The Chronicle of Broadway and me #268(42nd Street)

2001年4月@ニューヨーク(その5)

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 『42nd Street』(4月7日20:00@Ford Center For Performing Arts)について、「劇中ショウほどの冒険もなし」というタイトルで旧サイトに書いた感想です。

<第1幕終盤のナンバー「We’re in the Money」をなぞったわけではあるまいが、おそらく今シーズンのミュージカルで最も金のかかったプロダクションだと思う。それが、リヴァイヴァル『42nd Street』だ。
 劇場が大きいのでセットも大変だが、なにしろキャストの数が多い。ユニオンの規定もあってとにかく人件費が馬鹿にならない昨今、こんなに大人数を舞台に上げるミュージカルはめったにない。そういう意味では豪華。印象は宝塚並みだ。
 しかし、そうした人海戦術がなければ、この舞台、新世紀には甦り得なかっただろう。大人数のタップ。残念ながら、見どころはそこにしかない。

 ――と、ここまで書いて、初演のことを確かめようと「ブロードウェイ PART2」(大平和登著・作品社)を開いたら、なんだ、初演も似たような印象だったんじゃん。

 [スターの新旧交代話といった物語の月並みさが、この舞台の場合少しも気にならないのは、ガワー・チャンピオンの振付(協力カリン・ベーカー、ランディ・スキナー)になるいくつかのタップの大群舞であり、衣裳・セット・出演者の総体的なプロダクション・バリューの高さである。
 (中略)五〇人近い出演者(オーディション風景から始まる)の踏み続けるタップが、幾度も繰り返されるうちに、小話が現代風な大タップ・ミュージカルに変貌する、タップで現代が甦った舞台である。]

 「劇的な、余りに劇的な」と題されたこの評は、1980年8月25日、即ちブロードウェイでの初日の舞台について語られたものだが、後半触れられている、その日ガワー・チャンピオンが亡くなった話(注1)の印象が強くて、舞台そのものの評価についてはすっかり忘れていた。
 先に引用した箇所の後、出演者の数について、「五二名」という記述があり、さらに製作費について、 「一八六万九五〇〇ドルという予算が、結局二五〇万ドルまで膨張した」と書かれている。今回のキャストも、プレイビルで見ると、スタンバイ1名を抜くと計52名。初演時と全く同じ。
 とにもかくにも、大人数のタップが、前回も今回も売り目なわけだ。

 そのオリジナルの舞台とほぼ同じ様相で新世紀のブロードウェイに登場したリヴァイヴァル版『42nd Street』の、では、どこがダメなのか。
 ひと言で言えば、1980年には「少しも気にならな」かったという、「スターの新旧交代話といった物語の月並みさ」、言い換えると、ご都合主義のストーリーや登場人物の描き方の古臭さが、今回はバカバカしく映ってしまうというところだ。

 ここで、ざっとストーリーを紹介すると。

 1930年代のニューヨーク。ブロードウェイでのオープンを目指す大型ミュージカルのオーディションが行なわれている。
 そこにやって来たのは、舞台を夢見る田舎町出身の若い娘ペギー。躊躇していてオーディションに遅れるが、周囲の好意と偶然からプロデューサー、ジュリアンの目に留まり、コーラスガールに起用される。
 一方、主演のスター女優ドロシーは、恋人の役者パットがいながら、ミュージカルの出資者である成金と計算づくでつきあっている。とは言え、彼女は自己嫌悪も感じていて、それがペギーとパットの仲を邪推するという歪んだ形で表れたりする。
 問題を抱えながらもリハーサルを終え、ショウはフィラデルフィアでのトライアウト初日を迎える。舞台は順調に進み成功は目前と思われた時、ペギーとドロシーがダンス・シーンで交錯。倒れたドロシーは足首を骨折してしまう。
 激怒したジュリアンはペギーをクビにするが、ペギーならドロシーの代役ができるという周囲の意見にうなずき、田舎に帰ろうとしていた彼女を説得に行く。そして、ペギーを主役にしたショウをいきなりブロードウェイでオープンさせるという一か八かの勝負に出る。

 って、これ、 3年半前に(注:旧サイトに)書いた日本版の感想からの流用(笑)。

 オリジナルの『42nd Street』が登場した時、ご都合主義のストーリーや登場人物の描き方の古臭さが「少しも気にならな」かった背景には、舞台の出来とは別に、1980年のブロードウェイの気分があったと思う。
 ヴェトナム戦争終結後、1974年の映画『That’s Entertainment!』、続く1976年(この年は建国 200年でもあった)の『That’s Entertainment Part2』で大きなピークを迎えたノスタルジー・ブームが、まだまだアメリカの興行界を覆っていた(ノスタルジーの極みとも言われるミッキー・ルーニーとアン・ミラーの舞台『Sugar Babies』は1979年秋の開幕)。と同時に一方では、劇場全体を改造した大がかりな装置でブロードウェイを一気にバブル時代に陥れることになる『Cats』が世界を震撼させるべく爪をといでいる(ロンドン初演1981年5月、ニューヨーク初演1982年10月)。
 尾を引く“ノスタルジー”と来たるべき“大がかり”。これが1980年8月のブロードウェイ・ミュージカルを取り巻く気分。
 時代が求めていたこの2つの要素、“ノスタルジー”と“大がかり”を力業で舞台に取り入れた、それが『42nd Street』だった。
 “ノスタルジー”→原作は1930年代の同名ミュージカル映画(映画邦題は『四十二番街』)。楽曲も同映画を含む1930年代ミュージカル映画のものを使用。原作映画で見られたような、ある種オールド・スタイルのタップ・ダンスを導入。
 “大がかり”→大人数のキャスト。次々に登場する大規模な装置。

 ここで再び大平氏の評から引かせていただくと、初演『42nd Street』は必ずしも成功を約束された舞台ではなかったようで、「ワシントン公演の不評から、ブロードウェイの公開が延ばされ」、だとか、「当初の予想を裏切る「42番街」の大ヒット」といった記述が見られる。不安材料は、やはり“古臭さ”だったに違いない。
 その古臭さを、「少しも気にならな」くしたのは「タップの大群舞であり、衣裳・セット・出演者の総体的なプロダクション・バリューの高さであ」った、という。大人数による「タップが、幾度も繰り返されるうちに、小話が現代風な大タップ・ミュージカルに変貌」して、「タップで現代が甦った」。それが大平和登氏の印象だ。

 その時に「甦った」“現代”とは、当然のことながら1980年の“現代”だった。“We’re in the Money”。それは、ローリング・トゥエンティーズに似た新たなる金ピカ時代=バブル時代の予兆だったはずだ。ダンサーたちが巨大な金貨をころがしながらステージに登場してきた時、人々は、驚き、半ば笑いながらも、そこに来たるべき好景気を予感したに違いない。そして、「Lullaby Of Broadway」(注2)の向こうに、ようやく癒えてきたヴェトナム戦争の傷を負う前の、イノセントな幸せに包まれたアメリカの再現を夢見た。そういうことではないか。
 付け加えれば、プロデューサーのデイヴィッド・メリックは、その金ピカの夢を、演出・振付のガワー・チャンピオンの死と彼の最後の恋人ワンダ・リチャートのスター誕生という虚実ない交ぜのブロードウェイ神話でくるみ、成功に向けて最後の仕上げをした。そういうことだろう。

 しかし、ブームはとうに去って“ノスタルジー”は色あせ、バブル経済を背景にした’80年代のロンドン産大型ミュージカルの席巻以降恒常化した大規模装置の舞台が空虚に見え始めて“大がかり”にも疑問符が添えられるようになった2001年のブロードウェイで、改めて『42nd Street』を観ると、初演では「少しも気にならな」かったという、月並みさ、古臭さが際立ってしまう。
 大人数のタップは今でも確かに見応えがある。他では観られない豪華さだ。けれども、「幾度も繰り返されるうちに、小話が現代風な大タップ・ミュージカルに変貌」して、「タップで現代が甦」るということはない。
 なぜなら、時代感覚がないから。
 今回のリヴァイヴァル舞台には、どこにも“現代”を感じさせるものがない。全てが、ふた昔前でさえ古臭くて、実は興行的にも危うかった(らしい)初演の焼き直し。そうとしか思えない。2001年ならではの冒険やアイディアが全くないのだ。劇中のショウほどにも。
 ストーリーは動かしがたいとしても、キャラクターの平板さはなんとかならなかったのか。誰ひとり現代人として息づいていない。例えば、同じ’30年代ブロードウェイのバックステージものである『Crazy For You』と比較した時、プロデューサー=ジュリアンは、狡猾さ好色さ懐の深さでザングラーに劣り、若きヒロイン=ペギーは、賢さ快活さ田舎臭さでポリーに劣り、年増のヒロイン=ドロシーは、執念深さ情欲の深さ切り替えの早さでアイリーンに劣り、若きヒーロー(?)=ビリーは、ひたむきさ人のよさ育ちのよさでボビーに劣る。舞台上を動き回るのは、ふた昔前の栄光を再現するために配置された記号のような人物ばかり。
 かくして、見どころは大人数のタップだけ、それも、豪華ではあるが決して新鮮なわけではない、という、なんとももったいない舞台ができあがった。

 ところで、『42nd Street』を迎えたフォード・センターの客席は、熱狂的と言ってもいいほど沸いていた。サクラがいるのではないかと邪推してしまうほどに。
 思うに、この劇場、前回上演していた失敗作(!)『Jesus Christ Superstar』を観た時にも大いに沸いていたことからして、すっかり観光客主体のお上りさん用劇場と化してしまったのではないか(お上りさん外国人に言われたくないか)。もし、そうでないとしたら、今、アメリカ人は精神的に弱っているのかもしれない。
 ドラマ・デスク賞でこの作品がリヴァイヴァル・ミュージカル賞を受賞したニュースを見ながら、そんな余計なことを考えた。>

 (注1)初めの方に書いてある「その日ガワー・チャンピオンが亡くなった話」というのは、次のようなこと。以下、再び1997年の日本版の感想から引用。

 [何度かの延期の後に迎えた初日。舞台が終わると、客席からは割れんばかりのカーテンコールが起こった。出演者たちが満面の笑みで歓声に応える中、プロデューサーのデイヴィッド・メリックが舞台に歩み出てこう告げた。
 「今日の午後、ガワー・チャンピオンが亡くなりました」
 まさかの出来事に、観客はもちろん出演者やスタッフも激しいショックを受け、(チャンピオンと恋愛関係にあった)ワンダ・リチャートは舞台上で泣き崩れたという。
 この話には後日、次のような噂が付け加えられる。チャンピオンの初日の死はメリックの演出である、と。
 話題作りのためにチャンピオンの死に合わせてメリックが初日を延期した、という驚くべき裏話は、今では既成の事実として語り伝えられている。]

 (注2)中盤に何の説明もなく書いてある「Lullaby Of Broadway」は、本作中最も有名な楽曲(作曲ハリー・ウォーレン、作詞アル・ドゥービン)。終盤、ジュリアンがペギーに復帰を促す時に歌われる。初出は1935年の映画『Gold Diggers Of 1935』で、監督は映画『42nd Street』で振付担当だったバスビー・バークリー。

 昨年(2019年)秋、松竹ブロードウェイシネマで、演出マーク・バンブル、振付ランディ・スキナーという、このブロードウェイ・リヴァイヴァル版と同じスタッフによる2017年ロンドン版を観たが、今となっては望むべくもない大人数のタップは、やはり圧巻。

 [追記]
 クリスティン・エバーソール(ドロシー役)、メアリー・テスタ、ジョナサン・フリーマンが出演していたことは記しておきます。

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