っている題材とは思えない。そのせいか、あるいは初日だからなのか、歌も演技もぎこちなかった。
いずれにしても、戸田恵子には気の毒な脚本だった。

The Chronicle of Broadway and me #7

★1989年5月(その3)

前年の『Speed-The-Plow』で痛い目に遭ったにもかかわらず、再びストレート・プレイに挑戦したのがNeil Simon’s Rumors。理由は当時「ニール・サイモン戯曲集」を読んでいたから。早川書房から「4」まで出ていた。最初は神保町の矢口書店で「1」と「2」を古本で買い、「3」と「4」は新刊を買ったと思う。要するに、ニール・サイモンに少しばかり入れ込んでいたわけで、そのサイモンの新作が登場したとあっては観ないわけにはいくまい、と。そんな感じ。
で、わかりませんでした(苦笑)。同作の入った戯曲集「5」が翻訳で出るのは4年後。読んで、なるほど、と思うほども覚えていませんでした。というわけで、次へ。

スティーヴン・ソンドハイム楽曲によるInto The Woods。「#4」で触れたが、前年のトニー賞で強敵『The Phantom Of The Opera』を向こうに回して、楽曲賞(スティーヴン・ソンドハイム)、脚本賞(ジェイムズ・ラパイン)、主演女優賞(ジョアンナ・グリースン)を受賞している。これが英会話初心者にもわかる部分が多い作品で、面白く観た。
当時の感想は次の通り。
<よく知られた(と言っても3つ目の話は知らない)3つの童話「シンデレラ」「ジャックと豆の木」、それに子宝に恵まれないパン屋夫婦の話が、森の中で入り乱れて進む。赤頭巾なんてのも出てくる。スピーディな展開と自己批評性を持ったギャグとで観る者を飽きさせない。
全2幕の第1幕では、すべてがうまく転がって、みんなハッピー・エンドを迎える。ところが第2幕に入ると一転して、すべてが信じられないくらい悪い方へ悪い方へと向かう。なんたって、人が次から次へと死んでいくんだから。そしてフィナーレで子供たちに向かって歌われる「Children Will Listen」を聴く頃には、人の生き方について考えてしまっている。大いなる寓話ミュージカル。>
子宝に恵まれないパン屋夫婦の話は童話ではなかったが、もう1つ出てくる童話が「髪長姫」こと「ラプンツェル」で、その話の発端、妊娠した妻のために隣に住む魔女の庭の植物ラプンツェルを夫が盗むという、ここには出てこないエピソードが、パン屋夫婦に呪いをかける魔女という形でこの作品に反映されているように思われる。いずれにしても、童話が出てくるからといって子供向けというわけでは全くなく、むしろエロティックな要素の多い内容。個人的には未見だが、2004年の宮本亜門演出版以降何度か日本語上演もされているので、その辺はご承知かと思う。
特筆すべきは、楽曲。ソンドハイム(作曲・作詞)の諸作の中でも、とりわけ楽曲のポピュラリティが高い。ことに導入部の「Into The Woods」とフィナーレの「Children Will Listen」は記憶に残る。ソンドハイムとの幸せな邂逅だった。
なお、観たのが開幕から1年半後ということもあり、バーナデット・ピータース(魔女)も主演女優賞のジョアンナ・グリースン(パン屋の女房)もすでにいなかったが、パン屋はオリジナル・キャストのチップ・ジエンだった。

ごあいさつ

ニューヨークでミュージカルを観続けて30年。そろそろ経済的にも体力的にもヤバくなってますが、行かれる限りは行こうか、と。たまにロンドンにも。日本では、宝塚歌劇、歌舞伎、文楽、で、たまに国産ミュージカルも。20年を超えて運営してきたサイトを年内に閉じて、こちらで身軽に舞台の感想などをアップしていくつもりです。うまく移行できればいいのですが。