The Chronicle of Broadway and me #303(Hairspray)

2002年9月@ニューヨーク(その2)

 『Hairspray』(9月21日14:00@Neil Simon Theatre)について、「楽しく躍動的な骨太作」というタイトルで旧サイトに書いた感想。

<初めは新手の『Grease』かと思った。
 時は1962年。場所はアメリカの地方都市ボルティモア。主人公は高校生。開幕一番、そのヒロインが歌い出す楽曲は、ロネッツ(「Be My Baby」)もどきのティーンエイジ・ポップ風味。――と材料がそろえば、お気楽な懐古的シックスティーズ青春ミュージカル『Grease』を連想するのは自然だろう。
 でも、ただ1つ違っていたのは、ヒロインは、ものすごく太っていたのです。
 そのヒロインがダンス好きだったことで彼女の周りの世界が少しだけ変わる、という意味では『Footloose』にも似ているが、“世界”に切り込む角度の鋭さが違う。
 2002/2003年シーズンの最初にブロードウェイに登場した新作ミュージカル『Hairspray』は、楽しげな外観の(そして確かに楽しい)、その実、骨太な意欲作。終始ニコニコしながら観ることができて、感動もした。

 1962年、ボルティモアの若者たちは、TV番組「コーニー・コリンズ・ショウ」に夢中。かなり“水平方向に大柄な”女の子トレイシーもその1人。高校から帰ると、ちょっとトロい親友のペニーと一緒に自宅のTVセットにかじりつき、若い男女が最新の音楽に乗せてイカしたダンスを披露するのを食い入るように見つめる。トレイシーのお気に入りは、歌がうまくてカッコいい青年リンク。
 ある日、番組に出演している女の子の1人がトラブルで降板。トレイシーは母親の反対を押し切って、新メンバーを決めるためのオーディションを受けに行く。リンクに出会えて夢見心地のトレイシーだったが、番組のプロデューサーで、出演者中最もキュートなルックスの女の子アンバーの母親でもあるヴェルマから、にべもなく追い返される。
 でも、トレイシーはめげない。黒人の男の子シーウィードたちにヒップなダンスを教えてもらってTVのスタジオに乗り込み、司会者コリンズやリンクに認められてレギュラーの座を勝ち取る。加えて、月に1度だけ黒人が番組に登場する“ニグロ・デイ”を毎日にしてほしいとオンエア中に発言、ヴェルマの反感を買う。リンクを狙うアンバーも、別の意味で心穏やかではない。

 ここからドラマは、トレイシーvs.アンバー&ヴェルマの様相を呈してくる。
 “大柄な”女の子向けファッションの店からPRに協力してほしいという依頼を受けたトレイシーは、個性的でありながら家庭の主婦であり続ける、やはり“大柄な”母エドナを口説き落とし、母娘一緒にモデルとして世に出る。そんなトレイシーの目立ちぶりが面白くない女王様気質のアンバーは、学校のドッジボールの授業でトレイシーをいたぶるが、これが逆効果。心配したリンクが、ペニーやシーウィードと一緒にトレイシーのエスコートを申し出る。
 一行はシーウィードの案内で、黒人街にある彼の母親の経営するレコード・ショップに向かう。クールなブラック・ミュージックに満ちたその店は、トレイシーにとっては夢のようなところ。思わず常連の黒人の子たちと一緒に踊りだす。
 そこにやって来るのが、ヴェルマとアンバー、それにエドナと夫のウィルバー。ヴェルマ&アンバー母娘は、“こんなところ”から早く出るようリンクを促すが、トレイシーに惹かれているリンクは残る。一方、トレイシーの両親はシーウィードの母と意気投合。
 そんな空気の中で、トレイシーは「コーニー・コリンズ・ショウ」の番組ジャックを提案する。「毎日を“ニグロ・デイ”に」を実践しようというのだ。それを聞いて、びびるリンク。全米でオンエア予定の「コーニー・コリンズ・ショウ」特別版が控えていて、彼はそこで全国的なスターになるつもり。結局リンクは去り、トレイシーは落ち込む。
 ではあるが、トレイシーとエドナの先導で面々は番組ジャックに向かう。しかし、騒ぎは大きくなり、警官隊が出動。スタジオにいたヴェルマとアンバーを含めて、みんな逮捕されてしまう。
 アンバー母娘は、すぐにご赦免。他のみんなも、ウィルバーが保釈金を払って釈放されるが、トレイシーだけは囚われの身のままとなる。近々番組内で行なわれるミス・ヘアスプレイ・コンテストに彼女を出させないための、アンバー母娘の差し金だ。しかし、トレイシーへの愛を自覚したリンクが監獄に忍び込み、ヘアスプレイのガスとライターによる即席バーナーで鉄格子を焼き切って(!)、彼女を解放する。
 一旦シーウィード家のレコード・ショップに逃げ込んだトレイシーは、ミス・ヘアスプレイ・コンテスト当日の番組ジャックを改めて計画。今度は綿密な作戦を立てて乗り込むことになり……。

 最終的には絵に描いたようなハッピーエンドになるこの話、一見、高慢ちきな連中と自由を愛するヒロインたちが対立する『青い山脈』的(わかる?)青春ドラマ(ラヴ・ストーリー付き)のように見えるが、注意深く観ていると、トレイシーがTVのオーディションに落ちた直後、次の1シーンでガラッと様相が変わるのがわかる。

 子供っぽい黒人の女の子が期待に胸をふくらませた表情でオーディションを受けに来る。彼女に対して、あざけるような態度をとるヴェルマたち。強いショックを受ける女の子(後に、それがシーウィードの妹だとわかるのだが)。

 その時に観客は気がつく。太っていることも有色人種であることも、あるいはペニーのようにトロいことも、全て“異形”だと排除する世界観がここに“ある”、ということに。
 キング牧師らによるワシントン大行進の前年、黒人の公民権がほぼ無視されていた過去の時代が舞台であるにもかかわらず、そうした世界観が“あった”、ではなく今も“ある”と感じるのは、全米同時多発テロ以降ますます独善的になっていくブッシュ(2代目)の時代だということもあると思うが、黒人でなくても排除の対象になるという普遍的な問題意識がドラマの中に込められているからだろう。
 これについては、トレイシー母娘の話もさることながら、ところどころにさりげなく挿入されているペニーのエピソードが、実は効いている。
 そうした“異形”の者たちのドラマは、短命に終わった意欲作『Side Show』と同質の厳しさを持っていたりもするのだが、作品として、あくまで陽性の顔つきのエンタテインメントとして成り立っているところが『Hairspray』の見事なところ。

 “異形”の者たちがソング&ダンスの魅力で社会の表舞台に出ていくという設定は、ある種のバックステージものでもあり、だからこそミュージカルという表現にズバッとはまったのだろうが、重いテーマをシックスティーズ・ポップスの衣装をまとった軽々とした語り口で楽しげに見せた脚本(マーク・オドネル、トーマス・ミーハン)と演出(ジャック・オブライエン)は大いに評価されるべき。
 『Mamma Mia!』に似て、客席はノリのいい楽曲で大いに盛り上がるが、両者の熱狂の内実がまるで異なるのは言うまでもない。

 そのシックスティーズ風の楽曲(作曲・作詞・編曲マーク・シャイマン、作詞スコット・ウィットマン)。
 前述の「Be My Baby」はじめ「Land of 1000 Dances」「Please Mister Postman」「Heatwave」「Sixteen Tons」等々の具体的なタイトルが思い浮かぶような形で往時のヒット曲の気配を援用しつつ、それが単なる懐古的なまがいもので終わらないだけの現代性も備えているという、『Grease』とはひと味違った仕上がり。そんな中に挟まって出てくる、ヴォードヴィル調やゴスペル調のナンバーも味わい深く、音楽的な厚みを与えるアクセントになってもいる。

 振付(ジェリー・ミッチェル)は、若者たちの群舞には際立った斬新さはないものの、TVのダンス・ショウのルーティンを超えた躍動感があり、楽しい。個人的には、前述のヴォードヴィル調のナンバーで踊るトレイシーの両親のオールド・ファッションドなダンスがよかった。
 ’60年代気分をわざとチープな作りで醸し出した装置(デイヴィッド・ロックウェル)もアイディアが詰まっている。ことに、背景や幕として使われる、上からズラッと下がった帯状の板が印象的。スタジオを表現するために上から出てくるマイクロフォンの群れも面白い。
 やはり’60年代気分を楽しく見せてくれる衣装担当は、第一人者、ウィリアム・アイヴィ・ロング。

 出演者も、女性陣を中心に、多彩にして充実。
 あくまでも前向きで、しかも押しつけがましくない、地上に降りたE.T.ともいうべき“異形”の善人トレイシーを演じるのは、映画『American Beauty』で知られるメリッサ・ジャレット・ウィノカー……なのだが、土曜マティネーのせいか、観た回はケイティ・グレンフェルという代役。が、全く問題なし。魅力的に演じきっていた。
 ドラマ上の主人公はトレイシーだが、この舞台の支柱となる役者は、トレイシーの母エドナ役のハーヴェイ・ファイアスタイン。ゲイを主人公にした傑作プレイ『Torch Song Trilogy』を書き、演じた人として名高い(したがって、エドナの存在には同性愛者差別の意味も暗に込められていると思う)。ミュージカル『La Cage Aux Folles』の脚本家でもある。派手な女装をした、まさに“異形”のキャラクターなのだが、その圧倒的な存在感で舞台全体を引き締める。悪声だが、歌にも味を感じさせるのは、さすが。
 その夫ウィルバー役は、ブロードウェイのヴェテラン、ディック・ラテッサ。相変わらず、飄々とした演技で、渋くキメてくれる。前述したように、フィアスタインとのデュエット・シーンは見どころのひとつ。
 憎まれ役ヴェルマを演じるリンダ・ハートは、懐かしい人。1988年、初めてのニューヨークでブロードウェイ・ミュージカルの楽しさを教えてくれた『Anything Goes』に脇役で出て、軽快なステップで踊っていたのを観て以来の再会。難しい役どころを、今回も変わらぬ軽快さでこなす。
 アンバーを小憎らしく演じるローラ・ベル・バンディ。地味ながらも重要な役ペニーを演じるケリー・バトラー。共に豊富なキャリアにふさわしい達者さ。
 そのペニーの母役他を八面六臂の活躍で演じ分けて大いにウケるのが、ジャッキー・ホフマン。
 そして、シーウィードの母に扮して強力な歌を聴かせ、フィアスタインと並んで舞台を支えるのが、メアリー・ボンド・デイヴィス。最近では、『Marie Christine』の囚人役が印象に残る人だ。

 『Hairspray』。今シーズン最初のブロードウェイ・ミュージカルにしてトニー賞の筆頭候補。観逃すべからず。
 観劇後、再見用のチケットを迷わず買っちゃいました(笑)。>

 アンバー役ローラ・ベル・バンディの10年前の子役時代の傑作オフ・ブロードウェイ・ミュージカルの話はこちら

 ちなみに、この時点では、まだ、ジョン・ウォーターズ監督・脚本による元の映画版(1988年/日本公開1989年)は観ていない。

 旧サイトでは、この感想に続いて11月の再見時の感想も書いている。この初見の感想についての事実訂正も含むので、併せて読んでいただければ幸いです。

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