The Chronicle of Broadway and me #081(1994/Sep.)

19949月@ニューヨーク(その1)

12度目のブロードウェイ(38歳)。
「遅めの夏休みをとって」と当時の記録に書いてある。と同時に「端境期」とも書いてある。そうだろう、観た5本の内、3本が既に観た作品。それでも飛んだのは、『Show Boat』が観たかったから。

9月19日 20:00 Kiss Of The Spider Woman@Broadhurst Theatre 235 W. 44th St.
9月20日 20:00 Crazy For You@Shubert Theatre 225 W. 44th St.
9月21日 14:00 Jelly Roll!@47th Street Theatre 304 W. 47th St.
9月22日 20:00 Show Boat@Gershwin Theatre 222 W. 51st St.
9月23日 19:30 Blue Man Group “TUBES”@Astor Place Theatre 434 Lafayette St.

Show Boat』(9月22日20:00@Gershwin Theatre)は、トロントでの1992年10月17日からのトライアウト公演を成功させて前評判が高かった。なぜトロントかと言うと、『Kiss Of The Spider Woman』と同じカナダのライヴェントの製作だから。以下、当時の感想。

<話題作のプレヴューの初日ってのはいったいどういうもんだろう。ちょっとワクワクしながら『Show Boat』の劇場を訪れたのだが、プレヴューはプレヴュー、特別なことは何もなかった。ブロードウェイの劇場としては大きめのガーシュウィンだけに、席も2階の後ろの方は空いていた。
が、内容は素晴らしい。素材としての作品(楽曲・脚本)がよく、役者がよく、演出もいい。豪華でもあり、$75は決して高くない。
『Show Boat』の初演は1927年12月27日開幕。67年前。作曲ジョローム・カーン、作詞・脚本オスカー・ハマースタイン二世。ハマースタインがリチャード・ロジャーズと組んだ第1作『Oklahoma!』オープンの16年も前。製作は名高きフローレンツ・ジーグフェルド。まだフレッド・アステアがブロードウェイで現役だった時代のことだ。
にもかかわらず、このミュージカル、ちっとも古びていない。リヴァイヴァル上演中のロジャーズ&ハマースタイン第2作『Carousel』が、素晴らしい舞台を作り上げながらも佳き古典の枠を抜け出せなかったことを考えると、このリヴァイヴァル版『Show Boat』の現代にも生きる普遍的な魅力は驚異的と言っていい。

物語は1887年に始まる。
ミシシッピ河畔、ナッチェズの町に移動劇場であるショウ・ボート、コットン・ブロッサム号がやって来る。乗っているのは、座長であるアンディ船長、その妻パーシィ、年頃の娘マグノリア、マグノリアが姉のように慕う花形女優ジュリー、その夫スティーヴ、フランクとエリーのダンサー夫妻、それに水夫、下働きの黒人たち。公演を前に事件が起こる。ジュリーに横恋慕していた男が、ジュリーが白人と黒人の混血であることを密告。白人である夫との結婚を認めない州法に違反するとして、ジュリーとスティーヴは逮捕される。その穴埋めに役者としてスカウトされたのが賭博師ゲイロード。ジュリーとスティーヴの代わりに舞台に立ったマグノリアとゲイロードは客に受け、事なきを得る。公演を続ける内、マグノリアとゲイロードは真剣に愛し合うようになり、母に反対されながらも結婚する(第1幕終わり)。
2年後。マグノリアとゲイロードは新しい生活を求めてシカゴに行く。そして10年後。経済的にままならずゲイロードが稼ぎの旅に出て、後に残されたマグノリアは、フランク&エリー夫妻に再会、彼らの紹介でナイトクラブのオーディションを受ける。そのナイトクラブのスターは人生に疲れたジュリー。マグノリアの姿を見たジュリーは、声を掛けたい気持ちを抑え、マグノリアに職を与えるためにそっとナイトクラブを去る。その年の大晦日、妻と共にシカゴを訪れたアンディ船長は、偶然立ち寄ったナイトクラブでステージに立つマグノリアを観る。ステージで怯むマグノリアを、アンディは、往年の座長として、父として、励まし、再会を喜ぶ。さらに時は流れ、1927年(初演時の現在)のナッチェズ。ショウ・ボートのスターはシカゴで名を売ったマグノリア。娘のキムも美しく成長している。そこに戻ってきたゲイロード。離れても愛し続けていたマグノリアは、彼を優しく受け入れる(幕)。

一歩間違えば“お涙頂戴”になりかねないドラマに深みを与えているのは、登場人物たちの、熱気と、どこかさばさばとした人生観だ。
素晴らしいのは、アンディ船長のキャラクター。重さ(熱情)と軽さ(笑い)のバランスが絶妙。演じるジョン・マクマーティンは、愛すべき『Sweet Charity』のオリジナル・キャストでチャリティと婚約する青年を演じた人(映画版も)。間違いなく、彼の懐の深い演技がこの舞台を支えている。トニー賞主演男優賞ノミネート確実。
そのマクマーティンと並んで特筆すべきなのが、ダンサー夫妻の夫フランク役、ジョエル・ブラム。1991年7月、オフ・ブロードウェイのウエストサイド劇場でヒット中だった『And The World Goes ‘Round』で、今『Crazy For Youに出ているカレン・ジエンバと共に、あきれ返るほどエネルギッシュで見事なダンスを見せてくれた人だ。ここでも、ダンサーとして、さらにはコメディリリーフとして、その時と同様スーザン・ストロマンの振付の下で献身的な動きを見せる。それも、ヴォードヴィルの臭いをプンプンさせて、時にスラップスティックなまでに。いやあ興奮しました。助演男優賞決定!!
ジョエルの相方のドロシー・スタンリーも動き良く、愛嬌があり(ちょっと歳がいってて達者な動きで愛嬌があるというタイプに弱いです)、好演。この人、調べたら、『Jerome Robbins’ Broadway』でフェイス・プリンスがやってた役を引き継いでいて、『Kiss Of The Spider Woman』ではチタ・リヴェラの代役で控えていたという実力派。むべなるかな。
アンディ船長の妻パーシィ役のイレイン・ストリッチは、見せ場は少ないながらも、微妙な役どころを貫祿でこなしている。彼女の強烈な存在感は、オリジナル・キャスト・アルバム録音風景を収録したCompanyFollies On Concert等のヴィデオで観ることができる。
マグノリア役のレベッカ・ルーカー、ゲイロード役のマーク・ジャコビーは、ドラマの中心となる2人を過不足なく演じて快い。
ジュリーは裏の主役とでも言うべきキャラクターで、ショウストッパーになる可能性を秘めているが、演じたロネット・マッキーはそこまでは到らない。歌もうまく熱演ながら今一つ凄味が足りない気がした。もっとも、観客の多くはこの役の重要性をよく知っていて(と言うのも1951年の3度目の映画化ではエヴァ・ガードナーが演じ、実質的な主役扱い)、彼女の歌には盛んな拍手が送られたが。
ジュリーが裏の主役なら影の主役はジョー。演じるマイケル・ベルが素晴らしいバスで聴かせる「Ol’ Man River」は、過酷な生活を強いられる黒人たちの哀感を歌い上げるだけでなく、進行していく劇の背後で何度も歌われることにより、時の流れに翻弄される人生の無常感のようなものを醸し出す。
ベルと並んで、下働きの黒人女性クィーニー役のグレサ・ボストンも歌が素晴らしい。
ハロルド・プリンスの演出は、前述したように重厚な「Ol’ Man River」を底流にして人々の人生の悲哀を感動的に描きながら、一方でアンディ船長やフランク&エリー夫妻等のキャラクターの陽気さを生かして笑いを忘れない。名作にはいつも笑いがある。笑いのない舞台は硬直して小さく見える。プリンスは、大掛かりなセットや大人数の出演者も実に手際良くさばいてみせ、豪華でありながら軽快な感じのする舞台に仕上げている。セットの入れ替わりを垂れ幕で仕切る(その垂れ幕を上げ下ろしするのは舞台上の人物)という方法の選択も、何気ないようでかなり大胆な決断だ。
さて、スーザン・ストロマンの振付。ミュージカルとしては『Crazy For You』後の初仕事。大いに期待したが、かなり満足すべき内容。ジョエル・ブラムの軽さを生かしきったことは先に触れた。印象に残ったのは他に2場面。
第2幕第9景、シカゴのホテルの前。時代が1900年から1921年まで移り変わっていく。その様子を街往く人々のダンスのスタイルの変遷で見せるシーン。もう1つはフィナーレ前、マグノリアとゲイロードの娘キム(タミー・アマーソン)が取り巻きの青年たちと「Kim’s Charleston」を踊るかなり長いダンス・シーン。前者は振付にストロマンを得たればこそのアイディアだろうし、後者は明らかにスター振付家ストロマンのための見せ場で、まずは快調。暮れのパラマウント劇場での『Christmas Carol』が楽しみ。>

『Christmas Carol』は、マディソン・スクエア・ガーデン内のパラマウント劇場でホリデイ・シーズンに期間限定上演された、スーザン・ストロマン(振付)とマイク・オクレント(演出)の『Crazy For You』コンビによる新作。これを観るために暮れにも飛ぶことになる。

冒頭で、上演中だった『Carousel』と比較して、このリヴァイヴァル『Show Boat』の古びなさを誉めているが、2017年版の素晴らしい『Carousel』を観て、同作に対する評価も変わった。当たり前だが、演出や役者で作品は変わる。

役者のトニー賞予想の結果については、後日のお楽しみということで。

The Chronicle of Broadway and me #080

19945月@ニューヨーク(その11)

例によって、トニー賞を参考に1993/1994年シーズンを振り返るが、その前に『Crazy For You(5月9日20:00@Shubert Thatre)について簡単に。ポリー役2代目のカレン・ジエンバが登場。そのことによる変化について、当時の感想から。

<彼女は、この『Crazy For Youの振付家スーザン・ストロマンの出世作となったオフ・ブロードウェイ・ミュージカル『And The World Goes ‘Round』でドラマ・デスク賞を受賞している。その後、やはりストロマンが振付した1992年6月のカーネギー・ホールでのソンドハイム楽曲のコンサートに出演し、『Crazy For Youのツアー・カンパニーでポリー役を務めていることからして、ストロマンお気に入りのダンサーなのだと思われる。
そういうこともあってだろう、ジエンバの出演箇所の演出や振付がかなり変えられていた。オリジナル・キャストのジョディ・ベンソンも踊れないという訳ではなかったが、ジエンバのダンスの能力はボビー役のハリー・グローナーに匹敵すると思われる。そのジエンバのダンスをより生かす方向での改変だろう。>

さてトニー賞だが、当時、受賞結果と自分の評価の比較をしているので載せておく。左が受賞者/右が自分なりの評価。『Passion』に否定的で『She Loves Me』に好意的な姿勢が強すぎる(笑)。なお、助演男優賞、照明デザイン賞に個人的に挙げたバーク・モーゼズ、レイニアー・トゥィービークは、そもそも候補になっていない。

●作品賞 『Passion』/該当作なし
●リヴァイヴァル作品賞 『Carousel』『She Loves Me』
●主演男優賞 ボイド・ゲインズ『She Loves Me』/同
●主演女優賞 ドナ・マーフィ『Passion』/ジュディ・キューン『She Loves Me』
●助演男優賞 ジャロッド・エミック『Damn Yankees』/バーク・モーゼズ『Beauty And The Beast』
●助演女優賞 オードラ・アン・マクドナルド『Carousel』/同
●演出賞 ニコラス・ハイトナー『Carousel』/スコット・エリス Scott Ellis『She Loves Me』
●脚本賞 ジェイムズ・ラパイン『Passion』/該当作なし
●楽曲賞 スティーヴン・ソンドハイム『Passion』/該当作なし
●振付賞 ケネス・マクミラン『Carousel』/同
●装置デザイン賞 ボブ・クロウリィ『Carousel』/同
●衣装デザイン賞 アン・フード=ワード『Beauty And The Beast』/同
●照明デザイン賞 リック・フィッシャー『An Inspector Calls』(プレイ)/レイニアー・トウィービーク『Cyrano: The Musical』

ミュージカル作品賞の候補は、受賞作『Passion』以外は、『A Grand Night for Singing』『Beauty And The Beast』『Cyrano: The Musical』の3作。『A Grand Night for Singing』は10月13日プレヴュー開始、11月17日正式オープン、1月1日クローズ。タッチの差で観られなかった短命作品。ロジャーズ&ハマースタイン作品を歌い継ぐレヴューだったはず。『Cyrano: The Musical』は観ることはできたが、こちらも短命。早い話、このシーズンは、新作に関しては『Passion』『Beauty And The Beast』の一騎打ちだった。しかも、ニューヨーク演劇界の空気は圧倒的にアンチ・ディズニー。他に選択肢がない、という状況下での『Passion』の受賞ではあった。

上記『A Grand Night for Singing』の他に、このシーズンに登場して観られなかったミュージカルは次の3本(開幕順)。タイトルの後のカッコ内はプレヴュー開始日~クローズ日。

『Camelot』(6/17/1993~8/7/1993)
『Joseph And The Amazing Technicolor Dreamcoat』(10/26/1993~5/29/1994)
『The Red Shoes』(11/2/1993~12/19/1993)

この内、『Joseph And The Amazing Technicolor Dreamcoat』は観ようと思えば観られたが、前年秋にロンドンで観ていたので敬遠した。

ちなみに、やはり短命に終わった『My Fair Lady』について、クローズにまつわる噂話を当時書き留めているので載せておく。あくまで噂だが、ありそうな話ではある。

<今回の『My Fair Lady』のクローズは、看板だった主演リチャード・チェンバレンの降板、ピカリング役のパクストン・ホワイトヘッドの臨時主演による中継ぎ、新主演マイケル・モリアーティの登用、と、誰の目にも明らかなトラブルの末の事だったのだが、このチェンバレンの降板の裏に、実はプロデューサーとの確執があったと言われている。そして、その原因は、プロデューサーのあまりの採算第一主義にチェンバレンが怒ったからだとも。その報復に、プロデューサーは、トニー賞ノミネーションからチェンバレンを外すように働きかけたという噂もある。>

[考察002]デイヴィッド・ヤズベクの音楽

『The Band’s Visit』オリジナル・キャスト盤のグラミー賞ベスト・ミュージカル・シアター・アルバム受賞を祝して、無料配信音楽誌「ERIS」20号掲載の記事(連載「ブロードウェイまで12時間と45分~NYミュージカル・シーンの音楽的動向~第13回/楽曲作者デイヴィッド・ヤズベクの新作が登場」)を転載します。2017年7月に書いたもの。このブログで既発表の[Tony2018] The Band’s Visitは、この記事の中間部分を、ブロードウェイ版『The Band’s Visit』観劇後に手直ししたもの。そこは内容がダブるが、ご容赦を。

<現地時間6月11日に発表された今年のトニー賞は、予想通り、新作『Dear Evan Hansen』とリヴァイヴァル『Hello, Dolly!』とが多くの賞を獲得して終了。ブロードウェイも新たなシーズンが始まった。

2017/2018年シーズンのブロードウェイに最初に登場するミュージカルは、8月3日にプレヴューを開始する『Prince Of Broadway』。プロデューサー、演出家として活躍してきたハロルド・プリンスの足跡を辿る名場面集的内容で、2015年の10月から12月にかけて、東京のシアターオーブと大阪の梅田芸術劇場メインホールでワールド・プレミア公演が行われ、宝塚歌劇団星組トップだった柚希礼音の退団後初出演作として話題になった。
東京公演を観たが、演出に、御大ハロルド・プリンスと並んでスーザン・ストロマンの名前があり、音楽監修がジェイソン・ロバート・ブラウンと来れば、これは“本気”モード。役者もブロードウェイの主演クラスが並び、しっかりと作られていた。ただ、同趣向の『Jerome Robbins’ Broadway』(1989年)や、『Fosse』(1999年)が、振付家から演出家へと進んだジェローム・ロビンズやボブ・フォッシーの“演出・振付の再現”という一貫性を備えていたのに比べると、ハロルド・プリンスはプロデューサーとして出発した後に演出家になっただけに、再現される場面が必ずしもプリンスの演出とは限らず、振付に到っては全く他人の仕事だったりするわけで、その辺りに若干割り切れないものを感じたのも事実。
ともあれ、ほぼ同スタッフで、キャストはさらに強化されるブロードウェイ版。プレヴュー初日のチケットを押さえたので、楽しみに待ちたい。

次いで登場するのが、10月7日にプレヴュー開始予定の『The Band’s Visit』(原作映画邦題:迷子の警察音楽隊)。『Prince Of Broadway』が実質的にはリヴァイヴァルな内容なので、こちらが今シーズン最初の“新作”ということになる。
その楽曲作者(作曲・作詞)デイヴィッド・ヤズベク(David Yazbek)にとっては4本目のブロードウェイ・ミュージカルになるが、彼はソロ・アーティストとしてロック/ポップのフィールドでも活動し、5枚のアルバムを発表してきている多才なミュージシャン。ファースト・ソロ・アルバムにはXTCのアンディ・パートリッジが参加して日本でも話題になったりしている。
今回は、その『The Band’s Visit』及び楽曲作者ヤズベクの話題で一席うかがいたい。、

ヤズベクについて私が知っている二、三の事柄

まずは、デイヴィッド・ヤズベクを知っている範囲で紹介。ソースはもっぱらイカリ、じゃなかったウィキペディアです。

デイヴィッド・ヤズベク。1961年ニューヨーク生まれ。母はイタリア系ユダヤ人、父はレバノン系。この家系は『The Band’s Visit』に影響していると思われる……が、それは後ほど。
小学校でチェロを学び、10代でピアノに親しむ。大学では、オリジナル・ミュージカルを書いたり、学生グループによるミュージカル『Hair』の演出をしたりした。
卒業後、かのデイヴィッド・レターマンのトーク番組のライターになり、チームとしてエミー賞を獲得。その後、CMのジングルや子供向け番組の音楽を手掛けたが、中でも、高校時代の友人である、ロッカペラのメンバー、ショーン・アルトマンと組んで書いた“カーメン・サンディエーゴ”シリーズのテーマ曲は番組のヒットと共に広く知られることになる。
で、その“カーメン・サンディエーゴ”シリーズ絡みの楽曲を集めたコンピレーション・アルバム『Out Of This World』てのが1993年に出されるのだが、その中に、ヤズベクやアルトマンの楽曲に混じって「Cherry In Your Tree」という曲が入っている。これを演奏しているのがXTC、書いたのがメンバーのアンディ・パートリッジ、プロデュースがヤズベク。
これが縁でパートリッジがヤズベクのファースト・アルバムに参加することになったと思われる。同ファースト・アルバムにはショーン・アルトマンもコーラスで参加している。
ちなみに、前述の『Out Of This World』のくだりは、ファースト・ソロ・アルバムの日本盤ライナーには記述がない。XTCの楽曲にヤズベクが関わってパートリッジと知己を得たことはわかっていたようだが、おそらく、『Out Of This World』がXTC単独のアルバムでなかったため、これを特定する情報がなかったのだろう。代わりに、企画中だというXTCのトリビュート・アルバムについて触れていて、それを“指揮している”のがヤズベクだ、と書いてある。ライナーにある大物揃いの参加候補アーティストとは顔ぶれがかなり違うが、実際、1995年にヤズベクがエグゼクティヴ・プロデューサーを務めた『Songs Of XTC: Testimonial Dinner』というコンピレーション・アルバムは世に出ている。けっこう面白い内容だが、話題になったんでしょうか?

で、だ。前述したように、デイヴィッド・ヤズベクは『The Band’s Visit』以前に3本のブロードウェイ・ミュージカルの楽曲を書いている。時系列で並べると、次の通り(日付はプレヴュー開始日~終演日)。

『The Full Monty』(フル・モンティ) 2000年9月25日~2002年9月1日(2000年11月4日観劇)
『Dirty Rotten Scoundrels』(ペテン師とサギ師/だまされてリビエラ) 2005年1月31日~2006年9月3日(2005年2月4日観劇)
『Women On The Verge Of A Nervous Breakdown』(神経衰弱ぎりぎりの女たち) 2010年10月8日~2011年1月2日(2010年11月21日観劇)

※他に、2004年の『Bombay Dreams』にも追加の作詞で関わっているが、これは別扱いでいいだろう。

秋に幕を開ける『The Band’s Visit』を含め、いずれも映画の舞台ミュージカル化で、ここに書いた邦題は元になった映画に付けられたもの。ちなみに、『The Full Monty』『Dirty Rotten Scoundrels』は日本でも翻訳ミュージカルとして日本人俳優により上演されたが、その際、後者の邦題は『ペテン師とサギ師』と短縮されていた。

既発表ミュージカル3本の出来は?

では、過去作3本をサクッと解説しよう。

『The Full Monty』は3本の中では最も当たった作品。元になったのは1997年の同名イギリス映画で、舞台となる町をイギリス北部のシェフィールドからニューヨーク州バッファローに移し替えて、舞台ミュージカル化した。
製鉄会社の操業停止で失業した男たちが、女性客専門の男性ストリップが人気なのを目撃し、自分たちも同じ手でひと山当てようと考える。オーディションで6人のメンバーを揃えるが、それぞれ抱えている問題があって空中分解しそうになる。が、家族の励ましもあり、最後には全員で“フル・モンティ(真っ裸)”のステージに挑む。
名匠テレンス・マクナリーが脚本を書き、映画にはなかった業界通のヴェテラン女性リハーサル・ピアニスト(キャスリーン・フリーマン!)を加えたりしながらミュージカル寄りにうまく修正。マチズモ批判を隠し味に、市井の人々の笑って泣けるドラマに仕立てていた。
ヤズベクの楽曲は、〈基本にファンキーなR&Bテイストがあって、ビート感が強い。それが、ブルーカラーの街のぶっちゃけた気分を出しているし、舞台に今日的な印象を加えてもいる。そうした中に、シンガー・ソングライター的な感触のバラードが時折交じって、しんみりした心情を伝える。さらには、陽気なラテン・ナンバーも1曲用意されていて、華やかでユーモラスな彩りを添える。〉……と、これは当時サイトに書いた感想から。ヤズベクのことを、〈器用さを持つと同時にアメリカン・ミュージックの魅力の核もつかんでいるように見える〉とも書いている。続く2作の楽曲も、基本的には同じ印象。
ただ、『The Full Monty』には、年嵩の一見ショボいオヤジがオーディションにやって来て意外にもファンキーに踊りまくる「Big Black Man」と、最後の“フル・モンティ”に向けて盛り上がるストリップ・ショウのナンバー「Let It Go」(もちろんディズニーの“あれ”とは別曲)という強力な2曲があり、これが後続作品より興業的にうまくいった要因の1つだと思われる。

『Dirty Rotten Scoundrels』の元は1988年の同名アメリカ映画で、それ自体が1964年の映画『Bedtime Story』(邦題:寝室ものがたり)のリメイク。’64年版がマーロン・ブランドとデイヴィッド・ニーヴン、’88年版がスティーヴ・マーティンとマイケル・ケインの共演、と言うか競演(?)。リゾート地を舞台にした2人の詐欺師の丁々発止の駆け引きがあって、そこに若い女性詐欺師が絡むという、いわゆるコン・ゲームがその内容。ちなみに、’64年版の女性詐欺師役は、後にパートリッジ・ファミリーの“お母さん”になるシャーリー・ジョーンズだった。
舞台版の詐欺師は、ノーバート・レオ・バッツ、ジョン・リスゴー、それにシャーリー・レネ・スコットという顔ぶれ。バッツは2003年『Wicked』の主要オリジナル・キャストで、この作品でトニー賞主演男優賞を獲る。リスゴーは映画でも知られているが、’70年代から舞台で活躍してきたヴェテラン。スコットは2000年『Aida』の敵役アムネリスでスターになった人。実力派3人が、ドラマの中だけでなく役者としても火花を散らす、という構図だ。
本作と次作の脚本は、主にテレビ畑で仕事をしてきたらしいジェフリー・レイン。うまくまとめ上げているが、全体にこぢんまりした印象に留まっていた。
ここでのヤズベクの仕事ぶりは、設定に沿って『The Full Monty』よりヨーロッパ寄りに幅を広げた…と言うか、昔風のミュージカル・ナンバーが増えた感じ。歌の内容に合わせてカントリー調の楽曲もある。

『Women On The Verge Of A Nervous Breakdown』の元は1988年のスペイン映画で、スペイン語タイトルが「Mujeres al borde de un ataque de nervios」。複数の男女の恋愛狂騒曲といった内容で、筋が入り組んていて、そこが面白いはずなのだが、あまりうまくいっていない。
演出のバートレット・シェールは、リンカーン・センターで手掛けた『The Light In The Piazza』『South Pacific』で大掛かりな装置を丁寧に使って美しい舞台を作り上げた人だが、ここでは凝った装置(コンピュータ制御の大道具+プロジェクター類の映像)を導入したものの、煩雑な印象を強めて、結果マイナス。慌しいコメディには向いていないのかもしれない。もちろん、ジェフリー・レインの脚本にも責任はあるだろう。
役者は、前作のシェリー・レネ・スコットに加え、パティ・ルポン、ローラ・ベナンティと人気女優を揃え、男優陣もブライアン・ストークス・ミッチェル、ダニー・バースタインというトニー賞クラスの他、「アメリカン・アイドル」出身のジャスティン・グァリーニまで投入したが、当初予定されていた限定公演最終日を3週間繰り上げるという、事実上の空振りに終わっている。
この作品のヤズベクの楽曲には、舞台がスペインであることに合わせてフラメンコ色が加わったものや、若干だがダブ感覚が入ったものが含まれる。

以上3作の全てで、ヤズベクはトニー賞の楽曲賞候補になり、受賞は逃している。

作風が変化した『The Band’s Visit

で、最新作の登場となるわけだが、『迷子の警察音楽隊』という邦題にお聞き覚えはないだろうか。元はエラン・コリリン監督・脚本による2007年のイスラエル映画で、第20回東京国際映画祭に出品され、最優秀作品賞に当たる東京サクラグランプリなる賞を受賞している。
今回のミュージカル化舞台は昨年秋にオフのアトランティック・シアター・カンパニーのホーム、リンダ・グロス劇場で上演され、好評を得て複数の賞も獲得。1年の時を経てブロードウェイに登場することになった。
実のところ、この作品におけるヤズベクの楽曲は、過去3作とは少し印象が違う。という話を、昨年のオフ上演を観ての感想を交えて書いてみる。

物語の舞台は1996年のイスラエル。そこにエジプトの伝統ある警察音楽隊の8人が親善のためにやって来る。翌日、ペターティクヴァ(Petah Tikva)という町の文化センターで演奏することになっているのだが、空港に来ているはずの迎えがいない。うまく連絡もとれず、しかたなく自力で目的地へ向かうことにする。ところが、乗り込んだバスの着いた先は、発音のみ似て実態は非なるベターティクヴァ(Bet Hatikva)という砂漠の中の小さな町だった。戻りのバスはすでになく、また宿もなく、その日は、最初に訪ねた食堂の女主人の厚意で、3組に分かれて別々の家に泊めてもらうことになる。そんな経緯で始まる、一筋縄ではいかない関係にあるエジプトとイスラエルという国の、めったに巡り合うことのない“普通の人々”が共に過ごす一夜の物語。
原作の映画を観ていただくとわかるが、最大の事件は発端で音楽隊が違う場所に着いてしまうことだけで、後は淡々と進んでいく。日常言語が通じ合わないアラビア語とヘブライ語なので、共通言語の英語でたどたどしく話すことも、それに輪をかける。にもかかわらず、観ていて飽きることがない。ユーモラスで、苦味もあり、静かに感動する。
舞台版も、ほぼ同様の展開で、実に淡々としている。一般的なミュージカルのソング&ダンスというイメージからは遠いと言ってもいいかもしれない。音楽隊だけに、登場人物が楽器演奏をする場面もあるが、控えめだ。場面転換も、舞台が静かに回っていくスタイルで、派手さは全くない。
したがって、ヤズベクの楽曲も、これまでと違って抑え気味。むしろ“沁みる”系のナンバーが多い。そういう意味では、新たな気持ちで臨んだプロダクションだったのではないだろうか。そして、それが少なくともオフでは成功していた。
ちなみに、演出のデイヴィッド・クローマーはもっぱらストレート・プレイを手掛けてきた人。こうした舞台には、むしろ向いているのだろう。ただ、7月下旬現在での話だが、ブロードウェイ版『The Band’s Visit』公式サイトには「演出/デイヴィッド・クローマー」と書かれているが、プレイビル・オンラインの同作品ページには、主要のキャストやスタッフの名前が挙がっている中、なぜか演出家の名前が出ていない。何か揉めているのか。あるいは交代があるのか。小規模なプロダクションだっただけに、ブロードウェイの劇場での変更を考えているのか。少し心配。
話をヤズベクに戻すと、この作品でのヤズベクの起用が誰の発案なのか、あるいはヤズベク自身がこの素材の舞台ミュージカル化を望んだのか、気になる。なにしろ、先に書いたように、ヤズベクは、母方がユダヤ、父方がレバノンの家系。ご承知の通り、エジプトはイスラエルを挟んでレバノンの反対側にある国。しかも、なぜか3枚目のソロ・アルバムに「ダマスカス」(レバノンとの国境近くに位置するシリアの首都)というタイトルを付けていたりもする。音楽的にも政治的にも関心がないはずがない。この件に関するヤズベクのインタビューがどこかにないかと検索したが、今のところ見つけられていない。

良質のソロ・アルバム群

最後に、デイヴィッド・ヤズベクの5枚のソロ・アルバムを挙げておく。

『The Laughing Man』1995年(*注)
『Tock』1998年
『Damascus』2001年
『Tape Recorder:Collected Works』2005年(過去3作のベスト盤)未入手
『Evil Monkey Man』2007年
*注=ウィキペディアにもヤズベクの公式サイトにも1996年と書いてあるのだが、日本盤を見る限りは1995年なので、そちらを採った。

音楽的な特徴は手がけたミュージカルの楽曲と基本違わない。あえて、ひとことで言えば、洒落たアレンジのパワー・ポップ、ということになるのだろうが、ニュアンスが豊かで飽きない作風だ。ギターも弾くが、本来はキーボード奏者で、地声(たぶん)で歌うとベン・フォールズに似ていなくもない。もっとも、声も楽曲によって微妙に使い分けているから一概に言えないのだが。さらに言えば、コーラス・ワークも巧みで、バンド・メンバーによるコーラスに加えて、一人多重録音も駆使していたりする。
もちろん、共演メンバーや年月と共にサウンドが変化するところもあるが、それでも1枚目から3枚目まではかなり近い印象。それに比べると、5枚目では、やや大きく変化している。
実は、5枚目のCDジャケットの裏には、表や背のヤズベクの単独名義とは別に、「DAVID YAZBEK AND HIS WARMEST REGARDS」と書かれていて、ライヴなバンド色を強めている。メンバーはピアノ/オルガン/ヴォーカルのヤズベクの他に、ギター/ラップ・スティール/バック・ヴォーカル、アップライト・ベース/エレクトリック・ベース、ドラムス/パーカッション/バック・ヴォーカルの3人。ゲストでサックス奏者が入るが、あくまでバンドは4人。アレンジは過去作よりシンプルで、曲によってはほぼ弾き語りの場合もあるし、楽曲もスローが増えている。この辺りの感触が、『The Band’s Visit』の音楽につながっているのかもしれない。
ちなみに、ドラムスのディーン・シェアナウは、近作でヤズベクと並んでプロデューサーとしてクレジットされている他、『Women On The Verge Of A Nervous Breakdown』のキャスト盤でも共同プロデュースを務めている。…と思って調べてみたら、『Women On The Verge Of A Nervous Breakdown』までのミュージカル3作ではドラムス担当で舞台のオケピに入っていて、かつ『Women On The Verge Of A Nervous Breakdown』以降、音楽コーディネーターとして、ヤズベク作品以外のブロードウェイ・ミュージカルでも活躍しているようだ。また、初期作に参加してるギターのビリー・ストラウスは、例のコンピレーション『Out Of This World』と、『The Full Monty』『Dirty Rotten Scoundrels』のキャスト盤に共同プロデューサーとして名を連ねている。
アンディ・パートリッジやショーン・アルトマンの件と言い、こうしてみると、どうやら、ヤズベクはコラボレーションの達人のようだ。そうした才覚が、舞台世界で重用される理由の1つなのかもしれない。
いずれにしても、『The Band’s Visit』がブロードウェイで当たるのかどうか。興味は尽きない。

(追記)
ヤズベク3枚目のソロ・アルバムのタイトル「ダマスカス」が気になって、フェイスブックを通じてヤズベク本人に由来を質問してみた。
で、割とすぐに答えは返ってきたのだが、それが、たったのひと言、「Lawrence of Arabia」。え??? これだけ?
映画『アラビアのロレンス』の中ではダマスカスの戦いはロレンスの運命の転換点として描かれているはず。そう思って、「ターニング・ポイントという意味?」と問い直してみたが、こちらの答えは未だに届いていない。砂漠の風に舞っているのだろうか(笑)。>

★from ERIS No.20

あの地味な内容で約1年半のロングラン。『The Band’s Visit』は当たったと言っていいだろう。ちなみに、演出家の変更がなかったのはご承知の通り。

The Chronicle of Broadway and me #076

19945月@ニューヨーク(その7

『Damn Yankees』(5月8日15:00@Marquis Theatre)の初演の開幕は1955年5月5日(この時代のミュージカルはプレヴュー開始日が必ずしもわかっていないらしく、正式オープン日しかデータとして出てこないことが多い)。リチャード・アドラー&ジェリー・ロスの楽曲作家(共同で作曲・作詞)コンビ以下、その前年開幕のヒット作『The Pajama Game』と、製作(フレデリック・ブリッソン、ロバート・E・グリフィス、ハロルド・プリンス)、脚本・演出(ジョージ・アボット)、振付(ボブ・フォッシー)等の主要スタッフがほぼ同じ(違うのは、前作で共同脚本のリチャード・ビッセルと共同演出のジェローム・ロビンズが不参加で、今作の脚本に原作小説を書いたダグラス・ウォロップが参加、といった辺り)。トニー賞で作品賞を含む7部門を受賞。前作同様のヒットとなった。
という歴史的事実より、当時の感想にも書いているが、個人的な認識としてはボブ・フォッシー振付ミュージカルの代表作の1つってことになる。これが最初にして今のところ唯一のブロードウェイ・リヴァイヴァル。以下、当時書いた「あらすじ」。そして感想。

<初老の男ジョーは万年最下位である野球チーム、ワシントン・セネターズの大ファン。セネターズを優勝させたいジョーは、モダンな悪魔アプルゲイトの誘いに応じて魂を売り、若き天才スラッガーに変身、愛する妻の元を去る。ジョーの活躍でセネターズは優勝候補となるが、アプルゲイトの計画は、最後の最後でセネターズを負けさせ、優勝させないことでセネターズ・ファンの心を踏みにじろうというもの。が、アプルゲイトがジョーを陥れるために呼んだ魔女ローラが、ジョーの真情に触れてジョーを助けたため、セネターズは優勝、ジョーの変身も解けて愛妻の元に帰る。>

<『Damn Yankees』 (邦題:くたばれ!ヤンキース)は、“ボブ・フォッシー(振付)とグエン・ヴァードン(主演=ローラ役)の”という冠付きでインプットされている。
1958年の映画版しか観ていないが(しかもヴィデオで)、フォッシー(出演!)とヴァードンが2人で踊るマンボ「Who’s Got The Pain?」にはシビレた(ドラマ場面はやや間延びしているが、ダンス場面は必見)。

その映画版のダンス・シーンが、どこまでオリジナルの舞台を再現しているのかはわからない。フォッシィの追悼TV番組でヴァードンが、この映画版を撮る時の話として、「(フォッシーは)映画と舞台が違うのはわかっていました。カットやアングルなど映画の専門知識もありましたから」と語っていたことからして、オリジナル舞台版とは違った振付になっている部分は少なからずあるに違いない。
が、少なくとも「Who’s Got The Pain?」に関しては、おそらくオリジナル版にかなり近いはず。というのも、設定が劇場の舞台でのダンスで、しかもアングルがほとんど正面からの引きだから。リヴァイヴァル版のこのナンバーでは、ロブ・マーシャル (『She Loves Me』『Kiss Of The Spider Woman』)の振付は映画版をほぼ踏襲している。フォッシーに最大限の敬意を払ってのことだと思われる。とは言え、映画版では最後まで2人で踊るこのナンバー、舞台では後半に男性ダンサーをどんどん加えてゆき、単なるコピーになってしまうことも避けている。
他のダンス・ナンバーはどうか。
映画版と直に比較できるのは、他には2つ。威勢のいい女性記者グローリアの鼓舞を受けてセネターズの選手たちがグラウンドでアクロバティックに踊る「Shoeless Joe From Hannibal, Mo.」と、ジョーを誘惑するためにロッカールームでローラが踊るセクシャルな「Whatever Lola Wants (Lola Gets)」。映画版と比較する限り、どちらも今回はフォッシー的な要素を排している。つまり、あの“不自然な身体の動きの魅力”がなくなっている。振付はフォッシーじゃないんだから、と思って観ても、何だかあっさりしすぎて物足りない。それでも前者は運動量の多さと迫力でオオッと思わせるが、後者はヴァードンの見せ場だっただけに、どうしても“違う”感じが残った。
映画版にはないダンス・ナンバーは、TVの野球中継に夢中の夫+それを嘆く妻5組がソファを間に踊る「Six Months Out Of Every Year」(映画版では、歌はあるがダンスがない)、セネターズの選手たちのダメプレイ振りをコミカルに見せる「Blooper Ballet」、ローラとアプルゲイトがカンカン帽とステッキで踊るヴォードヴィル的な「Two Lost Souls」(映画とは全く別物になっていた→後述)。
「Six Months~」は開幕直後の小手調べみたいなもので、どうということもないが、パントマイム的な動きでギャグ(切れはイマイチ)を盛り込んだ「Blooper Ballet」はちょっと面白い。ただ、このナンバーは、映画版の「Shoeless Joe~」の導入部の動きを拡大したと言えなくもない。
「Two Lost Souls」のダンスは、例えて言えば、映画『The Band Wagon』のデュオ・ダンス「I Guess I’ll Have To Change My Plan」に似ている。実はこのナンバー、映画版でもオリジナル版でもローラとジョーがアンサンブルと一緒に酒場で踊るというもので、少なくとも映画版では、フォッシー独特の頽廃的ムードを漂わせた振付による大きな見せ場になっていた。それをローラとアプルゲイトのデュオとして全く別の振付で踊らせたのは、ニューヨーク・タイムズによれば、ニューワースとヴィクター・ガーバー(アプルゲイト役)がこのショウのスターだからじゃないか、というのだが、一方で、あまりにフォッシー的イメージの強いダンス・シーンをあえて避けたようにも思える。

その主演の2人については、萩原流行を大きくしたような感じのヴィクター・ガーバーが、悪魔を飄々と演じてよかった。
一方のビビ・ニューワースは、ロンドン版の『Kiss Of The Spider Woman』でチタ・リヴェラの後を受けて蜘蛛女を演じた人で、フォッシー自身によるリヴァイヴァル版『Sweet Charity』で1985/1986年のトニー賞助演女優賞を得ている。この作品でも熱演しているが、マドンナを意識した役作り(誰も言ってないけど、たぶんそう)がうまく噛み合っていないせいか、キャラクターにふくらみがなく、魅力に乏しかった。
脇はがっちり。監督役ディック・ラテッサ(『The Will Rogers Follies』の初代父親)、記者役ヴィッキ・ルイス、ジョーの妻リンダ・スティーヴンス、オールド・ジョー役デニス・ケリー、そして純真なヤング・ジョー役ジャロッド・エミック、みんな柄にはまって好演だった。セネターズの選手たちも型通りだがキャラクターができていた。

『Passion』の翌日に観たダンスの豊富なミュージカル・コメディだったからか、細かく見ていけば不満もいっぱいあるのだが、それでも楽しんで観られた。とはいえ、やっぱりオリジナルを観たいよなあ、と思わせるというのは、リヴァイヴァルとしては成功とは言えまい。
それと、このマーキーズという劇場、観光客専用という感じの薄っぺらい豪華さとよそよそしさがあって、いつも心から楽しめない。この劇場での上演は、それだけで1割方マイナス・イメージになる気がする。>

映画版で観たボブ・フォッシー振付に対する思い入れが強すぎて評価が厳しくなっている面がないではないが、後に『The Full Monty』『Hairspray』で当てるジャック・オブライエンの、脚本手直しを含む演出もあまりうまくいっていなかったと思われる。ビビ・ニューワースの魅力も生かしきれていなかったし。しかし、マドンナを意識した役作りって推理は、ホントのところどうなんだろ(笑)。
「Two Lost Souls」のオリジナルの振付は、2008年のシティ・センター「アンコールズ!」版のこの映像が近いと思われる。ジェイン・クラコウスキーのローラが魅力全開。観たかったな。
ちなみに、「Who’s Got The Pain?」の映画版はこちらで観られる。ただただ素晴らしい。

The Chronicle of Broadway and me #075

19945月@ニューヨーク(その6

『Passion』(5月7日20:00@Plymouth Theatre)はスティーヴン・ソンドハイム(作曲・作詞)の新作。脚本・演出は『Sunday In The Park With George』『Into The Woods』から続いてのジェイムズ・ラパイン。『Into The Woods』は、かろうじて初演に間に合ったが、すでに主要オリジナル・キャストの大半が降りた後だったので、まっさらのソンドハイム作品に触れるのは、これが初めてと言っていい。が、必ずしも芳しくない印象。まあ、ずっと後(2013年3月)にオフのリヴァイヴァルを観て評価が変わるのだが。以下、当時の感想。

『Beauty And The Beast』とは対照的に、決して観光客は動員できないと思われるのが『Passion』だ。
とても気分が悪かった。救いのない、非常に嫌な話。

ストーリーを紹介すると……。

1863年のイタリア。愛しあう人妻クララと若い将校ジョルジオ。愛の喜びに美しい2人は輝いている。ある日、ジョルジオは国境の部隊に転属になる。そこでは将校たちが隊長の屋敷で食事をするのだが、時折2階から不気味な女の叫び声が聴こえる。それは隊長の姪でオールドミスのフォスカ。彼女は病身の上に醜い(という設定)。そのフォスカがジョルジオに恋情を抱く。フォスカの病身を気づかうジョルジオが優柔不断な態度でいるのにつけ込むように、フォスカの執着の度合いは日毎に激しくなっていく。ただ一人事情を知る軍医も、ジョルジオをフォスカから離すまいとする。身を隠すように突然休暇を取ってクララの元に向かうジョルジオの乗った汽車にフォスカが乗り込んできた時の怖さったらない。フォスカを振り切ってクララと再び愛を確かめあったジョルジオは、クララに結婚を迫るが、まだ幼い子供のこともあって無理だと言われる。裏切られたように感じ、失意のまま国境の町に帰るジョルジオ。ところが、以前フォスカがジョルジオに無理矢理書かせたフォスカ宛の恋文を隊長が発見、侮辱だとしてジョルジオに決闘を迫る。その夜ジョルジオは、フォスカの執着こそ純粋な愛だと受け取り、一夜を共にする。翌朝、銃による決闘で隊長を撃ち殺してしまったジョルジオは、ショックを受け倒れるが、フォスカも病状を悪化させて死んでしまう。

1時間50分休憩なし。ジョルジオとクララが交わす手紙(歌)でつなぎながら、天地左右に移動自在な何枚もの壁の如きパネル(これによって演じる空間を狭めたり広げたり分割したりする)と、屋内ならベッド、テーブル、椅子、ピアノなどの家具、それに階段、屋外は数個の岩、といった必要最小限のセットの出し入れとで、流麗に場面は変わっていく。その視覚的な構図の絵画的鮮やかさ、衣装、照明まで含めた抑えた調子の色彩の美しさは見事。
が、気分は悪い。役者たちが見事に演じれば演じるほど、何故こんな酷く不快なドラマを見せられなければならないのか、という思いが募ってくる。
プレイビルによれば、このミュージカルは「Fosca」という小説、さらにその小説の映画化『Passione D’Amore』(邦題:パッション・ダモーレ)を下敷きに作られたらしい。映画は1980年製作のイタリア=フランス合作で、双葉十三郎「ぼくの採点表」によれば、フォスカの容姿をかなり「グロテスクに強調している」らしく、「生理的に愉快でないのも有難くないが、そこにかえって残酷物語としての魅力が生れていることは否定できない」と書かれている。どうも怪奇サスペンスという側面を持った映画なのではないかという気がする。
映画なら、その狙いはわかる。それを何故ミュージカルに?
楽曲に曲毎のタイトルが付けられていないのは、オペラを意識してのことか、あるいは従来のミュージカルとは一線を画することの宣言なのか。とにかく、ドラマへの嫌悪が先に立ったこともあってか、あまり音楽が印象に残らなかった。将校の1人(演じるのはブロードウェイ版『Miss Saigon』の2代目エンジニア、フランシス・ルイヴィヴァー)が、フォスカのピアノ伴奏で余興として歌うオペラの曲の触りが全体の抑えた調子の中で際立ったのは皮肉。
役者は、フォスカ役のドナ・マーフィが、正月に観た『Hello Again』の娼婦役とは打って変わったメイクで鬼気迫る熱演。ジョルジオ役のジェリー・シェイも、繊細な表現をよくこなしていると思う。もっとも、一番印象に残っているのはクララ役マリン・メイズィーの美しいヌードなのだが。

当初4月28日の予定だったグランドオープンが5月9日に延びたので、観た日はまだプレヴューだったのだが、そのオープン翌日のニューヨーク・タイムズに出たデイヴィッド・リチャーズの初日評は好意的だった。
テーマや、音楽、特に歌詞について、過去のソンドハイムの作品と比較しながら細かく分析していて、その辺はわからない部分なので、違った評価につながっても当然だろう。が、よーく読んでみると必ずしも絶賛というわけでもないようにも思える。ズバッと褒めていない。どうも歯切れが悪いのだ。例えば、「新作ミュージカルが悲しむべき状況のシーズンにあっては、『Passion』が最も価値ある作品であるのは論を待たない。が、この作品は、仕上がり以上に、その成熟した野心が賞賛されるべきだ。」という部分など、筆者の揺れる思いが表われている気がするのだが、うがち過ぎか。
ともあれ、ミュージカルの芸術的指導者であることを自ら任じているであろうソンドハイムの、このあまりにも後味の悪い作品を積極的に観にいくのは、好奇心の強いニューヨーカーか、業界人か、よほどのミュージカル好きに限られるだろう。>

恐る恐る観た2013年のオフ版で素直にフォスカに感情移入できたのは、演出や役者の違いか、こちらが歳を重ねたせいか。音楽のよさも今ではわかる。いずれにしても、この初演版を観た時は、途中で劇場を出たくなったが幕間がないので出られない、というのが本音だった。ちなみに、あらすじは、そんな心情に沿って歪めて書いてある可能性もあるので、ご用心(笑)。
結局1年続かずに幕を下ろすのだが、トニー賞では作品賞も含め4部門で受賞。シーズンの総括で言及するつもりだが、ライヴァルがいなかったためだと思われる。
上記の感想中にもあるが、幕開き直後に全裸のマリン・メイズィーが出るので驚いた。彼女と初めて出会ったのは1989年の『Into The Woods』。この後も多くの舞台で観てきたが、昨年9月に卵巣ガンのために亡くなった。残念。

The Chronicle of Broadway and me #074

19945月@ニューヨーク(その5

『Beauty And The Beast』(5月6日20:00@Palace Theatre)はディズニーのブロードウェイ・ミュージカル第1弾。以下、当時の感想。

<ディズニーのアニメーション映画『Beauty And The Beast』(邦題:美女と野獣)は、映画ミュージカルの楽しさを思い切り詰め込んだ素晴らしい作品だった。それを、どう舞台ミュージカルに生まれ変わらせるのか。実は、今回一番期待していたのが、この作品だった。
結論から言えば、映画版をなぞったに過ぎない→その結果、当然映画版には及ばない→ディズニーランドのアトラクションのごときスケールの小さいミュージカルだった、ということになる。

具体的に不満だった部分を挙げていこう。
まず、映画版ではハイライト・シーンだった「Be Our Guest」のチープさ。ジーグフェルド・フォリーズ等に代表される豪華な舞台のレヴューを、映画の特長を生かしてさらに豪華なものにしたのが黄金時代のMGMミュージカル。それを、アニメーションの自在さで現代に蘇らせた映画版のこの名場面。質量共に豪華でなければ納得できないが、奇しくも同じパレス劇場で上演された『The Will Rogers Follies』が、製作コストのバカ高くなった現代でも、そこそこの豪華さを演出することが可能なことを教えてくれている。にも関わらず、この舞台版の「Be Our Guest」は、登場人物たちをむやみに駆け回らせ、仕上げに安っぽい花火を発火させてお茶を濁しているという印象を免れない仕上がり。演出の問題以前に、登場人物、特に舞台の華となる、いわゆるガールズの数が少なく、舞台がスカスカに見えてしまうのが、なによりの敗因だろう。
そうしたスカスカ感は、後半、村人たちが野獣の城に押し入っての、野獣の召使たちとのスラップスティック的乱闘シーン「The Battle」の時にも感じる。善悪入り乱れての大乱闘、という感じが全然しないのだ。
同じスラップスティックということで言えば、酒場で悪役ガストン(バーク・モーゼズ好演)を讃えて、その手下ルフォーと村人たちが大騒ぎする「Gaston」は、まだがんばっている方だが、映画のイメージを追って作られているために、かえって迫力不足に見える。ダンスはここが一番華やかだったが、横一線での振りが『Crazy For You』の亜流に見えたのもマイナス要素。
これも映画では大きな見せ場となる、美女と野獣のダンス・シーン「Beauty And The Beast」。CGを駆使した美しい背景とダイナミックなカメラワークとが、ロマンティックな雰囲気を、これ以上ないほど高めていた。が、舞台では、何の変哲もないセットの前で2人が踊るだけ。ここに『Sunset Boulevard』の屋敷ほどの豪華なセットが登場したなら……。
要するに、映画と同じように作って、なおかつ映画に負けないようにするには、もっとお金をかけて、より多くの登場人物と、より豪華なセットを用意する必要があった。それをしなかった分、ディズニーランドのアトラクション程度の舞台で終わった、ということだ。あるいは、ハナから映画とは別のものとして、一から作り直していれば、オーソドックスながらも、きちんと楽しめる舞台ミュージカルができたと思うのだが。なにしろ映画と舞台とでは見せ方も楽しみ方も違うのだから。

映画のイメージを変えない。それが大命題だったに違いない。脚本、演出、振付、装置デザインはディズニー関連の仕事の経験者で固められている。個性の強い演出家は使うなというのがプロデューサーの意向だった、という話も漏れ聞いた。
つまり、この舞台は、映画版を観た人が、それを人間が実際に演じるとどうなるのかを確認して楽しむためのものなのだ。そして、それ以上のものである必要はないと作る側は考えている。
その方針が商売の上からは間違っていないことを裏付けるように、チケットは売り切れ状態。実際に劇場に来た観客たちは子供から大人まで充分に楽しんでいた。そして、どの劇場よりも数多く設けられた土産売り場に殺到していた(公演時間以外の時にも劇場の前に土産売り場が出ているのには驚いた)。
ここは、ブロードウェイという付加価値をまとったディズニーランドのニューヨーク出張所なのだ。だから、ここを訪れるのは観光客。たとえニューヨーカーであっても心理的には観光客。作る側は、客層をそこに絞り切っている。

ところで、冒頭と最後の、王子→野獣、野獣→王子、の変身シーンは見事だったことを付け加えておく。特にクライマックスの野獣→王子の変身シーンの存在は大きく、これがなかったら案外締まらない印象になっていたのではないか。担当したジム・スタインメイヤーは、日本ではツムライリュージョンとして知られるジークフリード&ロイなどの有名マジシャンたちと仕事をしてきた人らしい。>

賞レースではほぼ無視されたが(トニー賞は衣装デザインのみ受賞)、関係なく客は集まり、最終的には13年を超えるロングランになった。
ディズニーは、本作の成功を糧に、『The Lion King』『Aida』で違った方向の冒険を試みて面白い展開を見せるが、その後、数作の失敗を経て、最近は再び安全策に戻っている。『Frozen』はその典型。

 

The Chronicle of Broadway and me #064

19941月@ニューヨーク(その3

『My Fair Lady』(1月5日20:00@Virginia Theatre)を観たのは、これが初めて。1956年の大ヒット作のリヴァイヴァル。ブロードウェイでは、これ以前にも2回、1976年と1981年にリヴァイヴァル上演されている。以下、当時の感想。

<想像したよりずっとコンパクトな印象。
理由の1つは、セットのシンプルさから来る。抽象的とまでは行かないが象徴性の強いセットで、例えば冒頭の市場のシーンは、木箱のようなものをいくつも積み重ねて砦のようにしてある。基本的にその背景には何もない。ヒギンズ教授の書斎も、本がぎっしりと詰まった本棚を“想像させる”セットで、カリカチュアライズされた感じの実験装置や巨大な人間の頭の標本が脇に置いてある。
これについては観ていて何ら不満はなかったのだが、後で思ったことがある。このシンプルなセットが成立するのは、ほとんどの観客が作品の背景をよく知っているからではないか、と。広く知られる映画版や過去の舞台を体験している観客たちは、この象徴性の強いセットの向こうに自分の頭に刻まれている具象的セットを観ているのではないか。大ヒット作のリヴァイヴァルだからこそのアイディア、という気がした。
ただし、故レックス・ハリスンのイメージが強烈な主役ヒギンズ教授役を「テレビ・シリーズの王者と呼ばれた男」(byプレイビル)リチャード・チェンバレンが演じているのだが、そのヒギンズに上流階級のイメージがイマイチ足りなかったのは、豪華さの不足したセットにも原因があるのではないか。
コンパクトな印象の理由のもう1つは、構成に無駄がないため。まあ、1950年代を代表するミュージカルの1つなのだから完成度の高さは当たり前なのだが、それにしても、贅肉になるドラマ部分が全く見当たらない。名曲(だと、みんなが知っているのが強い)が歌われるシーンがひっきりなしに現れるからか。

とにかく楽しかったのがアンサンブルによるダンス(振付ドナルド・サドラー)。
ヒロイン、イライザの父役ジュリアン・ハロウェイ(初演でこの役を演じたスタンリー・ハロウェイの息子)を中心に始まる下層階級の人たちのお祭曲2つ、「With A Little Bit Of Luck」(邦題:運が良けりゃ)と「Get Me To The Church On Time」(邦題:時間通りに教会へ)で盛り上がる。特に後者にはヴォードヴィル的芸(ベン・ジョージ、ジョン・ヴィンセント・レッジオ)もあったりして、全編のハイライト。
ちなみに、「時間通りに教会へ」の市場の場面から次のヒギンズ教授の書斎へ移る場面が面白い。一旦ダンスが終わり拍手を受けた後、再び「時間通りに教会へ」の伴奏が流れ、市場のセットは左右に捌け始める。同時にダンサーたちも少しずつ舞台袖に消えていくのだが、後ろから書斎のセットが前進してきてヒギンズ教授が舞台に現れても、まだ数人のダンサーは舞台で踊っていて、ヒギンズ教授を横目で見る。で、「何この人!?」って反応を示してから去っていく。これはウケた。
競馬場の場面では、今度は上流階級に扮したアンサンブルの、半数近くが宙吊りになったまま、というユニークなダンスが観られる。別にアクロバティックなことをやるわけではないが、日傘やシルクハットをうまく使ってユーモラスな効果を上げていた。セットのない舞台の隙間を埋める、というのがそもそもの発想だったかもしれないが、結果的にはプラスに働いた。

イライザ役はメリッサ・エリコ。映画版のオードリィ・ヘプバーンと比較して云々する人もいるというが、充分に魅力的だった。>

当時はダンスさえあればOKな観客だったなあ、と改めて思う。今考えれば、あの変わったセットもコストダウンの末の苦肉の策だったのだろう。いろいろと誉めているが、記憶に残っているのは宙吊りのシーンだけ。コンパクトに感じたのは、いろんな意味で規模が小さかったのかも。
結局、トニー賞の候補に全くひっかからず、5月1日に幕を下ろしている。演出のハワード・デイヴィーズはイギリス出身で、もっぱらプレイを手がけた人。敗因はその辺にもありそう。

メリッサ・エリコは、その後もオンで主演を重ねるが、大きな当たりには巡り合っていない。2018年夏、オフのアイリッシュ・レパートリー劇場で上演された『On A Clear Day You Can See Forever』に登場。久しぶりに姿を観たが、相変わらず可憐なイメージ。それが逆に決め手に欠ける原因でもあるのだろうが、別にいいんじゃないかな。持ち味なんだし。