The Chronicle of Broadway and me #23

19916月~7月(その6

The Secret Garden観劇当時の感想。

The Secret Gardenは華麗なセットが評判。小説「秘密の花園」が原作の、広い客層を狙った、かっちりした造りのアメリカ産ミュージカルだが、個人的にはやや退屈だった。
コメディの要素が少なく、ダイナミックな踊りがなく、セットが凝っている割にはロンドン産の『Les Miserables』『The Phantom Of The Opera』のようなスペクタクルがない。話は清々しいし、中心になる少年少女の演技も爽やかだが、残念ながらインパクトに欠けた。>

自分で読んでも何を言ってんだか、ってピンボケな感じ。けっこう眠かったんじゃないかな。時差ボケに襲われて半分ぐらい眠ってたのかも。
でも、ジョン・キャメロン・ミッチェルの印象は強かった。てか、ほとんど彼のことしか思い出さない。ヒロインのデイジー・レノックスの姿もかろうじて覚えているが、後に何度も出会うマンディ・パティンキンやレベッカ・ルーカーのことは、おぼろげ。
そんなこんなで、(おそらく)こちらの体調の問題であまり記憶に残らなかった舞台。申し訳ない。

作曲のルーシー・サイモンはカーリー・サイモンのお姉さん。次に出会うのは2015年の『Doctor Zhivago』
脚本・作詞はマーシャ・ノーマン。この作品でトニー賞脚本賞を受賞。後に『The Color Purple』『The Bridge Of Madison County』でも脚本を手がける。

The Chronicle of Broadway and me #22

★1991年6月~7月(その5)

『Once On This Island』初演時の感想は、2017/2018シーズンのリヴァイヴァル版の感想([Tony2018] Once On This Island)に引用した。再掲しておく。

<小ぢんまりとした劇場で熱いステージを見せてくれたのが、『Once On This Island』
場所はフランス領アンティル諸島のとある島。時はある嵐の夜。登場する 11人はオール黒人キャストで、The Storytellers とプレイビルには書いてある。嵐を怖がって泣いている子供に、島の人々が“ある女の子の恋の物語”を話して聞かせる、という設定だ。
そのお話は、表向きは人魚姫に似た悲恋物語だが、被抑圧者からの階級的視点も持っている。素晴らしいのは、生命力溢れるダンスと躍動的で豊かな音楽、そして、それらを見事に生かした、残酷さと温かさを併せ持った幻想的な演出。
ここでは特に音楽の話を。
ブロードウェイ・ミュージカルの音楽として異色なことは、バック・ミュージシャンの編成を見てもわかる。計5人で、キーボード+ピアノ、キーボード、ベース、パーカッション、木管。奏でられるのは、パーカッションを強調したカリブ風ゴスペルといった趣のサウンドだ。舞台になったフランス領アンティル諸島と言えばマルティニークが思い浮かぶが、ここでの音楽は、マラヴォアやカリの音楽ともズークとも違う。むしろ、その南に位置するトリニダッド・トバゴのカリプソの要素が強い。
もちろんブロードウェイ伝統のオペレッタ的要素が下地になってはいるが、歌唱法は明らかにアフリカ的傾向を重視していてダイナミック。コーラスワークも魅力的。>

元々は1990年の5月にオフのプレイライツ・ホライズンズ劇場で 3週間の限定公演を行なった作品で、その好評を受けてか、同年10月からオンの劇場に移ってロングランを始めている。この年の暮れまで続いた。

この作品で初めてグラシエラ・ダニエル(演出・振付)という名前を知り、以来脳裏に刻み込まれた。作曲スティーヴン・フラハーティ、脚本・作詞リン・アーレンのコンビも同様。

なお、引用文中のマラヴォア、カリというのはバンドの名前です。

The Chronicle of Broadway and me #21

★1991年6月~7月(その4)

『Fiddler On The Roof』観劇当時の感想。

<『CATS』に負けず劣らずのヒット作。1964年9月22日に開幕して当時としては最高の3242回のロングランを記録した。日本では森繁久弥の当たり役として有名だが、ブロードウェイでは ゼロ・モステルという初代の主演役者が強烈な印象を残しているらしい。
1990年11月18日に開幕した今回のリバイバル版の主役は、この作品の1967年のロンドン公演と1970年の映画版で主役に就き一躍世界的なスターになったイスラエル人 トポル。主役の存在感で成否が決まる作品だからか、看板にはタイトルよりも大きく “TOPOL”と書かれてある。『Jerome Robbins’ Broadway』で名場面だけを見せられて、是非その全体像を見たいと思っていたので、うれしいリヴァイヴァル。
しかしながら、トポルの演技は素晴らしかったものの、客の入りは悪い。20世紀初頭の帝政ロシアから追い払われる貧しいユダヤ人たち、という素材は特殊だが、60年代にはドラマとして普遍性を持っていたはずだ。その普遍性が、この物語の中で古い伝統が失われていくように、時の流れと共に薄れていったということか。未見だが、日本の森繁版は素材の特殊性は無視して人情ドラマにしていまうことで息を永らえたのではないか。
まばらな客席には、例の黒い小型ベレー帽のようなもの(キッパ)を載せたユダヤ人と思われる人たちが何人かいた。恐らく湾岸戦争と関係があるのだと思うが、その2日前の日曜日にブロードウェイ近辺でイスラエルとアメリカの連帯を訴えるパレードが行なわれていた。劇場に来ていたのもその行事関連の人たちかもしれない。この辺りの民族的国家的事情は、図式としてはわかっても感情のレヴェルでは全くわからない。あるいは、こうした時期を狙ってのリヴァイヴァルかもしれないが、とにかく、この作品がニューヨークでどう受け取られているのかという問題は、門外漢の理解を超えた所にある。>

正直、この舞台のことはあまり印象に残っていない。前述したように、『Jerome Robbins’ Broadway』で観たあのダンスはここで出てくるのか、といった視点一辺倒だった気がする。あと、ここまで観てきた中で最も客の入っていない公演だったことは覚えている。
ニューヨーク演劇界とユダヤ人との関係について考えさせられる作品は、この後、今年のトニー賞ミュージカル作品賞『The Band’s Visit』に到るまで数多く観ることになるが、その第一歩。

蛇足だが、『Cats』に負けず劣らずのヒット作、ってのは、この時点で『Cats』がまだ9年目だから。『Cats』がその倍以上のロングランとなるのはご承知の通り。

The Chronicle of Broadway and me #20

★1991年6月~7月(その3)

『Cats』の開幕は1982年。9月23日にプレヴュー開始、10月7日に正式オープン。てことは、観たのは9年目の舞台。最終的に2000年の9月10日まで約18年間のロングランを続ける。
以下、観劇当時の感想。

<お馴染みのロンドン産の大ヒット作。これが実に楽しくて、やはりヒットするものにはそれなりの理由があるのだな、と妙に感心してしまった。
内容についてはすでにご案内のことと思うし、もしかしてご覧になった方もいらっしゃるかもしれないが、T.S.エリオットの詩から発想したというこのミュージカルには、ほとんどストーリーらしいストーリーはない。ゴミ溜めに住む猫たちの内の誰かが選ばれて天国に行く、というプロットのようなものに支えられて、数々の見せ場がズラリと並ぶという構成。だから英語のわからない客でも入っていきやすい。
最初に、オッこれは、と思ったのが「The Old Gumbie Cat」。愛嬌たっぷりの太った年寄り雌猫が、若い猫たちを従えて、予想もしなかったタップの群舞を見せたのだ。圧倒的なタップの群舞でタップ復活の原動力となったと言われる『42nd Street』のオープンが80年8月25日、ロンドンで『Cats』が幕を開けたのが81年5月11日。これは無関係とは思えない。とすれば、うれしい商魂だなあ。
もうひとつ「Mungojerrie And Rumpleteazer」という雄雌2匹の猫のアクロバティックなダンス・ナンバーも楽しい。ランプルディーザーという、ちょっと間抜けな所のあるこの雌猫が実にチャーミングで、一番のお気に入りになった。
7月、2度目の観劇時には当時8歳の息子と最前列で一緒に見たが(劇場でチケットを買う時、子供と一緒なのを見て、係の女性がその席を選んでくれた)、彼も充分に楽しんでいた。>

1983年のトニー賞で、作品賞、楽曲賞(アンドリュー・ロイド・ウェバー×T・S・エリオット)、脚本賞(T・S・エリオット)、演出賞(トレヴァー・ナン)、助演女優賞(ベティ・バックリー)、衣装デザイン賞(ジョン・ネイピア)、照明デザイン賞(デイヴィッド・ハーシー)を受賞。脚本賞がT・S・エリオットって……(苦笑)。
あと、振付のジリアン・リンが受賞していないのが意外。この年の振付賞はトミー・テューン&トミー・ウォルシュが『My One and Only』で獲っているのだが、どうなんだろ。

プロデューサーはキャメロン・マッキントッシュ、リアリー・ユースフル・カンパニー(ロイド・ウェバーの会社)のイギリス勢に、デイヴィッド・ゲフィンとシューバート・オーガニゼイションが参加。マッキントッシュにとってはアメリカ進出の足がかりとなる成功だったんだな。でもって、このブロードウェイ版『Cats』が、良くも悪くも大がかり装置ミュージカルの口火を切ることになったと見る。

『Cats』は、1999年にロンドン版を観る。その時にまた、いろいろと語ります。

The Chronicle of Broadway and me #19

★1991年6月~7月(その2)

『City Of Angels』は、もう一度観たいミュージカル自分内ランキングの現時点第1位。舞台ミュージカルならではの魅力にあふれた超面白い作品。これで作曲家サイ・コールマンと出会った。
#17にも書いたが、前(1989/1990年)シーズンの新作。トニー賞で、作品賞、楽曲賞、脚本賞、主演男優賞、助演女優賞、装置デザイン賞を獲っている。

観劇当時の感想は、手を抜いて小林信彦氏の感想の引用ですませている(苦笑)。と言うのも、過不足のない見事な表現だったから。以下に再掲するが、一部を省略してあり、その際に意味がつながるように若干だが手を加えた部分もある(小林先生すみません)。では、この年の5月にブロードウェイでこの作品を見た小林氏の「本の雑誌」連載コラム「小説探検」の28回目、91年8月号掲載分、編集版をどうぞ(注も私)。

<このミュージカルは、メタフィクション的趣向を用い、知的エンタテインメントとして、みごとに成功していた。
まずなによりも、1940年代のハリウッドの犯罪映画へのオマージュである。一大讃歌であり、同時にそれらの世界の上質なパロディである。西日のさす探偵事務所、退屈している女秘書、仕事のない探偵、ナゾの依頼人という発端からして、涙ものである。
作者 (ラリー・ゲルバート)は、TV・ミュージカル・映画の脚本のベテランだけあって、ひと筋なわではいかない構成を考えた。巨大な映画会社にシナリオライターとしてやとわれたスタインという作家がそれである。スタジオのボスのとてつもない指令によって、スタインはハードボイルド映画のシナリオ執筆に苦戦している。その作中の私立探偵がストーンである。
舞台は、通俗的なシナリオ執筆に苦しむスタインとその妻、撮影所のボス、グラマラスな女秘書がからむ〈ハリウッド〉と、ストーンが活躍する〈映画〉が、交互に現れ、ときには交錯する。
たとえば、舞台の上手でストーンと女秘書が近づこうとしているとき、下手の闇の中でスタインがタイプライターを叩いている。タイプの音がつづいているときはよいのだが、音がとまると、上手の二人は静止する。さらに、スタインがタイプの紙を出して破きすてると、上手の二人は〈フィルムの逆回転のように〉離れて、元の位置に戻る。
これは一例だが、こうした〈作者と作中人物〉の関係がつづくうちに、ストーンはスタインに文句をつけるようになり、第一幕の終りは、敵対した二人のデュエット(“You’re Nothing Without Me”)で終る。
また、この舞台には、小説では不可能なことが数々あって、たとえば、〈ハリウッド=作家の世界〉ではAという女が〈映画=作中の世界〉ではBという女として現れる。同じ女優が演じるのだから、一瞬のうちに、AからBへ、BからAへ移りかわるのも可能である。
第二幕の終り(フィナーレ)では、私立探偵ストーンがタイプを叩いてスタインを助けてやる。二人の役割が入れかわってしまうのだが、これも舞台ならではの効果で、二人が”I’m Nothing Without You”(注/“You’re Nothing Without Me”の逆内容版)をうたいあげて終る。>

2つの世界の人物入れ替わりで印象的だったのが、〈映画〉でストレッチャーに乗せられて白い布をかけられていた死体が、〈ハリウッド〉に変わった途端に、プールサイドでバスタオルをかけて日光浴をしているプロデューサーになるシーン。
ちなみに、照明技術で、〈映画=作中の世界〉はモノクロ、〈ハリウッド=作家の世界〉はカラーとして描かれるのも見事なアイディア。

サイ・コールマン(作曲)×デイヴィッド・ジッペル(作詞)の楽曲は、あえて絞り込んで言えばメル・トーメ的。スウィンギーなアップ・テンポから叙情的なスロウ、加えてメルトーンズぽいコーラス・ワークまで、とことん小粋に迫る。
そのメルトーンズぽい楽曲は、Angel City 4と名づけられたラジオ用のコーラス隊が歌うという設定。彼らが場面転換でいい仕事をする。

役者は、オープンからすでに1年半経っていたこともあり、オリジナル・キャストはけっこう抜けていた。ここらも、プレイビルを探し出したら改めて訂正を入れるが、確か、ストーン役のジェイムズ・ノートン、その秘書役のランディ・グラフという二人のトニー賞受賞者はいなかった。……今調べたら、この二人、ちょうどこの6月から始まった国内ツアーに同じ役で出てたんだな。残念。
しかし、ランディ・グラフ、ディー・ハッティ、キャロリー・カーメロというオリジナルの女性陣は強力。個人的なツボだ。オリジナル・キャスト盤CDを何度も聴き返す所以です。

作品が好きすぎて、翌年、中村雅俊=スタイン、桑名正博=ストーンによる日本版まで観たが、まるで別物に見えた。ま、誰がやっても無理だろう。……と思って今年のヴァージョンも観ないが、さて?

The Chronicle of Broadway and me #18

19916月~7月(その1

4度目のブロードウェイは1991年6月初旬(35歳)。続けて7月の下旬に短期で5度目の渡紐。

1991年は湾岸戦争の年。前年8月のイラク軍クウェート侵攻をきっかけに高まった中東をめぐる世界の緊張関係が、1991年1月17日の多国籍軍によるイラク爆撃で一気に火を噴いた形。
その影響をニューヨーク演劇界も直接受けたようで、観光客激減で劇場への客足が軒並み落ちたと聞く。多国籍軍側についた日本でも、海外渡航自粛の勧告がなされた。それから半年近く経ってから訪れたニューヨークだが、確かにトニー賞授賞式前後にしては賑わっていない気がした。
日本国内では、3月に成田エクスプレス運行開始、4月に新都庁開庁、5月に芝浦のジュリアナ東京オープン、と、バブルの余韻は続く。成田エクスプレスには、すぐには乗らなかった。まだバスの方が安かったからだと思う。
湾岸戦争の流れで海上自衛隊のペルシャ湾掃海派遣が行われたのも、この年。

観劇リストは次の通り。

6月2日 15:00City Of Angels@Virginia Theatre 245 W. 52nd St.

6月3日 20:00Cats@Wintergarden Theatre 1634 Broadway

6月4日 20:00Fiddler On The Roof@Gershwin Theatre 222 W. 51st St.

6月5日 14:00Gypsy@Marquis Theatre 1535 Broadway

6月5日 20:00Once On This Island@Booth Theatre 222 W. 45th St.

6月6日 20:00The Secret Garden@St. James Theatre 245 W. 44th St.

6月7日 20:00The Will Rogers Follies@Palace Theatre 1546 Broadway

7月20日 20:00Cats@Wintergarden Theatre 1634 Broadway

7月21日 15:00Once On This Island@Booth Theatre 222 W. 45th St.

7月23日 20:00And The World Goes ‘Round@Westside Theatre 407 W. 43rd St.

Gypsyは前回に続く再見なので感想は#14をご覧いただきたいが、一つだけ、劇場の変更について書いておく。
このプロダクション、1989年秋にセイント・ジェイムズ劇場で幕を開けたが、1991年1月6日に一旦幕を下ろし、同年4月28日からマーキーズ劇場に移って再び開演している。最終的には、この年の7月28日でクローズするのだが、劇場移動については長い間、湾岸戦争による観客減で閉めたせいだと思っていた。が、日程を見ると戦争勃発より前に閉めているから違うのか。1月に入ってすぐクローズするのはホリデイ・シーズン終了後ということで、よくあること。ただ、そうだとすると、なぜ再開したのか。いろいろと謎。
ここで仮の解答として考えられるのが、直前にマーキーズ劇場で上演されていた『Shogun: The Musical』が短命で終わっていること。1990年11月1日にプレヴュー開始で翌年1月20日にクローズ。そこでマリオット・マーキーズ・ホテル内にあるマーキーズ劇場から、客寄せのための再開依頼が『Gypsy』のプロダクションにあった、ということはあり得ないだろうか。ま、全て想像だが。
そう言えば、この『Shogun: The Musical』にも角川春樹が出資していた。ちなみに、『Gypsy』にはTBSが出資。円高の反映。1993年に観ることになるブルー・マン・グループの『Tubes』がオフのアスター・プレイス劇場で幕を開けるのもこの年。プロデューサーの一人は日本人の出口最一。やはり円高とは無縁ではないだろう。

ザ・空気 ver.2 誰も書いてはならぬ@東京芸術劇場シアターイースト 2018/07/10 18:00

IMG_0688国会記者クラブの腐敗を描いた作品。作・演出/永井愛。良作、力作であり、役者は皆好演であることを前提に、以下、感じたことだけを書く。

国会記者会館。国会議事堂前駅を出たところにある、あそこ。東日本大震災に伴う原発事故以降、その前に並んで何度も声を上げた、あそこ。会館を出入りする記者たちは並んでいる人間に対して一様に無関心に見えた。その屋上が、この芝居の舞台。
客席の空気が緩い。半分ぐらいは、そこで笑うか? というところで緩く笑う。歌舞伎座とあまり変わらない。自分はと言うと、ほとんど笑わなかった。おかしくないわけではない。が、笑う気にならない。明らかにギャグとして用意されている場面もあるが、息抜きであって笑って欲しいわけではないのではないか、と思ったりする。
記者たちの世間ずれしたエリート意識やずる賢さや優柔不断さは巧みに描かれていて見事だが、それに対する安田成美演じるネットメディアの記者のまっすぐな人の良さが気になる。そこが現実より半歩遅れている気がする。彼女の側にも深い戦略があり、それが記者クラブとの戦いでどういう事態を引き起こすのか、というところまで観たかった。ないものねだりかもしれないが。
次作にさらなる期待。