The Chronicle of Broadway and me #083

19949月@ニューヨーク(その3)

残る3本については、変化したところについて簡単に。

Kiss Of The Spider Woman』(9月19日20:00@Broadhurst Theatre)は、映画女優オーロラ=蜘蛛女がヴァネッサ・ウィリアムズに、モリーナ役が3代目ハワード・マッギリンに、ヴァレンティンが2代目ブライアン・ストーク・ミッチェル(当時ブライアン・ミッチェル)に変わっている。
ウィリアムズはこれがブロードウェイ・デビュー。シアターウィーク誌6月27日号のインタヴューで本人が「チタ(・リヴェラ)は特別ね。でも私なりにベストを尽くしてやり遂げるつもり。今はまだ彼女みたいに頭の上まで足を蹴り上げられないけど、リハーサルが終わるまでには多分ね(できるようになってるわ)」と語っていた、と当時の感想にある。

Crazy For You』(9月20日20:00@Shubert Theatre)は、ボビーが代役で、クリストファー・ウェルズだった。<ハリー・グローナーに比べると数段劣る>と当時書いている。あと、ポリーの父役をプロデューサーのロジャー・ホーショウが演じていた。役得ってやつか。

Blue Man Group “TUBES”』(9月23日19:30@Astor Place Theatre)は、<(初見の)1992年の7月当時すでに一部の好事家の間でカルト的話題を呼んでいたが、その後、大ヒット&チケット入手困難状態を続け、今や観たいけど観られないニューヨーク名物の1つになってい>たようだ。

あと、この時、「Brilliantly and Fully Restored for Its 30th Anniversary」という謳い文句でロードショウ公開されていた70ミリ映画版『My Fair Lady』(1964年)をガラガラに空いたジーグフェルド劇場で観ている。以下、その感想。
<双葉十三郎「ぼくの採点表」で☆☆☆☆の評価を受けているこの映画、初めてきちんと観たが、ミュージカル映画としては決して満足できるものではなかった。と言うのも、歌や踊りの場面でのカットの数が多く、それも大半は無用に思えるアングルの切り替えだったりして、せっかくのショウ場面のダイナミズムが台無しになっているのだ。アステアの映画を観て勉強してほしいって感じ。映画のミュージカルならではのアイディアもあまりなく、がっかりした。
ところで、この映画のヘプバーンの歌声が吹き替えられているのは有名だが、ヴァースの部分はヘプバーンの声という曲もある、というのがわかるぐらいに、はっきり吹き替えがわかる。その吹き替え前のヘプバーンの歌が聴かれるヴァージョンがロンドンで公開されるというニュースを見た。ちょっと観てみたい。>
「ヘプバーンの歌が聴かれるヴァージョン」は未だに観ていない。どこかで観られるのか?

[My Favorites]『Roxie Hart』(video)

ボブ・フォッシー『Chicago』の発想の元になった映画『Roxie Hart』ウィリアム・ A・ウェルマン監督(20th Century Fox)をヴィデオで観た際に、「ジンジャー・ロジャーズ版『Chicago』」というタイトルで書いた旧ウェブサイトの2003年の記事を再掲。

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『Chicago』の変遷を見ると、まず、 1926年製作の同名のストレート・プレイがあった。その最初の映画化が1927年(28年説あり)のサイレント版で、日本公開タイトルは『市俄古』。 2度目の映画化が、タイトルがヒロインの名前に変わった1942年の『Roxie Hart』(日本未公開らしい)。そして次が、ボブ・フォッシー(演出・振付・共同脚本)による1975年のブロードウェイ・ミュージカル『Chicago』となる。そのリヴァイヴァルが、ウォルター・ボビー演出、アン・ラインキング振付の1996年版。したがって、今回のロブ・マーシャル(監督・振付)版は、ミュージカル版としては初の映画化だが、映画化自体は3度目ということになる。

スタンリー・グリーン「BROADWAY MUSICALS Show By Show」によれば、フォッシーは主演のグウェン・ヴァードンや製作のロバート・フライヤーと共に、’50年代半ばから『Chicago』の舞台ミュージカル化を考えていたが、その権利を得るまでに13年かかったという。
その辺の事情について、前回も頼りにしたケヴィン・ボイド・グラブ著のフォッシーの伝記「RAZZLE DAZZLE The Life and Work of Bob Fosse」(St.Martin’s Press)に、次のような記述がある。

「ヴァードンが『Chicago』をやりたいと思ったのは映画『Roxie Hart』を観て以来で、1942年のジンジャー・ロジャーズ主演のその映画は、『Chicago』と題された1926年の舞台と1927年のサイレント映画を発展させたものだった。しかし、ヴァードンを落胆させたのは、オリジナルの脚本作者モーリン・ダラス・ワトキンズが上演権を売らないと言ったことだ。晩年、ワトキンズは信心深いキリスト教徒になり、『Chicago』が不真面目な生き方を美化していると信じ込んでいたのだ。」

結局、1969年にワトキンズが亡くなって、その遺産相続者から、フライヤーとヴァードンとフォッシーは『Chicago』の権利を譲り受けることができた、ということらしい。
ともあれ、これを読む限りでは、『Chicago』ミュージカル舞台化の直接のきっかけとなったのは、グウェン・ヴァードンが惚れ込んだ、映画『Roxie Hart』のようだ。

実は、『Roxie Hart』の一部を、以前、観たことがある。さる方から見せていただいた古い映画のオムニバス映像の中に入っていたのだが、驚いたことに、それは、ジンジャー・ロジャーズのダンス・シーンだった。『Roxie Hart』はミュージカル映画ではないにもかかわらず、だ。しかも! さらに驚いたことに、その振付が、舞台ミュージカル版『Chicago』のクライマックス・ナンバー、ロキシーとヴェルマが踊る「The Hot Honey Rag」の振付によく似ていたのだ(僕の観た「The Hot Honey Rag」は、もちろん1996年リヴァイヴァル版のものだが、そのプレイビル=プログラムには、このナンバーはフォッシーの振付を生かしたと書いてあった)。
そんなわけで、今回、『Roxie Hart』全編を観るにあたっては、舞台ミュージカル版『Chicago』との関連が気になっていたのだが、観終わってわかったのは、『Roxie Hart』の影響は、舞台ミュージカル版を通り越して、今回のロブ・マーシャルの映画版にかなり及んでいるということだ。
ロキシーがドレスアップして監獄の2階部分に出てくるところとか、弁護士ビリー・フリン(アドルフ・マンジュウ)のハッタリのきかせ方だとか、記者メアリー・サンシャインの印象とか、今回の映画版を思わせるところがかなり多い。まあ、同じ原作の映画化だから、似ていて当然なのかもしれないが、例えば、ロキシーの判決を伝える新聞の扱いなどにはオマージュの趣すら感じる。
もっとも、今回の映画版Chicagoに比べると、『Roxie Hart』はかなりコミカルな映画で、視覚的なギャグも多い。例えば、前述のロジャーズのダンスのところでも、彼女のチャールストンにつられて周囲の人々が踊りだす(というのがそもそも可笑しい)のだが、その様子を1人蚊帳の外でふて腐れて観ていた夫のエイモスの足が思わずチャールストンのステップになってしまい、気がついて止めるというギャグなど、その典型だ。
さらに、『Roxie Hart』には、ヴェルマ・ケリーが出てこないし(似たような女囚が出てきてロキシーと取っ組み合いになるのだが、それは1場面のみ)、全体が新聞記者の回想になっていたり、その流れから来るオチがついていたりするという、オリジナルな脚色(ナナリー・ジョンスン)もある。
そんな風に『Chicago』とは違う部分も多い『Roxie Hart』だが、ジンジャー・ロジャーズ演じるロキシー・ハートの人を食ったキャラクターや裁判シーンのふざけ具合を観ていると、やはり今日の『Chicago』の原点はここにある、という気がする。なによりロキシーが踊るし。
そう、ロキシーが踊るのだ、前述のシーン以外でも。
あまり大げさに言うと誇大表現になるが、もう1つ、短いが見逃せないダンス・シーンがある。それが、ロキシーの階段タップ。無伴奏で階段を上り下りするジンジャー・ロジャーズのタップをカメラ据え置きでじっくり撮ったこのシーンは、ミュージカル・ファンにはたまらない。途中でカット割りのある前述のチャールストンよりも、むしろ、こちらの方が見応えがあるという人もいるかもしれない。
ともあれ、そんなこんなで、『Roxie Hart』、機会があれば観て損のない映画だ。

振付はアステア=ロジャーズ映画でおなじみのハーミズ・パン。音楽担当は名高きアルフレッド・ニューマンだが、テーマ曲的に使われている「Chicago」の作者はフレッド・フィッシャー。「シッカーゴ、シッカーゴ」と歌われる、フランク・シナトラの歌唱などで知られるあの楽曲だ。

ところで、最後に、これは勝手な想像にすぎないのだが、フォッシーは、『Chicago』の舞台ミュージカル化を手がけるにあたって、なにか宿命的なものを感じていたのではないだろうか。
と言うのは、モーリン・ダラス・ワトキンズがオリジナルの脚本を書く際に下敷きにしたのは、1924年にシカゴで実際に起こった事件で、地元ではかなりセンセーショナルな話題を呼んだという。フォッシーが生まれたのは、それから3年後のシカゴ。最初の映画化の年だ。ヴァードンが『Roxie Hart』を観るはるか以前、幼い頃からフォッシーがこの話を知っていたとしてもおかしくない。
ミュージカル『Chicago』の諧謔的な表現の背景には(ってフォッシー版を観たこともないのに言うのはおこがましいのだが、リヴァイヴァル版から想像すると、ということでご勘弁願いたい)、フォッシーのホームタウンに対する愛惜の情があるように思えてならない。>

★from WEBsite Misoppa’s Band Wagon(3/29/2003)

[My Favorites]『Chicago』(film)

ロブ・マーシャル監督による映画版『Chicago』の感想を「ロキシー・ハートはアリー・マクビールか」というタイトルで書いた、旧ウェブサイトの2003年の記事を再掲。編集にあたり「注」を加えた。

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<ロブ・マーシャル監督・振付による映画版『Chicago』を、ミュージカル映画を観るならここ、というジーグフェルド劇場(かつてのジーグフェルド劇場とは別物だが、それ風の小物類が飾ってあり古風な趣がある大型映画館)で観た。
印象をひと言で言うと、“快調”。テンポがよく、あっと言う間に終わってしまう(上映時間は 2時間弱)。と言うのも、ことさらドラマを掘り下げたりせずに、次々にショウ場面を繰り出してくるからだ。映画好きにはどうだかわからないが、ミュージカル好きにとっては、これがなにより。
残念ながら、「傑作!」とまでは行かなかったけれども、けっこう楽しめる1本に仕上がっていた。

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舞台版を愛する者としては、ショウ場面を「誰々による何とかナンバー」というMC(進行役)による紹介付きのヴォードヴィルの出し物に仕立てて進めていく、あの独特のスタイルを、映画で生かすのかどうか、あるいは生かせるのかどうか、に、まず興味があったが、なんと、まんま導入。しかも、セリフもほぼ舞台版通りなので、ショウ場面に入るタイミングも変わらない印象(テンポがいい理由の1つがこれ)。巧みにスタイルを継承している。
が、“スタイルの継承”と言っても、舞台版をそのまま映像に収めたような作品になっているわけではない。あくまで映像ならではの表現でありながら、そこに舞台版のスタイルを持ち込んだ、そこに、この映画の面白さはあり、同時に弱点もある。
冒頭の部分を抜き出して、具体的に説明してみよう。

まず、ロキシー・ハートの目のアップ(注1)から始まる。音楽は舞台と同じ(全編を通して編曲もほとんど同じ)で、ワワ~ワ~というトランペット・ソロから入る。
で、ヴォードヴィル劇場のバンド・リーダーであるピアノ奏者のカウントでテンポが早くなり、自分の部屋を出て劇場に向かうヴェルマの身体(顔以外)の部分アップと劇場の様子とがフラッシュバックで交互に描かれる。ヴェルマが出番ギリギリで劇場に到着。あせっていた舞台監督が「妹はどうした!?」とどなる。「今日はソロよ!」とヴェルマ(参考までに言うと、ここまでのヴェルマの行動は舞台版では描かれていないのだが、ヴェルマが拳銃を手にしていたり楽屋で血の付いた手を洗ったりするので、舞台版を観ている人間には、なるほど、と事情がわかる。後から出てくるナンバー「Cell Block Tango」でタネ明かしされる、夫と妹殺しが行なわれたわけだ)。
ダンサーたちがうろついている舞台上にスポットが当たり、ヴェルマがせり上がってきて「All That Jazz」の歌となる(舞台版のオープニングと同じ。ただし、舞台版と異なり、先行する描写に従って、ヴェルマは「ケリー・シスターズ!」と紹介され、 2つスポットライトが当たり、 1人しか登場しないのでどよめきが起こる)。
そのヴェルマを客席の後ろから羨望のまなざしで観ているロキシー・ハート。と、いきなり、ヴェルマとロキシーが入れ替わり、舞台上で歌うロキシーの姿になる。つまり、それはロキシーの妄想のショウ場面(舞台版にはない描写)。
一緒にいた家具のセールスマン、フレッド・ケイスリーに促されて現実に戻ったロキシーは、彼と一緒に夫のいない部屋に帰り、情事に耽る。事が終わった後、急に冷たくなったフレッドを撃ち殺してしまうロキシー(舞台版でヴェルマが「All That Jazz」を歌っている最中にスケッチとして挿入される部分。演技はリアリズムだが、拳銃を撃つ 3発のタイミングは舞台版と同じ)。
そして……。
ピアノ奏者のナンバー紹介に導かれて、妄想の舞台上のロキシーが歌い始めるのは、ロキシーの身代わりになるつもりで警察の尋問に答えるロキシーの夫エイモスへのラヴ・ソング。舞台で歌うロキシーの姿と、自分の部屋に横たわる死体の脇で弁明するエイモスの姿とが交錯する(舞台版と同じ設定)。

おわかりだろうか。この映画のショウ場面は、上述のヴェルマの「All That Jazz」とフィナーレのロキシーとヴェルマによる「Nowadays」~「The Hot Honey Rag」は(映画の中の)現実として登場するが、それ以外は全て、映画のリアリズムの中で、アリー・マクビール@『アリー my Love』(原題:Ally McBeal)の妄想のように、あくまでヒロインにしか見えない出来事として描かれるのだ(フィナーレも、もしかしたら妄想かも)。ヴォードヴィルのスターに憧れるロキシーならではの妄想、ということで一貫している。
そういう意味では、現実からショウ場面への移行がとてもわかりやすく、万が一『Moulin Rouge!』(邦題:ムーラン・ルージュ)のシュールな飛躍ぶりについていけなかったという人(いるのか?)が観ても大丈夫。ちゃんと理解できるだろう。おまけに、ショウ場面が始まる時にはヴォードヴィル式のMCが教えてくれるし。
逆に言うと、舞台版のヴォードヴィル・スタイルを生かすにあたって、ショウ場面をロキシーの妄想という設定にした、ということも考えられる。MC付きのヴォードヴィル・ショウが何の前提もなしに普通の(つまり特殊撮影などない)ドラマ映画に登場しては不自然だ、という感覚が存在するからだ。
どちらにしても、この2つの要素(ヒロインの妄想という設定とヴォードヴィル・スタイルのショウ場面)がうまくマッチして、映画版『Chicago』は、メリハリとスピード感の両方を獲得した。例えば、この作品と同様にショウ場面が主人公の妄想として登場する、これも過去のシカゴを舞台にしたハーバート・ロス監督の1981年のミュージカル映画『Pennies From Heaven』(邦題:ペニーズ・フロム・ヘブン)などと比べると、全体に“ビート”とでも呼びたいようなリズム感が息づいているのがわかる。
舞台版の面白さを映画的表現の中で生かした、と言っていいだろう。

しかし、と舞台版のファンは一方で思う。これって舞台版を超えてないんじゃないか、と。

その理由の1つは、ヴォードヴィル・スタイルのショウ場面が映画の中に収まりすぎていることにある。
舞台版『Chicago』のヴォードヴィル・スタイルには、(言ってしまうと野暮だが)作品自体の虚構性を強調すると同時に、世界の虚構性を露わにするという意味もあった。すなわち、舞台上で展開される毒々しい物語はウソっぱちのお楽しみにすぎませんが案外現実の世界もウソっぱちに満ちた毒々しいものではありませんか、と観客に問いかける、という。
映画版では、その感覚が薄まっているのだ。
と言うのは、舞台版のヴォードヴィル・スタイルは、ソング&ダンスの部分だけでなく、芝居部分も出し物の一部(スケッチ)として考えられていて、だからこそ上記の虚構性の表現が生まれてくる。ところが、映画版は、ヴォードヴィル・スタイルを、ヒロインの妄想=ショウ場面という整合性のある構造の中に収めてしまったために、そこからはみ出して迫ってくるものがなくなったのだ。
そう言えば、映画版には1か所だけ独自のストーリー展開がある。舞台版では悪辣弁護士ビリー・フリンの詭弁であっさり無罪になるクライマックス間際のロキシーの裁判シーンだが、映画版では、ヴェルマが有罪の証拠となるロキシーの日記を持って裁判所に現れ、一転ロキシーをピンチに陥れるのだ(リチャード・ギア扮するビリーがあせって熱弁をふるう現実と交錯して現れる妄想シーンは、そのビリーのタップ・ダンス)(注2)。
実は、舞台版の虚構性の深さが最も顕著に表れるのがこの裁判シーンであり、ここに独自の展開、それも裁判のいい加減さを強調するエピソードを持ち込まざるをえなかったこと自体が映画版の弱みを示していると思う。
これが、舞台版を超えていない理由の1つ。

もう1つの理由は、やはりショウ場面そのものにある。
楽曲のアレンジはほぼ舞台版通りであるにもかかわらず、舞台版の振付をそのまま生かしているのは、動きの少ない、エイモスのナンバー「Mister Cellophane」のみ。残りは果敢に、ほとんどボブ・フォッシー色のない新しい振付で挑んでいる。そのこと自体は、舞台と映画では表現の仕方が違うのだから、何の問題もない。中でも、「Cell Block Tango」などは、映画ならではの空間の広がりを感じさせつつ、ホントのタンゴ・スタイルを交えた独自のダンスを展開していて面白い。
しかし、『Chicago』『Chicago』。映画がオリジナルの『Moulin Rouge!』とは違う。ここまで舞台版を踏襲しているわけだし、やはり、主役のロキシー(レネー・ゼルウィガー)とヴェルマ(キャサリン・ゼタ・ジョーンズ)が踊れてなんぼだろう。彼女たちのダンスがカット割りや吹き替えでごまかされているのを観ると(注3)、厳しい観方かもしれないが、拍子抜けする。明らかにマリリン・モンローを意識した’50年代ミュージカル映画風の見せ方が楽しい「Roxie」も、ヴェルマが熱演する「I Can’t Do It Alone」も、そしてフィナーレの「Nowadays」~「The Hot Honey Rag」も、彼女たちがホントに踊れたらどんなに素晴らしいだろうと思わざるをえない。
もし、ロキシーやヴェルマのキレのいいダンスが長回しで観られるシーンが1か所でもあったなら、“虚構性”うんぬんには目をつぶって、「傑作!」と言ってもいいんだけどな(リチャード・ギアは意外に健闘しているが、でも、あのタップは吹き替えだろう(注4))。

と、まあ、舞台版を愛するがゆえの注文はあるけれども、まずは一見の価値あり。
思わぬところに所縁(ゆかり)の人が出てくるなんていうお楽しみもあるので、ご覧の際にはお見逃しなく。>

★from WEBsite Misoppa’s Band Wagon(1/12/2003)

(注1)初見時はヴェルマ・ケリーの目だと思っていた。指摘してくださる方が複数いて、確認し直し、当時は追記で修正した。逆に、冒頭から「妄想はロキシーの見た目」という示唆をしていた、ということかと。気づけよ、自分(笑)。

(注2)裁判所にヴェルマが現れるエピソードが挿入された代わりに削られたのが、裁判の様子をラジオの中継で聴きながら歌われるママ・モートンとヴェルマのナンバー「Class」(撮影済みだった)。ヴェルマが裁判所と監獄の両方に存在するわけにいかないからだが、それ以前に、ショウ場面はロキシーの妄想という縛りがあるため、監獄にいるヴェルマたちが歌う姿を、裁判を受けているロキシーが妄想するという状況が設定しにくい、という理由があっての削除ではないだろうか。その代わりにヴェルマを裁判所に登場させた、と。キャサリン・ゼタ・ジョーンズの出番を減らさないためにも。

(注3)(注4)主演クラスのダンスの吹き替えはない、と、これも複数の方からご指摘いただいた。監督のインタヴューでの発言や映画の最後のクレジットにも但し書きがある由。これに関しては、当時、追記で次のように言及している。
<そうした事実を受け入れた上で、強がりではなく再度言えば(笑)、やはり、ロキシー、ヴェルマ、ビリー・フリンのダンスがカット割りでごまかされていることには変わりがない。早い話、引きの長回しでない限り、本人だろうが吹き替えだろうが観客にとっては関係ないわけで、吹き替えでないとしても不満として残るのは同じ。
まあ、そこを、本人を踊らせることにこだわって撮ったマーシャルの気持ちもわからないではないし、結果的には、カメラワークと編集とで映画版ならではのダンス・シーンに仕上げてある。
ただ、ここまで舞台と同じ展開だと、舞台をさんざん観てきた者としては主演クラスのダンスをきちんと観たくなってしまう。つまり、『Cabaret』ぐらい舞台版と映画版が違っていれば別物として観られるけれども、『Sweet Charity』ぐらいだと、やっぱり舞台並のダンスを期待するよね、という話。
でも、繰り返しますが、それは舞台版を愛するがゆえの注文。映画版『Chicago』がつまらないという話ではないので、公開時にはどうかお見逃しなく。>

[My Favorites]『The Producers』(video)

橋本治さんが亡くなった。仕事の上でのおつきあいだったが、打ち合わせにうかがうと、物の考え方から芸能に到るまで、いつもいろんなお話をしてくださった。素晴らしい著作群と併せて、教えていただいたことは数知れない。これも、その一端。旧サイトから転載(1997年記載)。

<アル・ハーシュフェルドという名前をご存知だろうか。
名前をご存知なくても、彼の絵はどこかでご覧になったことがあるに違いない。al001
手近にあるもので紹介すれば、上は作曲家リチャード・ロジャーズの自伝の普及版だが、この表紙の絵がハーシュフェルドの手になるものだ。
1927年以来ニューヨーク・タイムズを中心に、演劇・映画世界の人物たちを描き続けてきた(そして今なお現役!)人で、ブロードウェイでは、その功績に対して2度、トニー賞が贈られている。

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そのアル・ハーシュフェルドが1951年に、絵だけでなく、むしろ文字中心に書いたブロードウェイ演劇界内幕本がある。タイトルがシャレていて、「Show Business Is No Business」。
その翻訳本が昨年暮れ発売になった「笑うブロードウェイ」(小学館)で、翻訳は、ブロードウェイ・ミュージカル好きで知らぬ者なき大平和登氏、装丁は和田誠氏。
この本、実にケッサクで、半世紀近く経っても色褪せない皮肉なユーモアと警句に満ちている。
例えば、第2章のプロデューサーについて書かれた章に、こんな一節がある。

プロデューサーになるためには、こう言いさえすればいいのです、「私はプロデューサーだ」と。
“おなじみの”プロデューサーになるためには、新聞のブロードウェイ欄に、できるだけ何度も、この発言を載せてもらわなければなりません。
“定評ある”プロデューサーになるためには、芝居をプロデュースしなければなりません。
“偉大な”あるいは“著名な”プロデューサーになるためには、プロデュースした芝居が大当たりしなければなりません。

そして、同じプロデューサーの章に、こんなインチキなプロデューサーの話が出てくる。

彼は、必要以上の投資を募る。そして、プロデュースした芝居は成功させない。結果、投資家に利益を払い戻さない。つまり、余分に集めた投資を着服してしまうわけだ。
そういう輩がかつてはいた、という話。

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このアイディアを実行に移して大儲けを企んだ2人の男を描いたのが、映画『The Producers』(1968年)。
メル・ブルックスの初監督作品で日本では劇場未公開。

この映画、コメディとして傑作というわけではない。
が、舞台裏でうごめく魑魅魍魎とも言うべき人間たちの生態が、誇張されているとは言え非常に生々しく描かれ、興味津々。「笑うブロードウェイ」同様、楽屋の匂いすら感じさせる細部の描き込みは、さすが、その世界に生息した人ならでは。
コート劇場という実在のブロードウェイの劇場も出てきて、演劇世界に興味のある人なら大いに楽しめるはず。

それはそれとして。

この映画で最も面白いのは、主人公たちがプロデュースするミュージカル。その名も『Springtime For Hitler』(ヒトラーの春)。
このネタなら絶対に外れるだろうと、2人のプロデューサーがヒトラーを信奉するクレイジーな脚本家に書かせたミュージカルで、ヒトラー及びナチス・ドイツを絶賛する話。
このテーマ曲がいいんだ。

Springtime for Hitler and Germany……

一度聴いたら忘れられない美しいこの曲に乗って、ナチの将校たちとドレスアップした淑女たちが、ジーグフェルド・フォリーズもどきで華麗に踊る。ここ、大マジで振り付けられていて、この映画中、ブルックスの力が最も入った箇所と見た。
ミュージカル・ファンなら一度は観ておきたい名場面です。

主演は、『A Funny Thing Happened On The Way To The Forum』(ローマで起こった奇妙な出来事)や『Fiddler On The Roof』(屋根の上のヴァイオリン弾き)で知られるゼロ・モステルと、ブルックス映画の常連ジーン・ワイルダー。

この映画のヴィデオは当初吹き替え版のみ出ていたらしく、それを、作家の橋本治氏から拝借して観たのが初見(橋本氏のヴィデオ・コレクションは垂涎モノであります)。>

★from WEBsite Misoppa’s Band Wagon (11/02/1997)

舞台版『The Producers』の話など、少なくとも表向きには全くなかった頃の話。
橋本先生、ありがとうございました。ご冥福をお祈りします。

[考察001]ボブ・フォッシー初期振付映画の謎を追って

[考察]第1弾は、ボブ・フォッシー Bob Fosse の、映画の振付家としてのキャリア初期の謎を追いかけた2003年の文章です。いろいろ寄り道してます。

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■『Fosse』から消えたダンス・ナンバーを巡っての謎

1998/1999シーズンにブロードウェイに登場した、演出家/振付家ボブ・フォッシーの集大成ミュージカル『Fosse』には、プレヴュー時にはあって正式オープンした時には消えていたナンバーがあった。
プレイビルには「Alley Dance」と書かれていたそのナンバーのオリジナルは、1955年公開(日本未公開)のミュージカル映画『My Sister Eileen』(監督/リチャード・クイン Richard Quine)のワンシーンで、そちらでのタイトルは、資料によれば「Got No Room for Mr. Gloom」となっている。その映画に振付家としてクレジットされているだけでなく出演もしているボブ・フォッシーが、トミー・ロール Tommy Rall というバレエ出身のダンサーとダンス合戦をするというナンバーで、オープン後の『Fosse』からカットされた背景には、その難易度の高い振付を舞台で毎日繰り返すのは困難すぎるという判断があったのかもしれない。なにしろ、『Fosse』の中で最もミスの多かったと思われる「Steam Heat」(from『The Pajama Game』)の“吸い上げ帽子”を含みつつ、さらに“ハンカチ縄跳び”だのなんだのが加わるというアクロバティックな振付だったから。
映画のその場面映像を、NHKでオンエアされた宮本亜門の前説付きのボブ・フォッシー特集(おそらく追悼)番組で観たことがあったが、確か、その場面についての解説で、グウェン・ヴァードン Gwen Verdon が、出自の異なるダンサーとダンスを競い合う撮影をフォッシーは心から楽しんでいた、と発言していたように記憶している。

その『My Sister Eileen』のヴィデオをニューヨークで見つけた。
で、買って帰って観てみると、いくつかの謎が浮かび上がってきた。そうした謎について調べたりしているうちに思ったのは、この映画はフォッシーの転換期を象徴する不思議な作品なのではないか、ということだ。

■題材の謎

観て、まず驚いたのは、その内容。オハイオからニューヨークに出てきた姉妹がダウンタウンのアパートで暮らすことになる話なのだが、これって、『Wonderful Town』と同じじゃないのか?
同じはずだ。スタンリー・グリーンの「Broadway Musicals: Show By Show」に、以下のことが書いてあった。
『My Sister Eileen』は、元々はニューヨーカー誌に発表されたルース・マッキニー Ruth McKinney の短編小説シリーズのタイトルで、その最初の舞台化が1940年にブロードウェイでヒットした同名のストレート・プレイ。そのミュージカル化が1953年にブロードウェイでオープンする『Wonderful Town』。そして、どちらも脚本は、ジョセフ・フィールズ Joseph Fields とジェローム・チョードロフ Jerome Chodorov。
なるほど、元ネタが同じだったことはわかった。しかし、だとすると、わからないのは、なぜ『Wonderful Town』をミュージカル映画化せずに、『My Sister Eileen』を新たにミュージカル仕立てで映画化したのかということ。
『Wonderful Town』は、 559公演という当時としてはまずまずのロングランを記録しているし、なにより、「Ohio」「Conga!」という傑出した楽曲があった(作曲/レナード・バーンスタイン Leonard Bernstein、作詞/ベティ・コムデン Betty Comden &アドルフ・グリーン Adolph Green)。それを、わずか 2年後に、わざわざ別の楽曲作者(作曲/ジュール・スタイン Jule Styne、作詞/レオ・ロビン Leo Robin)を立ててミュージカル映画化した理由がわからない。
調べてみると、『My Sister Eileen』は 1942年に舞台と同じ非ミュージカルとして 1度映画化されている。その時の主演がロザリンド・ラッセル Rozalind Russell で、ごぞんじの通り彼女は 11年後に『Wonderful Town』の舞台で同じ役(姉妹の姉)を演じていて、この辺も面白いのだが、それはそれとして……。そうやって 1度映画化されたタイトルの方が知名度が高いと考えたということなのだろうか。あるいは、権利の問題か何かで『Wonderful Town』の映画化がうまくいかなかったのか。

ともあれ、コロンビア映画のボス、ハリー・コーン Harry Cohn は『My Sister Eileen』のミュージカル映画化を実行に移したわけだ。

余談だが、ミュージカル映画版『My Sister Eileen』の監督リチャード・クインは、日本ではリチャード・クワインとして知られているようで、その理由は、戦前から子役として活躍していたため、その頃に日本でクワインという読みで定着してしまったからではないかと推測する。が、発音としては「クイン」だろう。ま、それはともかく、この人、ブロードウェイのストレート・プレイ版『My Sister Eileen』初演に出演している。その関係もあっての監督起用だったのだと思われる。あるいは監督の持ち込み企画か?

■映画初振付の謎

ハリー・コーンが準主役兼振付家としてのフォッシーと契約するにあたっては、振付家としてのブロードウェイ・デビュー作である前年(1954年)のヒット舞台『The Pajama Game』が大きく影響している、と、フォッシーの伝記「Razzle Dazzle: The Life and Work of Bob Fosse」(St.Martin’s Press)の中で著者ケヴィン・ボイド・グラブ Kevin Boyd Grubb は書いている。
そして、同書によれば、フォッシーが振付家として、その舞台版『The Pajama Game』に関わるまでには次のような経緯があったという。
ブロードウェイ周辺で活動していたフォッシーは、MGMのスカウトに見出されて、フレッド・アステア Fred Astaire の後を継ぐ者と期待されてハリウッド入りする。そして、ハーミズ・パン Hermes Pan 振付の1953年の映画版『Kiss Me, Kate』に出演したフォッシーは、クレジットはされないものの、『Fosse』でも再現されていた「From This Moment On」の中の自分とキャロル・ヘイニー Carol Haney のデュオ部分の振付を任される。その「48秒のフォッシーとヘイニーのダンス」を観て、舞台版『The Pajama Game』の演出家チーム、ジョージ・アボット George Abbott とジェローム・ロビンズ Jerome Robbins はフォッシーに声をかけることになる(ロビンズはそれ以前に、フォッシーが振付を手がけた舞台レヴューのワークショップを観ていたらしいが)。ちなみに、『The Pajama Game』の舞台で「Steam Heat」を踊るのがヘイニー。
この「From This Moment On」での振付が、映画でのフォッシーの実質的振付家デビューであることは、よく知られている事実だ。
ところが、伝記「Razzle Dazzle」に、こんな記述があるのだ。

<フォッシー自身が、映画の振付活動の始まりは『Kiss Me, Kate』の「From This Moment On」のダンスからだと認めているけれども、デビー・レイノルズ Debbie Reynolds によれば、フォッシーは『Give A Girl A Break』での自分のダンスは自分で振り付けている。>

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『Give A Girl A Break』というのは、映画版『Kiss Me, Kate』と同じ1953年に公開されたMGM映画で、レイノルズもフォッシーと共に出演している。伝記「Razzle Dazzle」には、『Give A Girl A Break』『Kiss Me, Kate』より先に作られたようなニュアンスで書かれている。だからこそ、先の引用のような表現、つまり、『Kiss Me, Kate』より前にフォッシーが映画で振付をしている、というような表現になるわけだが、この2作、スタンリー・グリーンの「ハリウッド・ミュージカル映画のすべて Hollywood Musicals: Year By Year」(音楽之友社)によれば、公開順は逆になっている。
実はこの年、『The Affairs Of Dobie Gillis』というフォッシー出演の MGM映画がもう1本公開されていて、「Razzle Dazzle」では、『Give A Girl A Break』『The Affairs Of Dobie Gillis』『Kiss Me, Kate』の順で作られたかのように書かれているのだが、他のデータで調べると、公開順は、『Kiss Me, Kate』『The Affairs Of Dobie Gillis』『Give A Girl A Break』ということのようだ。もしかしたら、製作順は公開順と違って「Razzle Dazzle」の記述通りなのかもしれないが、根拠になる記述がないので何とも言えない。
となれば、だ。どちらが先かはともかく、クレジットはないけれども『Give A Girl A Break』でのフォッシーのダンスが彼自身の振付だ、というレイノルズの発言の真偽を確かめたい。さらに言えば、同じ年に同じ会社で撮った3本の内2本でそうなら(クレジットなしで自分のダンスを振り付けているのなら)、残るもう1本でもそうである可能性も高い。とにかく、『The Affairs Of Dobie Gillis』『Give A Girl A Break』を観てみよう。
ってことで、その2本のヴィデオを取り寄せた。なお、上記の1953年公開3作品の内、日本で公開されたのは『The Affairs Of Dobie Gillis』(やんちゃ学生)のみ。公開は1960年で、きっかけは、年表的に見ると、この映画版を元にした TVシリーズ『The Many Loves Of Dobie Gillis』(ドビーの青春)の同年の国内オンエアだと思われる。

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■レイノルズ発言の謎

結論から言うと、予想は大当たり。両作ともに“フォッシー印”のダンスが確認できる。

まず、『The Affairs Of Dobie Gillis』の場合。主演はデビー・レイノルズ。
クレジットされている振付家は、ラス・タンブリン Russ Tamblyn 主演の『Tom Thumb』(親指トム)で知られるアレックス・ロメロ Alex Romero だが、『The Affairs Of Dobie Gillis』のダンス・ナンバーは数も少ないし質的にも食い足りない。『Singin’ In The Rain』(雨に唄えば)の翌年公開ってあたりから推測するに、レイノルズの人気に乗っかって低予算で作られたとおぼしいモノクロ映画で、甘い脚本の学園コメディにちょこっとショウ場面をくっつけたという印象なのだ(監督/ドン・ワイズ Don Weis、製作/アーサー・M・ロウ・ジュニア Arthur M. Loew, Jr.)。
そんな中で唯一見応えがあるのが、フォッシーのソロから入るナンバー「You Can’t Do Wrong Doin’ Right」。
場所は食堂。ジュークボックスにもたれかかったフォッシーが、始まった音楽に合わせて踊り始める。で、共演のバーバラ・ルイック Barbara Ruick の歌に移り、彼女の歌に合わせて今度は2人で踊る。ここまでの印象が『Kiss Me, Kate』の「From This Moment On」にかなり近いシャープなもの。これは紛れもなくフォッシーの振付だ。
同ナンバーの後半は、同じ店にいた主演カップル、レイノルズとドビー・ギリス役のボビー・ヴァン Bobby Van が加わって、男女2ペアのダンスになる。すると、シャープさが薄れてヴォードヴィル調のコミカルさが加わる。この後半については確信はないが、途中でフォッシーとヴァンのアクロバティックな動きが入ることからして、フォッシー振付の可能性は高い(ちなみに、ボビー・ヴァンと『My Sister Eileen』のトミー・ロールとフォッシーの3人は映画版『Kiss Me, Kate』で一緒に踊っている)。
ところで、このナンバーの初めにフォッシーが被っているのが、短いフチのついた帽子で、ここではすぐに脱ぎ捨ててしまうが、『My Sister Eileen』の「Alley Dance」(「Got No Room for Mr. Gloom」)でも、後述するが『Give A Girl A Break』のデビー・レイノルズとのデュオ・ダンスでも、やはり似た帽子を被っている。こうした帽子使いは“フォッシー印”の証拠のような気がするのだが、どうだろう。
『Give A Girl A Break』の振付は、ガワー・チャンピオン Gower Champion と、演出も兼ねているスタンリー・ドーネン Stanley Donen との並列クレジット(ドーネンがジーン・ケリー Gene Kelly の代わりにチャンピオンと組んでみたという印象もある)。製作は『Kiss Me, Kate』と同じくジャック・カミングス Jack Cummings、作曲はバートン・レイン Burton Lane、作詞はアイラ・ガーシュウィン Ira Gershwin で、こちらはお金のかかったカラー作品。ブロードウェイ・ミュージカルの主演女優を選ぶというのが話の骨子で、ショウ場面も多く、けっこう楽しめる。そして、ミュージカル・スターとしてフォッシーを売り出しにかかっている印象を受ける。
しかし、伝記「Razzle Dazzle」によれば、ヒットしなかったらしい。「ひどい映画。 42丁目(の映画館)で公開されて、即、死んだはず」というフォッシー自身の発言も載っている。
ガワーとその妻マージ Marge のチャンピオン夫妻がビリングのトップになっていて、ヒットしなかった理由はその辺にもあるのかもしれないが(残念ながら2人はスクリーンではイマイチ華がない)、実質上の主演は明らかに2番目に名前が出るレイノルズで、実にイキイキしている。これで相手役のフォッシーにスター性があれば案外当たったかもしれない、とも思う。役の設定は、ガワーがブロードウェイの演出・振付家、フォッシーはその助手、マージとレイノルズは主演女優候補。その他に、作曲家役でカート・カズナー Kurt Kasznar、主演女優候補役でヘレン・ウッド Helen Wood が出演。
ともあれ、ここでのフォッシーは、『The Affairs Of Dobie Gillis』と違い、3つのナンバーで踊りまくる。
その内の1つが、前述の帽子を使ったレイノルズとのデュオ・ナンバーで、川の傍の公園で2人が踊って最後にフォッシーが川に落ちる「In Our United State」。フォッシーのダンスがバック転から入ってジャグラー風に帽子を扱うあたり、「Alley Dance」(「Got No Room for Mr. Gloom」)がジャグラー風な帽子扱いから入ってバック転で終わるのと呼応していて、フォッシー自身の振付と思われる。レイノルズとのデュオ・ダンスになってからは、ちょっと特定しがたいが、流れから言ってフォッシー振付ナンバーだと考えて間違いないだろう。
残る2つの内、1つは、やはりレイノルズとのデュオ・ダンスで、こちらも「In Our United State」。アレンジ違いだ。もう1つは、チャンピオン、カズナーと組んで3人で踊るコミカルな「Nothing Is Impossible」。
これらについては、フォッシーがどこまで振付に関わっているか、観ただけでは確信を持てない。と言うのが、逆に映画におけるチャンピオンの振付の特徴というのがよくわからないからで(調べた限りでは、彼の映画での振付作品はこれの他にもう1作、前年公開のMGM作品『Everything I Have Is Yours』があるだけで、そちらは未見)、この作品での他のナンバーを観るとかなりジーン・ケリーを意識したような“バレエ+アスレティック”な印象を受けるが、もちろんチャンピオンの手法はそればかりではないはず。フォッシー同様、ヴォードヴィル的ルーティンもしっかり身についているのは間違いないし。
とりあえず後者は、クレジットされている振付家のチャンピオン自身も踊っているナンバーなので、これはチャンピオンの振付だろうという気はする。が、3人が交互に踊ったりする部分のフォッシーのソロとか、チャンピオンとフォッシーによるトリッキーなデュオ部分とかには、フォッシーのアイディアが反映している可能性もありそうだ(チャンピオンとフォッシーが一緒に踊っているというのは、後の大物振付家の共演なわけで、それだけですごいのだが、振付のアイディアも共同だとしたら余計に面白くなる)。
気になるのは前者。フォッシー演じる演出助手の夢想の中でレイノルズが主演女優となり、人工的なセットの上で2人で踊るのだが、これが映画的に凝っている。半分ぐらいが逆回しの映像になっているのだ。しかも、その逆回し部分が充分に計算された振付らしく、とても自然に見える不思議な動きをする。フォッシーがメインのナンバーだし、このチャレンジ精神に満ちたアイディアはフォッシーのものなのではないだろうか。

■『My Sister Eileen』振付の謎

さて、こうして観てくると、この1953年はフォッシーが映画の振付家としての基礎を築いた年だということがわかる。その活動が舞台版『The Pajama Game』の振付家起用につながり、舞台振付家として名を挙げ、やがてフォッシーは本格的に振付・演出家として多方面で活躍するようになっていく。
しかし、同時にこの年、集中的にスクリーンに登場してハリウッドにおけるミュージカル・スターの座を目指したフォッシーの役者としてのキャリアは、以降、急速に終息に向かう。具体的に言うと、晩年近くの若干の映画出演――1974年スタンリー・ドーネン監督『The Little Prince』(星の王子さま)の蛇役と、 77年『Thieves』に麻薬中毒者役でゲスト出演――を除けば、1955年の『My Sister Eileen』と、舞台同様振付を担当した1958年公開の『Damn Yankees』(くたばれ!ヤンキース)映画版の2作に出演するだけ。しかも、後者での登場はグエン・ヴァードンのダンス・パートナーとしてで、帽子を被って(ここでも帽子だ!)顔もわからないぐらいの印象でだ。つまり、本格的な出演は『My Sister Eileen』で終わっていると言っていい。

『My Sister Eileen』でのフォッシーの役どころは『Give A Girl A Break』の時と似ていなくもない。主演級が、オハイオから来た姉妹役のベティ・ギャレット Betty Garrett(姉)とジャネット・リー Janet Leigh(妹)、姉と恋仲になるのがジャック・レモン Jack Lemmon(お付き合い出演の印象だが一応ソロで歌うナンバーもある)の3人で、ビリングで言うと、リー、レモン、ギャレットの順。リーにひと目惚れする純な青年役のフォッシーは、その次に名前の来る準主役。
で、フォッシーが踊るのも、『Give A Girl A Break』と同じく3つのナンバー。トミー・ロールと組んで踊る「Alley Dance」(「Got No Room for Mr. Gloom」)。リー、ギャレット、ロールと組んで4人で踊る「Give Me a Band and My Baby」。リーと踊る「There’s Nothin’ Like Love」。
この内、ダンサーとしてのフォッシーの魅力が全面的に発揮されるのは「Alley Dance」(「Got No Room for Mr. Gloom」)だけで、あとの2つは、その意味では物足りなさが残る。しかし、視点を振付家フォッシーに向けると、いずれも“らしさ”がよく出ていて楽しめるダンス・ナンバーに仕上がっている。具体的には以下の通り。
「Alley Dance」(「Got No Room for Mr. Gloom」)は、冒頭にも書いた通り『Fosse』のプレヴュー時に再現されていた、2人のダンサーが技を競い合うアクロバティックなナンバーで、演技者的にも振付家的にも文句なし。
「Give Me a Band and My Baby」は基本的に4人が並んで踊るコミカルなナンバー。あまり踊れないジャネット・リーも含めてのアンサンブル重視のダンスなので、フォッシーにしてもロールにしても派手には踊らないが、振付家フォッシーならではの奇妙な動きが多彩にちりばめられていて飽きない。
「There’s Nothin’ Like Love」は、『Give A Girl A Break』のレイノルズとの公園でのダンスと設定の似た、中庭でのデュオ・ダンスだが(木を女性に見立てて枝に帽子をかけるのも一緒)、こちらは指鳴らし等の小さい動きを組み合わせた抑えめの振付。おそらくリーが踊れない(踊れないったって全然踊れないわけじゃないので誤解なきよう)がゆえのアイディアだと思うが、それを感じさせないロマンティックな仕上がり。
こうしたナンバーを“今の目”で観ていると、フォッシーが、衰退し始めている映画ミュージカルの流れに、舞台ミュージカルのダンスの技で抗おうとしているように見えてくる。
しかし、ブロードウェイ・ミュージカル『The Pajama Game』の「Steam Heat」を創出した“新進気鋭”の振付家フォッシーを起用したにしては、製作者側の姿勢は曖昧だ。コロンビア映画のハリー・コーンは古臭い自分のダンス観をフォッシーに押しつけようとした、という共演者トミー・ロールの発言が伝記「Razzle Dazzle」に載っているが、だいたい、ホントに踊れるキャストがフォッシーとロール以外にいなかったり、脚本(ブレイク・エドワーズ Blake Edwards と監督リチャード・クインの共同)の力点がショウ場面よりギャグに寄っていて、しかも両者が融合していないので盛り上がりに欠ける結果になっていたりするのは、製作者が本気じゃないか勘どころがわかっていないかどちらかで、これではフォッシーもやりにくかっただろう。
その証拠に、フォッシーが加わらないダンス・ナンバーは、結果的にはルーティンをこなしている程度の振付にしか見えない。『Wonderful Town』で言えば「Conga!」にあたる、大団円を迎えるための大人数によるナンバー「What Happened to the Conga」のスラップスティック的面白さも生かし切れていないし。

こうして『My Sister Eileen』は、イマイチ煮え切らないミュージカル映画となった。
ブロードウェイから呼び戻されてこの1作をハリウッドで作ったフォッシーは、再びブロードウェイに戻った後、自分の舞台振付作の映画化で、1957年『The Pajama Game』、1958年『Damn Yankees』の映画版に関わるが、その後、再び映画の世界に戻ってくるまでに10年以上の時を要する。そして、監督も兼ねることになる 69年の復帰作『Sweet Charity』(スイート・チャリティ)以降、フォッシーの映画ミュージカルのショウ場面は、それまでの正面からダンサーの全身を長回しで撮るオーソドックスなものから、映画的技法を駆使した凝ったものに変わる。
その10年の空白と作風の変化の背景に旧来のミュージカル映画作りが崩壊していった時代があったわけだが、フォッシーがそうした時代の変化を強く予感したのが『My Sister Eileen』だったのではないだろうか。そんなことを思いながら観ていると、この振付家フォッシーの映画公式デビュー作にしてミュージカル俳優フォッシーの実質的最終作、なんだか愛おしいものに思えてくる。

■余談的謎

以下、余談。

コロンビアで作られた『My Sister Eileen』だが、キャストはまるでMGMだ。
フォッシーや『Kiss Me, Kate』に出ていたトミー・ロールの他、主演のベティ・ギャレット、ジャネット・リーは 1948年の『Words And Music』にそれなりの役で揃って出ているし、同作品には監督のリチャード・クインも役者として出てくる。また、ギャレット&リー姉妹が住むアパートの大家役は、『Give A Girl A Break』に出ていたカート・カズナーで、彼は『The Affairs Of Dobie Gillis』にもチョイ役で出てくる。
MGMがまとめて貸し出したのか、それともMGMから役者が離れていった時期だということなのか、これまた謎。

『Give A Girl A Break』がブロードウェイの主演女優を決める話だということはすでに書いたが、そのオーディションに集まった候補者の中から、作曲者役のカズナーがヘレン・ウッドを見初めるシーンがある。その時にウッドの向かって左隣に立っている女優は、同年に公開された『The Band Wagon』(バンド・ワゴン)で、やはり作曲者役のオスカー・レヴァント Oscar Levant がオーディションで見初める女優だと思うが、どうだろう。

『My Sister Eileen』は、その後CBSでTVシリーズになったらしい。1960年から1961年にかけて30分番組で26回オンエア。で、そのシリーズの主演(姉妹の姉役)が、イレイン・ストリッチ Elaine Stritch。ってことは、もしかしてミュージカル仕立てだったのか。観てみたい。

★from WEBsite Misoppa’s Band Wagon (2/25/2003)

ここで採り上げた映画『My Sister Eileen』『The Affairs Of Dobie Gillis』『Give A Girl A Break』は、いずれもDVDが出ている。

ところで、冒頭でNHKでオンエアされたボブ・フォッシー特集番組について触れたが、実はその番組では、『The Affairs Of Dobie Gillis』のジューク・ボックスにもたれかかっているところから始まるダンス・ナンバー→『Give A Girl A Break』のレイノルズとの公園でのデュオ・ダンス→『Kiss Me, Kate』のフォッシー初振付シーン→『My Sister Eileen』のダンス・バトル、という流れで紹介されていたらしい。
上記の文章を公開した後、ネットのミュージカル仲間NANAさんから教えていただいた。結果的には、その流れを改めてたどり直す検証の旅だったというオチ。
長文、失礼いたしました。