The Chronicle of Broadway and me #1024(Cambodian Rock Band)

2020年2月@ニューヨーク(その6)

IMG_2123

 『Cambodian Rock Band』(2月26日19:30@Irene Diamond Stage/Pershing Square Signature Center)について書いた観劇当時の感想(<>内)。

<早めに劇場に着いてロビーで時間をつぶしていたら、昼公演を観終えた東南アジア系(カンボジアなのか?)のハイスクールの生徒たちがドッと出てきた。そこここに集まって思い思いに記念撮影をしている彼ら。その楽しげな様子からは想像のつかない、苦い内容の、力のこもった作品だった。

 上の写真のポスターの「featuring songs by」のところにあるDengue Feverはバンド名。元の意味がデング熱だからだろう、日本では「デング・フィーヴァー」と呼ばれている。発音としてはデンギ・フィーヴァーの方が近いようだが。
 ともあれ、そのバンドが変わっている。2001年結成のアメリカのバンドなのにレパートリーの多くが1960年代から1970年代にカンボジアで作られたロック歌謡で、オリジナル楽曲もそれを模した作りになっているのだ。ヴォーカリストこそチャム・ニモルというカンボジアでは知られていたらしい移民の女性だが、彼女は最後にリクルートされたという。そもそもは中心メンバーであるアメリカ人のホルツマン兄弟が、一人はかの国に旅行して、もう一人はレコード屋で働いていて、それぞれカンボジアのサイケデリック・ロック・ミュージックを“発見”し、それを演奏するためのバンドを作ろうしたところから始まった。……と、これは英語版ウィキペディアの記述から。
 その英語版ウィキペディアに、彼らのカヴァーした楽曲に関する次のような記述がある。

 「(元になった楽曲を歌った)カンボジアのシン・シサモット、ロ・セレイソティア、パン・ロンといったアーティストたちは皆、他の人たち同様、クメール・ルージュ政権時代に亡くなるか行方不明になっている。」

 『Cambodian Rock Band』は、知識人や芸能関係者がことごとく粛正された、そのクメール・ルージュ政権時代(1975年~1979年)に、刑務所に収監されながらも生還したミュージシャンの物語。彼はなぜ生きて戻ってこられたのか? 2008年になって姿を現したその人物に、当時の社会状況に関心を持つ、彼の娘が問いかける。

 まずは舞台に、昨年10月に観た『Soft Power』でデイヴィッド・ヘンリー・ホワン役だったフランシス・ジューが登場して話し始めるのに軽く驚く。デジャヴュのような感じがして。しかも彼は、前作同様に、観客に向かって語りかける狂言回し的役割と作中人物の両方を演じる。
 つまり、『Cambodian Rock Band』は(『Soft Power』ほど複雑ではないが)重層的な構造になっているわけで、それが、描かれている辛辣で残酷ですらあるドラマの印象を和らげる役割を果たしている。
 ジューが演じる作中人物は、後に「カンボジアのヒムラー」と呼ばれたという、実在し今も生存する刑務所の尋問部長(後に所長)で、名前はドッチことカン・ケク・イウ。刑務所内でドッチに尋問されるのが主人公のチゥム。この2人の刑務所内でのやりとりがドラマの核心。ドッチが脅してチゥムが命乞いする。その過程でドッチがチゥムの音楽に関心を示し、チゥムが歌わされ、そこにチゥムの友人で彼を救ってやりたいと思う看守が絡んで……。
 強権的な政治の下で踏みつけられる個人の尊厳。コミカルな要素もないではないが、この部分だけ見せられたら、かなり息苦しい舞台になったはず。それを回避するための回想形式であり、そこに観客を案内するのがドッチ役のフランシス・ジューであるという捻った構造。あの恐るべき時代を再検証するためには、そうした演劇的な装置が必要だった、ということだろう。

 しかし、これを観ているアメリカ人観客は、クメール・ルージュが権力を握るに到る遠因が米軍のヴェトナム戦争介入にあり、その後(同政権崩壊後)、様々な政治力学の結果としてアメリカが(中国や日本と共に)クメール・ルージュ勢力による亡命政府を支持していたことを知っているだろうか。
 おそらく、作者のローレン・イーや演出のチャイ・ユウは知っているのだろう。だからこそ、この作品をアメリカで上演しているのだと思う。その思慮深さに心を打たれる。

 ちなみに、チャムがメンバーの一員だったバンドの名はシクロズ(Cyclos)。シクロとは自転車で引っぱる人力車のことで、バンド名は彼らが劇中で演奏する「Jeas Cyclo」(シクロに乗って)という楽曲に由来すると思われる(かなりのヒット曲だったようだ)。その曲の作者でオリジナル演奏者のヨー・オウラーラングも、クメール・ルージュ政権時代に消息不明になったという。

 (追記:2020年9月2日)カン・ケク・イウは、2012年の二審(上級審)判決で終身刑が言い渡されて以来カンダルの刑務所に収容されていたが、現地時間の今日午前0時、プノンペンの病院で死亡した。77歳。>

The Chronicle of Broadway and me #1024(Cambodian Rock Band)” への2件のフィードバック

コメントを残す