Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀/Killer Rouge 星秀☆煌紅@梅田芸術劇場メインホール 2018/09/03 13:00

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前公演(ANOTHER WORLD/Killer Rouge@東京宝塚劇場)の好調さをそのまま維持して、再び、紅ゆずる率いる星組ならではの破天荒な演目で楽しませてくれた。

『Thunderbolt Fantasy(サンダーボルト ファンタジー)東離劍遊紀(とうりけんゆうき)』の元は、日本×台湾共同制作によるテレビ人形劇とのこと。10月に控えた台湾公演を想定しての演目のようだ。原案・脚本・総監修の虚淵玄(うろぶちげん)が、その人形劇の発案者。宝塚歌劇側の脚本・演出が小柳奈穂子。
サブタイトルは「異次元武侠ミュージカル」。古代中国を思わせる架空の世界を舞台に、最強の武器「天刑劍」をめぐって繰り広げられる策謀と戦いのドラマで、二転三転する謎解きめいた展開も面白い。

紅ゆずるの役どころは、超然とした態度で剣客や秘術使いを巧みに操る鬼鳥(きちょう)という謎の人物。しかしてその実体は、大盗賊、凜雪鴉(りんせつあ)。
この、とらえどころのない口先三寸の一見ペテン師のような人物を、紅は、ほぼ声の表情の変化だけで演じてしまう。その声だが、もはや宝塚歌劇の男役らしさにこだわることを超越したかのような、作った気配のない自然な発声。トップとしての確信に満ちた演技が魅力的。
鬼鳥=凜雪鴉に次いで重要な存在となるのが、流浪の剣客、殤不患(ショウフカン)で、演じるは七海ひろき。
礼真琴演じる捲殘雲(ケンサンウン)は、劇の構造としては観客視点の代行者で、超人的英雄に憧れる一般人的存在。とはいえ、かなり強い。
捲殘雲の憧れる対象が弓の名手、狩雲霄(シュウンショウ)で、演じるのが輝咲玲央。
……と、この辺りの配役は、序列よりも役者の個性に合わせて柔軟。それが功を奏している。
その他、善悪入り乱れてかなり数のキャラクターが登場するので、やや忙しくはあるが、多くの生徒たちに活躍の場面が与えられていて、それも楽しい。

『Killer Rouge/星秀☆煌紅(アメイジングスター☆キラールージュ)』は、前回公演のショウ『Killer Rouge』の新ヴァージョン。作・演出/齋藤吉正。
よくできた勢いのあるショウだっただけに、こうしたブラッシュアップによる再演はうれしい。特別ゲストで紅子が登場。アクが強くなっている気がしたのは久しぶりに観たせいか(笑)。

ところで、梅田芸術劇場は初めてだったが、音響にやや難アリ、ですか?

エリザベート~愛と死の輪舞(ロンド)~@宝塚大劇場 2018/09/04 11:00

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太陽王(『ALL FOR ONE~ダルタニアンと太陽王~』)→トゥーランドット(『鳳凰伝~カラフとトゥーランドット~』)→ジャンヌ・ダルク(愛聖女(サントダムール)~Sainted’Amour)という流れがあった上でのエリザベート。この愛希れいかの宝塚歌劇キャリア終盤のイメージが、今回の公演の色合いを決定づけて成功している(途中、『カンパニー~努力、情熱、そして仲間たち~』が入るが、そちらは箸休めということで)。
台風来襲のさなか(15時公演は中止になり、終演後は帰宅不能になりましたが)大劇場まで遠征してよかったと思わせてくれる、いい公演だった。

実のところ、『エリザベート』という作品をそれほど高くは評価していない……と書き始めるつもりだったが、1997年の星組公演の段階でけっこう誉めていることが自分のサイトを確認してわかった(笑)。1997年3月24日@東京宝塚劇場の公演について、「エヴィータを借りてエヴィータを超えたエリザベート」というタイトルで次のように書いている(1997年3月26日記述)。長いが、ほぼ全文引用。

elisabethhoshi

<ウィーン産ミュージカル『エリザベート』の宝塚ヴァージョンが、一路真輝サヨナラ公演として雪組によって東京で演じられたのが昨年6月(宝塚大劇場同年2月)。
それから1年待たずに、今度は星組による再演が東京にお目見えした(宝塚大劇場昨年11~12月)。

時の権力者の妻となり、政治的にもなにがしかの影響を及ぼした実在の女性の半生を、その死から語り始める、という点で、このミュージカルは『エヴィータ』(Evita)に実によく似ている。テロリストを狂言回しとして登場させるに至っては、『エヴィータ』から借りたと言う他ない。
が、『エヴィータ』における起死回生の1曲「Don’t Cry for Me Argentina」のような屈指の名曲こそ持たないものの、『エリザベート』は、完成度において『エヴィータ』の上を行っている。
充分に満足できる仕上がりだ。

第1幕。
オーストリア・ハンガリー皇妃エリザベートを刺殺したイタリア人アナーキスト、ルキーニは、事件から100年経った今も、エリザベート殺害の動機を巡って煉獄の法廷で尋問を受けている。彼は言う、皇妃は“死”を愛していたのだ、と。
その言葉を裏付けるために死者たちが呼び出され、エリザベートの半生が再現される。
エリザベートが初めて“死”と出会うのは少女の時だ。
自由闊達な彼女は綱渡りに挑んで失敗し、意識不明となる。エリザベートをそのまま黄泉の国へ連れ去ろうとした“死”=トートは、その生命力にあふれた美しさに魅せられ、命を助ける。そして、いつの日か彼女の愛を得ようと決意する。
一方、ハプスブルク家では、皇太后ゾフィが若き皇帝フランツ・ヨーゼフの結婚を画策していた。その相手がエリザベートの姉だったのだが、見合いの席でフランツはエリザベートを見初めてしまう。
そして、周囲の危惧をよそに二人の結婚式が行われる。
ハプスブルク家に入ったエリザベートは、伝統と格式を笠に着た姑ゾフィの執拗な干渉に悩まされる。しかも夫のフランツは母に対して優柔不断。
産んだ子供すら自分で育てられない境遇に悲嘆したエリザベートの前にトートが現れ、誘惑するが、彼女は自分の道を強く生きる覚悟を固める。
その頃、オーストリア支配下にあったハンガリーでは独立の気運が高まっていた。エリザベートは、自らの美貌によって大衆の心をつかみ、ハンガリー宥和に成功。存在を誇示する。
しかし、ハンガリーの革命勢力はオーストリア国内に潜入し、相次ぐ戦争で疲弊した市民の不満を煽って、反ハプスブルク感情を高めていく。その中にはなぜかトートの姿も混じっていた。
宮廷内では、ゾフィとエリザベートとの緊張関係が限界にまで達していた。エリザベートに最後通牒を突きつけられたフランツは、エリザベートに子供の教育権を与えることで、彼女の愛を取り戻そうとするのだった。

第2幕。
ハンガリーの自治を認めると同時に自らがハンガリー皇帝として即位するという苦肉の策で独立問題に対処したフランツは、ハンガリーで絶大な人気を得ているエリザベートと共に戴冠式に赴く。
その頃オーストリアでは、多忙な両親に取り残された息子のルドルフが、孤独な日々を送っていた。そこにトートが現れ、呼んでくれれば“友達”としていつでも来てあげる、と約束する。
一方、力を失いつつあるゾフィは、エリザベートへの意趣返しに、娼館の女たちを宮殿に引き入れ、フランツを誘惑させる。美貌を保つための過度の運動と節食で倒れたエリザベートに主治医として近づいたトートは、娼婦と共にいるフランツの写真を見せ、彼女に死を迫る。
しかし、またしてもその誘惑を拒絶したエリザベートは、従者たちを連れて長い旅に出る。
成長したルドルフは、フランツにハンガリーの真の独立を説くが聞き入れられない。独立勢力と関わっていたルドルフは彼らの後押しでクーデターを謀るが、事前に発覚。フランツの信頼を失ったルドルフは、旅から帰ってきたエリザベートに理解を求めるが、心を閉ざしているエリザベートは彼を受け入れてやることができない。
絶望したルドルフは、トートに誘われるまま、拳銃で自分の頭を撃ち抜く。
ルドルフの葬儀の夜、悔やんでも悔やみきれない自分の過ちに、ただ慟哭するエリザベート。現れたトートに、死にたいと言うが、トートは、お前はまだ俺を愛していないと言って去っていく。
さらに月日は流れ、変わらず旅を続けるエリザベートを、年老いたフランツが訪ねる。戻ってくれと言うフランツに、二人はすれ違うだけだと答えるエリザベート。
さて、煉獄の法廷も閉廷が間近い。結論を迫る裁判官にルキーニは言う。最後の証人、トート閣下の登場だ、と。
そして、トートからナイフを受け取るルキーニ。
レマン湖畔、船に乗るために急ぐエリザベートをルキーニが刺す。すべての苦悩から解き放たれたエリザベートは、自らトートの胸に抱かれ、黄泉へと旅立っていく。『キャッツ』(Cats)のラストシーンのように。

まず、被害者は死にたがっていたんだ、と犯人が主張する。その真偽を確かめるために被害者の半生を追う、という設定がミステリー仕立てで面白い。
さらに、その黒幕に“死”がいるとなると、被害者がいつ、どうやって“死”に導かれるのか、というサスペンスフルな興味もわく。
おまけに、家庭内の嫁姑の確執話と、帝国内の独立運動の話が絡み合い、次々に苦難が訪れる果てに息子の死という悲劇が待っている。
要素としては『風と共に去りぬ』(Gone With The Wind)に似ていなくもない筋立て。これだけで軽く『エヴィータ』を超えている。

演出もうまい。
冒頭、マイケル・ジャクソンの「Thriller」に出てくるゾンビのように不気味だった死者たちと、生前の華麗な宮廷人との印象の落差。クライマックス前にも同じ演出が繰り返されるが、この変わり具合が、客席と舞台との時間差を実に巧みに埋めている。
と言うより、観客を一気に舞台の世界へ引き込んで、実に効果的。
黒子のように漂う黒天使たちの扱いも、生と死の境界線を自由に行き来するトートを見事に表現していて、うまい。 特に、彼らのダンスは、目立つわけではないが、ミュージカルとしてのこの作品に奥行きを与えている。
他にも細かいが、結婚式で、この結婚はすべて汝の意志かと聞かれたエリザベートが、はい、と答えると続けて様々な声がこだまのように、はい、はい、はい……と答えたり、ハンガリー皇帝戴冠式で式を司る司祭が実はトートだったりするような、小さくハッとさせるアイディアがいくつかあって、これもうれしい。

シンプルだが象徴的なセットは必要十分にこの世界を表現しているし、暗い調子のライティングも効果的だ。

楽曲は、前述したように超名曲はないが、印象に残る曲は多く、水準は高い。まあ、曲調の配分などは、アンドリュー・ロイド・ウェバーの影響下ではあると思うが。

さて、役者だ。
これに関しては、どうしても雪組 (1996年6月12日13:00@東京宝塚劇場)との比較で語らざるを得ない。

まず、白城あやか。彼女によって、このミュージカルの主役がエリザベートであることが鮮明になった。
奔放な精神と皇妃という立場の板挟みになりながら自我を貫き通そうとする。考えようによってはかなりエキセントリックな女性を、15歳から62歳までくっきりと演じ通して観客の共感を呼ぶ。エリザベートの物語として一本筋が通った。
雪組の時は、一路真輝の演じるトートの存在がより大きく、同じストーリーながら、印象としては、エリザベート(花總まり)がトートの手で操られているように見えた。

そのトートは、麻路さきによって、より人間臭く演じられた。
一路のトートはまさに魔王のごとく超然としていたが、麻路はエリザベートに魅せられ苦悶する様が生々しく、その結果、白城が浮かび上がったということもある。

この2役の比重の違いによって、雪と星の『エリザベート』は違う色彩を帯びることになった。
どちらがどうということはない。トート絶対の従来の宝塚らしい雪組版もよかったし、ウィーン版に近づいたのかとも思えるエリザベート主体の星組版も面白かった。

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これ以上の雪と星の比較は宝塚ファンのみなさんにお任せしたいが、1人だけ、出づっぱりで難しくはあるが儲け役でもあるルキーニを演じた紫吹淳。
時に過剰ではあるが、その陰影のある陽気さとでもいうような個性が印象に残った。>

後に、東宝版、ウィーン版来日公演を観るに到って、『エリザベート』は宝塚版こそが面白いのだと認識(ざっくり言うと、東宝版は男優の演じるトートが生々し過ぎてバランスが悪く、ウィーン版はトートの存在が軽過ぎてスリルに欠ける)。中でも、最初の一路真輝=トート版が最高だった。宝塚版初演×トップの退団公演ということもあって雪組全員の集中力と熱量がハンパなかったし、生徒の層も厚かった。そして、一路真輝自身の役者としての力量の大きさも素晴らしかった。
とはいえ、この感想はちょっと誉め過ぎ、と今では思う(苦笑)。『エヴィータ』より面白いってことを強調したかったあまり、盛り気味の表現になった気がする。

それはそれとして、今回の月組版は、トートとエリザベートとの関係については上の感想に書いた星組版に近い。
「奔放な精神と皇妃という立場の板挟みになりながら自我を貫き通そうとする」エリザベート(愛希)と、「エリザベートに魅せられ苦悶する」トート(珠城りょう)。エリザベート主導と言うと言い過ぎだが、ほぼ対等。
そのイメージの源泉は、冒頭に書いた愛希れいかの、このところの役柄にある。そして、それは、愛希れいかの個性を元に、退団に向けて計算されたものではないだろうか。もし偶然なら、彼女が引き寄せた強運だ。娘役として、これほど輝かしい退団公演までの道のりは、そうそう実現できるものではないと思う。
それを可能にした最大の要因は、珠城りょうと美弥るりか(フランツ)の存在。組の頂点でトライアングルを組むのが、発展途上の若々しいトップと、成熟した個性の二番手という、望んでも容易には得られない絶妙のバランスの男役二人だという幸運。逆に言うと、そのトライアングルの中で、珠城りょうも美弥るりかも、愛希れいかを媒介にして、それぞれの個性を遺憾なく発揮している。今の月組は面白い。

専科からの客演がないせいもあってか、若干、層が薄い気がしないでもないが、物足りない感はない。あるいは全体にすっきりした方向で演出されているのかもしれない。
例えば、儲け役ルキーニの月城かなと。過剰になりがちなこの役を、気持ち抑え気味に演じているように見えるのは、そのためか。好演。
ゾフィ役の組長・憧花ゆりのも、この公演で退団らしい。

ちなみに、『エヴィータ』『エリザベート』説は、その後、『エヴィータ』『オペラ座の怪人』(The Phantom Of The Opera)『エリザベート』説に自分の中で発展している。つまり、神出鬼没のトートがファントムというわけ。どうでしょう?

ナイツ・テイル~騎士物語~@帝国劇場 2018/08/09 13:00

IMG_0795国産(と呼んでいいなら)ミュージカルとしては出色の出来。

まず誉められるべきはジョン・ケアードの脚本。
ボッカッチョ→チョーサー→フレッチャー/シェイクスピアと流れて来た中世の“二人の騎士”の物語『二人の貴公子』(The Two Noble Kinsmen)を、『夏の夜の夢』(A Midsummer Night’s Dream)と混ぜ合わせて原作とは異なるハッピーエンドに落とし込むにあたり、そこに“戦争と平和”と“ジェンダー”についての今日的議論/解釈を投げ込んでかき回すという荒技を仕掛け、見事に決めてみせている。ことに“ジェンダー”問題は、アマゾネス(女性社会)の長が戦いに敗れて捕虜になり、彼女が物語を観察し続けるという設定にすることで男性中心社会に対するカウンター的視点を導入、作品の裏テーマとして鮮やかに筋を通した。そのため、単に恋が実ってメデタシメデタシな空気で終わらないのが素晴らしい。
加えて、役者たちが“二人の騎士”の物語を演じますよ、という構成も効果的。劇中劇という構成は、よくあるスタイルではあるが、今回に関しては大成功。と言うのも、今井麻緒子の手がけた日本語のセリフが旧来のシェイクスピア劇の翻訳調にのっとったものになっているのだが、劇中劇なら当然そうなるよね、とハナから納得して観ていられるから。ともすればセリフが不自然になりがちな“赤毛物”であることを逆手にとったケアードの作戦と見るが、どうだろう。おかげで役者たちは、日常的には口にしない言葉遣いで躊躇なくいきいきと語り、舞台が活気に満ちたものになった。

ケアードと長く一緒に仕事をしているポール・ゴードン(『Jane Eyre』『Daddy Long Legs』)の楽曲(作曲・作詞)は、ツボを心得た緩急自在の派手すぎない作風が快い。訳詞(今井麻緒子)も翻訳物にありがちな違和感が少ない。前述の“シェイクスピア劇の翻訳調”OKな設定がプラスに働いているということもあるだろう。「牢屋で」と歌われる曲などは、かなり快調な仕上がり。
通常のオーケストラとは別に、4人の邦楽奏者(和太鼓×2、篠笛・能管、津軽三味線)が加わっているが、和の色合いを出すというよりは中世の空気感を生むのに貢献していて効果的。色物感はゼロだ。

堂本光一×井上芳雄という組み合わせを想定して脚本を書いた、とケアードが言うだけあって、2人のキャラクター設定、コンビネーションが見事にハマっていて楽しいのが、役者に関しての最大の成功要因。
物語の要になっているのが、前述したように裏テーマを支えるアマゾネスの長の役。ここに島田歌穂を据えたのも大きい。ケアードの信頼の厚さがうかがえる。
大澄賢也は活きのいい若手ダンサー陣と共に熱演。ダンサーの中では西岡憲吾のスッとした姿が印象的。王役の岸祐二は安定の演技。
娘役2人の歌が若干弱いが、国産ミュージカルのレヴェルで言えば上出来の部類だろう。
個人的には、藤咲みどりのダンスが超久しぶりに観られてうれしかった。

おそらく国内ミュージカルとしては今年一番の収穫だろう。

あなたの初恋探します@オルタナティブシアター 2018/07/24 19:00

初恋の人を探す商売って聞き覚えがあるなあ、と観る前に思って自分のサイトの観劇リストを検索したが出てこない。劇場で観始めたら、やっぱ見覚えあるんだけどなあ、デジャヴュか? って感じになり……。カーテンコールで背後に英語タイトルが映し出されてわかった。1年前に観た『ファインディング・ミスター・デスティニー』の再演、正確に言えば再々演だったんだ。しかし、ややこしい。
元々は韓国のオリジナルで、2006年に始まってロングラン・ヒット……と言うが、切れ目なく続いているのかどうかは不明。ごぞんじの方があったら教えていただきたいが。ともかく、ハングルの原題は『김종욱 찾기』(キム・ジョンウク探し)、英語タイトルが『Finding Mr. Destiny』。それが2010年に映画化され、2011年に日本で公開される際、『あなたの初恋探します』という邦題が付いた。と、そういうことでよろしいでしょうか。で、2016年に日本でも舞台版をやることになり、付いたタイトルが『キム・ジョンウク探し〜あなたの初恋探します〜』。キャストを替えて翌年に再演した際のタイトルが『ファインディング・ミスター・デスティニー』。で、今回が日本初演のキャストで再々演の『あなたの初恋探します』
どんな事情があるのかわからないが、観客の立場から言えば混乱の元。あまり誉められたことではない。

とはいえ、中身はよくできている。
ヒロインは活動的な若い女性(この設定がポイント)。戦場取材に行かせてほしくて提出した、新聞社の上司を脅すつもりの見せかけ辞表を受理されて失職。放浪の旅に出ようとするも父親に叱責され、結婚を促される。ってのが事の発端。
もうひとつの発端は、会社員としてはちょっとズレてる若い男が社長の不興を買ってクビになるが、ひょんなことから初恋の人を探す商売を思いつく。
二人が出会うのは、ヒロインが父親に押し付けられた見合いの相手から逃れるために、結ばれるなら初恋の人と、と言い出したため。その人とはインドで出会ったのだが、わかっているのは名前だけ。それがキム・ジョンウク。そして始まるキム・ジョンウク探しだが……。

この後、三転はしないが二転ぐらいする話も、そこそこ意外性があって面白いのだが、それ以上に面白いのが役者3人のコンビネーション。
この舞台、3人しか出演しないのに役数は25。数えてないけど、公式発表を信じれば。
ヒロイン役者は1役。初恋探し業の男役はキム・ジョンウクを兼ねて2役。で、残り22役を1人が演じる。これが肝。3人の緊密なやりとりと、本筋とは別に、3人目の役者が、いつ、どんな役で次に出てくるのかを楽しむ構造。
昨年のキャストは、ヒロイン=玉置成実、初恋探し業=高田翔(ジャニーズJr.)、第三の男ときどき女=坂元健児。初演及び今回が、ヒロイン=彩吹真央、初恋探し業=村井良大、第三の男ときどき女=駒田一。
去年もけっこう楽しんだ記憶があるが、今年のキャストはかなり強力。同じメンバーでの再演だからということもあるのか、まずは非の打ち所のない出来。宝塚歌劇を観てきた者としては、彩吹真央って女優になってもうまいな、と感慨深い。この役がハマリ役だということもあるのだろうが。

オリジナル・スタッフは、作曲/Hae Sung Kim、作詞・脚本/You Jeong Chang(発音の仕方をご教示ください)。日本版は、脚本・演出/菅野こうめい、振付/広崎うらん。バンドが素晴らしく、音楽監督・キーボード/かみむら周平、ギター/窪田晴男、ベース/バカボン鈴木、ドラムス/山下嘉範。

それにしても、このレヴェルの国産ミュージカルが、なぜ作れないかなあ。

愛聖女(サントダムール)~Sainte♡d’Amour~(ライヴ・ヴューイング)@TOHOシネマズ渋谷 2018/07/07 14:30

IMG_0687愛希れいか演じる主人公ジャンヌ・ダルクのキャラクターを太陽王(『All for One〜ダルタニアンと太陽王〜』)の延長線上に設定した時点で、作品の半分は成功している。齋藤吉正の脚本については、まずは、この点を賞賛すべき。
単なる“男装の麗人”ではなく、強い克己心と誠意を併せ持つ、ジェンダーを超える存在。それを、男役だったこともある娘役が演じる。宝塚歌劇にしかできないキャスティングの妙。

ジャンヌ・ダルクという実在の人物の描き方も、かなり注意深く気を遣っているように見えた。
実際、彼女は、単純にフランス救国の英雄と言い切ってしまうには謎が多く、そのイメージは様々な政治的プロパガンダに利用されてきている。ひとつ間違えば、狂信的な殺戮者とも捉えられかねない人物でもある。
ここが一番むずかしかったんじゃないだろうか。
突然のタイムスリップという設定は宙組『天は赤い河のほとり』と似ているが、あちらは現代人が昔に行くので昔の価値観で話を進めることができる。が、こちらはその逆なので、現代の価値観で捉えていく必要がある。しかも、やって来るのは、天啓を得て国を守るために戦場に身を投じた敬虔なカソリック信者。ひと筋縄ではいかない。
ポイントは、タイムスリップが起きたのが火刑の最中だったところだろう。死ぬことがわかっていながら、自分の身代わりとなって過去へとタイムスリップしたドクター・ジャンヌを救うために、最後は過去へと戻っていくジャンヌ・ダルク。その筋の通し方が彼女のキャラクターとして物語に一貫性をもたらした。
加えて、現代でのロンドン行きのエピソードを設定して、ジャンヌが無前提にイギリスを憎んでいるわけではないことも、うまく表わした。
もちろん、細かいことを言いだせば穴はある。
中でも、母に会いたいからオルレアンの乙女コンテストで優勝する必要があるという兄妹という設定は、かなり無理矢理。が、まあ、これもジャンヌの境遇説明と正義感の発露に落とし込んで辻褄は合わせた。
ちなみに、頻繁に起こるタイムスリップ自体が無理だと言うと、『天河』も無理って話になるので、これは大きな必要ウソとして飲み込むしかない。タイムマシーン=デウス・エクス・マキナということで。

愛希れいかは、その際だった個性で終始舞台を引っぱった。地味なジャージに着替えてウンコ座りで向こう向きで土いじりをして絵になる娘役トップは彼女だけだろう。
ドクター・ジャンヌの白雪さち花も見事。幕開きのテンションの高い第一声から舞台の空気を決定づけ、途中、ジャンヌ・ダルクと入れ替わってからは過去の世界の状況説明を一手に引き受け、最後まで緊張感を保ち続ける。彼女の功績は大きい。
その他の出演者も、愛希れいかの最初にして最後の単独主演公演を支えようという気迫と愛情にあふれて、それぞれに快演。

次善の策ではあったが、ライヴ・ヴューイング、観てよかった。

ANOTHER WORLD/Killer Rouge@東京宝塚劇場 2018/7/4 13:30

img_0686紅ゆずる、ついに本領発揮! 星組トップ・スターとしての自信に満ちあふれた舞台。いや、正直ここまで長かった。期待されながらクラシックで2着続きだった素質馬が3歳暮れの有馬記念で勝つ、みたいな(笑)。

『ANOTHER WORLD』(作・演出/谷正純)は、紅ゆずる率いる星組にしかできない、宝塚としては破格のコメディ。
サブタイトルが「RAKUGO MUSICAL」で、落語の死後の世界にまつわる複数の噺を寄せ集めて作られているが、中心になる噺が上方落語の「地獄八景亡者戯」(じごくばっけいもうじゃのたわむれ)。これが成功の元。コテコテの大阪人、紅ゆずるに演じさせるにあたり上方落語の大ネタを持ってくるなんざ、あ~た、さすが谷先生、エラい!
あたくし上方落語に暗いもので、このネタ知らなかった。おかげさまで観劇後、ネットで亡き米朝師匠の口演を拝見。シビレました。
てなわけで、紅ゆずるも大阪弁遣い放題で自由闊達に演じまくる。一方、二番手の礼真琴は江戸川生まれ。なもんで、こちらは江戸弁。西と東をないまぜにしたことで舞台の間口が広がり、観客も入りやすくなって、これもうまく転がった一因かと。
全てが完璧かというと必ずしもそうでもなく、いろいろと入れ込んだ他の噺との整合性とか、宝塚歌劇が避けて通れない各生徒の見せ場作りとかについての腐心が見え隠れもするが、そこを紅ゆずるの求心力で半ば強引に運んでいく。貧乏神役・華形ひかるの助演も効いていた。この2人、相性がかなりいいのでは?

一方のショウ『Killer Rouge』も、紅ゆずるの“洗練されすぎない”カッコよさが全編にあふれて、出色の出来。つられて他のメンバーもいきいき。テンションが高かった。
終盤の西城秀樹ナンバー以降の一気呵成な展開に、今回の星組の勢いが集約されている気がする。これからが楽しみ。

雨に唄えば~Singin’ In The Rain@赤坂ACTシアター 2018/06/22 13:00

宝塚歌劇月組公演。演出は、2003年星組、2008年宙組と同様、中村一徳。
15年前の星組公演@日生劇場を観ているが、こんなに映画をなぞってたっけ? というのが第一印象。それはキツいだろう。でも、演出家が同じということは歴代そうやってきたのかぁ。てなことを思いながら観た。

そもそも元の映画『雨に唄えば』(Singin’ In The Rain)の見どころの一つはコズモ役ドナルド・オコナーのヴォードヴィル的軽業アクションにある。だから、同じ演出で舞台化するとすれば、同役にアクロバティックな体技とコメディ演技とに優れた役者を持ってくるしかない。
しかしながら、それができるミュージカル俳優は日本にはほとんどいないだろう。観ていないから成否のほどはわからないが、1996年の松竹による上演の際に、この役に川平慈英を起用したのは一つの見識だと思う。想像だが、若き日の体力充分な川平慈英ならかなり健闘したんじゃないだろうか。
というわけで、宝塚歌劇でコズモを映画と同じように演じるのは、まず無理。『Grand Hotel』のオットー役をこなした美弥るりかの技術をもってしても厳しい。演出を大胆に変えるべきだろう。彼女を中心にしながら歌劇団得意の人海戦術で楽しげに盛り上げることは可能だと思う。

珠城りょうのドン・ロックウッドも、ダンスの振付(玉野和紀)が無難な感じなので、今ひとつ弾けない印象。それも含めて、ショウ場面に関してはもっと宝塚的群舞を多用してもよかったのでは? アダム・クーパー版ですら派手に改変していたのだから。
光ったのは、輝月ゆうまのリナ・ラモント。儲け役でもあるが、無理のない誇張で憎めない憎まれ役をうまく演じた。
美園さくらのキャシー・セルダンは堅実な出来。