The Chronicle of Broadway and me #092

19953月@ニューヨーク(その3)

『Smokey Joe’s Cafe』(3月25日20:00@Virginia Theatre)は、つい最近も(2018年夏から秋まで)、オフの、前はリトル・シューバート劇場って名前だったステージ42で上演されていた。そのブロードウェイ初演版の感想。少し長いが、おつきあいください。

<副題に「The Songs Of Leiber And Stoller」とある通り、ジェリー・リーバー&マイク・ストーラー=「ロックンロール史上、もっとも重要なプロデューサー/ソングライター・チームであり、アメリカン・ポップス史上、最初のブルー・アイド・ソウル(白人ソウル)ブラザーと呼ばれる男たち」(by 萩原健太)の楽曲を38曲ズラリと並べたショウだ。
出演者は男5、女4の9人+バンド(ピアノ、シンセサイザー、ベース、ドラムス、ギター、サックス、パーカッション)。クァルテットをベースに、ソロ、デュオから全員のコーラスまで様々に組み合わせを変えながら、とにかく歌で繋いでいくスタイルで、歌詞以外のセリフはない。歌詞の内容に合わせた振りはあるが、全体にストーリーのようなものがあるわけではない。
リーバー&ストーラーの曲は好きだし、ジェリー・ザックス(『Anything Goes』『Guys And Dolls』)の演出でもあるし期待したが、ロンドン式の単なるオールディーズ・ショウにはならなかったものの残念ながら決め手を欠いたやや中途半端な出来。エルヴィス・プレスリーのナンバー「Jailhouse Rock」(邦題:監獄ロック)のシーンが映画版のパロディに見えるようでは、ちょっと寂しい。
何が不満だったか。ポイントは2つ。

a)視覚的魅力に欠けた。
b)楽曲の魅力の本質に迫っていない。

a)については、まずダンスが少ない。本格的に踊るのは2~3曲で、それも際だったものではない。それだけでなく、歌いながらの振りもアイディアに乏しく、演者の動きも切れが悪い。明らかに踊りが得意でないメンバーもいるが、経歴から言って踊れるメンバーが多いのに、何故だろう。
a)についてもう1つ。セットに魅力がない。豪華さはなくても新鮮さや驚きは欲しいところだ。
さて、b)。特定のソングライターの既成の楽曲でショウを構成する場合、スタイルは様々考えられるが、一点、何故そのソングライターなのかという動機のようなもの、言い換えると、ショウを作る人間が考えるそのソングライターの魅力、がショウの背景に見えてしかるべきで、そこが出発点になるはずだ。逆に、そこからスタイルが決まってくるんじゃないか。このショウは、その点を絞りきれていない気がする。
過去に観た、ソングライター(あるいは特定アーティストのレパートリー)にスポットを当てた舞台は4つあるが、その点についてはいずれもはっきりしていた。観た順に挙げてみる。

『And The World Goes ‘Round』ジョン・カンダー&フレッド・エブ→ご承知の通りミュージカルの名曲を数多く作ってきた2人。それも、コミカルなものを含めてドラマチックな構成の楽曲が多い。従って、黙っていてもミュージカル名場面集的舞台にはなるのだが、達者な演者5人(女3、男2)を集め、歌のみと歌+スケッチ(+ダンス!)で構成された全体を、暗い照明とスポットの多用によって“センチメンタルな熱情”とでも言うべきカンダー&エブならではのトーンで統一。ストーリーはないがドラマを感じさせるショウに仕上げた。

『Five Guys Named Moe』ルイ・ジョーダン→音楽史的にはリーバー&ストーラーの少し前に位置するジャンプ&ジャイヴの大スター(作曲も)の、ユーモラスかつブルージーかつエネルギッシュな音楽の魅力を甦らせるのは、ジョーダンのヒット曲名でもあるモーという名の5人の男。その歌にある通りの五者五様の個性を持つモーがラジオの世界から登場し、恋に悩む1人の青年を、励ますと言うか慰めると言うかおちょくると言うか、とにかく歌って踊ってひっかき回す。歌世界を視覚化するモーたちがそれぞれ芸達者で、猥雑な魅力にあふれていた。

『Jacques Brel Is Alive And Well And Living In Paris』ジャック・ブレル→シャンソン史に残る大歌手にしてソングライター 。彼の楽曲と発言を、「Save the Last Dance for Me」や「Viva Las Vegas」の作者として知られるモート・シューマンと、詩人のエリック・ブロウが共同で英訳、グリニッチ・ヴィレッジでショウとして公開したのが1968年。観たのは25年後の記念公演。楽曲の表情は硬軟様々だが、いずれも“革命の季節”らしい力強い情感をたたえている。それを、小さなステージの上で、男女2人ずつのキャストがソロあるいはクァルテットで、時にドラマ的動きを交えながら歌う。大成功した初演のスタイル(と劇場)を踏襲することで、四半世紀後にも楽曲の魅力を十分に引き出していた。

『Hello Muddah, Hello Faddah!』アラン・シャーマン→’60年代にコミック・ソングの分野で活躍したシンガー・ソングライター。コミカルな楽曲の内容を元に作られたギャグに満ちたスケッチを並べて、あるユダヤ人の一生を戯画的に描いて見せたミュージカル。スケッチの登場人物がカリカチュアライズされていて面白く、楽曲の持つユーモラスな世界をより広げる結果となった。

では、と翻って、リーバー&ストーラーの楽曲によるショウはどう作られればよかったか。確たる答を持たないが、彼らの魅力の1つがR&Bのある種のソフィスティケーションにあったとすれば、思い切って大編成の豪華な舞台にする手もあったのではないか。それに、ダンスは重要な働きをすると思うのだが。もっとも、そうしたことは資金の問題を抜きに語れないのだが。>

最後に書いている「思い切って大編成の豪華な舞台にする手もあった」というイメージがどんなものだったのか、今では見当もつかないが(苦笑)、こうした個人的不満にもかかわらず、このショウ自体はブロードウェイで5年近く続いた。途中からは、レズリー・ゴーア、ベン・E・キング、グラディス・ナイト、トニー・オーランド、ルー・ロウルズ、リック・スプリングフィールドといったゲスト・スターを投入。観光客の呼び込みに成功したのだろう。それもブロードウェイ。評価のされ方はひと通りではないということだ。

The Chronicle of Broadway and me #091

19953月@ニューヨーク(その2)

『How To Succeed In Business Without Really Trying』(3月22日20:00@Richard Rodgers Theatre)は、翌年、宝塚歌劇団花組が真矢みき主演で『ハウ・トゥー・サクシード~努力しないで出世する方法~』として上演するヴァージョンの元。看板に掲げられた「H2$」という略称が印象的だった。以下、当時の感想。

<“How”の「H」、“To”が「2」、「$」は“Succeed”の「S」と“BUSINESS”の象徴「ドル」を掛けたもの。ロゴの色は「H」がピンク、「2」が白、「$」が黄。背景の緑は恐らくドル紙幣のイメージだろう。
3月8日にプレヴュー開始、23日にオープンしたばかりのリヴァイヴァル・ミュージカル。1961年の初演は1,417回上演の大ヒット。劇場は当時46th Street Theatreという名だった今のこのリチャード・ロジャーズ劇場。フランク・レッサー(作曲・作詞)最後の作品で、脚本エイブ・バローズとのコンビは『Guys And Dolls』(1950年初演)と同じだ。

窓拭きの青年が、作品タイトルと同名のハウ・トゥ本に則って大会社に入社、トントン拍子に出世してついには社長になってしまうという、’60年代前半ならではのサラリーマン無責任男ミュージカルだが、これが不景気風吹き抜ける’90年代半ばのニューヨークに見事に甦った。しかも、’90年代半ばならではの装いを凝らして。
幕の代わりに舞台前に下りているのは、ビルの壁面を思わせる幾何学的デザインの(実は半透明の)ボード。序曲が始まると、そのボードの窓に当たる部分の色が様々に変わり始める。序曲後ボードが上がると、舞台奥にも同様のデザインのセットがある。そのセットの中央寄りの部分は上から下まで全て窓になっていて、摩天楼を思わせる外景が見える。ちょうど舞台が高層ビルの上層階にあるオフィスの中になるわけだ。窓部分の左右は両サイドとも光の上下動によってエレヴェーターに見えるようになっていて、一番下にある乗降口は実際に開閉する。そのエレヴェーターが一斉に下降を始めると、驚いたことに窓の景色が同調して下がって(相対的には上がって)いき、ついには1階に到着。舞台はビルのエントランス・ロビーになり、窓の外には前庭の水が出ている噴水が見える。そして、いきなりビルの外に雨が降り始める。
この楽しくも驚くべき窓の外の景色はC.G.(コンピュータ・グラフィックス)で作られていて、この後、窓景という枠を超えてさらに大胆な動きを見せる場面もある。よく観ると、外景の摩天楼の上空を雲だけがゆっくり流れている、という細かい芸を見せていたりもする。が、何より感嘆するのは、このC.G.と、照明、装置、音楽、キャストの、ドンピシャとしか言い様のない同調ぶりだ。
それも、演出デス・マカナフ、振付ウェイン・シレントのトニー賞受賞コンビをはじめとする『The Who’s Tommy』のスタッフが作ったと聞けばうなずける。大がかりな装置、ヴィデオ、精妙な照明、キャストの複雑な動き等を見事にコントロールしてみせた『The Who’s Tommy』のスタッフにしてみれば、今回の舞台づくりは、“努力しないで”とは言わないものの、ほんの一歩踏み出すぐらいの感じだったのではないだろうか。
デス・マカナフの演出は、出入りの激しい舞台を澱みなく鮮やかに捌いていく。舞台転換はミュージカル演出の見せ場の一つだが、この作品の大胆かつ繊細な舞台転換は、それがやって来るのを心待ちにしてしまうほど楽しい。
そしてウェイン・シレントの振付は、『The Who’s Tommy』を上回る切れの良さを見せる。見せ場は4曲。オフィスのコーヒー・ブレイクの時間にコーヒーがなくて仕事をサボれないと嘆く神経症的な「Coffee Break」、女性蔑視&セクシャル・ハラスメントに秘書たちがセクシャルに抗議する「A Secretary Is Not A Toy」、TVのクイズ番組のオープニング・ショウ「The Pirate Dance」、そして大詰め、副社長にまで昇りつめたもののライヴァルの策略で絶体絶命の窮地に追い込まれた主人公が会社首脳陣を情緒的に説得する、あきれるほどに楽天的かつ笑っちゃうほどに感動的な「Brotherhood Of Man」。
特に「Brotherhood Of Man」は、同じ作者による『Guys And Dolls』の「Sit Down, You’re Rockin’ The Boat」に似たナンバーで、ここでもショウストッパーになる。次第に盛り上がっていくゴスペル調の歌(社長秘書役リリアス・ホワイトの圧倒的熱唱)に乗って踊り始めるダークスーツの男たちの神憑り的ダンスは、コミカルさと力強さが見事に合わさってワクワクさせられる。
マシュー・ブロデリック演じる主人公は、彼が映画Ferris Bueller’s Day Off(邦題:フェリスはある朝突然に)で演じた、イノセントでちゃっかりしたキャラクターに近く、不思議な魅力がある。ブロードウェイではミュージカル初出演だが、歌も踊りも破綻はない 。
他のキャストも、誇張され類型化されたキャラクターをコミカルに演じきっている。中でも、社長(ロン・キャロル=『Crazy For You』の初代ポリーの父役)の甥で出世欲は強いが無能のマザコン男バドを演じるジェフ・ブラメンクランツ(『Damn Yankees』の選手役)の怪演が光った。>

舞台でのCG表現がまだまだ珍しかった時代。デス・マカナフは先駆的に最新技術を採り入れていく人で、その点でも大いに楽しませてくれた。が、この作品辺りを境に、観る側としては、そうした技術の駆使を、しだいにうるさいと感じるようになってくる。分水嶺は、その技術が舞台表現全体にとって必要最小限かどうかの判断なのだと思う。肝心なのは、あくまで生身の演者。それが演劇の魅力だということを、最新技術ってやつが逆説的に再認識させてくれる。そういう歴史の流れ。『Dear Evan Hansen』『Be More Chill』のCG使いが効果的かつ自然に感じられる背景には、そうした試行錯誤の積み重ねがあるってことだ。
役者について一つ付け加えると、翌1996年3月、いったん降りていたマシュー・ブロデリックが復帰するのに合わせて、主人公の恋人ローズマリー役でサラ・ジェシカ・パーカーが登場。クローズまで夫婦共演となった。ちなみに、マシューの「歌も踊りも破綻はない」と書いているが、特別うまいわけじゃない、と遠回しに言っていると理解してください。味で勝負って感じでしょうか。

ところで、宝塚歌劇版『ハウ・トゥー・サクシード~努力しないで出世する方法~』だが、社長秘書役が黒塗りで出てきたのには当時ですら違和感があった。契約内容に指示があったがゆえの措置だったのだろうか。

The Chronicle of Broadway and me #090★(1995/Mar.)

19953月@ニューヨーク(その1)

14度目のブロードウェイ(39歳)。
2度目の息子同行。小6の春休み。中3の秋まで別々に暮らしていた息子とのN.Y.行きにには、いろいろと事情があるのだが、それはおいといて、最近2人で話した時のヤツの発言。小学生の時はウチでゲームをやっていたかったので旅に出たくなかった。そりゃそうか。
ちなみに、出発前日に地下鉄サリン事件が起こった。翌日、空港に向かうリムジンバスだか成田エクスプレスだかの中で、オウムの仕業かもな、と2人で話したのを覚えている。

いずれにしても、ある程度は息子向きのセレクトにはしたつもり。なので、すでに観た作品が多くなっている。

3月21日 20:00 Crazy For You@Shubert Theatre 225W. 44th St.
3月22日 14:00 Beauty And The Beast@Palace Theatre 1564 B’way
3月22日 20:00 How To Succeed In Business Without Really Trying@Richard Rodgers Theatre 226W. 46th St.
3月23日 20:00 Blue Man Group “Tubes”@Astor Place Theatre 434 Lafayette St.
3月24日 20:00 The Who’s Tommy@St.James Theatre 246W. 44th St.
3月25日 13:30 Madama Butterfly@New York State Theatre/Lincoln Center
3月25日 20:00 Smokey Joe’s Cafe@Virginia Theatre 245W. 52nd St.

新登場は『How To Succeed In Business Without Really Trying』『Smokey Joe’s Cafe』『Madama Butterfly』は、リンカーン・センターを本拠地にしていたニューヨーク・シティ・オペラ(New York City Opera)のレパートリー。
作品の感想は次回以降に。

 

The Chronicle of Broadway and me #089

199412月~19951月@ニューヨーク(その6)

再見2作品、Show Boat』(1月4日20:00@Gershwin Theatre)とTommy』(1月2日20:00@St. James Theatre)についての追記的な感想。細かいが、上げておく。

<昨年秋プレヴューを観た『Show Boat』と、1993年に登場した『Tommy』を、再見した。

Show Boat』前回ほぼ絶賛したが、観直しても素晴らしい。泣いて笑って感動する名作ミュージカルの見事なリヴァイヴァルだ。
中でも、ダンサー夫妻の夫フランク役、ジョエル・ブラムの献身的な動きには、前回も書いたことだが目を見張る。ダンス場面はいくつかあるが、特に第2幕第6景、マグノリアがナイトクラブのオーディションで思い出の「Can’t Help Lovin’ Dat Man」を歌い、途中からテンポアップするシーンで、テンポアップした歌に合わせてブラムが見せるアクロバティックなヴォードヴィル的ダンス。ここが最大の見せ場だ。
そこから、短い第7景を経て第8景の大晦日のナイトクラブ、ブラムとその妻役ドロシィ・スタンリーのコミカルなデュオ・ダンス。続くマグノリアの歌に乗って踊り始めるクラブの客とブラムたち。そのダンサーたちを残して捌けていくセット。入れ替わりに背後から現れる第9景のシカゴの街頭のセット。8景のダンサーたちはフェイド・アウトしていき、9景のダンサー(通行人、物売り、大道芸人等)がフェイド・イン。そして、1900年から1921年までの時の流れを見せる街頭のダンス・スタイルと風俗の変遷。交錯して流れる「Ol’ Man River」とショウ・ボートへのフラッシュ・バック。
この辺りが視覚的なヤマで、ドラマも一気に大団円に向かっていく。畳み掛ける演出が素晴らしい。
前回はそれほど思わなかったが、マグノリアの夫ゲイロード役、マーク・ジャコビィの歌のうまさが、今回印象に残った。

Tommy』は約1年半ぶり。前回の感想では、ニューヨーク・タイムズのフランク・リッチの記事に疑問を感じたり、トニー賞の対抗馬だった『Kiss Of The Spider Woman』と比較する気持ちがあったりしたので、結果的にやや否定的な論調になってしまったが、このミュージカルが嫌いではない。
「Pinball Wizard」のダンスはやはり魅力的だし、人とセットが一体となったスリリングな動きも見事。前回、その、人とセットが一体となった動きが「プログラム化されているような印象を受け」ると書いて、それを否定的に捉えたが、そこには理由があることに気づいた。
幼年期のショッキングな事件のせいで自閉的になった少年が自己回復していく、という『Tommy』の物語は、かなり観念的で、ストーリーも骨格は説明的だ。それがあらわになるのを避けるために、原作では、アシッド・クィーン、ピンボールの魔術師という強烈なキャラクターや、モッズに代表される’50~’60年代風俗を前面に出してきた。
だが、舞台では、アシッド・クィーンがどうしてもイマイチ迫力不足に見えてしまうことからもわかるように、そうした装飾だけでは乗り切れない。だから逆に、ストーリーの説明的な部分は、思い切り出演者を記号化してハイテクを駆使したセットと組み合わせた近未来的な外連(けれん)で見せる演出をしたんじゃないだろうか。
ま、そんなことは別にしても、緊張を強いられる複雑な舞台、質を落とすことなくロングランを続けるスタッフ、キャストに拍手だ。>

The Chronicle of Broadway and me #088

199412月~19951月@ニューヨーク(その5)

1992年オープンの愛すべき2作品、『Crazy For You』(12月31日20:00@Shubert Theatre 225 W. 44th St.)と『Guys And Dolls』(1月4日14:00@Martin Beck Theatre)についての多少感傷的な個人的感慨を端折りつつ掲載。『Crazy For You』は主演のハリー・グローナーが大晦日で降板、『Guys And Dolls』は1月8日でクローズ、というタイミングだった。

<1991/1992年のシーズンに始まったミュージカルは新作、リヴァイヴァルともに面白かった。役者も皆よかったが、中でも『Crazy For You』のハリー・グローナーと『Guys And Dolls』のネイサン・レインは、主演男優として、トニー賞を獲ったグレゴリー・ハインズ(『Jelly’s Last Jam』)以上に強い印象を残した。
ネイサン・レインは1年ほどして『Guys And Dolls』を降り、1993/1994年のシーズンにニール・サイモンの新作プレイ『Laughter On The 23rd Floor』に主役で登場。そのクローズ後、今年の春から『A Funny Things Happened On The Way To The Forum』が主演作としてブロードウェイ入りすると噂されていたが、それは遅れ、今はオフで当たってブロードウェイに移ったプレイ『Love! Valor! Compassion!』に出演している。
その間、愛すべき1991/1992年のミュージカルも次々にクローズしてゆき、1994年大晦日の時点で残るは『Crazy For You』『Guys And Dolls』のみ。しかも、『Guys And Dolls』の4人の主役は全て交替している。
この大晦日で降板したハリー・グローナーは、1992年の輝きを背負って主役を張り続けた最後の人だったのだ。非の打ち所のない『Crazy For You』だが、やはりグローナーこそが大黒柱であり、出づっぱりの彼の活躍と得難いキャラクターがなければ、舞台自体がここまで成功したかどうかわからない。そして、『Crazy For You』に出会わなければ、これほど熱心にブロードウェイに通ったかどうかも。心からミスター・グローナーに感謝したい。
そして、『Guys And Dolls』は1月8日で幕を閉じた。
理由は観客動員の問題ではなく、前述したネイサン・レインの『A Funny Things Happened On The Way To The Forum』がこの劇場で始まる予定になっていたからだ、という話も聞いた。どちらにしても、この素敵なミューシカルが観られなくなるのかと思うと、とても残念だ。是非もう一度、と観に行った舞台は、終わりが近いとは信じられないほどイキがよく、充実していた。
キャストがどんなに替わろうとも、これだけ質の高い舞台を維持できるのは、やはりブロードウェイの底力、ということだろう。『Guys And Dolls』のスタッフ、キャストにも感謝。>

 

The Chronicle of Broadway and me #087

199412月~19951月@ニューヨーク(その4)

『A Doll’s Life』(1月5日20:00@York Theatre)のヨーク劇場に足を運んだのは、この時が初めてだったようだ。レキシントン・アヴェニュー沿いの教会の地下にある。オーソドックスなリヴァイヴァルが多いが、時折、Desperate Measuresのような新作も上演するから油断できない。出向いた動機は、<コムデン&グリーンの名前に惹かれて>、と当時の感想に書いている。以下、続き。

<ベティ・コムデン&アドルフ・グリーンと言えば一般には映画『Singin’ In The Rain』の脚本で知られているのだろうか。ブロードウェイ・デビューは1944年、『On The Town』の脚本家兼出演者として。以降、『Wonderful Town』(作詞)、『Peter Pan』(作詞)、『Bells Are Ringing』(脚本・作詞)、『Do Re Mi』(作詞)、『Applause』(脚本)、『On The Twentieth Century』(脚本・作詞)と、’70年代後半までヒット・ミュージカルを作ってきた。
そのコムデン&グリーンが脚本・作詞を手がけ、ラリィ・グロスマン作曲、ハロルド・プリンス演出によって1982年9月にオープンした『A Doll’s Life』は、わずか5回の公演で終わっている(注:プレヴューは18回)。
タイトルから想像がつくように、1879年初演のイプセンの有名な戯曲『Et Dukkehjem(A Doll’s House)』(邦題:人形の家)の続編で、個人として目覚めたヒロイン、ノラが、自立するべく夫と子供の元を去る、という“前作”のラスト・シーンから始まる。
と偉そうに書いたが、『人形の家』は読んだことも観たこともない。だが、この続編 は、それでもわかるように出来ている。要約すると次のような話だ。
「引き止める夫を後目に1人都会に出たノラは、自活の道を求めるが、社会的に抑圧されている女性にとっては厳しい職場ばかり。一方で、その美貌ゆえに絶えず男性の恋愛の対象になるノラ。が、結局は女性を自分の従属物としてしか見ない男たちと、ノラは訣別していく。最後に彼女を優しく見守ってくれる男性に出会うが、なぜか納得いかない(会話のディテールがつかめないので、そう見えた)ノラは子供に会おうと家に戻る。が、夫に拒絶され、悲嘆に暮れる。それでも再び力強く生きていこうとするノラ。」

こう書くと健気に思えるのだが、舞台では、ノラは惚れっぽい世間知らずの女にしか見えない。まず、それがマイナス。ヒロインに感情移入できないのだ。初めはコムデン&グリーンのひねったコメディかと思った。そうなら面白いのに、と思いながら観ていたが全然ギャグが出てこない。残念ながら徹頭徹尾シリアスな失敗作だった。
いけないことに音楽も、ポピュラリティに乏しい時のソンドハイムみたいなオペレッタ風で、楽しめない。伴奏がピアノ2台(当初は7人編成のオーケストラが想定されていたらしい)というのも寂しかったが、1992年の『The Most Happy Fella』がピアノ2台で見事に聴かせたことを考えると、やはり楽曲そのものに魅力が欠けたのだろう。
小さな舞台だったが、力量のある役者が集まっていただけに惜しかった。>

ブロードウェイ版は、どうやら劇中劇的な凝った設定だったようで、このオフ版は、そこはわかりやすくしてあったようだ。機会があれば観直してみたい作品ではある。

 

 

The Chronicle of Broadway and me #086

199412月~19951月@ニューヨーク(その3)

『Sunset Boulevard』(1月3日20:00@Minskoff Theatre)は、ロンドン公演で一悶着あり、ロスアンジェルス公演から主演がグレン・クローズに変わって話題になった。当時、『Beauty And The Beast』『The Phantom Of The Opera』と並んでチケットを取りにくいと言われていたようだ。以下、当時の感想。

<パティ・ルポン版は1993年10月27日にロンドンで観たが、アンドリュー・ロイド・ウェバーの音楽に魅力がなく、ルポンの熱唱と豪華な屋敷のセット以外に観るべき所がなかった。ところが、ルポン=ミスキャスト説が流布され、演出も改めたと言うロスアンジェルスでのグレン・クローズ版は絶賛された。
こうなると、クローズ版を観ないことには何も言えない。やがてブロードウェイでの幕が開き、好評だという話が伝わってきた。そんな折、12月15日朝日新聞の夕刊に大平和登氏による次のような評が載った。

「(前略)このミュージカルの話題は二点ある。まず、映画ではグロリア・スワンソンが演じた怪物的大スターを誰が演じるかが注目され(中略)、結局、グレン・クロースがブロードウェー初演を飾った。これは出突っ張りの精力がいる大役だが、クロースは熱演、熱唱して好評(中略)。
もうひとつの話題は、ノーマの邸宅サロンの装置(ジョン・ネピア)で、金ぴかのルネッサンス調のセットは十四億円かけた舞台の豪華さをいかんなく発揮する。この装置が宙づりになり、別の装置が滑り込む二重構造の演出(トレバー・ナン)に観客は息をのむ。
しかし、アンドリュー・ロイド・ウェバーの音楽に楽しみはなく、ダンスナンバーも欠けている。(中略)原作映画にあった笑いもなく、観客はカリスマ性に富む舞台の暗さと重さに押しつぶされんばかりだ。」

これを読んで、自分の観方もあながち的外れではないぞ、と意を強くして臨んだクローズ版。多少演出の変化はあったものの、結局ルポン版と変わらぬ感想を持った。
大平氏が「観客は息をのむ」と書く「サロンの装置が宙づりになり、別の装置が滑り込む二重構造の演出」は、ルポン版を観た時に、芸がなさすぎると感じて気になったシーンだったが、クローズ版でも改善されていなかった。
演出が最も変わっていたのは、最後。元夫、元監督である執事の「アクション!」の声をきっかけに、ニュースカメラを見据えて静々と階段を下りてくる狂気の老女優ノーマ。ルポン版はここで幕だった。が、クローズ版では、幕前までクローズが出てきて彼女の後ろに幕が下りる。つまり、クローズ1人スポットライトを浴びて舞台に残るのだ。観客はスタンディング・オヴェイション。この演出が端的に示すように、クローズ版はクローズのために作られており、クローズがいるからこそ成り立っているという感が強い。

そのクローズだが、文字どおり熱演、熱唱。が、メイクアップも含めて、やや演技過剰、芝居がかりすぎて見える。歌も正直言って感動するところまで行かない。
しかし、そこはロイド・ウェバーの作戦勝ち。ロスアンジェルスで大評判を取っておいて、すぐにはブロードウェイ入りせず、じらした末のオープン。観客は、ロスアンジェルスを熱狂させたグレン・クローズの“伝説”を観にきているのだ。
ヒット作が生まれるというのは劇場街にとってはいいことだし、名作中の名作である映画をミュージカル化しようというロイド・ウェバーの野心も凄いと思うが、やはりこの企画は失敗だと思う。

『Sunset Boulevard』のような題材を舞台ミュージカルとして“そのまま再現”しようとするのは無理がある。映画には映画という表現と歴史の中でこそ生きるハッタリや嘘のつき方があり、『Sunset Boulevard』(邦題:サンセット大通り)はそれを極めたような映画なのだ。
ノーマ役のグロリア・スワンソンが本当にサイレント映画の大スターであったことに始まる、数々の嘘のような本当のような嘘(ノーマが屋敷で観る映画は元夫・元監督役のエリッヒ・フォン・シュトロハイムがかつて実際に監督したスワンソンの映画である/映画監督セシル・B・デ・ミルを演じるのは本人で、ノーマが彼を訪れるシーンのスタジオは当時彼が本当に撮影していた映画のスタジオであり、彼はスワンソンをスターに育てた監督でもあった/ノーマのトランプ仲間を演じるのは過去映画スターだった役者たちである/ノーマが演じてみせるチャップリンの物真似はスワンソン自身過去に映画で演じたことがある/ノーマの屋敷に飾られた写真や絵の一部はスワンソンの私物である/パラマウント映画の中でパラマウントのことが語られるetc.)は、わかる者はもちろん、その事実を知らない者をも圧倒するほどの凄みを生み出していて、それが、この現代の怪談に驚くべきリアリティを与えている。その点だけを取っても『Sunset Boulevard』は映画のための映画なのだ。
ロイド・ウェッバーは映画の骨組みだけを生かして、舞台をブロードウェイに移してミュージカル化すればよかったのだ。うまくすれば、現代版『The Phantom Of The Opera』ができるかもしれないと思うのだが。

余談だが、セシル・B・デ・ミルは、『Oklahoma!』他で知られる振付家アグネス・デ・ミルの叔父(または伯父)らしい。>