ジョン&ジェン@よみうり大手町ホール 2023/12/12 18:00

 『ジョン&ジェン』オフ・ブロードウェイ初演(原題:John & Jen)を観たのは28年前。てっきり、翻訳公演は過去に行なわれていると思っていたのだが、実は今回が初なのだとか。それだけのことならスルーでもよかったのだが、時代設定が変わっていると知って観に行く気になった。役者の顔ぶれも悪くないし。
 ちなみに、改訂は2021年のロンドン版上演の際に元の作者たち(作曲・脚本アンドリュー・リッパ、作詞・脚本トム・グリーンウォルド)によって行なわれたらしい。

 第1幕が6歳違いの姉(ジェン)と弟(ジョン)の、第2幕が母(弟を亡くしたジェン)とその息子(ジョン)の物語。出演者は2人だけ。
 初演の設定は、第1幕が1952年~※1972年、第2幕が1972年~※1990年。改訂版は、第1幕1985年~、第2幕2005年~※2020年(※は英語版ウィキペディアにある記述で、初演のプレイビルや翻訳版のチラシの解説には終了年は書かれていない)。
 開幕時に誕生する弟ジョンが、変革の時代に変革を望んだ姉のジェンとは逆に、愛国的に育って戦争に行き、死んでしまう、というのが第1幕。その戦争が、改訂前はヴェトナム戦争であり、改訂後はイラク戦争になる。第二次世界大戦以降は常に海外で戦争をしているアメリカ合衆国の近代史を前提にした改変であり、改訂前を知っている観客にとっては、そうした変わらぬアメリカの姿が浮き彫りになる改変でもある。その意図はわかるが、この翻訳版を観る限りにおいては、それが必ずしも狙い通りの効果を収めていないと感じた。てか、むしろ、違和感を覚えたと言うべきか。

 オフ初演版の背景にあったのは、1960年代という変革の時代の終わりに抱かざるを得なかった幻滅を乗り越えて生きる人々の心情で(姉のジェンに象徴される)、その気分が作品世界を支えていた。それは、上演された1995年にあっては、実はノスタルジックな、そして、ややロマンティックな気分でもあったと思う。改定後に設定された、全米同時多発テロを挟んだ時代の気分とは、構図は似ていても、違ったものなのだ。
 前者の場合は、(ざっくり言えば)世論が二分される中、ヴェトナム戦争に反対し変革を望んだジェンには、希望を孕んだ楽天的正義感があった。しかし、ネット時代を迎え、バブルも経験する改定後の時代設定では、情報過多で世論は多岐にわたり、単純に変革の時代と言える気分は訪れず、イラク派兵に反対する立場のジェンの意識も錯綜していたはず。
 逆に言うと、初演版における、自分の抱いた楽天的正義感では弟を救えなかったことについてのジェンの後悔が、第2幕の(弟と同じ名前を付けた)息子ジョンに対する“過干渉”な態度となって出てくる、とも言える。だから、改訂版での第2幕のジェンの行動は、初演版ほどには説得力を持たない。そう感じた。

 もう1つ、これは別次元の話なのだが。
 このアメリカの近代史を背景に持つ、ある意味典型的な“アメリカ人”の物語を、日本で翻訳上演しているのを観ていると、日本人観客としては複雑な気分になってくる。というのも、一方で、ヴェトナム戦争もイラク派兵も日本と無関係ではなく、日本人は日本人として別の思いを抱いていたりもするから。つまり、この物語の裏側には日本の近代史があり、そこで生きていた日本人の物語も透けて見えるから。
 そのことと微妙に関係することではあるが、演技の巧拙とは別の話として、役者の醸し出す“個人”の意識、というか、佇まいのようなものが、アメリカ人と日本人とでは違っていることに気づいたりもする。まあ、違っていて当然だと思うが、こうした典型的な“アメリカ人”の、しかも2人芝居ということになると、それが微かな違和感として浮かび上がってもくる。
 小規模で繊細な舞台を丁寧に翻訳上演しているだけに、余計にそうしたことを感じてしまったのだろう。

 翻訳・訳詞・演出/市川洋二郎。
 2役ともダブルキャストで、観た回は、ジェン/濱田めぐみ、ジョン/森崎ウィン。好演。
 ピアノ、チェロ、パーカッションという初演版と同じ編成のバックの演奏もよかった。

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