The Chronicle of Broadway and me #32

★1992年5月~6月(その6)

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『Crazy For You』(@Shubert Theatre 5月29日20:00)のロングランは約4年。その間に(ブロードウェイ版だけで)11回観ている。基本、より多くの作品を観たいと思うので、同じ作品を重ねて観ることはめったにないのだが、『Chicago』と並んで例外的に複数回観ている作品。大好きだった。
まずは、観劇当初に書いた感想の作品概略部分を。

<『Crazy For You』は、アイラ(作詞)&ジョージ(作曲)・ガーシュウィン兄弟による1930年開幕の『GIRL CRAZY』の改訂版リメイク。
①1930年代という時代設定、②主人公がニューヨークから田舎町(旧作アリゾナ州カスターヴィル→新作ネヴァダ州デッドロック)にやって来てショウを開く、③そしてその町の女性と恋に落ちる、といった点を踏襲していて、基本的にはユーモラスでロマンティックな、典型的なミュージカル・コメディ。この新作の“売り”は、そのオールド・ファッションドな枠組みを使って、ガーシュウィン兄弟の名曲と、タップをふんだんに盛り込んだ粋で華やかなダンスを、たっぷり聴かせ、見せるところにある。

ガーシュウィン兄弟の曲は、元々あった6曲(「Bidin’ My Time」「Embraceable You」「I Got Rhythm」「But Not For Me」等)に、未発表だったりして知られていなかった4曲、昨シーズン(1990/1991)のリヴァイバル公演は討ち死にした1926年のOh, Key!』の「Someone To Watch Over Me」、ジョージ・ガーシュウィン最期の年のフレッド・アステア映画2本、ジンジャー・ロジャーズとの『Shall We Dance?』(踊らん哉)及び、ジョージ・バーンズ、グレイシー・アレンと組んだ『A Damsel In Distress』(踊る騎士)から7曲(「They Can’t Take That Away From Me」「I Can’t Be Bothered Now」「Nice Work If You Can Get It」等)他を加え、質量共に充分すぎるほど。
タイトルを記したものからもわかる通り、スタンダード・ナンバーとして知られている曲も多数ある。

そしてダンス。結局このショウはトニー賞のベスト・ミュージカルに輝くのだが、同時に振付でもトニー賞を獲得する。それが充分に納得できる、アイディアに満ちた素晴らしいダンス・ナンバーが次々に登場。>

……と、これが1992年5月に初めて観た後で書いた感想の前半部分。続いて、ブロードウェイ最終公演(1996年1月7日20:00)を観た後に書いた詳細なレポート。

<ここでお断わりしておくが、『Crazy For You』には無駄なシーンが一つもないのである。ショウ場面を見るために、メロドラマの部分を忍耐する必要がない。
ショウ→スケッチ→ショウ→スケッチ→ショウ
という具合に、ヴァラエティ風につながり、しかも、結局はちゃんとドラマになっているのが、ミソだ。

実は、この文章は、映画『The Band Wagon』(邦題:バンド・ワゴン)について小林信彦氏が書いた文章(「われわれはなぜ映画館にいるのか」晶文社→「映画を夢みて」筑摩書房)の作品タイトル部分を入れ替えただけのものなのだが、これが『Crazy For You』の特長をほぼ言い当てている。
「ショウ」というのはもちろんソング&ダンスの場面。「スケッチ」というのは、例えばランダムハウス英和大辞典を見ると「(ボードビルなどのユーモラスな)短い劇、寸劇」とある。『Crazy For You』には、この二つ以外の要素は全くと言っていいほどない。

ストーリーを要約すると、1930年代、ニューヨークで銀行を経営する母親の元にあってダンサーへの夢を捨て切れず、ブロードウェイの大プロデューサー、ザングラーに売り込みを繰り返している不肖の息子ボビーが、母親の命を受けてネヴァダ州のちっぽけな町デッドロックにある古い劇場を差し押さえに行き、劇場の所有者の娘ポリーに恋してしまう話。

第1幕。
前述のような事情でネヴァダに向かったボビーが、ポリーに恋したあげく、件の劇場でショウを開いて抵当権を買い戻そうと提案するが、差し押さえに来た銀行の人間だという正体がバレてフラれたため、ザングラーに化け、ブロードウェイから旧知のテス率いるザングラー・ガールズを呼び寄せて再度デッドロックに乗り込む。
で、ポリーに横恋慕する宿屋主人ランクの横槍や、望まざる婚約者アイリーンの突然の来訪、男性ダンサー(デッドロックの男たち)の出来の悪さを乗り越えて、なんとかショウを仕立て上げるものの、宣伝不足で客が一人も来ない。
責任を痛感するザングラー(実はボビー)に、こんなにデッドロックの人間たちをいきいきさせてくれた、とポリーが礼を言う。そこに本物のザングラーが惚れてるテスを追って人知れず到着する。

第2幕。
ポリーは偽ザングラーに恋してしまうが、本物のザングラーの出現でボビーの二役だったとバレる。余計に気分を害したポリーだが、劇場明け渡しの期日も迫っていた。
もう一度ショウに挑戦して劇場を取り戻そうとボビーが提案し、怒っていたはずのポリーは乗るが、町のみんなやガールズはあきらめ気分。
万策尽きたボビーはニューヨークに帰る。ところが今度は本物のザングラーが、テスの願いもあってプロデュースを買って出る。
一方ニューヨーク。抜け殻のようなボビーを元気づけようと母親が誕生日にプレゼントしたのは、ブロードウェイのザングラー劇場。ザングラーが劇場を手放した理由(ショウのための資金作り)に気づいたボビーはデッドロックへ急ぐ。
その頃デッドロックではボビーのアイディアによるショウが大ヒット中。ところが主役のポリーはボビーへの思い断ちがたく、ニューヨークへ。あわや二人はすれ違いか、というところから一気にハッピー・エンドへ。

第1幕11景、第2幕6景の構成だが、この内、歌もダンスもないのはわずか3景。しかも、いずれも短い。順を追って簡単にミュージカル・ナンバーを挙げる(曲目の後のは盛り上がり度と言うかショウ場面としての規模を示す)。

[第1幕]

第1景。
「K-ra-zy for You」
大プロデューサー、ザングラーを強引に説得して舞台裏でオーディションを受けるボビーのソロ・タップ。観客への軽い挨拶といったところ。

第2景。
「I Can’t Be Bothered Now」★★★
ボビーと、なぜか自動車の中から次々に現れる女性ダンサーたちのユーモラスで華麗なタップ・ダンス。女性ダンサーはボビーの幻想の中の存在で、第2幕終盤に再登場する。

第3景。
「Bidin’ My Time」
ポリーとデッドロックの男たち(オリジナル・キャストではマンハッタン・リズム・キングズというトリオ)の、のんびりした歌。
「Things Are Looking Up」
ボビーがポリーに一目惚れして歌う心の中の歌。

第4景。
「Could You Use Me?」
口説くボビーと戸惑うポリーの掛け合いの歌。ボビーが迫りポリーが逃げるアクションが次第に早くなり、次のナンバーにそのままつながる。ボビー役がアクロバティックな動きを垣間見せる。

第5景。
「Shall We Dance?」★★★歌はボビーのソロだが、ボビーとポリーによるアステア&ロジャーズ張りの長いデュオ・ダンス・ナンバー。2人の高まる想いがダンスでわかる。

第6景はミュージカル・ナンバーなし。

第7景。
「Entrance to Nevada(Stairway To Nevada/Bronco Busters/K-ra-zy for You)」★★
ネヴァダの地平線に横一列に並んだシルエットで現われるザングラー・ガールズ。デッドロックの町に入るや一斉に踊り始める。翻弄される町の男たち。そこに現われるザングラーに変装したボビー。ダンスのフィニッシュは山のように積み上げたトランクの上に立って見栄を切るボビー。
「Someone to Watch Over Me」
劇場を救ってくれると言う頼もしいザングラー(ボビー)にほのかな恋心を抱いたポリーの歌。

第8景はミュージカル・ナンバーなし。ただし、ここでギャグとして使われる振付練習の動きが次の景で本当のダンスとして出てくる。

第9景。
「Slap That Bass」★★★
町の男たちのダンスの質がひどく、クサるボビーだが、1本のベースがきっかけでリハーサルが盛り上がる、という長いナンバー。ロープを弦に、ガールズをベースに見立てたアイディアを初めて観た時には息を呑んだ。
「Embraceable You」
チーク・ダンスを踊りながら、ポリーが偽ザングラーに熱い想いをユーモラスに告白する。

第10景。
「Tonight’s the Night」
初日開演前の楽屋で準備しながら、いよいよ本番だ、とみんなで歌う。途中に、ボビーがザングラーに化けていることから来る誤解のギャグがいくつか挟み込まれる。

第11景。
「I Got Rhythm」★★★★
観客が1人も来ず責任を感じる偽ザングラーのボビーに、ポリーは、みんながこんなに明るくなったのはあなたのおかげ、と励ます。歌と踊りの輪が広がり、町中お祭り騒ぎになる。様々な小道具が登場。全編中最もアイディアの詰まった、最も長いナンバー(オリジナル・キャストCDで見ると7分34秒ある)。

[第2幕]

第1景。
「The Real American Folk Song(is a Rag)」
ランクの宿屋のサルーンで(オリジナル・キャストではマンハッタン・リズム・キングスが)ジャグ・バンド演奏。
「What Causes That ?」★★
真ザングラーと偽ザングラー(ボビー)が共に酔っぱらい、シンクロした動きで大いに笑いをとった後(『Lend Me A Tenor』『Moon Over Buffalo』でも観られる脚本家ケン・ラドウィグの得意技)、ユーモラスなアクションを見せながら歌うデュオ・ナンバー。

第2景。
「Naughty Baby」★★
ボビーを追ってやって来た欲求不満の婚約者アイリーンが、町の男たち4人を従えて、フェロモン全開でランクに迫る“艶笑”ナンバー。女が男に馬乗りになるのは振付スーザン・ストロマンのお気に入りスタイル。

第3景。ミュージカル・ナンバーなし。セット替えのための短い幕前芝居だが、それを思わせないアイディアがある。

第4景。
「Stiff Upper Lip」★★★
劇場に集まって今後のことを話し合うみんなを励ますためにイギリス人旅行者カップルが歌い始める人生の応援歌。やがて全員のタップ・ダンス合戦に突入。最後は椅子のバリケードが出来上がって旗が振られ、『Les Miserables』状態に。
「They Can’t Take That Away from Me」
デッドロックを去ることにしたボビーが未練いっぱいでポリーに歌いかける傷心のバラード。
「But Not for Me」
ボビーを引き止めなかった自分を悔いるようにポリーが歌う傷心のバラード。

第5景。
「New York Interlude」
ニューヨークの街角を行き交うオシャレな男女のファッション・ショウのような動き。
「Nice Work If You Can Get It」★★★
第1幕第2景で登場した幻想の女性ダンサーたちと再び歌い踊るボビー。今度はタップなしの抑えた調子。ダンサーたちが消えた後のボビーの長いソロ・ダンスは、主役最大の見せ場。

第6景。
「Bidin’ My Time(French Reprise)」
新装なったランクのサルーン前で(マンハッタン・リズム・キングスが)フランス語で第1幕第3景のナンバーをテンポ・アップして歌う。
「Finale」★★★★
デッドロックに戻ったボビーに町のみんなが「Shall We Dance」を歌いかけ、次いで花嫁姿のポリーとボビーが流麗な調子の「I Got Rhythm」に乗って踊り始める。背景のデッドロックの町は消え、舞台上はジーグフェルド・フォリーズ風の華やかなステージに早変わり。ボビーとポリーが踊っていた舞台中央部分の床がゆっくりとせり上がり、孔雀のように着飾ったショウ・ガールズが2人を彩るように次々に現われ、踊り終えた主役2人がポーズをとって、幕。
すぐにオーケストラ演奏が始まり、カーテン・コール。テンポの速い「K-ra-zy for You」に始まるメドレーに乗って脇役から順に出てきて挨拶。ポリー、ボビーと出てきたところで演奏がゆったりした「Embraceable You」に変わり、全員が歌いながらそれぞれペアを組んで踊る。歌詞の最後の“you”をきっかけにいきなりテンポ・アップして曲は「I Got Rhythm」に。第1幕第7景と同じようにザングラー・ガールズが横に並んで登場、威勢よくタップが始まる。他のキャストもそれに加わり、最後は全員が横一線になってのタップの嵐で再び幕。

ね、見せ場が多くて退屈してる暇がないでしょ。おまけに、隙間を埋め尽くすようにケン・ラドウィグの仕込んだギャグが炸裂するから、楽しいことこの上ない。細かい辻褄なんて、まるで気にならない。(中略)そう言えば、日生劇場で四季版を観た時(1997年2月22日)、帰りに前を歩いていたカップルがフィナーレについて、「なぜあの町が突然あんなショウのステージに変わるのかわからない」と言っていて、ああ、この人たちとは永遠に友達になれないなと思ったりしたものだ。>

#25でも書いたが、振付家スーザン・ストロマンの出世作。このところ何度もご登場いただいているフランク・リッチ(当時のニューヨーク・タイムズ劇評担当)は、ストロマンを「トミー・テューン以降で、ブロードウェイにやって来た最も想像力に富む新しい振付家」と言い、「アメリカのレパートリーの中で最も親しまれ愛されている歌を、まるで昨日作られたもののように、聴かせ、見せてくれる。」と絶賛している。
演出のマイク・オクレントは#6で書いた『Me And My Girl』の、ロンドンとブロードウェイ両方での演出家。
特筆すべきは脚本家ケン・ラドウィグ。上記引用部分でも触れたが、この作品の前に『Lend Me A Tenor』、後に『Moon Over Buffalo』というプレイで当たりをとるコメディの名手。
主演のハリー・グローナーは演技もダンスも軽快。彼なくしては、この作品は成立しなかっただろう。

The Chronicle of Broadway and me #31

★1992年5月~6月(その5)

『Guys And Dolls』(@Martin Beck Theatre 6月1日20:00)と『The Most Happy Fella』(@Booth Theatre 5月28日20:00)は、いずれもフランク・レッサーの楽曲(作曲・作詞)によるミュージカル。

#28で触れたニューヨーク・タイムズのコラムで、フランク・リッチは、この2作の演出家、ジェリー・ザックス(『Guys And Dolls』とジェラルド・グティエレス(『The Most Happy Fella』を、「現代アメリカの劇作家たちとの(仕事で培った)豊かな経験を、通常なら彼らが感情的リアリティを探究したりしないような仕事に注ぎ込む若者たち」と呼び、「彼らのプロダクションは、手垢のついた言葉が指す意味でのブロードウェイ・リヴァイヴァルではなく、初演版を観るには若すぎたアーティストたちによるアメリカの古典の見直しである。」と評価している。さらに、その手法について、「古い芸や知名度の高いスターに頼る代わりに、新しいスター(特筆すべきフェイス・プリンス のような)を集め、作り上げることから始めている。」と書く。

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フェイス・プリンスは『Guys And Dolls』にアデレイド役で出演、トニー賞主演女優賞を獲る。彼女については#9で、『Jerome Robbins’ Broadway』での印象的な演技について書いたが、ここでの役柄は、さばけていて陽気なキャバレーの歌手兼ダンサー。<それを、明るい性的魅力を発散しながら可愛らしく演じたプリンスには華があった。>と当時の感想に書いてある。

『Guys And Dolls』全体についての当時の感想は次の通り。

<デイモン・ラニヨンの短編小説に出てくる、1930年代のブロードウェイを舞台にしたギャンブラーと救世軍の女性とのロマンスに、サイコロ賭博の胴元とキャバレー歌手との永すぎる春の話をからめたストーリーが、そもそもコミカルで楽しい点は『Crazy For You』と共通している。今回のプロダクションが熱狂的に迎えられたのは、そこに登場するユニークで愉快な人物たちが、プリンスをはじめ油の乗った役者たちによって生き生きと演じられたからだろう。彼らの戯画化された欲望や生命力のリズムは実に現代的だ。
プリンスと並んでよかったのが、賭博の胴元ネイサン・デトロイト役のネイサン・レインで、調子がよくて山っ気があるが実は人のいい、というキャラクターを見事に演じてショウを支えていた。イメージは、日本で言えば財津一郎か西田敏行。また、救世軍の女性上官役ルース・ウィリアムスンの、普段は堅苦しいが、いい男を見ると急に色っぽくなるという演技にも笑った。
そしてダンス(振付クリストファ・チャドマン)の躍動的な力強さ。トニー・ウォルトンの舞台装置、ウィリアム・アイヴィ・ロングの衣装も、1930年代の雰囲気をアメリカン・コミック的に表現していて気分を盛り上げてくれる。>

この作品のフランク・レッサーの名曲群については、言わずもがな、かと思う。
俳優陣はとにかく充実していたが、上記の2人以外で特に印象に残ったのが、クライマックスのゴスペル風ナンバー「Sit Down, You’re Rockin’ The Boat」でリードをとるナイスリー・ナイスリー・ジョンソン役ウォルター・ボビー。後にリヴァイヴァル版『Chicago』を演出する、あの人。
ちなみに、1993年のウディ・アレン映画『Manhattan Murder Mystery』(邦題:マンハッタン殺人ミステリー)でアレンとダイアン・キートンが観劇に行き、序曲が始まったのにしゃべっていて注意されるのは、この作品。

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<『The Most Happy Fella』の初演は『Guys And Dolls』から5年半後の1956年5月3日に幕を開けた。フランク・レッサーは、ここでは作曲・作詞に加え脚本も手がけており、公表されてはいないが共同プロデューサーでもあった。>というのが観劇当時の感想の書き出し。
続けて、同作のプレイビルに載っていた「『The Most Happy Fella』について」というコラムの引用をしている。「フランク・レッサーは彼のキャリアの初期に、同じスタイルの仕事を二度するのはよそうと決心した。」と始まるコラムの内容は以下の通り。

<レッサーの『The Most Happy Fella』の構想は遠大であった。そのために彼は、30曲以上のミュージカル・ナンバーを書き、詞を正確にするためにイタリアの方言の研究をすることになった。また、多様なスタイルで複雑な歌を書くという実験もせざるを得なかった。(中略)プロジェクトを完全なものにするのに結局4年かかった。(中略)しばらくの間『The Most Happy Fella』がミュージカルであるのかオペラであるのかで批評家たちの意見が分かれた。(中略)今日では、その違いはぼやけてきているだけでなく、重要ですらなくなっている。しかしながら、1956年にあっては、多くの批評家は、(中略)音楽が収まる所に収まっていることを望んでいた。レッサーの考えでは、このショウがどの世界に属するかは疑いがなかった。即ち「これは多用な音楽を伴ったミュージカル・コメディである」。>

とは言うものの、初演を見たアラン・ジェイ・ラーナーは著書で「大衆的オペラといってもよいもの」と言っており、また、プログラムには(初演も今回も)オペラの場合と同じように曲名の表記がない。それについての疑問に、プレイビルの質問コーナーは次のように答えていて、レッサーもオペラを意識していなかったわけではないと思われる。
「作者フランク・ローサーの依頼により、このプレイビルには曲のリストは載りません。」

前置きが長くなった。以下、当時の感想。

<舞台は1927年、カリフォルニアの田舎、ナパというのどかな村。そこの農場主で、人徳はあるが容貌に自信がなく、中年になるまで独身だったイタリア移民の男がいる。一方、サンフランシスコのレストランに、日々の生活に疲れた若いウェイトレスがいる。男はウェイトレスを見そめ手紙を書く。そして結婚を申し込むのだが、自分の写真の代わりに、その時農場にいた若い流れ者の写真を同封する。期待と不安を抱えてやって来た娘は、本当の婚約者が誰かを知り、動揺のあまり婚礼の夜に流れ者と同衾する。が、共に暮らす内、娘は農場主の人間味に触れ愛するようになる。しかし、流れ者の子を身籠もっていることに気づいた娘は農場を去ろうとする。農場主も一旦は絶望するが、最後には娘を許し、ハッピーエンドとなる。
暗い要素を抱えた話だが、カリフォルニアの無邪気さとイタリアの陽気さとがない交ぜになった周辺の人々の明るさが、全体のムードを和やかにしている。特に、笑いを一手に引き受けるイタリア人コック3人組 (バディ・クラッチフィールド、マーク・ロティト、ビル・ネイベル)の献身的な動きと、トニー賞助演男優を受賞したスコット・ワーラ演じる典型的アメリカン・カントリー・ボーイのボケが光った。
初演では劇場を広げて入れたという35人のオーケストラの演奏があったようだが、今回はうって変わって2台のピアノのみ。それをバックに朗々と歌う主演男優のスピロ・マラスは、初演の時のロバート・ウィード同様、元々はオペラ歌手。悠然たる演技でイタリア移民の困惑と誇りを豊かに表現していた。
「大衆的オペラ」であるこのショウが今日のブロードウェイに馴染むのかどうか確信はないが、少なくとも、こうしたショウもある、というのがブロードウェイにとっては好ましいと、個人的には考える。ミュージカルの奥の深さを見た気がした。>

The Chronicle of Broadway and me #30

★1992年5月~6月(その4)

『Jelly’s Last Jam』(@Virginia Theatre 1992年5月27日 20:00)については、#8で『Black And Blue』のことを書いた時に少し触れたが、そこで出会ったセイヴィアン・グローヴァーに再会し、ブラック・ミュージカルについて考えるきっかけとなった作品。

ここで、無料配信音楽誌「ERIS」16号で書いた2015/2016年シーズンの新作『Shuffle Along, Or, The Making Of The Musical Sensation Of 1921 And All That Followed』についての原稿の一部を転載させていただく(表記の統一他、若干編集あり)。

<ユービー・ブレイク(作曲)とノーブル・シスル(作詞)が楽曲を書いた1921年上演の『Shuffle Along』は、アフリカン・アメリカンによる初の本格的ブロードウェイ・ミュージカルと言われる(とはいえ劇場の場所は通常の概念ではブロードウェイとは呼べない北の方だが)。今回の『Shuffle Along, Or, The Making Of The Musical Sensation Of 1921 And All That Followed』では、タイトルが示す通り、その『Shuffle Along』が成功するまでのスタッフとキャスト一丸となっての奮闘と、成功後の内紛と離散が描かれる。楽曲は『Shuffle Along』で使われたもので、ショウ場面の肝はタップ・ダンス。
『Shuffle Along, Or, The Making~』の最大の注目点は、主要スタッフが、ジョージ・C・ウルフ(脚本・演出)とセイヴィアン・グローヴァー(振付)という、1996年開幕の『Bring In ‘Da Noise, Bring In ‘Da Funk(略称Noise/Funkのコンビだということだ。
『Noise/Funk』は、(中略)奴隷としてアメリカに連れてこられて以来のアフリカン・アメリカンの芸能の変遷をたどるレヴュー形式のショウだが、何世代にも及んで積み上げられてきた自分たちのエンタテインメントとしての芸に対する再考察と、アフリカン・アメリカンである自分たちのアイデンティティの再検証、という側面が強く、ラップと、ヒップホップに呼応したストリート・タップとをブロードウェイの舞台に上げた作品としても画期的だった。自分たちの足元を、懐疑的な視線も交えつつ見つめ直し、伝統の再構築を行なう。それが彼らの姿勢だったわけだ。その背景には、現状の(相変わらずの白人中心の)社会構造に対する根本的な批判もあった。
今回の『Shuffle Along, Or, The Making~』も、そうした流れの延長線上にある作品で、ショウ的な見どころは満載だが、簡単には楽しませてくれない。ことに、仲間が離散していく後半は、かなり苦い。

演出家/脚本家ジョージ・C・ウルフのブロードウェイ登場作は『Jelly’s Last Jam』。ここにはセイヴィアン・グローヴァーは役者として参加していた。1992年のこの作品で、ウルフはすでにアフリカン・アメリカン社会の内部分裂を描いている。
主人公は、初期ジャズの創始者の1人と言われるジェリー・ロール・モートン。ヨーロッパ系との混血ゆえに、モートンが自身を白人と同列に置こうとすることで起こる悲劇。ざっくり言うと、そういう内容。楽曲は、モートン作曲のメロディに新たな詞(スーザン・バーケンヘッド)を付けたもの。そこにタップを持ち込んだのがユニークなところで、この作品の主演(モートン役)及び振付は、当時、名実共に最高のタップ・ダンサーと認められていたグレゴリー・ハインズだった。
実在したアフリカン・アメリカン(たち)の人生を独自の視点で洗い直す、当時の楽曲を掘り起こす、アフリカン・アメリカンの伝統芸であるタップ・ダンスを表現手段として駆使する、という点で、『Shuffle Along, Or, The Making~』『Jelly’s Last Jam』の同工異曲だと言っていいだろう。

ここで援軍にご登場いただく。1992年5月31日(その年のトニー賞授賞式当日)のニューヨーク・タイムズに載った、当時の同紙劇評担当フランク・リッチの記事だ。

――『Jelly’s Last Jam』は、単に黒人対白人のメロドラマという外面的出来事としてでなく、アフリカン・アメリカンのアイデンティティ (及び彼らの人種差別主義との戦い)を彼らの内側から見せることで、アフリカン・アメリカンを正しく描いた最初のブラック・ブロードウェイ・ミュージカルである。
ウルフ氏のテーマに対する深い見識、洗練、そして誠実さは脚本と演出に反映され、新しいミュージカルのスタイルを作っている。彼は、ジャズやブルーズ、そしてショウビジネス界では無類の影響力を持つグレゴリー・ハインズのタップ・ダンスをただ並べてみせたりはせず、ダンスで表現された痛みや激しい怒りと同様に、音楽の人種的政治的意味を暴き出そうとする。
このショウが(中略)様々な人種を含んだ観客によってヒットしつつあるのは、ブロードウェイ文化の歴史における画期的事件と言えそうだ。――

この記事の最後にある、「様々な人種を含んだ観客によってヒットしつつある」の部分に関連して、当時、興味深い場面を目撃した。トニー賞発表後の1992年7月23日(同年5月に次ぐ2度目)の観劇の時だ。
第1幕第2景、グレゴリー・ハインズとモートンの子供時代を演じるセイヴィアン・グローヴァーの2人がタップの競演をする最初の大きな見せ場があって、拍手と歓声がワッと起こる。普通なら、その拍手と歓声が静まり、狂言回し(死神)が次の景へと進行させる。ところが、その日は、いつまでも立ったまま拍手を止めずにダンスのアンコールを求める男性客(おそらく白人)が1人いた。おかげで狂言回しが次のセリフに入れず、結局ハインズが「オー・ノー!」と叫んでしまう。
フランク・リッチの言うように、作る側は「ジャズやブルーズ、そしてショウビジネス界では無類の影響力を持つグレゴリー・ハインズのタップ・ダンスをただ並べてみせたりはせず、ダンスで表現された痛みや激しい怒りと同様に、音楽の人種的政治的意味を暴き出そうと」している。にもかかわらず、昔ながらの“お楽しみ”だけを舞台上に求める無自覚な客もいる。そして、それが“ブロードウェイ”なのだ。だからこそリッチは、この作品が「ヒットしつつある」ことを「ブロードウェイ文化の歴史における画期的事件」と称えたわけだ(と言ってもロングランは1年半だったが)。>

ちなみに、『Jelly’s Last Jam』でジェリー・ロール・モートンをある種の差別主義者として描いたことについては異論もあるようで、フランク・リッチの劇評が掲載された日のニューヨーク・タイムズの読者投書欄に、長年「ジェリー・ロール・モートンの世界」というコンサート・ツアーを行なっているというボブ・グリーンなる人物の次のような投稿が載っていた。

<モートンの研究家であり演奏者である私に言わせれば(中略)ジェリー・ロール・モートンは独創的な作曲者でありピアニストであり楽団リーダーであった。そして、人種差別主義者ではなかった。(中略)厳しいが輝かしく創造的な人生を送ったモートンの亡霊をブロードウェイで辛いめに会わせていることに、彼は複雑な感情を抱くかもしれない。>

『Jelly’s Last Jam』は、トニー賞で作品賞を含むこのシーズン最多の11部門にノミネートされたが、受賞は主演男優賞(グレゴリー・ハインズ)、助演女優賞(トンヤ・ピンキンズ)、照明賞(ジュールズ・フィッシャー)の3部門に止まった。これについては、このシーズンのトニー賞の項で改めて触れる。

 

The Chronicle of Broadway and me #29

★1992年5月~6月(その3)

#28で引用したフランク・リッチによる『Five Guys Named Moe』批判の中の「実際の内容以上に見せかけるユーロ・ディズニーランドのハッタリのごときウエスト・エンドの美学」という表現は、『Miss Saigon』(@Broadway Theatre 1992年5月26日 20:00)にはそのまま当てはまる。
オープンの年にチケットを入手できなかった話題作を1年後に観ての当時の感想は次の通り。

<ごぞんじロンドン産のヒット・ミュージカルで、昨年4月ブロードウェイに上陸し、キャスティングの人種問題等の話題を振りまきながらニューヨークでも大ヒットとなった。昨年はチケットが取れなかったが、今年は公演前日に劇場窓口で買って前から12列目の中央の席だったし、隣席のアメリカの老婦人は当日買えたと言っていた。このチケットの売れ行きの鈍りと無関係ではないと思われるのが、主演の交代。昨年のトニー賞の主演男優賞と主演女優賞を獲ったジョナサン・プライス(休暇中とか)とレア・サロンガが、それぞれフランシス・ルイヴィヴァーとライラ・フロレンティーノに替わっている。今の2人も悪くないけど最初の2人は本当によかったと、オリジナルのキャストでも観たという隣席の婦人は幕間に言っていた。
オリジナル・キャストの印象が強く残るという現象は一般的なものだろうから断言はできないが、エンジニア(ポン引き)を演じたジョナサン・プライスに関しては、昨年トニー賞授賞式で披露されたショウの一部をTVで観た限りでは、やはりその個性はかなり強烈。本筋のベトナム女性とアメリカ兵とのメロドラマ(サイゴン陥落前の出会いから始まり、アメリカ兵の脱出・帰国、女性が出産した子供を巡る問題へと進む)の底が浅いために、本来なら狂言回しの立場にあるエンジニアが実質的主役にならざるを得ず、ショウの成否は、舞い下りる実物大のヘリコプターやキャディラックやダンス・ナンバー等にではなく、ひたすらエンジニアという人物の魅力にかかる。そんな中でフランシス・ルイヴィヴァーもかなり善戦したが、ドラマ自体の弱さをカバーするには到らなかった、というのが率直な感想。これがプライスならOKだったのかどうか。観て確かめたい気もするが、今は2度も観たくないという気持ちの方が強い。アジア系の人たちが多く観にきていたが、後味が悪くはなかっただろうか。
大詰めでエンジニアが歌う「The American Dream」というナンバーが『Gypsy』の中の「Rose’s Turn」によく似ていた。>

「キャスティングの人種問題」というのは、ヴェトナム人であるエンジニアをイギリス人俳優のジョナサン・プライスが演じることに対するアメリカの俳優組合の抗議だったと思う。アジア系の役者が演じるべきだ、という。
ちなみに、フランシス・ルイヴィヴァーはエンジニアを演じた最初のアジア系アメリカ人俳優として歴史に名を残す。血筋は中国×フィリピンで、香港生まれハワイ育ちだとか。残念ながら2001年に白血病で亡くなっている。享年40歳。

この作品自体に対する低評価は今も変わらない。

The Chronicle of Broadway and me #28

★1992年5月~6月(その2)

この年のトニー賞授賞式は5月31日。その日のニューヨーク・タイムズのアート&レジャー版第一面に同紙演劇担当主筆フランク・リッチの書いた、「On Broadway, the Lights Get Brighter」というタイトルのコラムが載っていた。ざっと、こんな内容。

<死んでいると言われるほど元気のなかった近年のブロードウェイだが、今シーズンは経済的にも内容的にも非常に盛り上がった。それも、イギリス産のショウに頼ることなく、多くの優れたアメリカのショウによって活況を呈した。若い世代の有能な作家や演出家も続々現れている。もちろん依然解決されるべき問題はあり、必ずしも手放しで喜んでいられるわけではないが、まだまだブロードウェイには未来がある。>

このコラムには個々のショウについての評価も細かく書かれているのだが、そこで、「取るに足らないショウであり、実際の内容以上に見せかけるユーロ・ディズニーランドのハッタリのごときウエスト・エンドの美学にニューヨークの観客が惑わされるのも、これで終わりを告げるだろう。」と手厳しく批判されているのが、ロンドンからやって来た『Five Guys Named Moe』(@Eugene O’Neal Theatre 1992年5月25日20:00)。それに(気弱に)反論している当時の感想は次の通り。

<タイトルからわかる(人はわかる)通り、偉大なるアフリカン・アメリカン、ルイ・ジョーダンの音楽によるミュージカルで、演じているのも6人のアフリカン・アメリカン俳優。
落ち込んでラジオに合わせてブルーズを歌っている青年の前に、ラジオの中からモーという名の5人の男が現れ、青年を励ます。……というのが筋と言えば筋だが、基本的にはルイ・ジョーダンのイカしたナンバーが次から次に出てくる歌と踊りのショウだ。
フランク・リッチは「モー」に対して厳しいが、そこには“ロンドン産”に対する必要以上の嫌悪がある気がする。
確かにミュージカルとしてはスケールが小さいし、現代的な切り口を持っているわけでもない。しかし、愉快で楽しい踊りと共にルイ・ジョーダンのナンバーがいきいきと演奏され歌われると、それだけで劇場全体がハッピーになる。ルイ・ジョーダンの音楽が持っている“今も生きる”力を十二分に引き出した素敵なショウであり、そのリズムは現代的だ。
驚いたのが、第1幕の最後のナンバー「Push Ka Pi Shi Pie」。突然、客席にサビの部分のナンセンスな歌詞が書かれたカードが降ってくる。それで客にコーラスを促し、さらに、舞台から通路に下りた役者が客を引き連れて踊りながら舞台へと行進する。この行進に参加した客が50人くらいいたんじゃないか。劇場は盛り上がり、幕が下りても興奮状態。その余韻もあって、第2幕の「Caldonia」のコール&レスポンスでも客席はノリノリ。こうした“客いじり”は、確かにオフ・ブロードウェイ的。リッチとしては、その辺も気に入らないのかもしれないが、観客としては単純に楽しめる。>

翌1993年、当のロンドンを訪れるに及んで、なるほどリッチの言う通りだな、とロンドン産ミュージカルについての認識を新たにするのだが、この時点ではまだわかっていない。まあ、この作品については、感想で書いている通りルイ・ジョーダンの楽曲のよさにノセられて弁護した面もあるが、この種のショウとしての出来は悪くなかったと今でも思う。
結果的に、トニー賞では作品賞と脚本賞のノミネーション枠には入った。プロデュースはキャメロン・マッキントッシュ。脚本は役者としても知られるクラーク・ピータース。

The Chronicle of Broadway and me #26

★1991年6月~7月(その9)

トニー賞の結果を参考に1990/1991シーズンを振り返る。

作品別獲得数を多い順に並べると、

『The Will Rogers Follies』6(ミュージカル作品賞/楽曲賞/演出賞/振付賞/衣装デザイン賞※/照明デザイン賞※)
『The Secret Garden』3(脚本賞/助演女優賞/装置デザイン賞※)
『Miss Saigon』3(主演女優賞/主演男優賞/助演男優賞)
『Fiddler On the Roof』1(リヴァイヴァル作品賞※)
(※印のカテゴリーはこの時代、ミュージカルとプレイが混合で候補になっている。また、この年、編曲賞、音響デザイン賞はない。)

『The Will Rogers Follies』『The Secret Garden』に集中しているのは、ロンドン産の『Miss Saigon』に対するニューヨーク演劇界の反発のようにも思えるが、他に作品がなかったとも言える。個人的には『Once On This Island』に一つぐらい回してほしかったが。
そう、このシーズンは『Miss Saigon』が登場しているんですね。イギリス人役者の起用で俳優組合と揉めたりしたことも含め超話題作になっていたせいでチケットが買えなかったけど。観るのは翌1992年5月。
ちなみに、『Miss Saigon』以外で、このシーズンに登場して観なかったミュージカルは次の5本。いずれも渡米前にクローズしている。

『Oh, Kay!』
『Buddy』
『Those Were the Days』
『Shogun, The Musical』
『Peter Pan』

『Buddy』はチケットを買いに劇場まで行ったら、ドアにクローズの告知が貼ってあったのを覚えている。結局1993年にロンドンで観ることになる。
『Peter Pan』はキャシー・リグビー主演版で、1990年12月11日プレヴュー開始、1991年1月20日クローズ。おそらくだが、クリスマス・シーズンの上演で「ブロードウェイ・ミュージカル」の称号を獲得した後、全米ツアーに出たのではないか。その後も断続的に続いていたとおぼしく、1999年にブロードウェイに戻ってきた時に観る。

俯瞰してみると『Miss Saigon』は、1980年代から1990年代にかけてのミュージカル版ブリティッシュ・インヴェイジョンの最終ランナーのように思える。
そして翌年、アメリカン・ミュージカルが盛り上がる。

追悼の意を込めて書き添えておくと、このシーズンのプレイの目玉はニール・サイモンの『Lost In Yonkers』で、トニー賞では作品賞を含め4部門で受賞している。
ご冥福をお祈りします。

The Chronicle of Broadway and me #24

★1991年6月~7月(その7)

『The Will Rogers Follies』(@Palace Theatre 1991年6月7日 20:00)の主要スタッフは、作曲/サイ・コールマン、作詞/ベティ・コムデン&アドルフ・グリーン、脚本/ピーター・ストーン、演出/トミー・テューン。
コムデン&グリーンにとっては最後の、コールマンにとっては最後から2番目の、ストーンにとっては最後から3番目のブロードウェイ・ミュージカルとなる。レジェンドたちが人生の終盤に集結し、力を合わせて、“古き佳き時代”の誇りを思い出させる一石をブロードウェイに投じた。そんな印象の良作。

観劇当時の感想。

<6月2日に発表されたトニー賞でミュージカル作品賞を受賞したのが『The Will Rogers Follies』演出・振付の トミー・テューン は、11月に来日するGrand Hotelに続いて、2年連続その2部門でトニー賞を受賞した。音楽はCity Of Angelsのサイ・コールマン。
タイトル中の「Follies」は「ブロードウェイのレヴュー史上最高の評判と最長の継続期間を残した」(スタンリー・グリーン「ブロードウェイ・ミュージカル from 1866 to 1985」)と言われるシリーズ Ziegfeld Folliesのことで、ブロードウェイの大プロデューサー、フローレンツ・ジーグフェルドがこのタイトルで1907年から1931年までの間に21本のレヴューを作り、彼の死後も同タイトルのレヴューが1934、1936、1943、1957年に上演されている。
「フランスのレヴューのスタイルに基づき、政治、社会、演劇に対する風刺に満ちた様々な場面をつなぎ合わせたエンターテインメントであるフォリーズ(中略)の売り物は、その豪華な舞台と着飾ったショー・ガールたち、最新の題材を扱った笑劇的スケッチ、コメディアン、次から次へと出てくる歌の数々であった」(スタンリー・グリーン前掲書)。
『The Will Rogers Follies』は、サブ・タイトルに “A Life In Revue”とあるように、Ziegfeld Folliesのスターでもあったウィル・ロジャーズというアメリカ人の生涯を同作品特有のレヴューの形を借りて綴っていく、という構成のミュージカルだ。したがって当然「豪華な舞台と着飾ったショー・ガールたち」が出てくるわけで、そうしたショウ場面は華やかで実に楽しい。伝説のZiegfeld Folliesもかくや、と思わせる。
が、一方で困った場面もある。と言うのは、ウィル・ロジャーズの売りのひとつに「時事問題を織りまぜたモノローグ」という芸があり、それもここで再現されるのだが、これがわからない。演じるのは映画俳優としても知られるキース・キャラダイン。彼の口調や物腰は “おそらく” ロジャーズにそっくりなのであり、話は “おそらく” アメリカ人の大人であれば誰でもが理解し、笑え、時に感動する内容なのだと思う。そして、その辺り、古き佳きアメリカを思い起こさせる部分がこの作品をトニー賞に導いたのだろう。が、そうした知識もなければ英語も解さない35歳の日本人には、全く楽しめない部分なのだ。
とは言え、もう一度見たいミュージカルではある。舞台前に張り出した花道が見えにくいバルコニーの後ろの方じゃない席で。>

トニー賞の作品賞を獲った話題作を、授賞式開催週に観ているわけで、チケットも渡米後の入手だから、いい席が獲れるはずがない。観られただけよかったと言うべきだろう。
プレヴュー開始がこの年の4月1日、正式オープンが5月1日だから、トニー賞締め切り寸前の開幕だったわけだ。で、公演は1993年9月5日まで続く。WOWOW(当時の日本衛星放送株式会社)が出資していて、日本での中継放送が後に実施された。

感想に、「伝説の『Ziegfeld Follies』もかくや」と書いているが、そのWOWOWの映像を(確か録画で)観ながら、それほどでもないな、と思ったのを覚えている。テレビの画面だと「着飾ったショー・ガールたち」の人数が案外少なく見えたのだ。制作費の高騰と役者の人数減という、その後ブロードウェイで顕著になる問題は、この頃からすでに始まっていたのかもしれない。ハイ・コスト/ロウ・キャスト、なんちゃって。
しかし、トミー・テューンのショウ場面作りのあの手この手、抽出しの多さは素晴らしく、楽しませてもらった。
サイ・コールマンはここでも好調。ことに、ロジャーズの飛行機事故死に被せて最後に歌われる「Never Met A Man I Didn’t Like」は、コムデン&グリーンの心温まる詞を得て名曲となった。

主演のキース・キャラダインは、演じているウィル・ロジャーズの個性に合わせていることもあるからだろう、それまで観てきたミュージカル俳優とは違った芸風で、うまい下手はよくわからなかったが、それなりの華があり、好感は持った。
女優陣では、ロジャーズの妻役で『City Of Angels』オリジナル・キャストのディー・ハッティを観られたのがうれしい。
しかし、何と言っても“ジーグフェルドのお気に入り”という役名で登場のケイディ・ハフマンが印象に残る。テンガロンハットにウェスタンブーツのカウボーイ・スタイルでありながらショートパンツという、明らかな“お色気担当”ファッションで笑顔を絶やさない。そんな役どころが、そのまま10年後の『The Producers』の秘書につながって彼女にトニー賞をもたらすことになる。