眩耀の谷~舞い降りた新星~/Ray~星の光線~@東京宝塚劇場 2020/09/08 11:00

 『眩耀の谷~舞い降りた新星~/Ray~星の光線~』(9月8日11:00@東京宝塚劇場)は、宝塚歌劇星組の新トップ、礼真琴×舞空瞳の大劇場お披露目公演。
 本来は、宝塚大劇場公演に続いて3月から上演の予定だったが、コロナ禍で延期に。そもそも、宝塚大劇場公演自体が終盤になって中断、千秋楽のみ実現、とか、いろいろあって……。で、東京公演も、7月31日に初日を迎えたものの、自主的なPCR検査で公演関係者に陽性反応が出たため8月7日から中断、21日にようやく再開。その間、対観客のコロナ対策以外にも、舞台上の演出の変更等があったと聞く。
 観られただけでも幸運だった、と言うべきなのだろう。

 さて、『眩耀の谷~舞い降りた新星~』

 作・演出・振付の謝珠栄(しゃ たまえ)は日本で最も信頼すべき演出家の1人。振付家出身ということも含めて、個人的には、グラシエラ・ダニエルとイメージがダブる。
 と言うのも、2人の振り付けるダンスにも、扱う素材にも、近代において世界史の中心で語られてこなかったエスニックな文化に対する視線を感じることが多いからだ。
 ここでも謝は、紀元前の中国の、しかも流浪の一族を物語の素材として採り上げている。

 本人は知らずに育ったが実は流浪の一族の王の末裔である、という主人公の物語は一種の貴種流離譚だが、主眼はそこにはない。覇権をもって周辺諸国にも平和と繁栄をもたらすという大国の大義名分を信じていた若者が、指令によって流浪の一族の聖地探索に赴き、“不思議な男”の導きによってその一族と交流を結び、やがて大国の卑劣な実像を知るに到る、という経緯の中で描かれる、時代を超えて大国の思惑に翻弄され続ける少数民族の運命こそがドラマの主軸だろう。
 もっとも、一幕物ゆえに、いささか忙しい描写にはなる。が、純真さの塊のような礼真琴のキャラクターを生かして(『ロックオペラ モーツァルト』@東京建物 Brillia HALL のモーツァルト役とほぼ同じ印象)、そこを乗り切る。
 そして最後に、王の末裔であることがわかった主人公は、一族の主戦派を説得し、大国と戦わずして聖地を捨て、新たな居住地を求めて、みんなで旅立つことを選ぶ。ここに謝珠栄の真骨頂を見る。
 それぞれに荷物を抱えて旅立っていく流浪の一族の姿は、『Fiddler On The Roof』のユダヤ人たちのようだ。

 舞空瞳は流浪の一族の悲運の舞姫。瀬央ゆりあ演じる“不思議な男”と共に、主人公を一族と結びつける役どころ。舞踊場面以外では華やかさと無縁の一見地味な役だが、物語の芯になって重要。
 この姫を、クライマックス前に死なせる謝もすごい。それで作品がひと回り大きくなった。
 ちなみに、“不思議な男”の正体は前王の霊魂で、主人公にしか見えない。この2人(?)の結びつきに、主人公が覚えていた歌を使ったのは、ルーティンとはいえミュージカルならではのアイディアで、うまい。

 大国の王は専科の華形ひかる。2008年『銀ちゃんの恋』@日本青年館のヤス役で感心させられて以来、気になる人だった。これが宝塚最後の舞台。
 管武将軍が愛月ひかる。大国の首脳陣に不信感を抱きながらも、軍隊の司令官として冷徹に任務を遂行する。主人公が成長するにあたっての反面教師のような存在。難しい役柄を堅実にこなす。

 第2部のショウが『Ray~星の光線~』。作・演出/中村一徳。

 感染対策で半分以下に減らした観客を前にして、という条件でのショウはどんなもんだろうと心配したが、さすがにしっかりしたもの。ライヴヴューイングで観た花組公演(『はいからさんが通る』千秋楽@宝塚大劇場)では銀橋を使っていなかったが、こちらはフルに使って盛り上げていた(残念ながらオーケストラは不在だったが)。

 内容については1点だけ。
 元々3月の公演だったから入れたのだろうが、オリンピックがテーマの景はさすがにズレて見えた。重きを置いた作りだっただけに削除とはいかなかったのだろうが(改訂して練習する時間もなかっただろうし)、そこは少し残念だった。

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