The Chronicle of Broadway and me #316(Man Of La Mancha)

2003年1月@ニューヨーク(その2)

 Man Of La Mancha(1月5日15:00@Martin Beck Theatre)については、観劇時に旧サイトに『La Bohème』と併せて感想を書いているが、その『Man Of La Mancha』部分を転載。装置について一箇所、後から「注」を入れました。

<『Man Of La Mancha』と『La Bohème』と言えば、どちらも名作の誉れ高い、よく知られたミュージカルとオペラだ。そういう作品のリヴァイヴァル上演(『La Bohème』がトニー賞でリヴァイヴァル作品扱いされることが先日発表された)で、キャスティングと並んで目を惹くのは、演出と深く関係する装置だろう。
 過去の上演に倣うのか、新機軸を打ち出すのか。装置によって舞台の印象はガラリと変わるはずだ。
 そして、ここに採り上げた両者は、共に斬新な装置を用意した。結果、『Man Of La Mancha』は作品の面白さが半減。逆に『La Bohème』は、作品に新たな息吹きが与えられた。
 その分かれ目はどこにあったのか、というのが今回の話。

 『Man Of La Mancha』を初めて観たのは、1992年5月31日。故ラウル・ジュリアの主演だった。当時のリポートから以下に一部を抜き出す。

 [世界各地で何度も再演されている評価の定まったショウで、審判を待つ牢獄でセルヴァンテスが囚人を相手にドン・キホーテの話を聞かせる、という構成の巧妙さにまず感心。大がかりな吊り上げ式の長い階段はあるものの、舞台装置は小規模でどちらかと言えば抽象的。それをうまく生かして、展開もスムーズ。思ったほど重厚ではなく、適度にユーモラスで観客を飽きさせない。有名な「The Impossible Dream」はショウの中で聴くとやはり感動的で、他の曲もスペイン音楽の豊かな味をうまく取り入れていて、いい。
 が、映画スターとしても知られるラウル・ジュリア(貫祿充分!)、シーナ・イーストン(熱演だが力不足)、サンチョ役者として定評のあるらしいトニー・マルティネスという知名度の高い配役、きらびやかなホテル内にあるマーキーズという劇場の雰囲気等の要素から、野心的なところのない、専ら観光客向けの公演という風に映り、今ひとつノレなかった。]

 「世界各地で何度も再演されている」というのは当時の憶測(笑)。
 最後を否定的に締めているが、全体で言えば、元々はオフで始まった作品らしい先鋭的な空気が、スターを集めたリヴァイヴァル上演の中からも感じられたわけで、松本幸四郎版も観たことのなかったこの時点で、それなりの感銘を受けたのは確か(この作品の初演は1965年11月22日開幕@ANTAワシントン・スクエア。今回と同じブロードウェイのマーティン・ベック劇場に移ったのは1968年になってから)。

 さて、今回のリヴァイヴァル、キャスティングとしては、上記の1992年版同様、スター芝居的色合いが濃い。
 主演のブライアン・ストークス・ミッチェルは、『Ragtime』以降、客を呼べる男優として重用されている人で、前回のブロードウェイ出演も有名作品のリヴァイヴァル、1999/2000年シーズンの『Kiss Me, Kate』だった。加えて、ヒロインのアルドンザ役メアリー・エリザベス・マストラントニオも、サンチョ役アーニー・ザベラも、舞台並びに映画で知られた人。
 しかし、プロデューサーがそのキャスト陣だけでは心配だと考えたのか、あるいはイギリスから来た演出家ジョナサン・ケントが新たな演出に意欲を燃やしたのか、“小規模でどちらかと言えば抽象的”だった装置が、大がかりでド派手なものに変わっていた。
 どんな装置かと言うと――。
 幕が上がったステージ上が、巨大な金属製の円筒を縦に半分に割った内側といった様相(注:その円筒の中が「セルバンテスが審判を待つ牢獄」という設定)。その円筒状の内側の壁に沿って、鉄製の階段が右手前下から左上に向かって、中央やや手前あたりまで伸びている。なぜ途中までかと言うと、そこから先の上の部分の階段は、左側の方からゴリゴリゴリと回ってきて、下から伸びている部分と合体するのだ。
 印象は“近未来ゴシック”。映画『エイリアン』(Alien)の宇宙船世界に似ていなくもない。
 この装置、さらに動くのだが、いちばん驚いたのは、階段に沿って壁が上下に割れて上側に少し開いた時。円筒の外側に花の咲く道が出てくるのだ。その瞬間、この作品の抱える最もドラマティックな要素が壊れた、と思った。
 なぜか。

 『Man Of La Mancha』の面白さの核心が“劇中劇中劇”という構造にある、というのはよく言われることで、その通りだと思う。
 老郷士アロンソ・キハーナが妄想で騎士ドン・キホーテになって冒険をするという“劇中劇”『ドン・キホーテ』を、その作者セルヴァンテスの身に降りかかるリアルな劇(彼の思想の是非が時の権力から問われる)の中に放り込むことによって、理想を追うドン・キホーテの物語がより切実に迫ってくる。
 この面白さは、舞台ならではのもの。と言うのは、3つの世界(現実のセルヴァンテス世界、セルヴァンテスの語るキハーナ世界、キハーナが妄想するドン・キホーテ世界)を自在に行き来する、この“劇中劇中劇”は、同じ役者が一瞬にして別の役に成り替わるのを観客が納得する、あるいは、観客が納得することによって役者が一瞬にして別の役になる、という、役者と観客が直接向き合う空間で初めて成り立つからだ。つまり、役の転換=舞台上に展開している世界の転換は、観客の想像力を通じて行なわれる。
 ほとんど何もない狭い舞台を逆手にとって、観客の想像力を刺激して、目には見えない様々な世界をスピーディに行き来してみせる。この表現こそが、1992年ブロードウェイ版や東京で松本幸四郎版を観た時に感じた、『Man Of La Mancha』の最もドラマティックな要素だった。ドラマを屋外の具体的な世界に持ち出した映画版が失敗に終わった理由の1つは、その要素が失われたことにあるだろう。
 にもかかわらず、今回のリヴァイヴァルでは、わざわざ牢獄の壁を開いて外側の世界を見せた。作品の抱える最もドラマティックな要素が壊れたと感じたのは、そういう理由からだ。
 では、それで舞台がまるでダメになったかと言うと、そんなことはない。
 デイル・ワッサーマンの緻密な脚本は揺るがないし、「The Impossible Dream」に代表される楽曲群は繰り返されるたびに意味が違って聞こえるという重層性を持っていて魅力的。要するに、根本がしっかりしているので、多少の演出の変化ぐらいでは、ひどい代物になったりはしない。
 しかし、観客の想像力を刺激することによるスピーディな展開こそが『Man Of La Mancha』の重層的な構造をスリリングにする肝だと考えると、大がかりな装置を使った今回の演出に、必然性を感じることができない。
 その背景には、有名作品をブロードウェイでリヴァイヴァル上演することのむずかしさが、ほの見える。オリジナル新作に比べてリスクが小さいはずのヒット・ミュージカルのリヴァイヴァルですら、ブロードウェイで成功させるためには、なにがしかの付加価値を加えて観客の興味を惹かなければならない。今回の装置は、そういう命題に対する回答の1つなのではないか。
 しかし、内容と有機的に結びつかない装置は空疎なだけだ。天井から下りてくる巨大なランタンや、『Cats』の機関車猫を思い出させるドン・キホーテの馬の意味を、自由な魂のドラマの中で、いったいどう考えればいいと言うのだろう。
 役者は熱演で、観るべき白熱のダンス・シーンもあるが(振付ルイス・ペレズ)、そうした過剰な演出の中にあっては、印象が拡散してしまった。残念。>

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