ボブ・フォッシー『Chicago』の発想の元になった映画『Roxie Hart』ウィリアム・ A・ウェルマン監督(20th Century Fox)をヴィデオで観た際に、「ジンジャー・ロジャーズ版『Chicago』」というタイトルで書いた旧ウェブサイトの2003年の記事を再掲。
<『Chicago』の変遷を見ると、まず、 1926年製作の同名のストレート・プレイがあった。その最初の映画化が1927年(28年説あり)のサイレント版で、日本公開タイトルは『市俄古』。 2度目の映画化が、タイトルがヒロインの名前に変わった1942年の『Roxie Hart』(日本未公開らしい)。そして次が、ボブ・フォッシー(演出・振付・共同脚本)による1975年のブロードウェイ・ミュージカル『Chicago』となる。そのリヴァイヴァルが、ウォルター・ボビー演出、アン・ラインキング振付の1996年版。したがって、今回のロブ・マーシャル(監督・振付)版は、ミュージカル版としては初の映画化だが、映画化自体は3度目ということになる。
スタンリー・グリーン「BROADWAY MUSICALS Show By Show」によれば、フォッシーは主演のグウェン・ヴァードンや製作のロバート・フライヤーと共に、’50年代半ばから『Chicago』の舞台ミュージカル化を考えていたが、その権利を得るまでに13年かかったという。
その辺の事情について、前回も頼りにしたケヴィン・ボイド・グラブ著のフォッシーの伝記「RAZZLE DAZZLE The Life and Work of Bob Fosse」(St.Martin’s Press)に、次のような記述がある。
「ヴァードンが『Chicago』をやりたいと思ったのは映画『Roxie Hart』を観て以来で、1942年のジンジャー・ロジャーズ主演のその映画は、『Chicago』と題された1926年の舞台と1927年のサイレント映画を発展させたものだった。しかし、ヴァードンを落胆させたのは、オリジナルの脚本作者モーリン・ダラス・ワトキンズが上演権を売らないと言ったことだ。晩年、ワトキンズは信心深いキリスト教徒になり、『Chicago』が不真面目な生き方を美化していると信じ込んでいたのだ。」
結局、1969年にワトキンズが亡くなって、その遺産相続者から、フライヤーとヴァードンとフォッシーは『Chicago』の権利を譲り受けることができた、ということらしい。
ともあれ、これを読む限りでは、『Chicago』ミュージカル舞台化の直接のきっかけとなったのは、グウェン・ヴァードンが惚れ込んだ、映画『Roxie Hart』のようだ。
実は、『Roxie Hart』の一部を、以前、観たことがある。さる方から見せていただいた古い映画のオムニバス映像の中に入っていたのだが、驚いたことに、それは、ジンジャー・ロジャーズのダンス・シーンだった。『Roxie Hart』はミュージカル映画ではないにもかかわらず、だ。しかも! さらに驚いたことに、その振付が、舞台ミュージカル版『Chicago』のクライマックス・ナンバー、ロキシーとヴェルマが踊る「The Hot Honey Rag」の振付によく似ていたのだ(僕の観た「The Hot Honey Rag」は、もちろん1996年リヴァイヴァル版のものだが、そのプレイビル=プログラムには、このナンバーはフォッシーの振付を生かしたと書いてあった)。
そんなわけで、今回、『Roxie Hart』全編を観るにあたっては、舞台ミュージカル版『Chicago』との関連が気になっていたのだが、観終わってわかったのは、『Roxie Hart』の影響は、舞台ミュージカル版を通り越して、今回のロブ・マーシャルの映画版にかなり及んでいるということだ。
ロキシーがドレスアップして監獄の2階部分に出てくるところとか、弁護士ビリー・フリン(アドルフ・マンジュウ)のハッタリのきかせ方だとか、記者メアリー・サンシャインの印象とか、今回の映画版を思わせるところがかなり多い。まあ、同じ原作の映画化だから、似ていて当然なのかもしれないが、例えば、ロキシーの判決を伝える新聞の扱いなどにはオマージュの趣すら感じる。
もっとも、今回の映画版『Chicago』に比べると、『Roxie Hart』はかなりコミカルな映画で、視覚的なギャグも多い。例えば、前述のロジャーズのダンスのところでも、彼女のチャールストンにつられて周囲の人々が踊りだす(というのがそもそも可笑しい)のだが、その様子を1人蚊帳の外でふて腐れて観ていた夫のエイモスの足が思わずチャールストンのステップになってしまい、気がついて止めるというギャグなど、その典型だ。
さらに、『Roxie Hart』には、ヴェルマ・ケリーが出てこないし(似たような女囚が出てきてロキシーと取っ組み合いになるのだが、それは1場面のみ)、全体が新聞記者の回想になっていたり、その流れから来るオチがついていたりするという、オリジナルな脚色(ナナリー・ジョンスン)もある。
そんな風に『Chicago』とは違う部分も多い『Roxie Hart』だが、ジンジャー・ロジャーズ演じるロキシー・ハートの人を食ったキャラクターや裁判シーンのふざけ具合を観ていると、やはり今日の『Chicago』の原点はここにある、という気がする。なによりロキシーが踊るし。
そう、ロキシーが踊るのだ、前述のシーン以外でも。
あまり大げさに言うと誇大表現になるが、もう1つ、短いが見逃せないダンス・シーンがある。それが、ロキシーの階段タップ。無伴奏で階段を上り下りするジンジャー・ロジャーズのタップをカメラ据え置きでじっくり撮ったこのシーンは、ミュージカル・ファンにはたまらない。途中でカット割りのある前述のチャールストンよりも、むしろ、こちらの方が見応えがあるという人もいるかもしれない。
ともあれ、そんなこんなで、『Roxie Hart』、機会があれば観て損のない映画だ。
振付はアステア=ロジャーズ映画でおなじみのハーミズ・パン。音楽担当は名高きアルフレッド・ニューマンだが、テーマ曲的に使われている「Chicago」の作者はフレッド・フィッシャー。「シッカーゴ、シッカーゴ」と歌われる、フランク・シナトラの歌唱などで知られるあの楽曲だ。
ところで、最後に、これは勝手な想像にすぎないのだが、フォッシーは、『Chicago』の舞台ミュージカル化を手がけるにあたって、なにか宿命的なものを感じていたのではないだろうか。
と言うのは、モーリン・ダラス・ワトキンズがオリジナルの脚本を書く際に下敷きにしたのは、1924年にシカゴで実際に起こった事件で、地元ではかなりセンセーショナルな話題を呼んだという。フォッシーが生まれたのは、それから3年後のシカゴ。最初の映画化の年だ。ヴァードンが『Roxie Hart』を観るはるか以前、幼い頃からフォッシーがこの話を知っていたとしてもおかしくない。
ミュージカル『Chicago』の諧謔的な表現の背景には(ってフォッシー版を観たこともないのに言うのはおこがましいのだが、リヴァイヴァル版から想像すると、ということでご勘弁願いたい)、フォッシーのホームタウンに対する愛惜の情があるように思えてならない。>
★from WEBsite Misoppa’s Band Wagon(3/29/2003)