[Tony2019] Kiss Me, Kate@Studio 54(254 W. 54th St.) 2019/03/03 15:00

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『The King And I』(王様と私)でこの夏来日するケリ・オハラが主演のリヴァイヴァル『Kiss Me, Kate』が2月14日にブロードウェイに登場。楽しい仕上がりです。

感想はこちらで。間もなく追記されると思いますが、記事中「6月2日まで」となっている上演期間が、6月30日まで延長されました。

[Tony2019] Be More Chill@Lyceum Theatre(149 W. 45th St.) 2019/02/28 20:00

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『Be More Chill』については、昨年83日のオフ版観劇後に書いた紹介記事が、MEN’S Precious WEBに上がっているので、とりあえずは、その転載から始めさせていただく(8月23日公開/前半省略/小見出し込み)。

Be More Chill』体験はニューヨーカーにとって事件

ブロードウェイの新作以上にニューヨークのミュージカル・ファンの間で話題になっているのが、オフ・ブロードウェイの『Be More Chill』。42丁目にあるパーシング・スクエア・シグニチャー・センター内アイリーン・ダイヤモンド・ステージでプレヴューを開始したのは7月26日だが、それ以前から気運は高まっていたようで、6月8日には同劇場で、ファン・ミーティングのような集会がスタッフやキャストも参加して開かれている。
観劇にあたっては、まだプレヴュー中の8月3日のチケットを6月16日に予約したのだが、脇の席がかろうじて取れる状況だった。なので、これは人気なのだなと思いはしたが、いざ劇場に行ってみると開演前から予想以上の熱気。もちろん満席で、デザイン違いで数種類売られているTシャツやパーカーをあらかじめ着込んだ観客がけっこういるのがコンサート会場のよう。
客電が落ちると歓声が湧くのは、どの劇場でもそうだが、主要キャストが登場した時の騒ぎは驚くほどすごい。例えて言うと、『Hello, Dolly!』のベット・ミドラー登場時のよう。そんな表現が大げさでないくらいに盛り上がる。しかも、どの役者がどのタイミングで出てくるかを観客の半分ぐらいはわかっている様子。リピーターもいるのか? 熱気を冷ます気分で幕間にロビーに出てみると、早くも物販のレジには長蛇の列ができている。そうした諸々を見て、この舞台を体験することは、もはや“事件”になっているのだなと思わずにはいられなかった。

めざすのは『Dear Evan Hansen』超え?

ニュージャージーの“普通”の学校に通う目立たない高校生ジェレミーが、非合法ぽく売られている日本製の近未来的ネット系(?)ドラッグのおかげでモテモテになるが、有頂天になって唯一の親友を失い、やがて自己崩壊の危険にさらされ始め……というのが大筋。驚くような斬新な話ではないが、個性的な脇役たちの言動や風俗的ディテールが“今”を感じさせる。
物語を支えるジョー・イコニス(作曲・作詞)の楽曲は、ひと言で言えば、エレクトロニクス風味のパワー・ポップ。新鮮な仕上がりで、ミュージカル的魅力の核心になっている。
実は、この作品、2015年6月にニュージャージーのトゥー・リヴァー劇場という小劇場で初演されている。それが好評だったようで、ニューヨーク・タイムズには「オタクがSci-Fiピルで人気者になる『Be More Chill』」という見出しで長い劇評が載り、10月にはキャスト・アルバムもリリースされている。元になった2004年の同名小説もカルトな人気を得ているようだが、著者のネッド・ヴィジーニが2013年に自殺していることも、潜在的にミュージカルの人気を押し上げている要因の一つなのかもしれない。
そうした下地があった上で、ニューヨーク進出に当たっては、主役に、昨年のトニー賞作品『Dear Evan Hansen』のオリジナル・キャストで主人公の親友を演じたウィル・ローランドを起用。『Dear Evan Hansen』はシリアス、『Be More Chill』はコミカル、と風合いは真逆だが、引っ込み思案の高校生、ネット世代の世界観、エレクトロニクス風味の音楽、といった要素は共通しているわけで、このキャスティングが先行作のファン層を取り込もうという戦略なことは明らか。そして、それは成功しているように見える。
とりあえず9月23日までの限定公演としてスタートしたのだが、すでに1週間の延長が発表されている。この後さらなる延長があるのか。それとも『Dear Evan Hansen』のようにブロードウェイに舞台を移すのか。いずれにしても目が離せない注目作だ。>

9月に入って、これに、<予想通りブロードウェイに移ることが発表された。来年の2月13日にプレヴュー開始予定。>と追記している。

お気づきかと思うが、実はあまり誉めてはいない。すんなり胸に入ってくる作品ではない。オンに移った舞台を観返しても同じ印象。
その原因の一つは、全体を覆うダウナーな雰囲気にある。ドラッグを扱っているからということもあるが、それ以上に、「日本製のSci-Fiピル」というイメージの向こうに浮かぶ画一的で無個性な終末的世界観が思いのほか強く伝わってきているから。……と考えるのは、こちらが酷い状況下で暮らしている日本人なせいか。
最終的には、全世界に及んでいるかに見えたピルの影響から全員が逃れ、主人公ジェレミーも対立していた父親や元親友マイケルと和解して一応のハッピーエンドを迎える。が、そこに“取って付けた”感がないわけではなく、あまりすっきりはしない。
この作品の救い、あるいは魅力の核心は、ジェレミーが思いを寄せるクリスティーンのキャラクターにある。彼女の、他者と競わないし争わない、かといって迎合もしない、そして自分の人生の楽しみ方を確信しているような存在のしかたが、右往左往しがちで不安定な登場人物たちの中で際立って独立して見える。変身後の主人公ジェレミーのアンチな存在となる親友マイケルですら、クリスティーンの存在感には及ばない。彼女がいなければ、この作品そのものが、けっこう薄っぺらいものになっていた可能性すらあると思う。だからこそ、彼女までもがドラッグに侵されているのがわかった時の衝撃が大きい。
クリスティーンですら抗えなかった「日本製のSci-Fiピル」の威力は本当に衰えたのか。それとも第二波がやって来るのか。その辺りを掘り下げずに中途半端に終わる薄気味悪さが、この作品にはつきまとう。狙った薄気味悪さではなく。それが弱点ではないか、というのが個人的見解。。
ちなみに、クリスティーン役のステファニー・シューが素晴らしい。トニー賞を獲ってもおかしくないだろう。

世界は一人@東京芸術劇場プレイハウス 2019/03/13 14:00

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「音楽劇」と称しているが、日本のオリジナル・ミュージカルの、ひとつの在り方だと思う。作り手がミュージカルと思ってるかどうかは別として。

音楽と芝居の関係としては丸本歌舞伎(義太夫狂言)に近い。
舞台上に4人組のバンドがいて、演奏はもちろん、歌や語りを担当している。舞台の進行役でもある。役者は、バンドによる歌が流れている時には、それに応じて演技をするが、時折、自ら歌いもする。バンドと歌を分け合うようにして歌うこともある。
ほぼ、バンド=義太夫(竹本連中)と考えていい役割。その音楽と芝居の一体感も含め、そうした表現自体が、まず面白い。

物語は、日本のとある地方都市で育った3人の男女をめぐって展開する。小学生の頃から中年になるまで。それぞれの私的な話だが、印象は、高度経済成長から今日に到る日本社会の縮図を思わせる。
冒頭、バンドの語りによるその都市の説明がある。大きな工場ができて発展するが、廃液が川に流され、海に沈殿して「汚泥(おでい)」になる。その「汚泥」は浚渫によって取り除かれるが、取り除かれた「汚泥」がどこに行ったかは誰も知らない。学校の先生に尋ねても曖昧な答えしか返ってこない。曖昧な「汚泥」のイメージが後々まで舞台全体を覆う。まるで日本全体が「汚泥」で覆われているかのように。
平均的で幸せそうに見える家庭の子供、松尾スズキ。金持ちだが親の愛情を受けられない、松たか子。貧乏であることに過敏で攻撃的な態度に出る、瑛太。この3人が、小学校の林間学校(臨海学校?)で担任から夜中にそっと起こされてトイレに行かされる。にもかかわらず、松尾スズキが漏らしてしまい……という不思議なエピソードから始まるのだが、この場面に仕掛けがあって、物語をミステリー仕立てにする伏線になると同時に、この何気ない出来事が3人の人生にも影響を及ぼす。小さな落とし穴。
それとは別に、抗えない日本社会の大きな流れがあり、それぞれの家庭/家族は崩壊し、友情らしきものも歪み、一瞬幸福になりそうに思える3人の人生は、「汚泥」に足をとられるように闇に沈んでいく。
そうした、ひりひりするような「破滅」への流れもまた近松の狂言のようで……。現実の映し鏡感が強烈な印象を残す舞台だった。
ミュージカル好きとしては、役者の歌に不満を覚えないでもなかったが、それはまた別の話なのだろう。

脚本・演出/岩井秀人。音楽/前野健太。演奏/前野健太(ヴォーカル/ギター)、種石幸也(ベース)、佐山こうた(キーボード)、小宮山純平(ドラムス)。出演は上記3人の他に、平田敦子、菅原永二、平原テツ、古川琴音。

 

The Chronicle of Broadway and me #092

19953月@ニューヨーク(その3)

『Smokey Joe’s Cafe』(3月25日20:00@Virginia Theatre)は、つい最近も(2018年夏から秋まで)、オフの、前はリトル・シューバート劇場って名前だったステージ42で上演されていた。そのブロードウェイ初演版の感想。少し長いが、おつきあいください。

<副題に「The Songs Of Leiber And Stoller」とある通り、ジェリー・リーバー&マイク・ストーラー=「ロックンロール史上、もっとも重要なプロデューサー/ソングライター・チームであり、アメリカン・ポップス史上、最初のブルー・アイド・ソウル(白人ソウル)ブラザーと呼ばれる男たち」(by 萩原健太)の楽曲を38曲ズラリと並べたショウだ。
出演者は男5、女4の9人+バンド(ピアノ、シンセサイザー、ベース、ドラムス、ギター、サックス、パーカッション)。クァルテットをベースに、ソロ、デュオから全員のコーラスまで様々に組み合わせを変えながら、とにかく歌で繋いでいくスタイルで、歌詞以外のセリフはない。歌詞の内容に合わせた振りはあるが、全体にストーリーのようなものがあるわけではない。
リーバー&ストーラーの曲は好きだし、ジェリー・ザックス(『Anything Goes』『Guys And Dolls』)の演出でもあるし期待したが、ロンドン式の単なるオールディーズ・ショウにはならなかったものの残念ながら決め手を欠いたやや中途半端な出来。エルヴィス・プレスリーのナンバー「Jailhouse Rock」(邦題:監獄ロック)のシーンが映画版のパロディに見えるようでは、ちょっと寂しい。
何が不満だったか。ポイントは2つ。

a)視覚的魅力に欠けた。
b)楽曲の魅力の本質に迫っていない。

a)については、まずダンスが少ない。本格的に踊るのは2~3曲で、それも際だったものではない。それだけでなく、歌いながらの振りもアイディアに乏しく、演者の動きも切れが悪い。明らかに踊りが得意でないメンバーもいるが、経歴から言って踊れるメンバーが多いのに、何故だろう。
a)についてもう1つ。セットに魅力がない。豪華さはなくても新鮮さや驚きは欲しいところだ。
さて、b)。特定のソングライターの既成の楽曲でショウを構成する場合、スタイルは様々考えられるが、一点、何故そのソングライターなのかという動機のようなもの、言い換えると、ショウを作る人間が考えるそのソングライターの魅力、がショウの背景に見えてしかるべきで、そこが出発点になるはずだ。逆に、そこからスタイルが決まってくるんじゃないか。このショウは、その点を絞りきれていない気がする。
過去に観た、ソングライター(あるいは特定アーティストのレパートリー)にスポットを当てた舞台は4つあるが、その点についてはいずれもはっきりしていた。観た順に挙げてみる。

『And The World Goes ‘Round』ジョン・カンダー&フレッド・エブ→ご承知の通りミュージカルの名曲を数多く作ってきた2人。それも、コミカルなものを含めてドラマチックな構成の楽曲が多い。従って、黙っていてもミュージカル名場面集的舞台にはなるのだが、達者な演者5人(女3、男2)を集め、歌のみと歌+スケッチ(+ダンス!)で構成された全体を、暗い照明とスポットの多用によって“センチメンタルな熱情”とでも言うべきカンダー&エブならではのトーンで統一。ストーリーはないがドラマを感じさせるショウに仕上げた。

『Five Guys Named Moe』ルイ・ジョーダン→音楽史的にはリーバー&ストーラーの少し前に位置するジャンプ&ジャイヴの大スター(作曲も)の、ユーモラスかつブルージーかつエネルギッシュな音楽の魅力を甦らせるのは、ジョーダンのヒット曲名でもあるモーという名の5人の男。その歌にある通りの五者五様の個性を持つモーがラジオの世界から登場し、恋に悩む1人の青年を、励ますと言うか慰めると言うかおちょくると言うか、とにかく歌って踊ってひっかき回す。歌世界を視覚化するモーたちがそれぞれ芸達者で、猥雑な魅力にあふれていた。

『Jacques Brel Is Alive And Well And Living In Paris』ジャック・ブレル→シャンソン史に残る大歌手にしてソングライター 。彼の楽曲と発言を、「Save the Last Dance for Me」や「Viva Las Vegas」の作者として知られるモート・シューマンと、詩人のエリック・ブロウが共同で英訳、グリニッチ・ヴィレッジでショウとして公開したのが1968年。観たのは25年後の記念公演。楽曲の表情は硬軟様々だが、いずれも“革命の季節”らしい力強い情感をたたえている。それを、小さなステージの上で、男女2人ずつのキャストがソロあるいはクァルテットで、時にドラマ的動きを交えながら歌う。大成功した初演のスタイル(と劇場)を踏襲することで、四半世紀後にも楽曲の魅力を十分に引き出していた。

『Hello Muddah, Hello Faddah!』アラン・シャーマン→’60年代にコミック・ソングの分野で活躍したシンガー・ソングライター。コミカルな楽曲の内容を元に作られたギャグに満ちたスケッチを並べて、あるユダヤ人の一生を戯画的に描いて見せたミュージカル。スケッチの登場人物がカリカチュアライズされていて面白く、楽曲の持つユーモラスな世界をより広げる結果となった。

では、と翻って、リーバー&ストーラーの楽曲によるショウはどう作られればよかったか。確たる答を持たないが、彼らの魅力の1つがR&Bのある種のソフィスティケーションにあったとすれば、思い切って大編成の豪華な舞台にする手もあったのではないか。それに、ダンスは重要な働きをすると思うのだが。もっとも、そうしたことは資金の問題を抜きに語れないのだが。>

最後に書いている「思い切って大編成の豪華な舞台にする手もあった」というイメージがどんなものだったのか、今では見当もつかないが(苦笑)、こうした個人的不満にもかかわらず、このショウ自体はブロードウェイで5年近く続いた。途中からは、レズリー・ゴーア、ベン・E・キング、グラディス・ナイト、トニー・オーランド、ルー・ロウルズ、リック・スプリングフィールドといったゲスト・スターを投入。観光客の呼び込みに成功したのだろう。それもブロードウェイ。評価のされ方はひと通りではないということだ。

The Chronicle of Broadway and me #091

19953月@ニューヨーク(その2)

『How To Succeed In Business Without Really Trying』(3月22日20:00@Richard Rodgers Theatre)は、翌年、宝塚歌劇団花組が真矢みき主演で『ハウ・トゥー・サクシード~努力しないで出世する方法~』として上演するヴァージョンの元。看板に掲げられた「H2$」という略称が印象的だった。以下、当時の感想。

<“How”の「H」、“To”が「2」、「$」は“Succeed”の「S」と“BUSINESS”の象徴「ドル」を掛けたもの。ロゴの色は「H」がピンク、「2」が白、「$」が黄。背景の緑は恐らくドル紙幣のイメージだろう。
3月8日にプレヴュー開始、23日にオープンしたばかりのリヴァイヴァル・ミュージカル。1961年の初演は1,417回上演の大ヒット。劇場は当時46th Street Theatreという名だった今のこのリチャード・ロジャーズ劇場。フランク・レッサー(作曲・作詞)最後の作品で、脚本エイブ・バローズとのコンビは『Guys And Dolls』(1950年初演)と同じだ。

窓拭きの青年が、作品タイトルと同名のハウ・トゥ本に則って大会社に入社、トントン拍子に出世してついには社長になってしまうという、’60年代前半ならではのサラリーマン無責任男ミュージカルだが、これが不景気風吹き抜ける’90年代半ばのニューヨークに見事に甦った。しかも、’90年代半ばならではの装いを凝らして。
幕の代わりに舞台前に下りているのは、ビルの壁面を思わせる幾何学的デザインの(実は半透明の)ボード。序曲が始まると、そのボードの窓に当たる部分の色が様々に変わり始める。序曲後ボードが上がると、舞台奥にも同様のデザインのセットがある。そのセットの中央寄りの部分は上から下まで全て窓になっていて、摩天楼を思わせる外景が見える。ちょうど舞台が高層ビルの上層階にあるオフィスの中になるわけだ。窓部分の左右は両サイドとも光の上下動によってエレヴェーターに見えるようになっていて、一番下にある乗降口は実際に開閉する。そのエレヴェーターが一斉に下降を始めると、驚いたことに窓の景色が同調して下がって(相対的には上がって)いき、ついには1階に到着。舞台はビルのエントランス・ロビーになり、窓の外には前庭の水が出ている噴水が見える。そして、いきなりビルの外に雨が降り始める。
この楽しくも驚くべき窓の外の景色はC.G.(コンピュータ・グラフィックス)で作られていて、この後、窓景という枠を超えてさらに大胆な動きを見せる場面もある。よく観ると、外景の摩天楼の上空を雲だけがゆっくり流れている、という細かい芸を見せていたりもする。が、何より感嘆するのは、このC.G.と、照明、装置、音楽、キャストの、ドンピシャとしか言い様のない同調ぶりだ。
それも、演出デス・マカナフ、振付ウェイン・シレントのトニー賞受賞コンビをはじめとする『The Who’s Tommy』のスタッフが作ったと聞けばうなずける。大がかりな装置、ヴィデオ、精妙な照明、キャストの複雑な動き等を見事にコントロールしてみせた『The Who’s Tommy』のスタッフにしてみれば、今回の舞台づくりは、“努力しないで”とは言わないものの、ほんの一歩踏み出すぐらいの感じだったのではないだろうか。
デス・マカナフの演出は、出入りの激しい舞台を澱みなく鮮やかに捌いていく。舞台転換はミュージカル演出の見せ場の一つだが、この作品の大胆かつ繊細な舞台転換は、それがやって来るのを心待ちにしてしまうほど楽しい。
そしてウェイン・シレントの振付は、『The Who’s Tommy』を上回る切れの良さを見せる。見せ場は4曲。オフィスのコーヒー・ブレイクの時間にコーヒーがなくて仕事をサボれないと嘆く神経症的な「Coffee Break」、女性蔑視&セクシャル・ハラスメントに秘書たちがセクシャルに抗議する「A Secretary Is Not A Toy」、TVのクイズ番組のオープニング・ショウ「The Pirate Dance」、そして大詰め、副社長にまで昇りつめたもののライヴァルの策略で絶体絶命の窮地に追い込まれた主人公が会社首脳陣を情緒的に説得する、あきれるほどに楽天的かつ笑っちゃうほどに感動的な「Brotherhood Of Man」。
特に「Brotherhood Of Man」は、同じ作者による『Guys And Dolls』の「Sit Down, You’re Rockin’ The Boat」に似たナンバーで、ここでもショウストッパーになる。次第に盛り上がっていくゴスペル調の歌(社長秘書役リリアス・ホワイトの圧倒的熱唱)に乗って踊り始めるダークスーツの男たちの神憑り的ダンスは、コミカルさと力強さが見事に合わさってワクワクさせられる。
マシュー・ブロデリック演じる主人公は、彼が映画Ferris Bueller’s Day Off(邦題:フェリスはある朝突然に)で演じた、イノセントでちゃっかりしたキャラクターに近く、不思議な魅力がある。ブロードウェイではミュージカル初出演だが、歌も踊りも破綻はない 。
他のキャストも、誇張され類型化されたキャラクターをコミカルに演じきっている。中でも、社長(ロン・キャロル=『Crazy For You』の初代ポリーの父役)の甥で出世欲は強いが無能のマザコン男バドを演じるジェフ・ブラメンクランツ(『Damn Yankees』の選手役)の怪演が光った。>

舞台でのCG表現がまだまだ珍しかった時代。デス・マカナフは先駆的に最新技術を採り入れていく人で、その点でも大いに楽しませてくれた。が、この作品辺りを境に、観る側としては、そうした技術の駆使を、しだいにうるさいと感じるようになってくる。分水嶺は、その技術が舞台表現全体にとって必要最小限かどうかの判断なのだと思う。肝心なのは、あくまで生身の演者。それが演劇の魅力だということを、最新技術ってやつが逆説的に再認識させてくれる。そういう歴史の流れ。『Dear Evan Hansen』『Be More Chill』のCG使いが効果的かつ自然に感じられる背景には、そうした試行錯誤の積み重ねがあるってことだ。
役者について一つ付け加えると、翌1996年3月、いったん降りていたマシュー・ブロデリックが復帰するのに合わせて、主人公の恋人ローズマリー役でサラ・ジェシカ・パーカーが登場。クローズまで夫婦共演となった。ちなみに、マシューの「歌も踊りも破綻はない」と書いているが、特別うまいわけじゃない、と遠回しに言っていると理解してください。味で勝負って感じでしょうか。

ところで、宝塚歌劇版『ハウ・トゥー・サクシード~努力しないで出世する方法~』だが、社長秘書役が黒塗りで出てきたのには当時ですら違和感があった。契約内容に指示があったがゆえの措置だったのだろうか。

The Chronicle of Broadway and me #090★(1995/Mar.)

19953月@ニューヨーク(その1)

14度目のブロードウェイ(39歳)。
2度目の息子同行。小6の春休み。中3の秋まで別々に暮らしていた息子とのN.Y.行きにには、いろいろと事情があるのだが、それはおいといて、最近2人で話した時のヤツの発言。小学生の時はウチでゲームをやっていたかったので旅に出たくなかった。そりゃそうか。
ちなみに、出発前日に地下鉄サリン事件が起こった。翌日、空港に向かうリムジンバスだか成田エクスプレスだかの中で、オウムの仕業かもな、と2人で話したのを覚えている。

いずれにしても、ある程度は息子向きのセレクトにはしたつもり。なので、すでに観た作品が多くなっている。

3月21日 20:00 Crazy For You@Shubert Theatre 225W. 44th St.
3月22日 14:00 Beauty And The Beast@Palace Theatre 1564 B’way
3月22日 20:00 How To Succeed In Business Without Really Trying@Richard Rodgers Theatre 226W. 46th St.
3月23日 20:00 Blue Man Group “Tubes”@Astor Place Theatre 434 Lafayette St.
3月24日 20:00 The Who’s Tommy@St.James Theatre 246W. 44th St.
3月25日 13:30 Madama Butterfly@New York State Theatre/Lincoln Center
3月25日 20:00 Smokey Joe’s Cafe@Virginia Theatre 245W. 52nd St.

新登場は『How To Succeed In Business Without Really Trying』『Smokey Joe’s Cafe』『Madama Butterfly』は、リンカーン・センターを本拠地にしていたニューヨーク・シティ・オペラ(New York City Opera)のレパートリー。
作品の感想は次回以降に。

 

Merrilly We Roll Along@ Laura Pels Theatre(111 W. 46th St.) 2019/02/28 14:00

『Merrily We Roll Along』のオフでのリヴァイヴァル。いい出来。
初演は1981年。プレヴュー44回、本公演16回というスティーヴン・ソンドハイム(作曲・作詞)の興業的失敗作にして、時を遡る異色の“逆行ミュージカル”として知られているが、その「逆行」の具合を、2012年2月18日に観たシティ・センター版の感想から引いてみる。シティ・センター版は「アンコールズ!」シリーズの1作。恐る恐る観たが面白かった。『In The Heights』より後、『Hamilton』が世に出る前のリン=マニュエル・ミランダが主要キャストで出ていた。

<簡単に言うと、ミュージカルの楽曲作者コンビだったフランクリンとチャーリー、そして劇評家であるメアリーの友情物語。開幕直後は1980年代初頭、フランクリンは成功した作曲者であり、大物映画プロデューサーでもある。が、彼の周囲の人間関係は妙にギクシャクしている。その理由は、彼が友情や愛情を犠牲にしてでも現世的な成功を求めてきたことにあることが、過去に遡るにつれ、わかってくる。時間が少しずつ巻き戻り、事情が少しずつ見えてくる。ミステリーの謎解きのような、その展開が面白い。と同時に、若返っていく登場人物たちの傷ついた関係も少しずつ蘇っていき、古き佳き時代になっていく(中略)。終盤、若き 3人が出会った 1957年に到る頃には、観客は、ほろ苦くも清々しい気持ちになってくる。それは感傷かもしれない。が、過去の持っていた可能性に思いを馳せることで、かすかな希望も湧いてくる。現世的な成功だけに価値があるとされるバブルを迎えようとする時代に、作者たちは、そうした意図を抱いてこの舞台を作ったのではないか。そんな気がする。>

なぜ時代が遡るのがわかるかと言うと、変わり目でテーマ曲のヴァリエイションが流れて、次が何年になるかがコーラスで歌われるから。それも含め、いくつかのメロディの断片を各所に巧みにまぶすことで、時代を遡りながら“未来の記憶”が過去において蘇る効果が生まれているのも、この作品の魅力。伏線が音楽的記憶と共に“後から”明らかになるわけだ。

引用文の「(中略)」の部分には、シティ・センター版独自の演出効果についての記述があった(その内容は本ブログ内シリーズ「The Chronicle of Broadway and me」の当該時期アップまでお待ちください)。
それから、やはり引用文中にある「開幕直後は1980年代初頭」というのは、初演の設定で、シティ・センター版は違っていたのかもしれない。プログラムが出てこないので確認できないが、シティ・センター・キャスト盤の解説には「1976-57, New York City and Los Angeles」と書いてある。ちなみに、今回の公演のプレイビルには、初演と同じく「プロローグ1980」とある。
いずれにしても、シティ・センター版の時点で若干の手直しが施され、今回もまた手が加えられているようだ。
初演を観ていないこともあってシティ・センター版の手直しについては指摘できないが、今回の直しはよくわかる。まず、構成が二幕から一幕に変更されている。もう一つ顕著なのが、役者が6人しか出ていないところ。上記引用に出てくるメインの登場人物3人、フランクリン(フランク)、チャーリー、メアリー以外の役全て(主要なものだけで8役ある)を残る3人の役者が演じている。
こうした、二幕→一幕、出演者6人、という“こぢんまり”傾向の変更が、3人の友情物語という親密な世界観にとてもよく合っていて、作品の魅力をより引き立たせる結果となった。

今回のプロダクションはフィアスコ・シアター(Fiasco Theater)というカンパニーによるもので、ラウンダバウト・シアターが援助している。演出のノア・ブロディ、フランク(フランクリン)役のベン・ステイン・フェルド、メアリー役のジェシー・オーストリアンはフィアスコ・シアターのメンバー。
プレイビルに挟んであったチラシに「写真を撮って!(ただし上演中や誰かがステージ上にいる時以外に)」と書いてあったので開演前に撮ったステージ写真を掲載する。デレク・マクレインのセットが素晴らしい(@DEREKMCLANE)。

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(追記)メアリーが、時代を遡るにつれ、しだいに痩せていくのが面白かったのを書き忘れていた。