The Chronicle of Broadway and me #358(Fame)

2004年1月@ニューヨーク(その7)

 『Fame』(1月11日18:00@Little Shubert Theatre)については、観劇当時、こちらに「サブタイトルに“On 42nd Street”と付いた『Fame』は、映画→TVシリーズと続けてヒットした、あの『Fame』。確か、ロンドンで舞台化され、日本でも翻訳版が上演されていたと思うが、それらとはヴァージョンが違うという未確認情報もある。」と書いている。

 改めて調べると(英語版ウィキペディア)、まず1980年のアラン・パーカー監督によるMGMの映画版(邦題『フェーム』)があり(観た)、続けて1982年に始まって1987年まで続く同名のTVシリーズ(日本語吹き替え版邦題『フェーム/青春の旅立ち』)があって(ときどき観た)、最初の舞台ミュージカル化公演は1988年のマイアミ。タイトルは『Fame: The Musical』
 そこから、このオフ・ブロードウェイ版『Fame: On 42nd Street』に到るまでに以下のような公演記録がある。
 1989年フィラデルフィア、1993年ストックホルム、1995年ウェスト・エンド★、1996年イギリス国内ツアー★、1997年アメリカ版キャストのヨーロッパ・ツアー、同年ウェスト・エンド・リヴァイヴァル★、1999年アメリカ国内ツアー、2000年イギリス国内ツアー★、同年ウェスト・エンド・リヴァイヴァル★、2001年アメリカ国内ツアー、同年イギリス国内ツアー★、2003年アメリカ国内ツアー。
 この内の★を付けたイギリス分は、かの国の興行の慣例から言って、同じプロダクションがロンドンと地方ツアーを行き来して断続的に上演されていると思われる。イギリスではTVシリーズが大ヒットしたらしく、舞台ミュージカル版以前に、TV出演者によるコンサートが行なわれたり、2008年になって『Bring Back…Fame』というTV版オリジナル・キャストのリユニオン番組が作られたりしたらしい。2019年にはリヴァプールで開かれたファン集会でTVキャスト8人によるライヴが行なわれたとか。ちなみに、2003年以降も近年まで、舞台版のロンドン公演並びにイギリス国内ツアーは頻繁に行なわれている。
 一方、本国アメリカはどうかと言うと、ご覧の通り、この2003年オープンのオフ・ブロードウェイ版まで演劇の中心都市ニューヨークでの公演はなかった。しかも、この後は、2010年のフォール・リヴァー(マサチューセッツ)公演が記録されているだけ。ニューヨークを舞台にした作品にもかかわらず、だ。アメリカ国内では、あまりウケがよくないということか。
 ヴァージョンの違いについては結局よくわからなかったが、『Fame: The Musical』の1999年アメリカ版オリジナル・キャスト・レコーディングと、このオフ・ブロードウェイ版『Fame: On 42nd Street』の曲目リストを見比べると、若干順序が入れ替わっているものの、さほど違いはないから、少なくともアメリカ版に関しては、ほぼ同じと考えていいだろう。
 蛇足だが、2007年秋に続編的な『Fame Forever: Talent Springs Eternal』という舞台作品が、ウォーターヴィル(メイン)とサラソータ(フロリダ)で上演されたという記録もある。こちらは。イギリスでも同年にイングランド南部のイーストボーンで上演。2011年にはナッシュヴィルで上演されたらしい。

 さて、そんなわけで、物語の舞台はニューヨーク。マンハッタンの46丁目6番街と7番街の間にあったハイスクール・オブ・パフォーミング・アーツ、及び、その周辺。このパフォーミング・アーツに特化した高校は実在で、1984年にリンカーン・センターにほど近いアムステルダム・アヴェニューの64~65丁目に引っ越した後、フィオレロ・H・ラガーディア・ハイスクール・オブ・ミュージック&アート・アンド・パフォーミング・アーツと名前を変えて今も存在する。
 今作のプレイビルには、その引っ越し前の1980年から1984年の物語である、と書いてある。

 入学試験から4年間の授業を終えて卒業するまでの、とある学年の生徒たちの群像劇。簡単に言えば、そういう内容。
 趣向としては、『High School Musical』『Glee』の先行作、と言っていいだろう。
 面白くなってもよさそうな題材だが、残念ながら、そうはならなかった。「ヴェテランから若手まで力のある役者が集まっているが、脚本が散漫でいただけない。楽曲も弱い。」というのが観劇当時の感想。
 その背景には、映画版のプロデューサーの1人であり、TV版から舞台版までを仕切ってきたデイヴィッド・デ・シルヴァの思惑がある気がする。

 大元の映画版はよくできている。クリストファー・ゴーアが脚本を書いた丁寧なドラマはもとより、公開の翌年(1981年)開局するMTVのヴィデオクリップの作りを先取りした映像+音楽のセンスが新鮮で、以降の音楽映画に少なからず影響を与えることになる(直接的には1983年『Flashdance』や1984年『Footloose』)。この原稿を書くにあたり観直したが、やはり面白かった。
 が、巧みな編集による群像劇の描かれ方は極めて映画的。ということもあり、TV版では個々のキャラクターにスポットライトを当てていくスタイルに転換。登場人物との距離感が映画に比べ甘くなる、というか、映画が登場人物に寄り添いつつ時に突き放す、という絶妙な感じだったのに比べ、週一で観られてナンボのTVは、より通俗的に登場人物への感情移入を促す作りになる(それによって役者の何人かがアイドル化してイギリスで人気を呼んだ、ということだろう)。

 舞台版は、その通俗臭が強い。いずれにしても、そもそも映画版は音楽映画ではあるが、そのまま舞台版に移行できるほどミュージカル的には作られていないので、再構築する必要があったのは確か。その再構築のテイストがTV版に近くなっているのだと思う。
 それが如実に表れているのが、カーメン・ディアズというドラマの核になるヒスパニック系のキャラクターの扱い(ちなみに、TV版の登場人物は映画版に準じているが、舞台版は独自)。映画版で言うと、商業的成功に野心満々のココ(アイリーン・キャラ)と、中心になっている生徒たちより先輩のマイケル(ボイド・ゲインズ!)を合わせたような設定で、第1幕終盤にエージェントから声がかかって卒業を待たずにハリウッドに行くことになり、第2幕後半になって失意のうちに帰ってきていたことがわかる。そして結局、彼女はドラッグのオーヴァードースで亡くなってしまう。卒業の日、仲間たちは記念の歌をカーメンに捧げて歌うのだった。

 ええ? 死んじゃうの? 『Rent』のミミでさえ生き返ったのに! と思わずにはいられないベタな展開。同様に、周辺のドラマも既視感のある、ありがちな形で進んでいく。うーむ……。
 しかし、その「わかりやすさ」こそをデイヴィッド・デ・シルヴァは狙ったのではないか。その結果、「あざとい展開好き」のイギリスで当たっているのではないか。今回、上演の経緯を見て、そう思った。
 逆に言うと、『Fame: On 42nd Street』の “On 42nd Street” は箔付けで、この公演は、ニューヨークの、オンではないものの42丁目のオフ・ブロードウェイ最大の劇場で“とりあえず”上演することに意味があった。もちろん当たれば、それに越したことはないが、それを目指しての「洗練」は求めなかった。内容は深くなくても広い範囲で上演されて儲かる作品であればいい。デ・シルヴァがプロデューサーとして狙ったのは、そういうことだった気がする。
 このオフ公演は、前年の10月7日プレヴュー開始、11月11日正式オープンで、この年の6月27日にクローズ。開業以来1年以上続いた公演のない、“当たらない”劇場と噂されるリトル・シューバート劇場(現ステージ42)で半年以上続いたのは健闘と言えるかも。

 楽曲は、作曲スティーヴ・マーゴシーズ、作詞ジャック・レヴィ(ボブ・ディランやロジャー・マッギンとの仕事で知られる、あのジャック・レヴィ!)の書き下ろし。そこに、ディーン・ピッチフォード&マイケル・ゴーアの書いた映画版主題歌「Fame」(アカデミー賞受賞)が1曲加わる。「Fame」に比する曲がないのが楽曲的弱み(これまた蛇足だが、ピッチフォード&ゴーアは1988年の名高い失敗作『Carrie』の楽曲作者でもあり、マイケル・ゴーアはレズリー・ゴーアの弟でもある)。

 キャストは、『The Who’s Tommy』でアシッド・クイーンを演じたシェリル・フリーマン、リヴァイヴァル版『Chicago』のオリジナル・キャスト(ロキシーとヴェルマのスタンバイ)だったナンシー・ヘス他、教師役にブロードウェイ経験のある役者を配し、脇を固めて堅実。
 前述のカーメン役はニコール・リーチ。子役の頃から主にTVで活躍してきた人らしいが、この後、2006年から2010年にかけて『A La Recherche De Josephine』という作品で伝説のジョセフィン・ベイカーを演じて欧米でツアーをしているようだ。当時の若手でもう1人、女優を目指す内気なセレナという主演級の役を演じたサラ・シュミットは、その後、『Jersey Boys』にオリジナル・キャストとして参加することになる。

 脚本ホセ・フェルナンデス。演出ドリュー・スコット・ハリス。振付のラーズ・ベスクはウェスト・エンド版やストックホルム版も担当してきた人らしい。