[Tony2018] The Band’s Visit@Barrymore Theatre(243 W. 47th St.) 2017/10/30

thebandsvisit『迷子の警察音楽隊』という“邦題”にお聞き覚えはないだろうか。元はエラン・コリリン監督・脚本による2007年のイスラエル映画で、第20回東京国際映画祭に出品され、最優秀作品賞に当たる東京サクラグランプリなる賞を受賞している。
今回のミュージカル化舞台は、昨年秋にオフのアトランティック・シアター・カンパニーのホーム、リンダ・グロス劇場で上演され、好評を得て複数の賞も獲得。1年の時を経てブロードウェイに登場することになった。
楽曲作者のデイヴィッド・ヤズベクは、この『The Band’s Visit』以前に3本のブロードウェイ・ミュージカルの楽曲を書いている。時系列で並べると、次の通り(日付はプレヴュー開始日~終演日)。
『The Full Monty』(2000年9月25日~2002年9月1日)
『Dirty Rotton Scoundrels』(2005年1月31日~2006年9月3日)
Women On The Verge Of A Nervous Breakdown』(2010年10月8日~2011年1月2日)
他に、2004年の『Bombay Dreams』にも追加の作詞で関わっているが、これは別扱いでいいだろう。
『The Full Monty』は3作品の中では最も当たった作品で、失業した労働者たちが男性ストリップでひと山当てようとする、笑って泣ける話。ヤズベクの楽曲は、<基本にファンキーなR&Bテイストがあって、ビート感が強い。それが、ブルーカラーの街のぶっちゃけた気分を出しているし、舞台に今日的な印象を加えてもいる。そうした中に、シンガー・ソングライター的な感触のバラードが時折交じって、しんみりした心情を伝える。さらには、陽気なラテン・ナンバーも1曲用意されていて、華やかでユーモラスな彩りを添える。>……と、これは当時サイトに書いた感想から。ヤズベクのことを、<器用さを持つと同時にアメリカン・ミュージックの魅力の核もつかんでいるように見える>とも書いている。続く2作の楽曲も、基本的には同じ印象。ただ、『The Full Monty』には、年嵩の一見ショボいオヤジがオーディションにやって来て意外にもファンキーに踊りまくる「Big Black Man」と、最後の“フル・モンティ”(素っ裸)に向けて盛り上がるストリップ・ショウのナンバー「Let It Go」(もちろんディズニーの“あれ”とは別曲)という強力な2曲があり、これが後続作品より興業的にうまくいった要因の1つだと思われる。
『Dirty Rotton Scoundrels』の元は1988年の同名アメリカ映画で、邦題『ペテン師とサギ師/だまされてリビエラ』。それ自体が1964年の映画『Bedtime Story』(邦題『寝室ものがたり』)のリメイクらしい。リゾート地を舞台にした2人の詐欺師の丁々発止の駆け引きがあって、そこに若い女性詐欺師が絡むという、いわゆるコン・ゲームがその内容。ここでのヤズベクの仕事ぶりは、設定に沿って『The Full Monty』よりヨーロッパ寄りに幅を広げた……と言うか、昔風のミュージカル・ナンバーが増えた感じ。歌の内容に合わせてカントリー調の楽曲もある。
Women On The Verge Of A Nervous Breakdown』の元は1988年スペイン映画で、スペイン語タイトルが「Mujeres al borde de un ataque de nervios」。邦題『神経衰弱ぎりぎりの女たち』同様、英語タイトルも直訳のようだ複数の男女の恋愛狂騒曲といった内容で、筋が入り組んていて、そこが面白いはずなのだが、あまりうまくいっていない。この作品のヤズベクの楽曲には、舞台がスペインであることに合わせてフラメンコ色が加わったものや、若干だがダブ感覚が入ったものが含まれる。

以上3作の全てで、ヤズベクはトニー賞の楽曲賞候補になり、受賞は逃している。
実のところ、『The Band’s Visit』におけるヤズベクの楽曲は、過去3作とは少し印象が違う。
物語の舞台は1996年のイスラエル。そこに伝統あるエジプトの警察音楽隊8人が親善のためにやって来る。翌日、ペターティクヴァ(Petah Tikva)という町の文化センターで演奏することになっているのだが、空港に来ているはずの迎えがいない。うまく連絡もとれず、しかたなく自力で目的地へ向かうことにする。ところが、乗り込んだバスの着いた先は、発音のみ似て実態は非なるベターティクヴァ(Bet Hatikva)という砂漠の中の小さな町だった。戻りのバスはすでになく、また宿もなく、その日は、最初に訪ねた食堂の女主人の厚意で、3組に分かれて別々の家に泊めてもらうことになる。そんな経緯で始まる、一筋縄ではいかない関係にあるエジプトとイスラエルという国の、めったに巡り合うことのない“普通の人々”が共に過ごす一夜の物語。
原作の映画を観ていただくとわかるが、最大の事件は発端で音楽隊が違う場所に着いてしまうことだけで、後は淡々と進んでいく。日常言語が通じ合わないアラビア語とヘブライ語なので、共通言語の英語でたどたどしく話すことも、それに輪をかける。にもかかわらず、観ていて飽きることがない。ユーモラスで、苦味もあり、静かに感動する。
舞台版も、ほぼ同様の展開で、実に淡々としている。一般的なミュージカルのソング&ダンスというイメージからは遠いと言ってもいいかもしれない。音楽隊だけに、登場人物が楽器演奏をする場面もあるが、控えめだ。場面転換も、舞台が静かに回転するスタイルで、派手さは全くない。
したがって、ヤズベクの楽曲も、これまでと違って抑え気味。むしろ“沁みる”系のナンバーが多い。そういう意味では、新たな気持ちで臨んだプロダクションだったのではないだろうか。そして、それが成功している。
ちなみに、演出のデイヴィッド・クローマーはもっぱらストレート・プレイを手掛けてきた人。こうした舞台には、むしろ向いているのだろう。

★from WEBsite Misoppa’s Band Wagon (02/12/2018)

[Tony2018] SpongeBob SquarePants:The Musical@Palace Theatre(1564 Broadway) 2017/11/30

spongebob『SpongeBob SquarePants:The Musical』は、音楽のクレジットに複数のロック系ミュージシャンの名前が挙がっていたので、てっきり既成曲を使ったジュークボックス・ミュージカルかと思っていたら、とんでもない。TV版や映画版とも違う、ほとんどが書き下ろしという贅沢な作りになっていることがわかって、うれしくなった作品。
スポンジ・ボブたちの住む平和な海底都市に大きな地震が起こることをきっかけに始まる混乱と陰謀。地震の原因である火山の噴火を止められるのか? 陰謀の行方は? という話の中で、様々なキャラクターが自己主張的ショウ場面を繰り広げる。
アイディアいっぱいの装置の中で展開されるショウ場面の1つ1つが楽しく、シンディ・ローパー(『Kinky Boots』)、サラ・バレリス(『Waitress』)といったミュージカルでもすでに業績のある人から、ジョン・レジェンド、フレイミング・リップス、パニック!アット・ザ・ディスコ、スティーヴン・タイラー&ジョー・ペリー(エアロスミス)、ゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツといった面々までの書く楽曲もいい。といった具合で、大人も十分に楽しめる出来。
演出は、オフの名作『Floyd Collins』をアダム・ゲテール(作曲・作詞)と組んで作ったティナ・ランドウ。
日本人観光客としては、地震の後に根拠なく住民たちを家に帰そうとする市長の姿が現実とダブってゾッとした。

★from WEBsite Misoppa’s Band Wagon (05/01/2018)

[Tony2018] Mean Girls@August Wilson Theatre(245 W. 52nd St.) 2018/04/03

meangirls同名映画の舞台ミュージカル化。元になった2004年の映画がカルト人気を得て2011年にテレビで『Mean Girls 2』が作られた、とウィキペディアにある。そんなこともあってか、ハイティーンから30代ぐらいの女性グループ客多し。
アフリカで育ったヒロインがアメリカに戻ってハイスクールに転校、女王様的グループとあれこれある中で友情を育てたり裏切ったりという話は、過去に同工異曲が少なからずあったが、複数の脇キャラクターが面白く描かれていて、そこが魅力。
楽曲は、やはり女子が主人公の学園もの映画の舞台ミュージカル化『Legally Bronde』の作曲・作詞を共同で手がけたニール・ベンジャミンが作詞、作曲は映画版から続けての脚本家ティナ・フェイの夫で、主にテレビ畑で仕事をしてきたジェフ・リッチモンドという布陣。傑出したナンバーはないがノリはいい、という学園ミュージカルとしては平均点の出来。演出は『The Book Of Mormon』『Aladdin』のケイシー・ニコロウ。

★from WEBsite Misoppa’s Band Wagon (05/03/2018)

[Tony2018] Frozen@St.James Theatre(246 W. 44th St.) 2018/03/02

frozen『Frozen』(邦題『アナと雪の女王』)は大ヒット同名映画の舞台ミュージカル化。
大がかりになるのかと思いきや、『Beauty And The Beast』並みの規模の装置による、コンパクトにまとまった舞台に留まった。おそらく、国内ツアーはもとより世界各地での上演が容易になるように配慮したものと思われる。驚きを期待すると肩すかしを食うが、ファミリー・ミュージカルとしては充分に楽しめる。映画版以上にフェミニズム色が強くなった印象。
映画版の楽曲作者クリステン・アンダーソン=ロペス&ロバート・ロペス夫妻が舞台版のために2曲書き下ろしている。ちなみに、ロバート・ロペスは『Avenue Q』『The Book Of Mormon』の楽曲作者の1人。この夫婦コンビは映画『COCO』(邦題『リメンバー・ミー』)のテーマ曲も手がけている。

★from WEBsite Misoppa’s Band Wagon (05/03/2018)

[Tony2018] Prince Of Broadway@Friedman Theatre(241 W. 47th St.) 2017/08/03

princeofbroadway8月3日にプレヴューを開始した『Prince Of Broadway』は、プロデューサー、演出家として活躍してきたハロルド・プリンスの足跡を辿る名場面集的内容で、2015年の10月から12月にかけて、東京のシアターオーブと大阪の梅田芸術劇場メインホールでワールド・プレミア公演が行われ、宝塚歌劇団星組トップだった柚希礼音の退団後初出演作として話題になった。
東京公演を観たが、演出に、御大ハロルド・プリンスと並んでスーザン・ストロマンの名前があり、音楽監修がジェイソン・ロバート・ブラウンと来れば、これは“本気”モード。役者もブロードウェイの主演クラスが並び、しっかりと作られていた。ただ、同趣向の『Jerome Robbins’ Broadway』『Fosse』が、振付家から演出家へと進んだジェローム・ロビンズやボブ・フォッシーの“演出・振付の再現”という一貫性を備えていたのに比べると、ハロルド・プリンスはプロデューサーとして出発した後に演出家になっただけに、再現される場面が必ずしもプリンスの演出とは限らず、振付に到っては全く他人の仕事だったりするわけで、その辺りに若干割り切れないものを感じたのも事実。
で、ブロードウェイ版をプレヴュー初日に観た。日本版で柚希礼音用にあったダンス・ナンバーがなくなって、こぢんまりした印象だが、その分、“わかる観客”に向けて歌を強化した感じの、確かな仕上がり。前述の『Jerome Robbins’ Broadway』『Fosse』がダンス主体だったことを意識したのかもしれない。ただ、ブロードウェイ作品としてはスケールの小ささは否めない。
残念ながら、10月29日に幕を下ろした。

★from WEBsite Misoppa’s Band Wagon (05/01/2018)

The Chronicle of Broadway and me #9

★1989年5月(その5)

『Jerome Robbins’ Broadway』は、伝説的な振付家/演出家として知られるジェローム・ロビンズの過去作品のハイライト・シーンで構成されたショウで、ロビンズ本人が演出・振付を手がけている。この時、ロビンズ70歳。亡くなる9年前だ。
当時の感想は次の通り。

<今回最も観たかったのが、これ。予想に違わず楽しかった。これもまた、トニー賞に10のノミネート。過去のヒット・ミュージカルの名場面をつなげた、ステージ版『That’s Entertainment』といった趣向のもの。
出てくるのは順に、『On The Town』(1944年)『Billion Dollar Baby』(1945年)『A Funny Thing Happened On The Way To The Forum』(1962年)『High Button Shoes』(1947年)『West Side Story』(1957年)『The King And I』(1951年)『Gypsy』(1959年)『Peter Pan』(1954年)、再び『High Button Shoes』が入って、『Miss Liberty』(1949年)『Call Me Madam』(1950年)『Fiddler On The Roof』(1964年)、再び『On The Town』
とにかく第1幕最後の『West Side Story』。センセーショナルだったという、これまで想像するしかなかった舞台が、目の前で再現される。これか! 「Suite Of Dances」と題され、映画の知識で言うと、冒頭のジェッツとシャークスのつば競り合い、体育館でのダンス・パーティ、シャークスの女たちによる「America」、ジェッツの「Cool」、ジェッツとシャークスの対決から「Somewhere」。今観ても圧倒的な群舞。舞台で観てわかったのは、「Somewhere」はトニーとマリアのための歌ではなく、登場する若者たちすべてのための歌だということ。単に人種の問題だけでなく、アメリカにははっきりと貧富の差があり、生きていく場所のない若者が、1957年当時から数多くいたのだ。
ほかに、第2幕に出てくる『High Button Shoes』の「On A Sunday By The Sea」でのスラップスティックな追っかけが素晴らしかったし、『Peter Pan』の飛行シーンも、得したって気がした。>

後から俯瞰してみると、ヴェトナム戦争で疲弊したアメリカ演劇界の隙をついてロンドンものが次々に押し寄せる“ミュージカル版ブリティッシュ・インヴェイジョン”のピークの時期に登場した、90年代のアメリカン・ミュージカル復権への下準備というか、足元を見つめ直す作業を行なったようにも思える作品。
とにかく、本でしか知らない過去の作品のおいしいところがまとめて観られるわけで、しかもダンスが主体とくれば、これはもう、ブロードウェイの新たな観客としては快哉を叫ぶしかない。だから、この演目は翌年も観たし、91年の来日公演も今は亡き新宿の東京厚生年金会館で観た。

ちなみに、来日公演のエピソードとしてブロードウェイ版との違いを書き残しているので再録。
<まず『Peter Pan』の飛行シーン。装置が不調だったのか、ピーターとウェンディ姉弟は、室内では飛んだが、ロンドン上空には登場せず、ただ背景だけが音楽をバックに虚しく移り変わった。これは、たまたまこの日だけがそうだったのか、確認できていない。
もう一つは、アーヴィング・バーリンの「Mr. Monotony」という曲のシーン。ブルージィなこの曲を女性歌手が歌うバックで、男性2人女性1人が三角関係を示すダンスを踊るはずが、歌手だけの登場となった。これも、この日だけのことかどうかわからない。パンフレットには3人のダンスのことが書いてあるのだが。>

もう1つ、ちなみにで言うと、この舞台にはオリジナル・キャストとして、1992年の『Guys And Dolls』でスターになるフェイス・プリンスや、リヴァイヴァル版『Chicago』で長くロキシーを演じているシャーロット・ダンボワーズが出ていて、2人ともトニー賞の候補になっている。フェイス・プリンスは「I Still Get Jealous」というノスタルジックなナンバーで味わい深い歌とソフト・タップを披露したのが印象に残った。90年代に多くの作品で活躍し、今も現役の卓越したダンサー、スコット・ワイズを初めて観たのも、この舞台。彼はここでトニー賞助演男優賞を受賞した。

不徳の伴侶~infelicity@赤坂Red/Theater 2018/05/30

作・演出/荻田浩一 作曲・音楽監督/福井小百合。

彩乃かなみ…スコットランド女王メアリー・スチュアート
藤岡正明…スコットランド貴族、ボスウェル伯ジェームズ・ヘップバーン
百名ヒロキ…仏王フランソワ一世/夫ダーンリ/息子ジェームズ一世
舘形比呂一…兄ジェームズ/義母カトリーヌ・ド・メディシス
吉本真悟…イタリア人秘書リッチォ/スペイン王太子ドン・カルロス
シルビア・グラブ…イングランド女王エリザベス一世

以上、作品の公式サイトからの引用。

作った人たちも演じている人たちも、やりがいと手応えを感じているに違いない力作。が、もったいないことに、こちらの胸には響いてこない。
理由は2つ。1つは、感情移入できる人物がいない。もう1つは、物語を引っぱる仕掛けがない。

前者については、ことに、主人公たるべきメアリー・スチュアート。その人物像が曖昧。奇矯とも思える行動と、幼くして政治に利用された無垢な女性という解釈が、ときに齟齬をきたす。もっと強烈な何かが潜んでいいる人物として描くべきではなかったか。例えば『エリザベート』の綱渡りのようなエピソードを交えて。
そういう意味では、エリザベス一世は動機と行動が一貫している。ドラマの鍵になる人物として、うまく描かれている。が、主役でない分、残念ながら、彼女は面白みのある人物ではない。
ボスウェル伯ジェームズ・ヘップバーン(不徳の伴侶とは彼を指すのか)は、メアリーにとって信頼するに足る人物に見えたがそうではなかった、という解釈でいいのか。どうにも心底が見えない。メアリーと一線を越えるときの2人の心情が、劇中で一番不明。そのせいで全体が混乱してくる。おそらく、ここがクライマックスなのだが。
それ以外の人物は、わかりやすい脇役として描かれているので問題ない。イタリア人秘書リッチォのわからなさは、わからない人物として描かれていると解釈。が、彼らは観客が感情移入していく存在ではない。役者のファンでない限り。

仕掛けについて。
これはスコットランドとイングランドとフランスの王家の人々の物語。その表面的な結果については、すでに知れ渡っている話。それをあえて描くからには、何か飛び道具が必要だろう。
『ベルばら』ならオスカル、『エリザベート』ならトートという、鍵となる架空の存在。あるいはフリードリッヒ・シラー作『メアリー・スチュアート』のように、2人の女優の対決といった現実的な見せどころの設定。
それがない。だから、何か歴史の勉強をさせてもらっている感じ。歴史好きの新解釈を聞かされている感じ、というべきか。

再度言うが、力作ではある。役者も力演。が、以上の点で、惜しい結果に終わっている。