The Chronicle of Broadway and me #054

19935月~6月(その10

トニー賞の行方を参考に、1992/1993年シーズンを振り返る。

作品別獲得数は多い順に次の通り。

『Kiss Of The Spider Woman』7(作品賞/楽曲賞★/脚本賞/主演女優賞/主演男優賞/助演男優賞/衣装デザイン賞※)
『The Who’s Tommy』
5(楽曲賞★/演出賞/振付賞※/装置デザイン賞※/照明デザイン賞※)
『My Favorite Year』
1(助演女優賞)
(※印のカテゴリーはミュージカルとプレイが混合で候補になっている。リヴァイヴァル作品賞も混合で、受賞はプレイ作品だった。★楽曲賞は珍しいダブル受賞。この年、編曲賞、音響デザイン賞はない。)

実り多かった前シーズンに比べて低調。トニー賞は、締め切り間際に幕を開けた大がかりな2作がほぼ独占した。
My Favorite Year』の助演女優賞は、もちろんアンドレア・マーティン。

このシーズンに登場して観られなかったミュージカルは次の5本(開幕順)。タイトルの後のカッコ内はプレヴュー開始日~クローズ日。

『Anna Karenina』(8/11/1992~10/04/1992)
『Oba Oba ’93』(9/9/1992~10/18/1992)
『3 from Brooklyn』(11/11/1992~12/27/1992)
『Face Value』(3/9/1993~3/14/1993)
『Ain’t Broadway Grand』(3/26/1993~5/09/1993)

『Anna Karenina』は2006年に、潤色/小池修一郎、演出/鈴木裕美、主演/一路真輝で上演され、その後再演も行われている東宝版のオリジナル。原作はトルストイの同名小説。作曲のダニエル・リーヴィン、作詞・脚本のピーター・ケロッグ共に(今のところ)ブロードウェイ作品はこれ1作のみ。
Oba Oba ’93』はブラジル音楽のショウだった模様。「’93」と付いているのは、1988年と1990年に同趣向で上演されているから。
3 From Brooklyn』はブルックリン讃歌のショウだったらしい。
問題はプレヴュー期間中に終わってしまった『Face Value』。1988年に『M. Butterfly』をヒットさせた劇作家デイヴィッド・ヘンリー・ホワンの作品で、どうやらプレイ扱いのようなのだが、作曲・作詞にホワンのクレジットがあるからだ。プレイ・ウィズ・ミュージックとカテゴリー分けしてある場合もあるし、ダンス音楽や振付の担当もいて、役者にジェイン・クラコウスキーの名前もある。いったい、どんな作品だったのだろう。
Ain’t Broadway Grand』は、『Man 0f La Mancha』の作曲家ミッチ・リーと『Bye Bye Birdie』の作詞家リー・アダムズが組んだ作品。ジプシー・ローズ・リーが出てきたりして(もちろん本人ではなく役として)面白そうなのだが……。
ともあれ、短命作品の多いシーズンではあった。

The Chronicle of Broadway and me #053

19935月~6月(その9

昨シーズンの主要3作のキャストの変更について、まとめて。

3度目の『Guys And Dolls』(6月3日20:00@Martin Beck Theatre)は、ネイサン・レインがすでに降板。キャスト変更多数。

4度目の『Crazy For You』(6月5日20:00@Shubert Theatre)は主要キャストの変更なし。

3度目の『Jelly’s Last Jam』(6月6日15:00@Virginia Theatre)については、キャストの変更に伴う印象の違いを当時の感想から引く。

<主役のジェリー・ロール・モートンが、ハインズからブライアン・ミッチェルに替わったのが5月4日。そのほぼ1か月前の4月6日から、ジェリーをあの世へ案内する狂言回し役、チムニー・マンに、1972年の『Pippin』でスターになった ベン・ヴェリーンを配したのは、おそらく、スターのイメージの移行(ハインズからヴェリーンへ)をスムーズにするためだと思う。
同時に、そのスターの入れ替わりによって、劇中でのジェリーとチムニー・マンとの比重が変わり、ミュージカル全体のイメージが変わった。
そのことにはっきり気づいたのが第1幕第2景。ジェリー・ロール・モートン役ミッチェルと少年時代のジェリーを演じるセイヴィアン・グローヴァー(体がひと回り大きくなった)とのタップの競演の後。昨年の7月23日、ここで客の1人 がしつこくアンコールを送り、次のセリフを言うべきチムニー・マンが立ち往生するという事件があった(#030)。
ところが今回は、2人のジェリーのタップ競演の後、間髪を容れずに「ブラボー!」と陽気に叫んで積極的に話を進めたのはチムニー・マン。ベン・ヴェリーンの陽性のスター性を生かした演出によってチムニー・マンの役が膨らみ、ジェリーと同等の重みを持つ人物になっていた。チムニー・マンを膨らますことで、ハインズが主役であるが故にグレゴリー・ハインズ・ショウにならざるを得なかった作品の真の全体像を鮮明に見せた印象。ハインズの求心力から解き放たれて全体像が鮮明に見えたことで、このミュージカルのタップの意味もはっきり見えてきた。
グレゴリー・ハインズだからタップを踊るのは当たり前だと思って観ていた。が、よく考えれば物語の上ではタップは必然性がない。なにしろジェリー・ロール・モートンはダンサーではなくピアニストなのだから。しかし、そうした演出上の困難を承知の上で、あえてタップを導入したのは何故か。このミュージカルでは、タップの持つ感情表現の力を、ドラマと有機的に結びつけることで、より深く豊かに発揮させようとしている。そういうことなのだ。それは、何気なく見えるが、実は、かなり画期的なことなのではないか。
屋台骨を背負うことになったベン・ヴェリーンの好演はもちろんだが、グレゴリー・ハインズの後という重いプレッシャーを負って、ブライアン・ミッチェルもよくがんばっている。ジェリーのイメージを変えない方針らしい演出に則った、ハインズの特徴を受け継ぎながらの演技とタップの大変さは、想像に余りある。ただし、ミッチェルの白人寄りの容貌は、クレオールであるが故の屈折を持った主人公を演じるのにより相応しく、今回、ジェリーが親友を黒人として侮辱する場面で客席からブーイングが起こったのは、その効果によるところも大きいと思う。>

ブライアン・ミッチェルは、もちろん、現ブライアン・ストーク・ミッチェル。その後、彼自身もスターになった。

The Chronicle of Broadway and me #051

19935月~6月(その7

リヴァイヴァルが2本。

On A Clear Day You Can See Forever(5月29日20:00@Harold Clurman Theatre)は、オープニング・ドアーズ・プロダクションズ制作のオフ作品。ハロルド・クラーマン劇場は、今は複合劇場シアター・ロウ内に収まっているが、この時は、同じ場所に違う形であったと思う。以下、当時の感想だが、ニューヨーク到着日に観て、非常に眠い中での観劇だったため、覚えていることがごく一部になっています(苦笑)。

<ブロードウェイ初演は1965年秋にオープンし280回の公演を重ねている。オスカー・ハマースタイン二世を失ったリチャード・ロジャーズが、自ら作詞も手がけた『No Strings』の次に、アラン・ジェイ・ラーナーと組んで進めた企画だが、うまくいかずにロジャーズが手を引いた、という経緯があるらしい。替わって作曲を担当したのがバートン・レイン(『Finian’s Rainbow』や「How About You?」で知られる映画『Babes On Broadway』の作曲者)。
訪れたのが、この限定リヴァイヴァル公演の最終日だったせいか、そのバートン・レインが客席に来ていて、公演終了後スタンディング・オヴェイションを受けていた。
さて、眠い中はっきり覚えているのは第2幕第1場のナンバー「When I Come Around Again」。いかにも1965年らしいロックンロール・ナンバーで、これに乗って若者たちが踊るのは、いわゆるゴーゴー。ここが唯一と言っていい目立ったダンス・シーンで、全員熱の入った踊りよう。目が覚めた(笑)。中でも、精神科医の秘書役ニコル・ハルモスが、それまでの上品なイメージを裏切るセクシーなダンスを見せ印象に残った。
ところで、このナンバー、オリジナル・キャスト盤ではロシア的な(『Fiddler On The Roof』に出てくるような)曲で、タイトルも「When I’m Being Born Again」と少し変わっている。臨席していた作曲者自身によるリアレンジなのだろうか。>

時を経てブロードウェイとオフとで改めて観たので、後で詳述することになると思うが、2011年のブロードウェイ版はさらに大胆な改変が施されており、どうやら最近観たオフ版が一番オリジナルに近い感触だったようだ。

She Loves Me(6月5日14:00@Criterion Center Stage Right/Olympia Theatre)の初演は『On A Clear Day You Can See Forever』の2年半前。1963年春にオープンし、プレヴューも含め302公演を重ねている。製作も兼ねたハロルド・プリンスの初めての演出作品で、作曲・作詞は、翌年やはりプリンスの製作で『Fiddler On The Roof』をヒットさせるジェリー・ボックとシェルダン・ハーニックのコンビ。また、脚本のジョー・マスタロフは3年後に、製作・演出プリンス、作曲・作詞ジョン・カンダー&フレッド・エブという『Kiss Of The Spider Woman』トリオと組んで『Cabaret』を作っている。このリヴァイヴァルはラウンダバウト劇場の製作。この頃はまだ、タイムズ・スクエア東側のビル内にある小ぶりな劇場で上演していた。

<ラウンダバウトの上演劇場クリテリオン・センター・ステージ・ライトは、規模は小さいものの、リンカーン・センターのヴィヴィアン・ボーモント劇場同様、客席に突き出た半円状の舞台を見下ろす構造になっている。両端に近い席は観にくいと思うが、うまく使えば面白い効果を生む(例えば『Anything Goes』がヴィヴィアン・ボーモント劇場の半円の舞台を船のデッキに模して成功していたように)。今回の場合、円構造を利用して、回転による場面転換をうまく行なっていた。
1934年、ブダペストの香水店を舞台にした、すれちがいのラヴ・ストーリーは、他愛ないと言えば他愛ないが、キャラクター作りがしっかりと成された登場人物がそれぞれ魅力的で、心温まるミュージカル・コメディに仕上がっている。
出演者はみんなうまいが、先の『Anything Goes』で主演男優だったハワード・マッギリンが女たらしの厭味な色男を演じて意外なハマリ役。怪しげなカフェのウェイターを怪演したジョナサン・フリーマンは、映画『Aladdin』の悪人ジェイファーの声を担当した人だそう。
そして、嬉しかったのが、クリスティ・ラインズの出演。Catsのランプルティーザー役だった彼女が素顔で出演。脇役だが、猫ばりのアクション場面が用意されていて、陽気なアクロバット的動きを見せて喝采を浴びた。>

ヒロインはStars In The Alleyに登場したジュディ・キューン。最近では『Fun Home』の母親役が印象深い。この作品、約2ヶ月半の公演の後、一旦クローズし、プロデューサーが替わって10月から大きな劇場に移るが、その際ヒロインはダイアン・フラタントニに替わっている。主要キャストでただ1人の交替だが、翌年のトニー賞の候補にはキューンが挙がった。いろいろ不思議。
相手役はボイド・ゲインズで、トニー賞主演男優賞受賞。トニー賞受賞はこれが2度目。現時点で都合4度受賞している。

翌年1月に、移った劇場で再見するが、その際の追加感想も挙げておく。

<前回書き落としているが、このミュージカルにはダンスの見せ場もある。怪しげなレストランでの怪しげな客たちの狂騒的なダンスで、振付は『Kiss Of The Spider Woman』のロブ・マーシャル。
なお、この舞台を観る時にはメザニン(中2階席)がお薦め。と言うのはセットも2階建てになっているから。その席で良かったと、特に最後は思うはず。>

トニー・ウォルトンの手がけた魅力的な2階建ての店のセットは、観音開きになることも含めて、2016年版(デイヴィッド・ロックウェル)と、とてもよく似ていた。が、メザニンを薦めた理由は残念ながら全く覚えていない(笑)。

The Chronicle of Broadway and me #050

19935月~6月(その6

『Kiss Of The Spider Woman』(6月2日20:00@Broadhurst Theatre)についても、ニューヨーク・タイムズのフランク・リッチの記事を引きながら、当時、感想を書いている。

<フランク・リッチは、トニー賞最優秀作品賞はThe Who’s Tommyではなく『Kiss Of The Spider Woman』が獲るだろうと予測してみせた。その上で、『Kiss Of The Spider Woman』は最近のトニー賞(作品賞受賞)ミュージカルよりは遙かに冒険的であるが、作品賞受賞予測の根拠は、そのことよりも、作品の持つ「ショウビジスネの閃きと自由主義的な感傷の伝統的混合」が審査員にアピールしやすいことにある、と書いて、暗にトニー賞審査員の体質は古い、と皮肉った。
その是非はともかく、結果を先に言えば、ミュージカル作品賞はリッチの予測通り『Kiss Of The Spider Woman』が獲った。そして、トニー賞の審査の基準がどの辺にあるのかはわからないが、個人的には、今シーズンの新作の中では『Kiss Of The Spider Woman』が最も満足できた作品だった。
とにかく、1993年のチタ・リヴェラのダンスを、現在考えられうる最高の形で観られたことが、何よりもうれしかった。現在60歳のチタのダンスは体の隅々まで神経が行き届いていて切れ味が鋭い。確かに振付は、体力的な問題を考慮してか、できるだけ無理がなく、かつ最も華麗に見える、という動きを考えているように見えたが、そうしたことを超えて、彼女の放つオーラに魅せられた。遅れて来たミュージカル・ファンにとっては、これ以上の喜びはない。
1985年の映画版では一人三役だったという、蜘蛛女(人を死に誘う、言ってみれば死神のような存在)、幻想の映画女優、革命闘士の恋人。その前者二役を演じるのがチタ・リヴェラ。その出演場面を大幅に拡大し、彼女の凛々しく情熱的なダンスと歌をたっぷり見せ、聴かせるこのミュージカルは、まさしくチタのもの。
男物の白いスーツに白いボルサリーノという鮮やかなスタイルでダンディに歌い踊る「Where You Are」(トニー賞授賞式の舞台でも披露)、極楽鳥の如き扮装で密林ダンスの華になる「Gimme Love」、そして、ステージいっぱいの蜘蛛の巣を背に幻想的に歌う「Kiss Of The Spider Woman」といったナンバーでの印象は強烈だ。
想像だが、チタの「蜘蛛女」という構想はかなり早い段階で決まっていたのではないか。まずチタの見せ場があって、そこに残りの部分(実は物語の骨子の部分)が付け加えられていって全体ができ上がったとしても不思議はない。
軍事独裁国家の監獄で同房になったホモセクシャルのショーウィンドウ装飾家と革命闘士の物語という、いわゆる本筋のドラマ部分は、よく噛み砕かれているし、出演者たちも熱演している。チタの見せ場とのバランスもうまくとれている。やはり、ハロルド・プリンスの演出の力が大きいのだろう。ミュージカル舞台化が難しいに違いない題材を見事に料理しきったことは間違いない(リッチは、その題材の選び方を「冒険的」と言い、演出の手法を「伝統的」と言っているのか。しかし、伝統的で何が悪い?)。舞台全体を覆う可動式の格子のセットや、『The Who’s Tommy』同様スライドを駆使する照明等も効果的だった。
が、万が一そうした部分の作りが失敗していたとしても、チタ・リヴェラの素晴らしい見せ場があるというだけで、『Kiss Of The Spider Woman』を評価する。
極端に言えば、ミュージカルとはソング&ダンスの見せ場の連なりで、全体のドラマはその見せ場をより魅力的にするためのつなぎなのだ、と思う。もちろん、それが分かちがたく結びついて、より大きな感動を生む、という方向で発展してきたのではあるが、面白さの根本は、あくまでそこにあるはずだ。>

とにかくチタ・リヴェラを観たかった。すでに伝説だったし。ミュージカルの舞台で観られるのは最後かも、と当時は考えた。四半世紀後も現役だとは夢にも思わなかった(笑)。

この作品、カナダの興行会社ライヴェント(Livent)の単独プロデュースで、同社のブロードウェイ進出第1弾だった。『Kiss Of The Spider Woman』の後、同社は、1994年『Show Boat』、1997年『Barrymore』、同年『Candide』をブロードウェイで上演。翌1998年に倒産する。『Barrymore』(演出ジーン・サックス)は二人芝居のストレート・プレイだが、それ以外は大がかりな装置のミュージカルで、なにかバブルの置き土産のような印象の興行会社だった。ミュージカル3作は全てをハロルド・プリンスが演出している。
『Kiss Of The Spider Woman』は、当初、プリンス演出、スーザン・ストロマン振付で1990年に試演を行なったものの、芳しい評価が得られず、2年後にライヴェントが乗り出してトロントで再スタート、という経過だったらしい。この時すでにブロードウェイ初演の主要キャストが顔を揃えていたようだ。ショーウィンドウ装飾家=ブレント・カーヴァー(カナダ人俳優の鮮烈なブロードウェイ・デビュー)、革命闘士=アンソニー・クリヴェロ。振付はヴィンセント・パターソンに変更。共同振付でロブ・マーシャルの名前もある。
同1992年、ウェスト・エンドで開幕。1年近く上演してからブロードウェイ入り。ロンドン経由にしたのは、カナダの興行サーキットがイギリス(やオーストラリア)と関係が深いせいだと思うが、このロンドン公演は観に行こうかとかなり真剣に考えた。結局、初のロンドン訪問は、この年の秋になるのだが。
ついでに言えば、プリンス+ストロマンのコラボレーションは、ライヴェントの次作『Show Boat』でブロードウェイ入りする。

最後に一点書いておくと、ショーウィンドウ装飾家は自分の性認識が女性なのでホモセクシャルではなくトランスジェンダーと捉えるべきだという説が今日では有力らしい。

SMOKE@浅草九劇 2018/10/25/14:00 Renacsence@Abrons Arts Center(466 Grand St.) 2018/11/04/15:00

2週間と間をおかずに観たこの2作、いずれも実在した詩人についての、トンガリ具合が刺激的なミュージカルだった。
『SMOKE』の詩人が朝鮮のイ・サン(李箱)で、『Renacsence』の詩人がアメリカのエドナ・セイント・ヴィンセント・ミレイ。

『SMOKE』は、イ・サンの連作詩「烏瞰図(うかんず)第15号」からインスピレーションを得て生まれた、と公式サイトに書いてある。ことに楽曲の詞には、それがかなり反映されているのだろうと想像する。
日本版ウィキペディアによれば……イ・サンは1910年9月14日(陰暦8月20日)生まれ、1937年4月17日没。難解で過度に自己中心的な作風は「天才」と「自己欺瞞」の両極端な評価を受け、独特の世界を描いている。27歳という若さで世を去ったことが、更に李箱の評価を難しくしている。亡くなる前年に東京に渡りホームレス的な生活をしていたが、思想不穏の嫌疑で西神田警察署に拘禁され、1か月後に健康悪化のため釈放。
……といった情報をまるで知らないまま観始めたのだが、冒頭のシーンはこの釈放の場面だった、と後でわかる。
倒れている男がいる。そして暗転。若者2人が誘拐計画を実行しようとしている。1人はさっき倒れていた男で、これが強気な詩人。もう1人は意志薄弱そうな画家。誘拐は成功し、金持ちの娘が2人の部屋に連れてこられるが、詩人が身代金のことで外出している間に画家は娘に懐柔され……。と、ここまでを読んで想像するいくつかの展開の、いずれでもない方向に話は進んでいく。登場人物が3人しかいないのに、その3人の正体すらわからなくなってくる。謎が謎を呼ぶ、というやつ。
緊迫感に満ちたドラマの行き着く先は、今後の再演をご覧になる方がいないとも限らないので伏せたままにするが、3人の役者の鬼気迫る演技もあって最後までハラハラ。見応え充分だった。
この作品、元は韓国産で、脚本・演出チュ・ジョンファ(추정화)、作曲・音楽監督ホ・スヒョン(허수현)。それを、あなたの初恋探します同様、菅野こうめいが日本版に仕立てたようで、クレジットには、上演台本・作詞・演出:菅野こうめい、とある。脚本・作詞にどれだけ手が入っているのか不明な上に、韓国版を観たことがないので比較はできないが、日本版単体で評価するなら、日本語詞の楽曲の質も含めて充分に成果は上がっている。
それと同時に、この日本版に意味があるのは、最初に書いた、イ・サンが東京で思想不穏の嫌疑で拘禁されていたことを描いていること。最後に再び釈放シーンがあるのだが、そこで彼に投げつけられる言葉が「不逞鮮人」。今の日本の空気を抉る瞬間だ。
役者は、大山真志、木暮真一郎、池田有希子。後者2人はダブル・キャスト。音楽・演奏には伊藤靖浩のクレジットがあった。

『Renacsence』は、エドナ・セイント・ヴィンセント・ミレイの若き日の断片×ポエトリー・リーディングといった趣向の舞台。
ミレイは1892年2月22日メイン州生まれ、1950年10月19日没。20歳の時にコンテストに応募した「ルネッサンス」という詩が評判となって頭角を現し、25の年にグリニッチ・ヴィレッジに移り住んでいる。その後、1923年に「竪琴をつくる者」(The Ballad of the Harp-Weaver)でピューリッツァー賞受賞。と、まあ、そういった経緯が、家族や友人や編集者との葛藤を交えたドラマとして描かれる。と同時に、ミレイの詩が楽曲となって歌われる。
作曲のカーメル・ディーンは、これが作曲家デビューだが、これまでブロードウェイで『If/Then』『American Idiot』『Hands On A Hardbody』『The 25th Annual Putnan County Spelling Bee』の音楽監督/編曲の仕事をしてきている。さらに、グリーン・デイやフィッシュ(Phish)とも仕事をしている。どちらかと言えば、エッジの立った音楽寄りの人。それが、ここでは生きている。
面白いのは、最後に観客を舞台に上げ、壁際にセットした椅子に座らせて、キャスト全員によるポエトリー・シンギング&ダンシングを間近で体験させること。100年前の詩人エドナ・ミレイならやったかもしれないと思わせる、小さな劇場ならではのアイディアだった。
ついでに書いておくと、上演されたアブロンズ・アーツ・センターは初めて訪れたが、マンハッタンには珍しい、のどかな雰囲気の中に佇む落ち着いた劇場だった。