The Chronicle of Broadway and me #340(Avenue Q)

2003年7月~8月@ニューヨーク(その3)

 『Avenue Q』(8月1日20:00@John Golden Theatre)について、「誰もが少しだけ差別主義者」というタイトルで旧サイトに書いた感想がカッコ(<>)内。
 公開後、数多くのツッコミ……もとい、助言がメールや旧サイトにあった掲示板経由で寄せられて、その後、訂正に次ぐ訂正を重ねました。そのあたりは文中に(注)を入れて後半にまとめて解説させていただくことにします。

<ちょっと過激な『セサミ・ストリート』(Sesami Street)。わかりやすく言うと、そういうことか(舞台の両脇にTVモニターがあり、アニメーションが流れたりするのも、『セサミ・ストリート』的アイディアではある)。
 大人気で終盤はソールド・アウトだったオフ公演を思い切りよく打ち上げ、オンへと引っ越した今シーズン最初の新作ブロードウェイ・ミュージカル『Avenue Q』は、アーニーとバートやクッキー・モンスターを生み出した(誤り(注1)参照)パペット作家リック・ライオンの作ったパペット(操り人形)たちと人間とが共演するユニークなミュージカルだ。
 「でも、『セサミ・ストリート』で人間とパペットがやりとりしているシーンを思い浮かべると、パペットはゴミ箱の中や壁の向こうにいて、操作してる人間が見えないようになっているけど、その辺は舞台上ではどうなの?」という疑問には後ほど。
 規模が小さいので、『Hairspray』の時のように「トニー賞の筆頭候補」とまでは断言できないが、内容的には充分にその資格あり、の必見作だ。

 マンハッタンのダウンタウン、イースト・ヴィレッジの東の方に、 Aから始まるアヴェニューが並ぶアルファベット・アヴェニューと呼ばれる一帯がある。麻薬常習者などがいるので旅行者は行かない方がいいと言われる地域だが、要するに、再開発も進まず、マンハッタンの中では比較的低所得の人々が住んでいるところらしい(一見、ダウンタウンの他の地域と変わらないが)。ミュージカル・ファンには、『Rent』絡みで知られているかも。
 アヴェニューQは、そんな地域を思わせる架空の通りで(注2)、このミュージカルは、そこで生きる若者たちの物語、っていうことなのだが、その若者たちの“あり方”ってのが、『Rent』はもちろん『Hairspray』の場合も超えて、一筋縄ではいかない 。
 どういうことかと言うと……。

 最初に登場するのは、大学を卒業したばかりの若者プリンストン。卒業はしたものの、これからどうやって生きていけばいいのかわからない。まるで映画『卒業』(The Graduate)の主人公のよう。
 プリンストン(パ/人/男)が住まいを求めてやって来たのが、ボロいアパートメントが立ち並ぶアヴェニューQ。そこで彼が出会うのは、ブライアン(人/人/男)、クリスマス・イヴ(人/人/女)、ロッド(パ/人/男)、ニッキー(パ/人/男)、ケイト(パ/モ/女)、ミセスT(パ/人/女)、トレッキー(パ/モ/男?)、ルーシー(パ/人/女)、そして、大家である(正確に言うと管理人)ゲイリー・コールマン(人/人/男)(注3)といった面々。

 前段落で登場人物の後に付けたカッコ内の文字の意味は次の通り(左/中/右)。
 「左」が“舞台に立っている役者の生態(?)”で、パ=パペットが演じる、人=人間が演じる。
 「中」が“演じられている役の生態”で、人=人間、モ=モンスター。
 「右」が“演じられている役の性別”。

 おわかりだろうか。
 まず、最初に書いたように、この舞台には人間とパペットという2種類の役者が登場する。そして、人間の役者が演じているのは人間だけだが、パペットが演じているのは人間と“モンスター”なのだ。さらに、演じられる役には、人間にもモンスターにも男女の性別がある。付け加えて言うと、カッコ内には書いていないが、人間の演じる役には、ブライアンはユダヤ系、クリスマス・イヴは日系、ゲイリー・コールマンはアフリカ系といった違いがあるし、性別の問題に関しては同性愛の話も登場する。それに、当然ながら経済力の違いもある。
 つまり、登場人物の間には、様々な位相での差異が重層的に存在するのだ.。人間かパペットか、という違いは舞台上では意識しては演じられないが、しかし、観客の目にはその違いは最も大きな差異として存在する。当然、そのことは演出の計算の内だろう。
 これが、この作品の核心。
 それを象徴するナンバーが、この稿のタイトルにもした「Everyone Is A Little Bit Racist」。
 アヴェニューQにやって来たナイーヴな青年プリンストンは、住人たちが皮肉を交えながら互いの差異について率直に語る姿に驚く。そこで、開けっぴろげな性格のクリスマス・イヴ(アン・ハラダ快演)に率いられてみんなが楽しげに歌いだすのが、この楽曲。
 「誰もが少しだけ差別主義者」。アヴェニューQの路上でニコニコしながらそう歌われると、確かにそうだなあと、観客である自分も含めて自然に納得してしまう。そんな世界観が、この作品にはある。

 で、改めて、どんな話かというと、世間知らずだったプリンストンが、アヴェニューQ周辺の“いろいろな人たち”との出会い、ことにケイトとの恋愛を通じて大人になっていく、そんな話(脚本/ジェフ・ウィッティ)。
 説明になってないでしょうか(笑)。

 ドラマのポイントは、プリンストンが恋に落ちる相手がケイトであるところ。
 ケイトはモンスターなのだが、ほとんど人間と同じに(プリンストンの女性版のようにも)見えるパペット。プリンストンのような人間型パペットと違うのは、よく見ると、髪の毛とは別に皮膚の表面に、皮膚と同じ色ではあるけれども産毛と言うにはいささか濃い毛がびっしりはえていることだけ。この辺、同じモンスターでも、全身が長い毛に覆われているトレッキーとは全く別の“モンスター種”に見える。
したがって、プリンストンとケイトが惹かれ合うのも、それを周りが盛り立てるのも、登場人物たちはもちろん、観客にとっても自然な成り行きに思える。少なくとも、その辺りまでは、「誰もが少しだけ差別主義者」とかって言いながらも、舞台は和やかな雰囲気で進んでいく。
 しかし、途中から舞台上の空気が微妙に変わる。その境となるのが、12歳未満にはオススメできない(という注意書きがある)理由だと思われるシーン。プリンストンとケイトのベッド・シーンだ。
 パペット同士のベッド・シーン。それは、ともすれば人間以上に生々しい。その理由はいくつかある(例えば、動きが誇張される、とか)。が、最大の理由は、パペットが子供っぽい可愛らしい外見をしていることだろう。セックスをしそうもない姿をした者たちの赤裸々なセックス表現は、ユーモラスであると同時にグロテスクさも含んでいる。ましてや、プリンストンとケイトの場合は、一方が人間、一方がモンスター。“少しだけ差別主義者”であるこちらの頭の中には、“異種交配”という言葉が思わず浮かんでしまう。
 とにかく、このシーン以降、単なる青春ドラマでは終わらない気分が濃厚になる。
 そして登場するのが、セクシーな人間パペット、ルーシー。ブロンドの髪、唇の上のホクロ、クールなナイトクラブ歌手、という設定はペギー・リーのイメージか。
 このルーシーに、プリンストンはひと目でイカレる。世間知らずの若者としては当然すぎるぐらい当然のことだが、しかし、ケイトは モンスターでルーシーは人間。モンスターの娘を捨てて人間の女に走ったとなると、“少しだけ差別主義者”ってだけじゃ収まりがつかない、やりきれない感じが生まれる。
 以降、貧しいながらも和やかだったアヴェニューQのコミュニティに亀裂が走り始める。
 表向きストレート(注:ヘテロセクシュアルを昔こう呼んでいたが、これ自体が差別的な表現なので今後は使うべきではない)同士として仲よく同居していたロッドとニッキーのいさかいも、おかしくて悲しい。ニッキーが「自分は昔ゲイだった」とカミングアウトしたことで(誤り(注4)参照)、ロッドは自分の内なるゲイに目覚め、それを認めきれずに居候のニッキーを追い出す。
 プリンストンはと言えば、絵に描いたようにルーシーに弄ばれて捨てられてしまう。
 もちろん最後は、住人たちが再び心を寄せ合ってハッピーエンドを迎えるわけだが、それがありきたりの予定調和に見えないのは、そこに到るまでに様々な位相でのぶっちゃけた差別意識の発露があるからで、作者たちが本当に描きたかったのは、むしろそうした世の中にあふれる“さりげない悪意”の数々なのだろう。野暮を承知で言えば、誰もが抱く“さりげない悪意”を自ら認めて克服していかない限り“世界”は変わらない、というのが、この作品に込められた思いなのではないか。だから、一見注文通りのハッピーエンドの向こうには、苦さを乗り越えて生まれる“世界”への希望が見えてくる。

 さて、説明を保留にしたパペットの操作についてだが、操作する人間はそのまま舞台に姿を現す。つまり、観客にはパペットと共に操作する人間が等身大で見えるわけ。
 で、この人たち、パペットを操作するだけではなく、声(セリフと歌)も担当する。さらにパペットを操作して踊らせることを考えれば、まんまミュージカル役者なわけだ。いや、実際パペットの動きにシンクロして踊ってるし、表情の変化はむしろ人間の方が担っているし、間違いなくミュージカル役者として演じている。
 ところで、そうやってメインでパペットを操作するのは4人。主要登場パペットの数は上記の7体。その他にも変なクマのカップルとか出てくるのだが、とにかくパペットの数の方が操作する人間の数より圧倒的に多い。ということは、1人の人間が複数のパペットを操作するわけで、同時に2体のパペットを扱わなければならない場面も当然出てくる。で、どうするか。他の人間がパペットを持ち替えるのだ。
 この持ち替えが、ちょうど歌舞伎の早替わりのようで、えっ、いつの間に? という絶妙のタイミングによる早業。言ってみれば、芸になっている。後半には、2人使いのパペット(2人の人間が1体のパペットを操作する)を含めて多くのパペットが登場するシーンがあり、そこでの持ち替えなど、スリリングですらある。
 さらに複雑なのは、パペットを持ち替えても声の担当は変わらないので、同じ人が複数の役を演じ分ける場面が出てくることだ。
 そんなこんなで、メインで人形を操作するジョン・タータグリア(プリンストン、ロッド役)、ステファニー・ダブルーツォ(ケイト、ルーシー役、他)、パペット作家のリック・ライオン自身(ニッキー、トレッキー、クマ役、他)、それにジェニファ・バーンハート(ミセスT、クマ役、他)の“演技”は実に素晴らしい。しかも、4人ともブロードウェイ・デビューと来るんだから、アメリカ演劇界の層の厚さと、個人の芸の多彩さ、深さに驚く。この中の何人かは必ずやトニー賞にノミネートされるだろう。

 楽曲作者のロバート・ロペスとジェフ・マークスは子供向けのミュージカルを作ってきた人たちらしいが、この作品のアイディアは彼らのもの。そのキャリアが最高の形で生きた舞台になったわけだ。楽曲自体も、先の「Everyone Is A Little Bit Racist」を筆頭に、ひとひねりのある魅力的なものが並ぶ。
 人間とパペットというサイズの異なる登場人物が共存する世界を巧みに見せる装置(アンナ・ルイゾス)も観どころの1つ。
 演出ジェイソン・ムーア、振付ケン・ロバーソン。

 ちなみに、プロデューサーの中には、『Rent』を手がけたケヴィン・マッカラムとジェフリー・セラー、それに、『tick, tick…BOOM!』のロビン・グッドマンがいる。
 とりあえず『tick, tick…BOOM!』の段階は超えてブロードウェイまでやって来たが、さて、彼らのねらい通り、『Avenue Q』は2匹目の『Rent』となるだろうか。>

 さて、(注)です。
 旧サイトでは複数の方から情報をいただき、いただくたびに追記を重ねていましたが、ここでは整理して、まとめさせていただきます。情報をくださった方々のお名前(ハンドルネーム)は次の通りです。
 sabretoothさん、クワストさん、雨宮さん、sutoさん(情報をいただいた順)。
 改めて感謝いたします。ご協力ありがとうございました。

(注1)
 リック・ライオンは 『セサミ・ストリート』 の元スタッフで、ビッグ・バードのオペレーターの1人ではあったけれども、同作のパペット・キャラクターたちを生み出したのはジム・ヘンソン。

(注2)
 アヴェニューQの所在地はあくまで架空だが、プレイビルには「an outerborough of New York City」と書いてある。つまり、ニューヨーク市のマンハッタン以外の4つの行政区(ブルックリン、クイーンズ、ブロンクス、スタテンアイランド)のどこか 。
 その中ではブルックリン説が有力。理由は、かつて ブルックリンにアヴェニューQが存在したから。詳細は以下の通り 。
 アルファベット名のアヴェニューは、ブルックリンの中央やや東寄りにある短い「A」から始まって、飛び地しながら、「E」と「G」を抜かして、しだいに南に下っていく。で、かなり南の方にアヴェニュー「P」と「R」があり、その間に、アヴェニューQの代わりにクエンティン・ロード(Quentin Rd)がある。
 この クエンティン・ロードが元々はアヴェニューQだったが、第一次大戦で戦死したセオドア・ローズベルト大統領の末の息子クエンティンにちなんで名称変更された 。
 ……と、そんな次第。

 上の写真は、そのクエンティン・ロード。この年の11月、地下鉄Qライン(!)に乗って実際に行ってみた。最寄駅はキングズ・ハイウェイ(Kings Hwy)駅。

(注3)
 ゲイリー・コールマンについては観劇時には知識がなかったが、実在の人物。
 アメリカで1978年から1986年にかけて放送されたTVドラマ『Diff’rent Strokes』(邦題:アーノルド坊やは人気者/日本でのオンエアは1982年から)の主人公アーノルド・ジャクソンを演じていたのがゲーリー・コールマン少年。1968年生まれで、2010年に42歳で亡くなっている。2003年当時は健在。
 この舞台では女性(ナタリー・ヴェネティア・ベルコン)が演じているが、ホンモノは男性……というあたりで、この役の性別について最初混乱した。

(注4)
 ニッキーが「 I was gay.」 と言うシーンがあり、それで「自分は昔ゲイだった」とカミングアウトしたのだと早合点したのだが、その前に「he might’ve thought」というフレーズがあり、「彼にゲイだと思われたようだ」という発言だったと判明。 というわけで、ニッキーはヘテロセクシュアルです 。
 で、ロッドは「自分の内なるゲイに目覚め」たわけではなく、ゲイであることを隠していたのに、ニッキーに指摘されてあせるわけです。

(注) については以上。

 『Avenue Q』がブロードウェイでも大ヒットしたのはご承知の通り。2003年7月に幕を開け、2009年9月まで続いた後、オフに移って(戻って?)、さらに10年のロングランを記録している。

 ちなみに、個人的には、この作品を観て日本で文楽を観るようになった。パペット使いのノウハウが明らかに文楽と似ていると感じ、だったら自国の文化なのだから観てみるべきだろう、と思ったしだい。以来、楽しく観続けている。
 『Avenue Q』 に感謝。

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