The Chronicle of Broadway and me #048

19935月~6月(その4

The Who’s Tommy(5月31日20:00@St. James Theatre)は、イギリスのロック・グループ、ザ・フーが1968年に発表した“ロック・オペラ”アルバム『Tommy』の舞台ミュージカル化だ。過去に、映画化、コンサート形式の舞台化はされたが、ミュージカルとしての舞台化は初めて。
ニューヨーク・タイムズの劇評家フランク・リッチは、トニー賞授賞式当日に載った「A New Generation on Old Broadway」というタイトルの記事の中で、この舞台を「ブロードウェイの権威の思考に対する過激な挑戦である」として、次のように言っている。

――『The Who’s Tommy』は、ブロードウェイで初めての、ロックの作曲家(ザ・フーのピート・タウンゼンド)との本当の共同作業であり、’50年代にロックンロールがブロードウェイのポップ・ミュージックをヒット・パレードから追い出して以来ブロードウェイ・ミュージカルの観客を奪い続けてきた容赦なき文化勢力であるロック・ミュージックへの、初めての知的な適応である。
何年にもわたって、ブロードウェイは、茶化したロック(『Bye Bye Birdie』)、見せかけのロック(『Hair』『Jesus Christ Superstar』)、そして、つまらないラス・ヴェガス型ロック・コンサートの複写(『Beatlemania』『Buddy』)を試してきた。そしてついに『The Who’s Tommy』で、本物のロックがミュージカル劇場のジェットコースターに取り込まれた。――

この見解に対する意見も含む、当時の感想は次の通り。

<オリジナル作者である筋金入りのロック・ミュージシャン、ピート・タウンゼンドが直接関わっている(作曲・作詞・脚本)こともあってだろう、音楽的な面だけでなく、作品全体が “ロック・ミュージカル”と呼ぶにふさわしいダイナミズムに溢れていたのは確かだ。
従来のミュージカルよりやや音量が大きく、かつベースが強調された音楽。幾何学的なイメージでデザインされた抽象性の強い装置(多様な空間を現出させる白いドアと白い窓をはじめ舞台上を天地左右自在に動く大道具、スライドによって変幻自在の背景を作り出したり時には鏡になったりするバックのスクリーン、ズラリと並んだモニターに映し出されるビデオ)。ポスターやTシャツに使われている色(オレンジ、黒、白、赤、黄)のイメージを生かした衣装や照明。……等々が、観ている側の印象で言うと、凄まじい勢いで洪水のように押し寄せてくる。
特に第1幕は、ウッドストックを知る世代には懐かしい「See Me, Feel Me」(テーマ曲的存在)や「Acid Queen」「Pinball Wizard」という耳慣れたヒット曲が含まれることもあってか、リッチの言葉を借りれば“ジェットコースター”のように、あれよあれよと言う間に終わってしまう。それに比べると第2幕、特にトミーが鏡を割って自閉の壁を破ってから(そういう話なんです)は、大仕掛けの装置が動く割にはやや退屈した。
むしろ第2幕では、トミーの叔父が1人でヴォードヴィル調の歌を気儘な感じで歌う、オーソドックスなスタイルのシーンの方が印象に残った。が、こういう人間臭いシーンは、このミュージカルの中では浮きかねない。と言うのも、“洪水のように押し寄せてくる”舞台の諸々の要素の中で、人物もその一要素と化し(「Pinball Wizard」の魅力的なダンス・シーンですら)、一括してプログラム化されているような印象を受けるからだ。
もちろん、ある意味で、ブロードウェイの舞台は全て冷徹なプロフェッショナルな感覚でプログラム化されている訳だが、それはあくまで舞台の質の高さを維持するためで、舞台の魅力は、そこで人々がどんな輝きを見せてくれるかにあるはずだ。出演者が記号に過ぎなくなってしまっている『The Who’s Tommy』は、そういう見方をすると魅力に乏しい。
トニー賞の審査員も同じように感じたのかどうかはわからないが、『The Who’s Tommy』からの出演者のノミネートは助演女優賞と助演男優賞の2部門だけで、結局どちらも受賞しなかった。
ここでさらに言えば、猿之助スーパー歌舞伎八犬伝』(装置/ハンス・シャーヴァノッホ)の大外連(だいけれん)を観ている(5月6日)目には、ハイテクを駆使した『The Who’s Tommy』の舞台装置も、面白くはあったが、さほど驚きではなかった。
もう一つ、これは『The Who’s Tommy』自身の問題ではなく、フランク・リッチの記事についての話なのだが、“本物のロック・ミュージカル”が1993年の時点で新しいか、という問題がある。
商業的なことを別にすれば、今やロックは世界の様々なポップ・ミュージックの一ジャンルに過ぎない。ブロードウェイにとって初めての“本物のロック・ミュージカル”だと言っても、20年前ならいざ知らず、今の時点で、そのこと自体が観客にとって特別な意味があるとは思えない。そういう意味では、“本物のロック・ミュージカル”だからといって、それが“茶化したロック・ミュージカル”や“見せかけのロック・ミュージカル”より優れている、とも言えない。
また、フランク・リッチは『The Who’s Tommy』について、「近年、ブロードウェイに氾濫しているノスタルジアものとは違い、我々が今、リアルタイムで生きていることを感じさせてくれる」と、その現在性を賞賛したそうだが(「シアター・ガイド」誌)、ある年代の人々にとっては『The Who’s Tommy』は充分にノスタルジックなのではないか(ただし、それがいけないとは思わない)。
どうも、リッチの褒め方は、少し見当違いなんじゃないか。
僕の結論を言えば、『The Who’s Tommy』は一見に値する。その面白さは、ディズニーランドの「キャプテンEO」の如し(ちなみに、このアトラクション、嫌いではありません)。>

“ロック・ミュージカル”という概念に対して懐疑的なのは、ずっと同じ。
それとは別に、この作品も、あんなに派手な装置を使わずに作られていたら、また別の印象があっただろうに、と少し残念に思わないでもない。とはいえ、2年強のロングランにはなったわけだし、まあ、いいのか。ミュージカル大型化が進む時代に大がかりな装置好きの演出(共同脚本)のデス・マカナフを起用した時点で、ああなることは必定だった、ということで。
ウェイン・シレントの振付は躍動的でよかった。
マカナフ×シレントのコンビは1995年に『How to Succeed in Business Without Really Trying』のリヴァイヴァルで再びブロードウェイに登場することになる。

ちなみに、楽曲の一部は、ザ・フーのメンバーであるジョン・エントウィッスルとキース・ムーンが書いていて、上に書いた第2幕のヴォードヴィル調の歌はキース・ムーン作。ブルース・シンガー、ソニー・ボーイ・ウィリアムスン楽曲の改作も1曲ある。

役者は……。
トミー役がマイケル・サーヴェリス。『Fun Home』の父親役でトニー賞主演男優賞を獲る、あの人。これがブロードウェイ・デビュー。鮮烈と言っていい印象的なデビューだった。受賞は逃したが、トニー賞助演男優賞にノミネート。
もう1人ここでブロードウェイ・デビューしているのがノーム・ルイス。精神科医(セラピスト?)役でソロで歌う場面もあった。
そのノーム・ルイスと『Side Show』の初演で共演するアリス・リプリーも出ているが、あまり覚えていない。
「Acid Queen」を熱唱するジプシー役シェリル・フリーマンのことは『Stars In The Alley』#046)のところで書いた。
印象的な叔父さん役はポール・カンデル。いとこのケヴィン役のアンソニー・バーライルもダンサー出身らしいシャープな身のこなしで記憶に残ったが、その後、役者としてはブロードウェイには出ていない。

The Chronicle of Broadway and me #047

19935月~6月(その3

『The Goodbye Girl』(5月30日15:00@Marquis Theatre)は、先日亡くなったニール・サイモンが脚本を書き下ろした1977年の同名映画の舞台ミュージカル化。例によって当時の感想から。

<ブロードウェイ入り直前に演出家が交代するという事件があったが、なんとか開幕に漕ぎ着けた。オープニング・ナイトにはTVの特別番組で劇場前から中継を行なう等、宣伝に努めたようだ(この番組では、練習風景や開幕当日の舞台のフィナーレから楽屋の様子まで出てきて、出演者や製作者の生の声が聴かれるというサービスぶりだった)が、ニューヨーク・タイムズの評が悪く、結局苦戦を強いられることになったらしい。
とはいえ、めでたく最優秀主演男優賞と最優秀主演女優賞でトニー賞にノミネートされたマーティン・ショートとバーナデット・ピータースという2人のスターの存在もあって、劇場はそれなりに盛り上がっていた。
特に、マーティン・ショートは文字通りの熱演で、献身的に動く。コメディアンの面目躍如だ。これでダンスができたら、と思わずにいられない。
一方のバーナデット・ピータースは、観た日は元々ハスキーな声をさらに嗄らしていて苦しげだったが、それでも歌うほどに声が出てくるというところは、さすがの舞台人。演技をしているんだかいないんだかわからないという、ちょっと桃井かおり=岸本加代子系統の不思議なキャラクターで、独特の魅力を放っていた。
その2人をもってしても、諸々の評で書かれている“ミュージカルにすることの必然性のなさ”は如何ともしがたく、決め手に欠ける舞台になった。同じ映画のミュージカル化の『Kiss Of The Spider Woman』が見せ場から全体を発想したらしいのとは逆に、『The Goodbye Girl』は完成されたコメディに歌と踊りをくっつけていったと覚しい。そのせいで、見せ場は、それ自体をいかに魅力的にするかよりも、いかに本筋に溶け込ませるかということの方に重きを置いて作られる結果になったように見える。
本筋とあまり関わりのない役のせいか、キャロル・ウッズが貫祿たっぷりの歌をのびのびと歌い、印象に残った。
また、3つのドアを配した小さなセットを舞台中央で回転させることで、場面転換をイメージさせる方法は面白かった。>

バーナデット・ピータースとの不幸な出会い。その後、#043に書いたように、並んで観劇する仲になるのだが(笑)。

楽曲のことをまるで書いていないのがひどい(苦笑)。作曲マーヴィン・ハムリッシュ(『A Chorus Line』)、作詞デイヴィッド・ジッペル(『City Of Angels』)。
最初に書いた演出家の交代は、ジーン・サックス→マイケル・キッド。ニール・サイモン作品に強いプレイ系演出家から、ダンサー出身の振付家的演出家への変更。マイケル・キッドと言えば、とにもかくにも映画『The Band Wagon』の監督。よりミュージカルらしく、というプロデューサーの意図が働いたと見るべきだろう。
ちなみに、振付(musical stagingという表記だが)はグラシエラ・ダニエル。もちろん、舞台用の脚本はニール・サイモン自身。これだけの布陣をしても、うまくいかない時にはうまくいかない。なお、複数プロデューサーの中にオフィス・トゥー・ワンの名前があった。

The Chronicle of Broadway and me #046

19935月~6月(その2

トニー賞授賞式体験記の前に、その前哨戦の無料イヴェントStars In The Alley(6月2日12:00@Shubert Alley)の話から。
トニー賞授賞式はアメリカではCBSのネットワークで中継される。映画と違って、ブロードウェイという極めて限られた地域でしか観られないショウを全米に向けてアピールできる年に一度の貴重な機会。ところが、この年は、プロ・バスケットボールNBAの東地区プレイオフで、ニューヨーク・ニックスがシカゴ・ブルズと激しく争っていて、もつれた場合、トニー賞授賞式の6月6日に試合がある可能性があった。そうなると地元ですらTVのチャンネルはバスケット中継に集中する。そんなこともあってか、盛り上げイベント『Stars In The Alley』は熱の籠もったものになっていた。……ということが当時の感想に書いてある。以下、その続き。

<ブロードウェイと八番街、45丁目と44丁目の間にあるミンスコフ劇場と、その西側に背中合わせに建っているブース劇場(45丁目側)+シューバート劇場(44丁目側)との間に、45丁目と44丁目をつなぐ、やや幅の広い小道、シューバート・アリィがある。
そこに作られた仮設ステージに、水曜昼公演の前、正午からの約1時間、次々にブロードウェイ・ミュージカルの出演者たちが登場して、歌を披露した。
司会は『Jelly’s Last Jam』出演中のベン・ヴェリーン。
まず、男3、女2という編成のコーラス隊が出てきてブロードウェイ・ナンバーをメドレーで歌い、次が『Jerome Robbins’ Broadway』のオリジナル・キャストで、日本公演にも来たデビー・シャピロ、続いて『Bura Africa: An African Journey In Music』というオフ・オフ・ブロードウェイ・ミュージカルのスターで、アフリカ人のスリ・ドゥマクデ (と読むのだろうか)が登場した後、上演中のブロードウェイ作品に移る。
まずは『She Loves Me』からヒロインのジュディ・キューンが登場。ユーモラスなラヴ・ソング「Ice Cream」を歌う。
スタンダップ・コミックのジュリー・バドによる作詞家ドロシー・フィールズのブロードウェイ作品メドレーを挟んで、三代目のウィル・ロジャース(『The Will Rogers Follies』)役者ラリー・ギャトリンが登場。名曲「Never Met A Man I Didn’t  Like」を披露。
ここからトニー賞最優秀作品賞候補作が続く。
『The Goodbye Girl』からはキャロル・ウッズ。マイク不要の声量で歌ったのが「Too Good To Be Bad」。
次は『Kiss Of The Spider Woman』。まずチタ・リヴェラが舞台に上がり喝采を浴びる。ただしチタは歌わず、ブレント・カーヴァー(主演男優賞候補)とアンソニィ・クリヴェロ(助演男優賞候補)に、マール・ルイーズとカースティ・カーナハンの女優陣が加わって、「Dear One」を歌う。
『The Who’s Tommy』からはシェリル・フリーマン。「Acid Queen」をバンドをバックに熱唱。
最後の『Blood Brothers』はキャスト全員が舞台に登場。主演女優賞ノミネートのステファニー・ローレンスを中心にして、本番の舞台でも最後に歌われる「Tell Me It’s Not True」を感動的に歌い上げた。
途中、プレイの出演者も舞台に上がって挨拶がてら出演作を宣伝。司会のベン・ヴェリーンも繰り返し『Jelly’s Last Jam』の劇場の場所を紹介するなど、和やかな中にも必死の営業努力というやつがあって、ショウ・ビジネスの厳しさを観た気もした。>

このイヴェント、やらない時期もあった気がするが、続いているようだ。

さて、本編。The American Theatre Wing’s Tony Awards(6月6日20:00@Gershwin Theatre)を観ることができたのは、#36で書いたチケット・エージェントのM夫妻のお誘いがあったから。当時のトニー賞授賞式は関係者絡みでないと観られなかった。関係者にそれなりの枚数のチケットが割り当てられていて、それを適当な友人知人に振り分ける、というシステムなのだろう。なにしろ、当時はラジオ・シティのような巨大な劇場じゃなかったから。ラジオ・シティになってからは、そのクローズドなチケットと別に、余裕のできた席の分がオープンなチケットとして売られているのだと思う。
で、M夫妻のチケットは、劇評家としても知られる故大平和登氏からのものだった。そんな経緯なので、お代はそれなりに高かったが、トニー賞授賞式を観られると同時に大平さんにお目にかかることもできるという、おカネでは買えない貴重な出来事となった。
以下、その時のレポート(要点のみ)。

<ドレス・コードに従い、生まれて初めてのタキシード (レンタル)を着てガーシュウィン劇場へ。

受賞者については、触れられることの少ない特別賞について書いておく。
一つは、リチャード・ロジャーズとオスカー・ハマースタイン二世が初めて組んだ1943年のミュージカル『Oklahoma!』に贈られた。ロジャーズ&ハマースタイン、コンビ結成50周年記念というわけだ。受賞のために登場したのが振付のアグネス・デ・ミル。伝説の領域に足を踏み入れている人で、このミュージカルにおける彼女の振付は、『On Your Toes』におけるバランシンの仕事と並んで、その後のミュージカルに大きな影響を残したと言われる。グレゴリー・ハインズの押す車椅子に乗って現れたが、受賞の挨拶もかくしゃくたるものだった。
もう一つの受賞は、ラ・ホーヤ・プレイハウス。サンディエゴの郊外にある劇場で、『The Who’s Tommy』の試演は、演出家デス・マカナフがこの劇場の芸術監督であることもあって、ここで行なわれた。こうした地方劇場への特別賞はこれで11回目らしいが、この賞には、アメリカン・エキスプレスからの$25,000の副賞が付属している。言ってみれば、ブロードウェイで実を結ばせるために根を広げる作業をしているわけで、業界が一体になってのこうした努力なしには劇場街の未来もないのだ。
もう一つ、名誉賞という賞もあって、それが、劇場関係者のためのエイズ基金、Broadway Cares/Equity Fights Aidsに贈られた。1987年10月以来$8,000,000 を集めているというこの基金、各劇場でも出演者が募金を促している姿が見られるし、『On A Clear Day You Can See Forever』のオープニング・ドアーズ・プロダクションズなどは、この基金集めを公演目的の重要な要素にしている。トニー賞授賞式の入場料にも基金への募金が含まれていて、入場者には全員、募金をした印の赤いリボンが渡された。単なる思いつきではない確かな運動であることが素晴らしい。

TVでは放映されなかった事実も書き記しておく。
授賞式を前に、式のプロデューサーがノミネートされた人々に向けて注意事項を並べたのだが、その要旨は次のようなことだった。
受賞した場合、舞台上での挨拶は1分以内に終わらせてほしい。時間が迫ってきたら合図としてオーケストラが演奏を始め、その演奏の音量がだんだん大きくなる。時間内に終わらない場合、オーケストラの音であなたの声は聴こえなくなるでしょう。
実に味気ないが、Blue Man Group『Tubes』(#036のプロデューサー出口最一氏によれば、その裏事情は次のようなことらしい。
トニー賞授賞式のTV中継は毎年行なわれているが、昨年までのプロデューサーは舞台畑の人だった。そのため、式の現場を優先し、受賞者の挨拶が長引いても容認していた。結果、予定時間をオーバーし、TV放映も延長せざるを得なかった。その問題で、TV局側はプロデューサーと話し合ったが折り合えず、結局、TV畑のプロデューサーに替わることになった。
この辺は劇場街とTVとの力関係の問題だろうが、舞台を愛する人たちの年に一度のお祭、できれば時間を忘れて楽しみたいものだと思った。

授賞式後はマリオット・マーキーズ・ホテルに場所を移してパーティ。
パーティ用に授賞式出席者の名簿が予め用意されていて、自分の名前の後ろに書いてある番号のテーブルに着くのだが、この名簿には出席者全員の名前が載っている。つまり、スターの名前と共に自分の名前も載っているのだ。ちなみに、Mで始まる僕の名前の8つ上には司会者だったライザ・ミネリの名前があった。最高の記念品だ。>

『Oklahoma!』初演スタッフを代表して特別賞受賞のために登壇したアグネス・デ・ミルは、この年の10月に亡くなっている。

名誉賞受賞のBroadway Caresは、もちろん今も続いている。カーテンコールの際にキャストから勧誘があった時はだいたい寄付してきたが($1)、いったいいくらになったやら。……たいしたことないか(笑)。

出口最一氏とは、この渡米以前に東京でお目にかかっている。ブルーマンで注目されていた出口氏を囲んで、何人かで昼食をとりつつお話をうかがう機会があったのだ。その後も何度かニューヨークでご一緒させていただいた。そう言えば、1996年、日本にはまだ評判が伝わっていなかった『Rent』の情報をいち早く教えてくださったのも彼だった。2015年にオフ・ブロードウェイでオープンした『Trip Of Love』の構想も20年ぐらい前に聞かされたいた。その粘り強さ、実行力には感服する。

The Chronicle of Broadway and me #045★

19935月~6月(その1

9度目のブロードウェイは1993年の初夏(37歳)。円高はまだ進行中。

1月にクリントンがアメリカ大統領に就任したことは#37に書いたが、そのクリントンが動いて、イスラエルとPLO(パレスチナ解放機構)との間でオスロ合意が成立(8月)。そのクリントン就任前、やはり1月に父ブッシュが大統領としての締めの仕事っぽく、ロシアのエリツィン大統領と第二次戦略兵器削減条約に調印。素人目には世界が好転しそうな気配はあったのだが。トランプ時代を迎えた今となっては、それも遠い昔の幻なのか。
ソ連崩壊後の東欧のゴタゴタは、まだまだ続いていて、ロシア国内でもエリツィンと反対勢力との間で市街戦(10月3日)。その1週間後にエリツィン訪日(!)。
国連監視下で行なうカンボジア総選挙の準備段階で、4月にボランティアの中田厚仁が、5月に文民警察官の高田晴行が殺害されている。当時の国連事務総長は明石康。

1993年の国内最大の事件は、世間的には自民党が政権を失ったことだろう。バブル崩壊の余波で政財界絡みの積年のカネの問題が次々と露見して、自民党内でカネを動かせた政治家が求心力を失い内部分裂。結果的に8月、非自民・非共産の連立政権(細川内閣)が誕生することになった。……と、そういう感じか。
もろもろ調べていて思うのは、ついこの間までは、カネの問題で政治家が辞職したり逮捕されたりするのが当たり前だったということ。昨今の在り様は異常としか思えない。
昨今の在り様ってことで言うと、日本初のイージス艦が3月に就役している。
皇太子の結婚もこの年(6月)。皇室関係では、天皇・皇后の即位後初の沖縄訪問もあった(4月)。
バブル最後っ屁のような、ららぽーとスキードームSSAWS(ザウス)が開業したことは書いておきたい。
あと、ビーイング・ブームのピークだったらしい。6月28日 付けオリコンシングルチャートでビーイング所属ミュージシャンの楽曲が1位から6位までを独占だとか。
服部良一が1月30日に逝去。個人的にはこれが一番大きい事件かな。

観劇リストは次の通り。

5月29日 20:00 On A Clear Day You Can See Forever@Harold Clurman Theatre 412 W. 42nd St.
5月30日 15:00 The Goodbye Girl@Marquis Theatre 1535 B’way
5月30日 19:00 Balanchine Celebration/New York City Ballet@New York State Theater/Lincoln Center
5月31日 20:00 The Who’s Tommy@St. James Theatre 246 W. 44th St.
6月 1日 20:00 Blood Brothers@Music Box Theatre 239 W. 45th St.
6月 2日 12:00 Stars In The Alley@Shubert Alley
6月 2日 14:00 Fool Moon@Richard Rodgers Theatre 226 W. 46th St.
6月 2日 20:00 Kiss Of The Spider Woman@Broadhurst Theatre 235 W. 44th St.
6月 3日 20:00 Guys And Dolls@Martin Beck Theatre 302 W. 45th St.
6月 4日 20:00 An Evening With Liza Minnelli & Charles Aznavour In Concert@Carnegie Hall 57th St. and 7th Ave.
6月 5日 14:00 She Loves Me@Criterion Center Stage Right/Olympia Theatre 1530 B’way
6月 5日 20:00 Crazy For You@Shubert 225 W. 44th St.
6月 6日 15:00 Jelly’s Last Jam@Virginia Theatre 245 W. 52nd St.
6月 6日 20:00 The American Theatre Wing’s Tony Awards@Gershwin Theatre 222W. 51st St.

最後のは、あのトニー賞授賞式。この頃は関係者の伝手がなければ参加できなかった、って自慢話は次項で。

The Chronicle of Broadway and me #041

199212月~19931月(その5

Tommy Tune Tonite!(1月3日15:00@Gershwin Theatre)は年末から年始にかけての1週間だけのショウ。#37に、この時期に渡米した動機は、このショウの終了に合わせて、か、と疑問形で書いたが、当時の感想を読んだら、その通りのことが書いてあった(笑)。
その感想の続き。

<1990年『Grand Hotel: The Musical』#13)、1991年『The Will Rogers Follies』#24)と2年続けてトニー賞で演出と振付の2部門で受賞したトミー・テューンは、今やブロードウェイでは伝説的な存在になりつつあると思う。
シャーロック・ホームズを主人公にした1965年の『Baker Street』のコーラスでブロードウェイにデビュー。TV番組「The Dean Martin Show」のアシスタント振付の後、2本の映画、1969年『Hello, Dolly!』と1971年『The Boy Friend』に出演。ブロードウェイに戻り1973年の『Seesaw』でトニー賞助演男優賞。1976年にオフの『The Club』で演出・振付を手がけ、1978年にはその演出・振付の才をブロードウェイの『The Best Little Whorehouse In Texas』でも発揮して両部門でトニー賞ノミネート(演出はピーター・マスターソンと共同)。同じく演出・振付を手がけた1980年の『A Day In Hollywood/A Night In Ukraina』でトニー賞振付賞(共同振付トミー・ウォルシュ)を、1982年の『Nine』では演出賞を受賞。続く1983年の『My One And Only』では久々に出演もして主演男優と振付(トミー・ウォルシュと共同)でダブル受賞。計9個のトニー賞を獲得したトミー・テューンだが、4つの異なる部門での受賞、同じ2つの部門での2年連続受賞という記録を持つのは史上彼1人。
こういう人物が『My One And Only』以来約10年振りにブロードウェイの舞台に立つ(1985年『My One And Only』の来日公演を含むツアー、昨年のジーン・サックス Gene Saks演出による『Bye Bye Birdie』のアメリカ国内ツアー等には出演)のだから、ひと目観たいと思うのが人情。それも、『Grand Hotel: The Musical』『The Will Rogers Follies』を観て感激した人間なら当然。
初めに断っておくと、これだけの期待を持ちながら、一方で、トミー・テューンに関してマイナスの情報も得ていた。例えば、次の2つ。

(トニー賞の)ミュージカル主演男優賞を「マイ・ワン・アンド・オンリー」でトミー・チューンが得たのは、近年の彼の人気と、日頃の実力から言ってこれも致し方のないことであるのかもしれないが、対抗馬が弱すぎたこともあった。(大平和登「ブロードウェイ2」)

舞踏家としての技量の上からは、トミー・チューンは一流のダンサーとは呼べないかもしれない。(大平和登「ニューヨークのパフォーミング・アーツ」)

6フィート6インチというからほぼ2メートル。その長身を、上はトップ・ハットから下はタップ・シューズまで全て白で包んで登場したトミー・テューンの姿は実に華やか。が、やはり、演者としてのトミー・テューンには、その外見から感じるほどの華がない。殊に、ワンマンショウということで言えば、観たことのある例でシャーリー・マクレーンやグレゴリー・ハインズと比べると一目瞭然。何か、自分が宇宙の中心だ、というような強烈なアピールが足りないのだ。それは技術的なこととも関係があって、例えばアクロバティックな振りや力感溢れる振りをやろうにもできないということなのかもしれない。もちろん推測に過ぎないが。
しかし、先に引用した「ニューヨークのパフォーミング・アーツ」の記述の中で、続けて大平氏は、こう賞賛している。

演出家として、振付家としての彼は非凡なる才能の持ち主であり、彼の舞台に密着した演出感覚は、さりげない着想や振付や役者の動きを生みだし、そして何よりもミュージカルに不可欠な舞台を貫く流動感を失わない。

そうしたテューンの持ち味はここでも発揮されていて、小粋という言葉が相応しい洒落た振付が観られた。
舞台上にオーケストラがいるので必然的に奥行きが狭くなっている(おそらく100%計算して狭くしているのだが)スペースをうまく使って、1人で、あるいは男性ダンサー2人を従えて、基本的に横の動きだけで観せるダンスは、ゆったりしていてユーモラス。ステッキ等を使っての3人でのダンスは『The Will Rogers Follies』のウィルとカウボーイ達によるナンバー「Give A Man Enough Rope」を連想させるもので、この辺がダンスとしてはハイライト。
一方、後半に「Shanghai Lil」というナンバーを中心にドラマティックに盛り上げる演出があるが、テューンのキャラクターとは異質なのか、今ひとつうまくいっていない印象を受けた。
ショウ全体の構成は、タップを中心にしたダンス、歌、そして合間にトーク、というワンマンショウの定石に則ったもの。
歌については特筆すべきことはないが、面白かったのがトーク。このショウでは、途中、テューンが舞台端に腰掛けて観客からの質問を受けるコーナーがあったのだが、その受け答えぶりが実に真面目。年齢を聞かれて冗談も交えずに即「53」と答えた時には、実直という言葉さえ浮かんだ。愛嬌を見せたのは、『My One And Only』のツアーで西海岸へ行った時にフレッド・アステアが観に来て緊張したという話をした時。アステアの歩き方をソックリに真似してみせて大いにウケた。
もうひとつ、テューンの芸とは直接関係ないが、『Where’s Charley?』(1948)というミュージカルのナンバー(調べて「Once In Love With Amy」とわかった)を観客(ほぼ)全員が合唱したのを見て、ミュージカルからヒット曲が生まれる国なのだなあ、と感慨深かった。

演出家・振付家トミー・テューンの今後の仕事は依然興味深い。特に、『My One And Only』と同じくガーシュウィン・ミュージカルの改定版である『Crazy For You』でスーザン・ストロマンが振付家として大きな成功を収めた後だけに、次のテューンの振付がどんなものになるのか楽しみだ(前者が『Funny Face』、後者が『Girl Crazy』のリメイク)。とりあえずはこの春の、宝塚歌劇『Broadway Boys』か。>

最後に書いてある宝塚歌劇の『Broadway Boys』、そして『Grand Hotel: The Musical』は、涼風真世のサヨナラ公演だったにもかかわらず運良く宝塚大劇場で観ることができた。これは大成功だったが、この後、トミー・テューンは失速する。
演出・振付(いずれも共同)の次作『The Best Little Whorehouse Goes Public』(1994年)が短命に終わり、1995年のブロードウェイ入りがアナウンスされた出演作『Busker Alley』は、脚本の手直しやテューン自身のケガ等が重なって結局ニューヨークにはやって来なかった。
こうして振り返ってみると、やはりスーザン・ストロマンの登場を機に潮目が変わっていたのだなあ、と改めて思わずにいられない。
トミー・テューンは、シティ・センターの「アンコールズ!」の舞台に立って久々にニューヨークの観客とまみえた2015年に、10個目のトニー賞となる特別功労賞(Lifetime Achievement Award)を受賞している。

なお、上記の当時の感想内に書いてあるテューンの経歴には抜けもあるのであしからず。
蛇足だが、『Tommy Tune Tonite!』のプレイビルには1月5日から2月28日まで有効の『The Will Rogers Follies』の半額割引券が挟み込まれていた。

The Chronicle of Broadway and me #039

★1992年12月~1993年1月(その3)

『My Favorite Year』(1月1日20:00@Vivian Beaumont Theatre)は、この回に観たブロードウェイ・ミュージカル2本の内の1本。当時の感想は次の通り。

<わずかひと月で幕を閉じたこのミュージカル。惜しい、と思った。
元は1983年製作の日本未公開の同名映画。
主人公のTVディレクターが、過去を振り返って“マイ・フェイヴァリット・イヤー”だと言う1954年のニューヨーク、全盛期を迎えつつあるTV界に「King Kaiser Comedy Cavalcade(キング・カイザーの喜劇騎馬行列 )」という人気番組がある。この番組に、エロール・フリンをモデルにしたらしい今は落ち目の剣戟映画の大スターが出演することになって騒ぎが始まる。

昇り調子だが一段低く見られているTVに、行き場を失いつつあるが誇り高い映画スターが出演する、という設定の中で、若いTVディレクターと初老にさしかかったスターの友情を縦軸に、ディレクターの恋やスターの私生活(離婚した妻と暮らす娘との再会)を横軸にしたストーリーは、他愛ない。
その他愛なさは意図されたもので、このミュージカルの狙いは、むしろ、主人公を取り巻く、ひとクセある脇役たち……老けた二枚目スター、押し出しがきいているがどこか幼児的な番組の看板キング・カイザー、マンネリで余りやる気のない3人の放送作家(口うるさい癇癪持ちの男、小心で愚痴の多い男、笑えないギャグを連発する快活な女)、貧相な日系人実業家と再婚しているミーハーな母親、主人公が想いを寄せる可憐な制作アシスタント、等々……を活かしたコミカルなスケッチとショウ・ナンバーを連ねて、活気に溢れたTVの古き佳き時代の空気を再現するところにあったと思う。
この方向は悪くない。アメリカのTVの黄金期なら面白いネタがいくらでもあるはずだし、それがコメディ番組とくればかなり能天気な展開も期待できる。
が、結果的には、楽しげにまとまってはいるが、メリハリのない小ぢんまりした舞台になってしまった。同じ様に他愛なく見える『Crazy For You』#32)のストーリーが実は非常に緻密に計算されて作られていることを考えると、やはり、本 (ジョーゼフ・ドーティ)の弱さが第一の敗因だろう。
スティーヴン・フラハーティ(作曲)、リン・アーレンズ(作詞)の音楽も、前作『Once On This Island』#22)の生命力に溢れた明るさと呪術的な不気味さを併せ持つ野心に満ちた魅力的なスコアに比べると、個性に乏しく、印象に残る楽曲がなかった。

ただ、第2幕の4景、ここは文句なしに素晴らしかった。番組中のショウ・ナンバー「プロフェッショナル・ショウビジネス・コメディ」のシーン。放送作家トリオの女性、アリスの見せ場。まずはキング・カイザーと、映画『Easter Parade』(イースター・パレード)のフレッド・アステア&ジュディ・ガーランドによる「A Couple Of Swells」よろしく、浮浪者に扮して軽やかにコミカルに踊ってみせる。続けて今度はアンサンブルを従えて、より激しく献身的に踊り歌う。このダンスが、下品になる寸前の抱腹もの。それをチャーミングにさえ見せているのは、ひとえに彼女の逞しく明るいキャラクターと体の切れによる。これが見事なショウストッパー。しばらく拍手が鳴り止まず、一旦収まった後もう一度拍手が来た。ミュージカルの最高の瞬間だ。
このアリスを演じるのがアンドレア・マーティン。決して若くないと思われるが、そのスラップスティックな動きが素晴らしく、第1幕7景で見せた切れ味鋭いズッコケ振りには時差ボケの頭もハッと冴えた。とにかく彼女の見せ場のためにだけ、もう一度このミュージカルを観ようかと真剣に考えたほど、彼女は魅力的だった。
シアター・ウィーク誌1月4日号のマイケル・リーデルという人の書いた「The Winners and Losers of 1992」という記事でも、アンドレア・マーティンは、The Winners の筆頭に挙げられていて、「もしトニー賞の選考委員が彼女の演技を観ていたら、彼女がノミネートされることは確実。完璧なタイミングによって、マーティンは、ジョーゼフ・ドーティの書いた可笑しくないジョークをメチャクチャ笑えるものに変えている。さらに彼女は、他の誰かがやったら悲惨になる使い古された手でショウストッパーになった。1993年、再び彼女がブロードウェイに登場することを望む」と、そのコメディエンヌとしての才能を絶賛されている。経歴を見ると、彼女はTVの世界ではかなり知られた存在のようだ。

舞台映えのする映画スター役ティム・カリー(舞台版『Amadeus』のモーツァルト役やカルト人気の『Rocky Horror Show』で知られる)も、大活躍のマーティンの前では影が薄かった。
振付のトミー・ウォルシュは『A Chorus Line』のオリジナル・キャストでもあるが、『My One And Only』等のトミー・テューンとの共同振付で知られている。今回の単独での振付は、すり鉢状の劇場を意識して、奥行き感を生かした躍動的な群舞に力を注いでいたが、先のアンドレア・マーティンを得たナンバーで一矢を報いたものの、全体としては決め手を欠いた印象を受けた。今ブロードウェイでは、一方にスーザン・ストロマンによる『Crazy For You』のアイディアに満ち満ちたダンス・ナンバーがあるために、及第点を越えているという程度の振付では観客は納得しないのだ。>

熱心に書いているので、もったいなくて全部載せたが(笑)、要するに、アンドレア・マーティンと出会った舞台だった、と。
1947年1月15日生まれ。ってことは、この時の彼女は46歳になる直前。舞台が短命に終わったにもかかわらず、この役で見事トニー賞助演女優賞を獲得している。トニー賞の選考委員は彼女の演技を観ていたわけだ。
その後もブロードウェイ・ミュージカルにしばしば登場し、いつも楽しませてくれる。素晴らしい。

The Chronicle of Broadway and me #038

199212月~19931月(その2

Forbidden Broadway(12月31日22:00@Theatre East)のオープンは1982年1月15日。てことで、もうすぐ11周年を迎える時期だったわけだ。60丁目、三番街と二番街の間にあった劇場は、当時の感覚では地の果てみないな気がした(笑)。観劇後の感想は次の通り。

<小さなテーブルの周りに4~5席ずつが配置されたクラブ式の劇場で、120 ~130人のキャパか。ニュー・イヤーズ・イヴの最終公演のせいもあるのか、満席状態。
内容は、ご存じの方も多いと思うが、文字通りブロードウェイ・ミュージカルのパロディ。キャロル・チャニングのMCに始まって、最近のヒット作を中心に次々に茶化しまくる。特にひどい目に遭うのが最近の非ヒット作で、とうとう巡り合えなかった『Nick And Nora』(#35をはじめ、1月10日で終わる『My Favorite Year』、期間限定公演にも関わらず大コケしたらしい『Anna Karenina』がケチョンケチョンにこき下ろされた。まさに、死者に笞打つだ。その他、バーブラ・ストライサンドとライザ・ミネリの物真似が秀逸だったのと、チタ・リヴェラとリタ・モレノ(『West Side Story』の舞台と映画のアニタ役)の名前が似ているのをネタにしたギャグが印象に残った。>

こき下ろしはするが、そこに愛情が感じられるのが、この演目の優れたところ。批評のポイントが、舞台を深く観ていなければ気づかないところだったりする辺りに、それが表れる。出演者4人の個人芸、アンサンブルの妙が、役者が入れ替わっても高いレヴェルで保たれるのも素晴らしい。
その後も、劇場を移り、内容を更新しながら近年まで断続的に上演されてきたのは、ご承知の通り。
作者であり演出家であるジェラルド・アレッサンドリーニは、このショウでトニー賞特別賞を含む数々の賞を受賞している。