The Chronicle of Broadway and me #169(2 Pianos, 4 Hands)

1998年3月@ニューヨーク(その5)

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 『2 Pianos, 4 Hands』(3月21日20:00@Promenade Theatre)について、「アイディアと芸さえあれば」のタイトルで書いた旧サイトの感想。

<出演者2人のプレイ・ウィズ・ミュージック。オフの劇場で上演されていた『2 Pianos, 4 Hands』は、そういう舞台。ミュージックの部分は、タイトル通り出演者2人によるピアノ演奏。
 ピアノ2台のコンサートや、もっとくだけた形でのライヴは、そんなに珍しいものではないが、それを芝居にしてしまうアイディアが面白い。
 たった2人でも、アイディアと芸さえあれば、充分楽しめる舞台ができ上がる。見習いたいです、こういう姿勢。

 舞台中央に、向かい合う形で2台のグランド・ピアノがある。
 クラシックの演奏家然として登場する2人の出演者。客席に向かってにこやかにお辞儀をし、左右に分かれてピアノの前に座る。イスの高さを調整しながら鍵盤に向かう2人。
 拍手が止んで軽い咳払いが聞こえる。やや緊張する観客。さあ始まるぞ。
 そう思った瞬間、出演者の1人がもう1人に目で合図を送る。何々? てな具合に相方を見ると、ピアノを取り替えてくれ、というジェスチャー。渋々入れ替わりを承知する。
 なるほどそう来るかと、肩すかしを食って笑いながらなごむ客席。
 この緩急の呼吸が全編に効いていて、観客の集中力を途絶えさせない。

 で、どういう話かというと……。

 2人の少年が同じ頃にピアノのレッスンを始める。
 遊び盛りの子供が、わけわかんないながらもそれぞれの教師のところに通っているうちに、少しずつ上達していき、面白くなってくる。やがてライヴァル意識も芽生え始め、腹を探り合うような情報交換をしたりもする。さらに上のレヴェルに行くために教師を替えたりしながらレッスンに励む2人は一流の演奏家を夢想するようになる。が、努力には限界があり、ホンモノの才能の前に敗れ去ってピアノ・エリートの道を諦める。

 これって、家庭劇のように見えて、実はある種のバック・ステージものなんだと思った。なぜなら、舞台に立っている2人の演者の実人生がそれなりに反映されているはずだから。
 そして、ピアノのレッスンって、劇場に来るような観客はかなりの確率で体験しているはずだから、共感度も高い。
 実にうまいところに目をつけた。
 言ってみれば、普通の人版『未完成交響楽』という趣。ほどほどの喜びとほどほどの悲哀が、コメディ・タッチの中にリアルに込められて、小さな舞台らしい“しみる”味わいの作品になっている。

 ところで、この舞台、最初のピアノ演奏の後は2人の会話だけで進められていくのだが……。
 1曲目が終わると物語に入る、その始まり方が突然。一方がいきなり生徒になり、その瞬間もう1人が教師になる。そして、そのエピソードが一段落すると、今度は今まで生徒役だった方が急に教師としてしゃべり出し、教師役が生徒になる。その繰り返しだけでなく、途中で両方が生徒として言葉を交わしたりもする。
 その瞬間的な人格の入れ替わりも、ユーモラスであると同時にスリリングで、舞台の緊張感を持続させる。

 もちろん、目玉になる芸はピアノ演奏で、ストレートなクラシックからジャズからビリー・ジョエルからロックンロールまで、エピソードに沿って、あるいは裏切るかのように自在に奏でられていく。
 腕を上げてきた生徒が「Great Balls of Fire」(邦題:火の玉ロック)を弾くと客席に大ウケ、調子に乗って足で弾いたりしていると後ろに渋い顔をした教師が立っている、というのがやたらおかしかった。

 『2 Pianos, 4 Hands』を考えたのは、演じている2人のカナダ人、テッド・ダイクストラとリチャード・グリーンブラット。カナダでの初演からニューヨークにたどり着くまでに4年を要している。
 演出はグローリア・ムズィオ。>

 この作品、2004年春に来日している。3月18日にル・テアトル銀座で観たが、観客の反応がイマイチだった記憶がある。

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