The Chronicle of Broadway and me #349(Never Gonna Dance)

2003年10月~11月@ニューヨーク(その3)

 『Never Gonna Dance』(11月1日20:00@Broadhurst Theatre)について、「アステア&ロジャーズ世界の再現なるか」というタイトルで旧サイトに書いた感想です。

『Never Gonna Dance』の、始まって間もないプレヴュー(10月27日開始)を、とにもかくにも観に行ったのは、とっとと終わっちゃうかも、と心配したから。
 映画『Swing Time』(邦題:有頂天時代)を元にした新作舞台ミュージカルがブロードウェイに登場予定、というニュースがプレイビル・オンラインで流れたのが今年(2003年)の6月。楽曲は『Swing Time』で使われたものを中心に、ジェローム・カーン作曲作品で統一するらしい。
 オッ、と、うれしく思うと同時に、不安も頭をよぎった。なにしろ、『Swing Time』(日本版DVDの解説によれば、戦後の再公開時には邦題も『スイング・タイム』だったようだが)と言えば、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャーズという伝説的コンビの黄金期に作られた古い(1936年)作品。個人的には“アステアの幻”を求めてブロードウェイに通い始めたわけではあるが、昔の映画の内容を昔の楽曲を使って舞台化するという企画に、まず安易さを感じた。それに加えて、誰がどんな風に演じ、どんな風に脚色されるにしろ、観る側がアステア&ロジャーズの幻と比べてしまうのは必定なので、よほどの出来でない限り、評価が厳しくなるだろうな、とも思った。こうした不安は、そのまま、早々にクローズするのでは、という心配に変わる。で、プレヴュー開始早々にもかかわらず観に行ったというわけだ。

 観に行った動機がそんな風だったので、観終わって、ずいぶんホッとした。主演の2人に華やかさが欠けるものの、まずまずの仕上がりだったからだ。なにより、肝心のダンスで観応えのあるシーンが1つあったのがうれしい。
 と言っても、まだプレヴューだし、これからさらに練り上げられるだろうという期待も込めての「ホッ」だが。

 ところで、映画『Swing Time』のストーリー(脚本ハワード・リンゼイ&アラン・スコット)は、かなりいい加減なご都合主義。今の目で観ると緩~いコメディだが、まあ、当時の観客にしてみれば、まずはアステア&ロジャーズのダンスありきで、そこに大不況などなかったかのような華やかなシチュエイションが加われば、それで満足。穴だらけのストーリーなど気にもしなかったのだろう。
 細部に違いはあるものの、ほぼ、それにのっとって作られている『Never Gonna Dance』のストーリー(脚本ジェフリー・ハッチャー)も、かなり都合よく展開する。

 時は1936年。所はペンシルヴェニア。ヴォードヴィルのダンサー、ラッキー・ガーネットは、資産家の娘マーガレットとの結婚式に遅れる。式は流れ、怒るマーガレットとその父。詫びるラッキーは、ギャンブル好きの本性を出して、2万5000ドル稼いだら結婚を許すという賭けにマーガレットの父を乗せる。ただし、ダンスには頼らないで、という条件つきで。
 ひとやま当てるためにニューヨークに向かったラッキーは、ダンス教室の雇われ教師ペニー・キャロルと出会い、ひと目惚れする。そこで見せたプロ並み(?)のダンス力を買われて、ペニーと組んで、あるアマチュア・ダンス・コンテストに出ることを勧められたラッキーは、賞金に惹かれ、出場することにする。しかし、アマチュアのコンテストだから本当は出場しちゃあいけないわけだし、だいたいダンスで稼ぐのは約束違反だし、さらには、ひと目惚れした相手と一緒に踊る目的が別の相手と結婚するための金稼ぎってのもバレたら大変だし、……と問題山積みのところに恋のライヴァルとダンスのライヴァルも登場して、さて、ラッキーの恋とお金の冒険、いったいどうなる!?

 ここで、やはり都合よくストーリーが展開する『Crazy For You』のことを持ち出してみる。
 『Crazy For You』には、『Never Gonna Dance』との類似点が多い。

 ①ストーリーが都合よく展開するハッピーエンドのコメディである。
 ②1930年代の作品を元にした新作として登場している(『Crazy For You』の元は1930年の『Girl Crazy』)。
 ③その元になる作品で使われた楽曲を中心に、アイラ&ジョージ・ガーシュウィンによる楽曲で構成されている。
 ④主役の男女を中心にしたダンスが主体のミュージカルである。

 ②③の要素から、オープン当初は「過去のものを包装し直した」と言われたりもした『Crazy For You』。 ①のご都合主義のストーリーも、『Never Gonna Dance』同様、往年のミュージカル・コメディを元にした作品ならでは、とも言える。
 そんなわけで、ヘタをすれば過去のヒット作の古臭い焼き直しになりかねなかったのだが、それがトニー賞作品賞を受賞するヒット作に仕上がった要因は、スーザン・ストロマン振付によるアイディア満載のダンスはもちろんだが、マイク・オクレントの快調な演出を引き出したケン・ラドウィグによるギャグ連発の巧みな脚本の功績も大きい。
 ことに、ストーリーについては、ご都合主義はご都合主義なりに周到に伏線を張ってあるので、展開に不自然さが感じられない(周到に伏線が張ってあれば“ご都合主義”とは言わないのかもしれないが、まあ、次々に都合よく展開していく話、という風に理解してください)。特に、こういう古い題材を扱う場合は、脚本や演出に現代的な緻密さやスピード感がないと古臭さが際立ってしまう危険性があるから、こうした周到さは重要になってくる。

 具体的に見てみよう。

 『Crazy For You』は、1930年代、ニューヨークで銀行を経営する母親の元にあってダンサーへの夢を捨て切れず、ブロードウェイの大プロデューサー、ザングラーに売り込みを繰り返している不肖の息子ボビーが、母親の命を受けてネヴァダ州のちっぽけな町デッドロックにある古い劇場を差し押さえに行き、劇場の所有者の娘ポリーに恋してしまう、という話で、大半(全2幕17景中14景)がデッドロックで展開されるのだが、ボビーの後からデッドロックにやって来るニューヨーク関係者全員 ――踊り子集団ザングラー・ガールズ、ザングラー、ボビーの婚約者アイリーン、ボビーの母――を、ボビーがニューヨークを離れるまでの第1幕第1~2景で登場させ、しかも、その間に、伏線となる人間関係をギャグの畳みかけの中で手短に説明してしまう。

 伏線となる人間関係とは、例えば、
 a).ザングラー・ガールズはボビーを友達として応援している。
 b).アイリーンはボビーにしつこく結婚を迫っている。
 c).ザングラーは妻帯者だがザングラー・ガールズの一員テスと結婚したがっている。
 d).ボビーにはダンスの才能があるがザングラーは歯牙にもかけない。
 e).強力な母親に頭を押さえられているボビーは自分の力で何かを達成したいと思っている。
等々。
 こうした伏線があるので、その後の次のような展開が、観客には自然に受け入れられる。

 デッドロックで、ボビーはポリーの劇場を救うためにザングラーになりすましてショウを作ることにするのだが、
 a).ボビーの願いに応じてザングラー・ガールズが大挙して現れるので、ボビーのなりすましがバレずにすむ。
 そこに、
 b).ボビーの正体を知るアイリーンがやって来てハラハラする。
 さらに、
 c).テスを追ってホンモノのザングラーがやって来るので、ついにボビーのなりすましはバレる。
 そして、
 d).ザングラーがボビーの才能に気づいて一度は失敗したショウをプロデュースしようと申し出る。
 e).ショウが失敗に終わってニューヨークの母の元に帰ったボビーはもう1度やり直そうとデッドロックに戻る。

 実は、ボビーがザングラーになりすます、というのは、かなりバカバカしい設定。しかし、それをバカバカしいと感じさせないのは――あるいは、バカバカしいけれども笑って許せるのは――ザングラーになりすます時に、ザングラー・ガールズが華やかに現れて、田舎町デッドロックを楽しいミュージカル的混乱に陥れるからで、しかも、そのガールズの出現が、驚きではあるが、伏線があるので唐突ではない、つまり、それなりに納得できることだからでもある。その後の展開についても、それは同様だ。

 では、『Never Gonna Dance』の場合はどうか。
 残念ながら、その辺が弱い、と言わざるを得ない。その辺とは、つまり、伏線の張り方。
 まず、これは伏線ってわけじゃないけど、発端の、結婚式に遅れる、婚約者の父親と2万5000ドルの賭けをしてニューヨークに行くことになる、というエピソードからして、『Crazy For You』の周到さと比べると、必然性に欠け、唐突に映る。『Crazy For You』の場合、ボビーのデッドロック行きには、銀行家である母親から抵当物件の差し押さえを命じられるという筋の通った理由があり、さらに、その背景に、ザングラーにダンスを認められられずにがっかりしていたことと、しつこく結婚を迫るアイリーンから逃げたいという事情もある。いきなりの展開も、二重三重に納得できるように作られているのだ。
 もっとも、『Never Gonna Dance』の展開も納得できないというわけではない。笑える話になっているし、軽い主人公だから、そういうこともあるかな、とは思わせる。ただ、緩いのだ。
 例えば、重要な脇役として主人公ラッキーの協力者になるホームレスが登場する。映画『Swing Time』に登場するヴィクター・ムーア扮する手品師に相当する役で、ある意味ラッキーの運命を左右する人物なのだが、そのホームレスや、実はラッキー同様プロだったことが後でわかるライヴァルのカップルなども、ほとんど伏線なく描かれるので、展開に厚みがなくなる。まあ、全体に楽しいので、観ている時はそれほど気になるわけでもないのだが、最終的には作品が薄味な印象になってしまうのは否めない。
 逆に言うと、『Crazy For You』の脚本は、笑って観ている時には気づかないが、実はアイディアにあふれた凝った作りになっていて、それが、観終わった後の満腹感の一端を担っていたのだと思う。ダンスの見事さだけでは、あそこまで楽しくはならない。

 そんな風に、脚本に関しては甘さの残る『Never Gonna Dance』だが、売り物のダンス・シーンは、さすがにしっかり作られている。それも、小道具使いのうまかった『Crazy For You』とはひと味違う、かなり正攻法で押した振付になっている(振付ジェリー・ミッチェル)。
 最大の見せ場は、第1幕最後の「The Way You Look Tonight」。ラッキー(ノア・レイシー)とペニー(ナンシー・レメネイジャー)が、建設中の高層ビルの屋上に登って、剥き出しの鉄骨の上で踊るシーン。屋上と言っても実際の高さは舞台の少し上でしかないが、足場が交錯した幅の狭い鉄骨を模したバーの上であるのは間違いない。そんなバーの上を2人で跳び渡りながら舞う様(さま)は、アクロバティックでスリリングであるにもかかわらず、危なっかしさのかけらもなく、流麗で美しい。このナンバーのためだけにこの作品を観ても損はない、と思わせる出色の出来。
 ラッキーがニューヨークに到着した時のグランド・セントラル・ステーションでのナンバー「I Won’t Dance」も序盤の見せ場。ここでは小道具も使ってビートを強調。大人数が入り乱れて踊るコミカルな群舞になっていて楽しい(飲み終わったコーヒーの紙コップをラッキーがゴミカゴに蹴り入れるアクションは、毎回うまくいっているのだろうか)。
 主人公たちとは趣の違うライヴァルのカップルのダンスも、第1幕、第2幕のそれぞれでアクセントとなっている。演じるのは、ユージン・フレミング、ディードゥレ・グッドウィンという、最近のブロードウェイのダンス物では主役級をこなす2人。前述したようにドラマ的には芝居のしようのない役柄だが、ダンスのしなやかさ、ダイナミックさは素晴らしい。
 ペニーの姉貴分的役で登場するのは、ごぞんじカレン・ジエンバ。ダンサー出身のトニー賞女優らしいソロ・ダンスの見せ場が用意されていて、舞台を引き締める。もっとも、こうした作品に出演する彼女を喜んで観に来るだろうファンに対するサーヴィス場面、と思えなくもない。が、(余談だが)キャラクター的には『Crazy For You』の2代目ポリーを演じたこの人がペニー役でもいいんだけどなあと思うと、改めてダンサーにとって加齢は厳しい現実として立ち塞がるんだなと感じた(アニー・オークリーをバーナデット・ピータースがあの年齢で演じられたのは、ダンサーの役ではなかったからだろう)。
 と、まあ、あの手この手でダンスを見せ、最後には全員揃っての“これでもか”な群舞があり(この趣向も思わず『Crazy For You』と比べたくなって困るのだが)、その点では、『Never Gonna Dance』がブロードウェイにふさわしい本格的なダンス・ミュージカルに仕上がっていることは間違いない。

 ただ、初めに書いたように、主役の2人が華やかさに欠ける気がした。
 それが、プレヴュー開始直後の余裕のなさから来ているのか、それとも彼ら自身にスター性がないのか……その辺は、2度目の観劇で確かめてきたい。

 演出は『Rent』のマイケル・グリーフ。装置のロビン・ワグナー、衣装のウィリアム・アイヴィ・ロング、照明のポール・ギャロというデザイナー陣は、3人とも『Crazy For You』にも携わっている。>

 翌年1月の再見の感想も先回りして、こちらに上げておきます。

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