The Chronicle of Broadway and me #029

★1992年5月~6月(その3)

#28で引用したフランク・リッチによる『Five Guys Named Moe』批判の中の「実際の内容以上に見せかけるユーロ・ディズニーランドのハッタリのごときウエスト・エンドの美学」という表現は、『Miss Saigon』(@Broadway Theatre 1992年5月26日 20:00)にはそのまま当てはまる。
オープンの年にチケットを入手できなかった話題作を1年後に観ての当時の感想は次の通り。

<ごぞんじロンドン産のヒット・ミュージカルで、昨年4月ブロードウェイに上陸し、キャスティングの人種問題等の話題を振りまきながらニューヨークでも大ヒットとなった。昨年はチケットが取れなかったが、今年は公演前日に劇場窓口で買って前から12列目の中央の席だったし、隣席のアメリカの老婦人は当日買えたと言っていた。このチケットの売れ行きの鈍りと無関係ではないと思われるのが、主演の交代。昨年のトニー賞の主演男優賞と主演女優賞を獲ったジョナサン・プライス(休暇中とか)とレア・サロンガが、それぞれフランシス・ルイヴィヴァーとライラ・フロレンティーノに替わっている。今の2人も悪くないけど最初の2人は本当によかったと、オリジナルのキャストでも観たという隣席の婦人は幕間に言っていた。
オリジナル・キャストの印象が強く残るという現象は一般的なものだろうから断言はできないが、エンジニア(ポン引き)を演じたジョナサン・プライスに関しては、昨年トニー賞授賞式で披露されたショウの一部をTVで観た限りでは、やはりその個性はかなり強烈。本筋のベトナム女性とアメリカ兵とのメロドラマ(サイゴン陥落前の出会いから始まり、アメリカ兵の脱出・帰国、女性が出産した子供を巡る問題へと進む)の底が浅いために、本来なら狂言回しの立場にあるエンジニアが実質的主役にならざるを得ず、ショウの成否は、舞い下りる実物大のヘリコプターやキャディラックやダンス・ナンバー等にではなく、ひたすらエンジニアという人物の魅力にかかる。そんな中でフランシス・ルイヴィヴァーもかなり善戦したが、ドラマ自体の弱さをカバーするには到らなかった、というのが率直な感想。これがプライスならOKだったのかどうか。観て確かめたい気もするが、今は2度も観たくないという気持ちの方が強い。アジア系の人たちが多く観にきていたが、後味が悪くはなかっただろうか。
大詰めでエンジニアが歌う「The American Dream」というナンバーが『Gypsy』の中の「Rose’s Turn」によく似ていた。>

「キャスティングの人種問題」というのは、ヴェトナム人であるエンジニアをイギリス人俳優のジョナサン・プライスが演じることに対するアメリカの俳優組合の抗議だったと思う。アジア系の役者が演じるべきだ、という。
ちなみに、フランシス・ルイヴィヴァーはエンジニアを演じた最初のアジア系アメリカ人俳優として歴史に名を残す。血筋は中国×フィリピンで、香港生まれハワイ育ちだとか。残念ながら2001年に白血病で亡くなっている。享年40歳。

この作品自体に対する低評価は今も変わらない。

The Chronicle of Broadway and me #028

★1992年5月~6月(その2)

この年のトニー賞授賞式は5月31日。その日のニューヨーク・タイムズのアート&レジャー版第一面に同紙演劇担当主筆フランク・リッチの書いた、「On Broadway, the Lights Get Brighter」というタイトルのコラムが載っていた。ざっと、こんな内容。

<死んでいると言われるほど元気のなかった近年のブロードウェイだが、今シーズンは経済的にも内容的にも非常に盛り上がった。それも、イギリス産のショウに頼ることなく、多くの優れたアメリカのショウによって活況を呈した。若い世代の有能な作家や演出家も続々現れている。もちろん依然解決されるべき問題はあり、必ずしも手放しで喜んでいられるわけではないが、まだまだブロードウェイには未来がある。>

このコラムには個々のショウについての評価も細かく書かれているのだが、そこで、「取るに足らないショウであり、実際の内容以上に見せかけるユーロ・ディズニーランドのハッタリのごときウエスト・エンドの美学にニューヨークの観客が惑わされるのも、これで終わりを告げるだろう。」と手厳しく批判されているのが、ロンドンからやって来た『Five Guys Named Moe』(@Eugene O’Neal Theatre 1992年5月25日20:00)。それに(気弱に)反論している当時の感想は次の通り。

<タイトルからわかる(人はわかる)通り、偉大なるアフリカン・アメリカン、ルイ・ジョーダンの音楽によるミュージカルで、演じているのも6人のアフリカン・アメリカン俳優。
落ち込んでラジオに合わせてブルーズを歌っている青年の前に、ラジオの中からモーという名の5人の男が現れ、青年を励ます。……というのが筋と言えば筋だが、基本的にはルイ・ジョーダンのイカしたナンバーが次から次に出てくる歌と踊りのショウだ。
フランク・リッチは「モー」に対して厳しいが、そこには“ロンドン産”に対する必要以上の嫌悪がある気がする。
確かにミュージカルとしてはスケールが小さいし、現代的な切り口を持っているわけでもない。しかし、愉快で楽しい踊りと共にルイ・ジョーダンのナンバーがいきいきと演奏され歌われると、それだけで劇場全体がハッピーになる。ルイ・ジョーダンの音楽が持っている“今も生きる”力を十二分に引き出した素敵なショウであり、そのリズムは現代的だ。
驚いたのが、第1幕の最後のナンバー「Push Ka Pi Shi Pie」。突然、客席にサビの部分のナンセンスな歌詞が書かれたカードが降ってくる。それで客にコーラスを促し、さらに、舞台から通路に下りた役者が客を引き連れて踊りながら舞台へと行進する。この行進に参加した客が50人くらいいたんじゃないか。劇場は盛り上がり、幕が下りても興奮状態。その余韻もあって、第2幕の「Caldonia」のコール&レスポンスでも客席はノリノリ。こうした“客いじり”は、確かにオフ・ブロードウェイ的。リッチとしては、その辺も気に入らないのかもしれないが、観客としては単純に楽しめる。>

翌1993年、当のロンドンを訪れるに及んで、なるほどリッチの言う通りだな、とロンドン産ミュージカルについての認識を新たにするのだが、この時点ではまだわかっていない。まあ、この作品については、感想で書いている通りルイ・ジョーダンの楽曲のよさにノセられて弁護した面もあるが、この種のショウとしての出来は悪くなかったと今でも思う。
結果的に、トニー賞では作品賞と脚本賞のノミネーション枠には入った。プロデュースはキャメロン・マッキントッシュ。脚本は役者としても知られるクラーク・ピータース。

The Chronicle of Broadway and me #026

★1991年6月~7月(その9)

トニー賞の結果を参考に1990/1991シーズンを振り返る。

作品別獲得数を多い順に並べると、

『The Will Rogers Follies』6(ミュージカル作品賞/楽曲賞/演出賞/振付賞/衣装デザイン賞※/照明デザイン賞※)
『The Secret Garden』3(脚本賞/助演女優賞/装置デザイン賞※)
『Miss Saigon』3(主演女優賞/主演男優賞/助演男優賞)
『Fiddler On the Roof』1(リヴァイヴァル作品賞※)
(※印のカテゴリーはこの時代、ミュージカルとプレイが混合で候補になっている。また、この年、編曲賞、音響デザイン賞はない。)

『The Will Rogers Follies』『The Secret Garden』に集中しているのは、ロンドン産の『Miss Saigon』に対するニューヨーク演劇界の反発のようにも思えるが、他に作品がなかったとも言える。個人的には『Once On This Island』に一つぐらい回してほしかったが。
そう、このシーズンは『Miss Saigon』が登場しているんですね。イギリス人役者の起用で俳優組合と揉めたりしたことも含め超話題作になっていたせいでチケットが買えなかったけど。観るのは翌1992年5月。
ちなみに、『Miss Saigon』以外で、このシーズンに登場して観なかったミュージカルは次の5本。いずれも渡米前にクローズしている。

『Oh, Kay!』
『Buddy』
『Those Were the Days』
『Shogun, The Musical』
『Peter Pan』

『Buddy』はチケットを買いに劇場まで行ったら、ドアにクローズの告知が貼ってあったのを覚えている。結局1993年にロンドンで観ることになる。
『Peter Pan』はキャシー・リグビー主演版で、1990年12月11日プレヴュー開始、1991年1月20日クローズ。おそらくだが、クリスマス・シーズンの上演で「ブロードウェイ・ミュージカル」の称号を獲得した後、全米ツアーに出たのではないか。その後も断続的に続いていたとおぼしく、1999年にブロードウェイに戻ってきた時に観る。

俯瞰してみると『Miss Saigon』は、1980年代から1990年代にかけてのミュージカル版ブリティッシュ・インヴェイジョンの最終ランナーのように思える。
そして翌年、アメリカン・ミュージカルが盛り上がる。

追悼の意を込めて書き添えておくと、このシーズンのプレイの目玉はニール・サイモンの『Lost In Yonkers』で、トニー賞では作品賞を含め4部門で受賞している。
ご冥福をお祈りします。

ナイツ・テイル~騎士物語~@帝国劇場 2018/08/09 13:00

IMG_0795国産(と呼んでいいなら)ミュージカルとしては出色の出来。

まず誉められるべきはジョン・ケアードの脚本。
ボッカッチョ→チョーサー→フレッチャー/シェイクスピアと流れて来た中世の“二人の騎士”の物語『二人の貴公子』(The Two Noble Kinsmen)を、『夏の夜の夢』(A Midsummer Night’s Dream)と混ぜ合わせて原作とは異なるハッピーエンドに落とし込むにあたり、そこに“戦争と平和”と“ジェンダー”についての今日的議論/解釈を投げ込んでかき回すという荒技を仕掛け、見事に決めてみせている。ことに“ジェンダー”問題は、アマゾネス(女性社会)の長が戦いに敗れて捕虜になり、彼女が物語を観察し続けるという設定にすることで男性中心社会に対するカウンター的視点を導入、作品の裏テーマとして鮮やかに筋を通した。そのため、単に恋が実ってメデタシメデタシな空気で終わらないのが素晴らしい。
加えて、役者たちが“二人の騎士”の物語を演じますよ、という構成も効果的。劇中劇という構成は、よくあるスタイルではあるが、今回に関しては大成功。と言うのも、今井麻緒子の手がけた日本語のセリフが旧来のシェイクスピア劇の翻訳調にのっとったものになっているのだが、劇中劇なら当然そうなるよね、とハナから納得して観ていられるから。ともすればセリフが不自然になりがちな“赤毛物”であることを逆手にとったケアードの作戦と見るが、どうだろう。おかげで役者たちは、日常的には口にしない言葉遣いで躊躇なくいきいきと語り、舞台が活気に満ちたものになった。

ケアードと長く一緒に仕事をしているポール・ゴードン(『Jane Eyre』『Daddy Long Legs』)の楽曲(作曲・作詞)は、ツボを心得た緩急自在の派手すぎない作風が快い。訳詞(今井麻緒子)も翻訳物にありがちな違和感が少ない。前述の“シェイクスピア劇の翻訳調”OKな設定がプラスに働いているということもあるだろう。「牢屋で」と歌われる曲などは、かなり快調な仕上がり。
通常のオーケストラとは別に、4人の邦楽奏者(和太鼓×2、篠笛・能管、津軽三味線)が加わっているが、和の色合いを出すというよりは中世の空気感を生むのに貢献していて効果的。色物感はゼロだ。

堂本光一×井上芳雄という組み合わせを想定して脚本を書いた、とケアードが言うだけあって、2人のキャラクター設定、コンビネーションが見事にハマっていて楽しいのが、役者に関しての最大の成功要因。
物語の要になっているのが、前述したように裏テーマを支えるアマゾネスの長の役。ここに島田歌穂を据えたのも大きい。ケアードの信頼の厚さがうかがえる。
大澄賢也は活きのいい若手ダンサー陣と共に熱演。ダンサーの中では西岡憲吾のスッとした姿が印象的。王役の岸祐二は安定の演技。
娘役2人の歌が若干弱いが、国産ミュージカルのレヴェルで言えば上出来の部類だろう。
個人的には、藤咲みどりのダンスが超久しぶりに観られてうれしかった。

おそらく国内ミュージカルとしては今年一番の収穫だろう。

The Chronicle of Broadway and me #006

★1989年5月(その2)

『Me And My Girl』(@Marquis Theatre 1989年5月5日 20:00)の開幕は1986年夏で、1989年いっぱいで終了することになる。この時に観ておいてよかった。ニューヨーク到着日に、開演に間に合うだろうか、チケットは残っているだろうか、と思いながら劇場に駆けつけたことを、なぜかよく覚えている。
ブロードウェイではこれが初演だが、元々はロンドンで作られたミュージカルで、それも初演は1937年と古い。このブロードウェイ版も1984年にウェスト・エンドでリヴァイヴァルされたヴァージョンの移入で、主演のロバート・リンゼイもロンドンからそのままやって来て評判をとった。1987年のトニー賞を席巻した『Les Miserables』が主演男優賞を獲れなかったのは、リンゼイに掠われたから。もっとも、僕が観た時には、すでに主演はジェイムズ・ブレナンに替わっていたが。
男性版『My Fair Lady』とも呼ばれる、ロンドンを舞台にした身分の違いのギャップが巻き起こす大騒ぎのラヴ・ストーリーは、宝塚歌劇版も再三上演されているので、みなさんご存じのことと思う。
当時書いた感想を抜粋しておくと、<主演のジェイムズ・ブレナンの、ジーン・ケリーを思わせる迫力ある踊りと“体技”が素晴らしい。特に第2幕第2場、書庫のシーンでのアニメのキャラクターのようなスラップスティックな動きには爆笑。全体を通してセットのアイディアが光るが、この場は特に秀逸で、ホーンテッド・マンション風の幽霊たちの“足だけのタップ”をはじめ、笑わせて魅せる。>。相変わらず“ストーリー”ではなく“アクション”に反応している。
この『Me And My Girl』は、僕の中では3年後の『Crazy For You』に直結している。まず、演出家が同じマイク・オクレント。オクレントは、ここでは演出の他にスティーヴン・フライの担当した脚本改訂に協力してもいる。また、ここでの振付はギリアン・グレゴリーだが、小道具の使い方を含め、『Crazy For You』のスーザン・ストロマン振付に引き継がれたところが多いように見える。さらに、ジェイムズ・ブレナンが『Crazy For You』に二代目ボビーとして登場する。早い話、オクレントが、ガーシュウィン兄弟の旧作『Girl Crazy』を元ネタに『Me And My Girl』的なミュージカルとして再構築したのが『Crazy For You』だったんじゃないかな、と。そんな気がする。
ちなみに、初めて見た宝塚歌劇版『Me And My Girl』は1995年、天海祐希の卒業公演@東京宝塚劇場。今考えると、よくチケットが手に入ったなと驚く。真矢みきファンだった勤め先の先輩のつてだったと思う。古藤さん、ありがとうございます。

The Chronicle of Broadway and me #004

★1988年5月(その4)

1988年のトニー賞、ミュージカルは『The Phantom Of The Opera』と『Into The Woods』の対決だったことが、結果を見るとわかる。前者がミュージカル作品賞、演出賞、主演男優賞、助演女優賞、装置デザイン賞、衣装デザイン賞、照明デザイン賞を、後者が楽曲賞と脚本賞と主演女優賞を獲っている。
普通だと、楽曲賞と脚本賞を獲ったのなら作品賞も獲っておかしくないのでは?と思うところだが、この2作なら作品賞&演出賞と楽曲賞&脚本賞に分かれたのも納得がいく。前者は派手な演出で魅せる万人ウケの作品だし、後者は楽曲も脚本も緻密に作られた玄人好みの作品だから。
この2作の逃した振付賞は『Anything Goes』のマイケル・スムインが受賞。まあ、そうだろうな。『The Phantom Of The Opera』も『Into The Woods』もたいして踊らないから。ちなみに、残る助演男優賞も『Anything Goes』。

で、なぜこの年、その2作を観ていないのか。

The Phantom Of The Opera』は買おうとしたがチケットが取れなかった、と思う。ホテルのコンシェルジュに無理だと言われたような……この辺の記憶は捏造かもしれない(笑)。
いずれにしても、ミュージカル版ブリティッシュ・インヴェイジョンの中心人物としての作曲家アンドリュー・ロイド・ウェバーのピークが、この年だったわけだ。

一方の『Into The Woods』は、チケットを買おうともしなかった、と思う。なぜなら、楽曲作者のスティーヴン・ソンドハイムについての知識がなかったから。
ロイド・ウェバーと比較して、日本でのソンドハイムの知名度は一般的にはゼロに等しかったはず。いや、日本だけでなく世界的にも、もしかしたらアメリカ国内でも、ミュージカル好き以外には未だにあまり知られていないのではないか。
試しに、近くにいる人に訊いてみてください。『ウエスト・サイド物語』や『ジプシー』の作詞家の名前、知ってますか?

ロイド・ウェバーとソンドハイム。これから先、2人とも何度もご登場いただくことになるので、細かいことはその折に。
なお、『The Phantom Of The Opera』は翌々年の5月に、『Into The Woods』は翌年5月に観ている。前者はご承知の通り今なおロングラン中だが、後者は翌年9月に丸2年に満たない公演の幕を下ろしているので、滑り込みセーフだったわけだ。なにしろ、この頃はまだ年に1回の渡米だったから。

そう言えば、前回、『Anything Goes』がトニー賞でリヴァイヴァル作品賞を獲ったと書いたが、リヴァイヴァル作品賞がミュージカルとプレイに分かれるのは1994年から。それまではミュージカルとプレイとがごちゃ混ぜになっていた。さらに遡ると、1977年になるまではリヴァイヴァル作品賞というカテゴリーがなかったようだ。へえ!

次回から新章突入(笑)。1989年編です。

The Chronicle of Broadway and me #003

★1988年5月(その3)

Les Miserables』で書き忘れたことが一つ。
まだインペリアル劇場に移る前のブロードウェイ劇場(固有名詞)での公演だったのだが、地下鉄が通過すると振動が伝わってくるのには驚いた。劇場の真下を通っているんですね、たぶん。そういう劇場は他にもある。
あと、ブロードウェイの劇場(一般名詞)は、けっこう外の音が入ってくる。サイレンとか、てきめん。それが作品の効果音の一部だと思えるようになれば、観客として一人前(笑)。

そうそう、劇場と言えば、ブロードウェイの劇場(一般名詞)の内部が小ぶりだったのも意外だった。
後に日本の演劇用劇場をいろいろと体験してわかるのだが、ニューヨークの劇場は一般に、席の前後の間隔が近い。それが、狭い土地に建てた劇場に多くの人を入れようという意図からだったのかどうかはわからないが、結果として、舞台を身近に感じる親密な空間を生み出している。だから逆に、例えば帝国劇場などに入るとスカスカな感じがしてしまう。
ちなみに、この時に小ぶりだと感じた『Les Miserables』のブロードウェイ劇場(固有名詞)は、実はブロードウェイとしては大きめの劇場で席数は1,761。あんなに大きく見える帝国劇場も席数は1,897。そう言えば、歌舞伎座建て替えの前に、「新しい劇場は椅子がもっとゆったりするといいわよね」なんていう会話を客席でけっこう耳にしたが、なにかその辺に、舞台を観るという行為についての考え方の彼我の違いを感じなくもない。

さて、どん尻に控えしはAnything Goes。つってもホントに最後だったかどうか今のところ不明だが、その方が話としては盛り上がるので。
お立ち会い。巡り会いが人生ならば、すばらしき相手に巡り会うのもこれ人生であります。この舞台に出会わなければ、その後ニューヨークに通うようになったかどうかわからないという運命の一作。
これぞブロードウェイ・ミュージカル。そう思った。
粋なジャズ・ソングと、タップ・ダンスを中心にした陽気なショウ場面の洪水。洒落のめしたハッピー・エンドな話……は当時はよくわかってなかったが。ともあれ大いに楽しんだ。とにかく、フレッド・アステア映画のイメージを追って海を渡っているので、見事にハマったわけだ。
コール・ポーター(作曲・作詞)の作品だというのは知っていたはず。だから選んだと思う。
初演は1934年。脚本は、ガイ・ボルトンとP・G・ウッドハウスが書いたものにハワード・リンゼイとラッセル・クルーズが手を入れたらしい。1988年版の脚本は、そのラッセル・クルーズの息子のティモシー・クルーズと、個人的には後に『Pacific Overtures』の脚本家として認識することになるジョン・ワイドマンが、さらに改稿している。楽曲も、他のポーター作品から持ってきて加えてある。といった情報は、もちろん後で調べて知った。
主演のリノ・スウィーティ役はパティ・ルポン。最近のパティ・ルポンしか知らない人は信じられないかもしれないが、彼女がタップ・ダンスを踊る。2011年版のサットン・フォスターほどじゃないけど、ちゃんと踊る。振付はマイケル・スムイン。トニー賞授賞式でのパフォーマンスがネットに上がっているので、ご覧あれ。
ルポンは1979年開幕のブロードウェイ版『Evita』ですでにスターになっており、1985年の『Les Miserables』ロンドン版オリジナル・キャストでフォンテーヌを演じていた、ということも当時は知らない。思ったのは、宝塚歌劇に出てくるような派手な顔をしている、ということ。当時の覚え書きに残っているので間違いない。その頃はまだ宝塚歌劇を観たこともなかったのだが。いずれにしても、最初に動いたものを親と思うひよこのごとく、彼女の次のミュージカル『Sunset Boulevard』を観に5年後にはロンドンに渡り、その後も、くまなくとは言わないが数多くの彼女の主演舞台を観ていくことになる。今日に到るまで、ずっと第一線のスターとして活躍し続けているのは素晴らしい。
演出のジェリー・ザックスとも長い付き合いになっていくのだが、この人についてはその都度語ることになるだろう。
もう一人この舞台で印象に残ったのが、リンダ・ハート。ギャングの愛人アーマ役で登場するが、2幕後半の水夫たちとのダンス・ナンバーで可愛いヴァンプとしての魅力炸裂。その後、2002年の『Hairspray』で復活するまで長い間姿を観なかったのだが、元々はカントリー系のミュージシャンで、TVや映画には出ていたようだ。
また、この時の二枚目ビリー役のハワード・マッギリンは、その後、断続的にだが最も数多くブロードウェイでオペラ座の怪人を演じた役者として知られることになる。

この『Anything Goes』、観劇からひと月後には、トニー賞で見事リヴァイヴァル作品賞を獲る。次回は、その1988年トニー賞絡みで一席。