The Chronicle of Broadway and me #253(Seussical)

2000年11月@ニューヨーク(その5)

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 『Seussical』(11月4日14:00@Richard Rodgers Theatre)については、次々回渡米時に観た『The Adventures Of Tom Sawyer』と併せて、「お子様向けはお呼びじゃない?」というタイトルで、観劇の翌年の2001年6月に旧サイトに感想を書いている。その『Seussical』部分をアップしますが、その前に、両作に関する前置きも載せておきます。

<2000/2001年シーズンの新作として登場しながら、トニー賞の発表を待つことなく公演を終えてしまった作品2つ。題材が“お子様向け”という点が共通していたのだが、そのことが失敗の原因なのか。
 答は、おそらくイエスだ。観客がある種の高級感を求めるブロードウェイという場では、“お子様向け”というイメージは明らかにマイナスだろう。
 その点、ディズニーは周到で、子供も楽しめるファミリー向けのアニメーションの舞台化であっても、『Beauty And The Beast』の場合は基本にあるラヴ・ロマンスを強調し、冒険物語である『The Lion King』には驚くべき演出を施して、それぞれ“お子様向け”感を払拭している。
 今シーズンのこの 2作は、その辺のねらいが絞り込まれていなかったのではないだろうか>

 以下、『Seussical』部分です。

『Seussical』は、アメリカ人にとっては非常になじみ深いらしい、ドクター・スース描くところのコミック世界の舞台化。ブロードウェイ入りする前に主要スタッフの交替などが伝えられ、あまりいい評判を聞かなかったが、キャッチーなメロディを持った楽曲がよく(作曲スティーヴン・フラハーティ、作詞リン・アーレンズの『Ragtime』コンビ)、ショウ場面が次々に登場して、まずまず楽しめた。
 が、そうした出来とは別に、集客力に問題ありと見たプロデューサーが、原因を主演デイヴィッド・シャイナーの知名度の低さに求め、そのクビをすげ替えるという事件(以上、推測)があった時点で、このプロダクションはダメだと思った。だって、新しく主役になったのはロージー・オドネルだよ。歌も踊りもできないけど知名度だけはあるって人が主役になって盛り返す舞台って、どうよ。

 少年ジョジョが、口うるさい両親のいる現実世界と、不思議な住人たちのいる“スース”の世界を行き来するというのが『Seussical』の展開で、その“スース”の世界に住んでいるのは、狂言回しでもあるシマシマ帽子のネコ(The Cat in the Hat)、象のホートン(Horton the Elephant)をはじめとする様々な動物たちや、虫眼鏡でないと見えない小さな街フーの人たち。最近ジム・キャリー主演で映画にもなったグリンチ(The Grinch)もここの住人だ。

 ジョジョが“スース”の世界の住人たちとの出会いの中で(大袈裟に言えば)人生について学んでいく、というのが大筋だが、作品のねらいが、なじみのキャラクターたちが目の前に出てきて歌や踊りを見せる、という“実演ショウ”的な部分にあるのは明らか。その意味では、『You’re A Good Man, Charlie Brown』とよく似た舞台ではある。
 よく似たその舞台(実際に観たリヴァイヴァル版)に比べて、『Seussical』が優れている点は、費用をかけて作り込まれた装置の豪華さ。劣っている点は、各キャラクターの芸の浅さ。
 前者については問題ないだろう。なにしろ、『You’re A Good Man, Charlie Brown』の最大の敗因は、装置のチープさにあったと言っても過言ではないくらいなのだから。問題は後者だ。
 各キャラクターの芸が浅くなっているのは、役者の力量の問題ではなく、演出(『Ragtime』のフランク・ガラティ)の問題。
 『You’re A Good Man, Charlie Brown』の場合は、大した装置もなく、出演者も少なかったから、必然的に役者の芸で見せるしかないという面もあるにはあったが、結果、クリスティン・チェノウェス(サリー)とロジャー・バート(スヌーピー)の技が炸裂することになって、その意味では成功していた。
 その点、『Seussical』では逆に、装置の充実が足を引っ張ったのかもしれない。
 レヴュー的に連続して登場するショウ場面は、アイディアもあり(MGMのエスター・ウィリアムズ映画のパロディ・シーンもある)、華やかで楽しいのだが、その根底にあるべき“ブロードウェイならでは”の役者の芸が見えてこない。例えば、それは、舞台版『Beauty And The Beast』、とりわけ「Be Our Guest」のシーンで感じたことに似ていて、要するに、この装置でこの振付なら誰が演じていても同じだろう、ってこと。もちろん、装置や振付も“芸”の内なのだが、やはりそこに“ブロードウェイならでは”感を付け加えて舞台を超一流にするのは、役者の芸なのだ。そして、ロングランが始まってしまえば、その辺が曖昧でも成り立ってしまうというのも事実としてあるのだが、オープニング当初は、そうした役者の芸が舞台の“格”を決定していくのは間違いない(だからこそオリジナル・キャストが重視される)。
 ことに、帽子ネコを演じたデイヴィッド・シャイナーは、別に彼でなくてもいいんじゃないか、というぐらいに魅力の発揮場所がない扱われ方。『Fool Moon』で名を上げた彼であってみれば、そのクラウン芸的体技を生かさない手はないだろうと思ってしまう。途中で、客席に向かってスライムや水をまいたりするあたりでチラッとその片鱗を見せはするものの、全くの不完全燃焼だ。
 おそらくこの舞台で最も共感を呼ぶ、象役のケヴィン・チャンバーリンにしたところで、やはり役不足(念のため書き添えますが、役の方が足りないって意味です)の感はぬぐえない。それぞれに見せ場のある、ジャネイン・ラマナ、ミシェル・ポーク、シャロン・ウィルキンズら女優陣にしても、それは同じ。
 結局、“スース”の世界の再現と役者の魅力のバランスで、前者を優先しすぎたということなのではないか。つまり、“お子様”の期待を裏切らないようにしすぎた、と。
 実は、前述のように『Beauty And The Beast』にもそういう側面があるのだが、あちらには全編を貫くロマンティックなラヴ・ロマンスという一般性のあるストーリーがあるのに対して、『Seussical』の話は“スース”の世界ならではのかなり特殊なもの。その意味でも、“お子様向け”感の強い舞台になっていた。

 コミック世界の手作りの温もりを生かした、アイディアのある装置はユージン・リー。カラフルで華やかな衣装はウィリアム・アイヴィ・ロング。
 最初に書いたように楽曲がいいので、プロダクションの規模を小さくして地方を回れば、この作品はそれなりに成功しそうな気がする。要するに、ブロードウェイという高すぎるハードルが、よくできた“お子様向け”ミュージカルという程度のジャンプ力では超えられなかったということなのだから。>

 初めの方に「推測」と断わって書いてある主演すげ替え事件は、実際には、The Cat in the Hatを演じていたデイヴィッド・シャイナーが年明けに休みをとって、1月16日から2月10日まで同役をロージー・オドネルが演じた、という話。額面通りのシャイナーの休暇だったのかもしれないが、なにかしらプロデューサーの策謀(笑)を匂わす情報が現地で流れたのかもしれない。すでに記憶の彼方。
 アンサンブル的な役に、振付家/演出家として名を成すことになるケイシー・ニコロウや、『Avenue Q』でブレイクするアン・ハラダの名前があることを記しておきます。

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