The Chronicle of Broadway and me #382(Pacific Overtures[in English])

2004年11月@ニューヨーク(その2)

 『Pacific Overtures』(11月21日14:00@Studio 54)宮本亜門演出ブロードウェイ版についての感想。
 『Pacific Overtures』翻訳版『太平洋序曲』の日本再演、及び、この原語(英語)による『Pacific Overtures』宮本亜門演出ブロードウェイ版を観た後に、「日本語版の再々演を望む」というタイトルで旧サイトに書いた文章の後半です。前半はこちら

<英語版に変更してのブロードウェイ公演。
 前述したように、個人的妄想の中身から言って、ブロードウェイの劇場でアメリカ人観客を相手に英語で上演される『Pacific Overtures』には、期待すべきことはほとんどなかった。
 ただ、上演場所のスタジオ 54は、キット・カット・クラブ(=ヘンリー・ミラーズ劇場 Henry Miller’s Theatre)から引っ越した『Cabaret』上演用の劇場として改造されたところで、1階前方がテーブル席であり、2階席がかなり前方まで張り出しているため、客席中央に設置した花道で芝居をし、天井に星条旗をはためかせる宮本亜門版にふさわしいとは言いがたい。ゆえに、もしかしたら、演出になにがしかの変更が施されるかもしれない。観る前には、そんなことを考えていた。

 結論を言えば、装置が変わらなかったので、演出はほとんど変わらなかった(ブロードウェイ公演終了後に世田谷パブリックシアターで行われた、宮本亜門、装置の松井るみ、それにドラマターグとして公演に参加した小嶋麻倫子による報告会によれば、松井は花道をあきらめて、2階客席下になって天井が見えない1階席後方部分をつぶすという新たな美術プランも考えたそうだが、そこまでの改造予算が立たず、最終的には花道の規模を小さくしただけに終わったという)。変わったのは、リンカーン・センター公演と日本版再演で改訂された、たまて自害のくだりが元に戻されたぐらい(ジョン・ワイドマンの要望だ、と宮本が前述の報告会で語っていた)。
 しかし、見た目には変化があった。まず、衣装がワダエミからコシノ・ジュンコに替わって(報告会によれば、ブロードウェイでの上演がギリギリまで決まらなかったためにワダエミはやむなく降板したという)、柔らかで華やかな感じになった。同時に、ワダの担当していた面(ペリーたち“外人”の被り物)を松井が担当することになり、若干、奇怪さが薄らいだ。これらの変化は、日本語版に比べて全体の印象をなめらかにし、“神国”ニッポンに“異形”の者が突如現れて混乱が起こるという文化衝突の“おかしさ”を和らげる結果をもたらした。
 さらに、音楽的にも変化があった。編曲が変わっていたのだ。長くソンドハイム作品を手がけてきた現地スタッフ主導の改変のようだが(逆に言えば、必ずしも日本側スタッフの希望ではなかったようだが)、精密な編曲・演奏による楽曲のよさが(日本語翻訳詞は極めて優れていたのだが、そのこととは別に)オリジナル英語詞の韻律と相まって、際立った。
 この変化も、楽曲のよさを示す効果はあったが、その結果、楽曲の流麗さばかりが際立って、ソンダイム作品を聴くということに観客の主眼が移り、日本語版にあった新たな視点によるリヴァイヴァルの面白さという側面を後退させることになった。

 準備の期間が短かった。それが、こうした変化が起こらざるをえなかった理由の 1つであることは間違いないだろう。しかし、実は、全てが必然の結果なのではないだろうか。
 オリジナル版の“誤解”を意図的に残したかのような様相で成立していた日本語版を、作品の故郷であるアメリカで現地スタッフと共に原語版に作り直そうとした途端に起こった“必然”の文化衝突。その衝突のエネルギーを有効な方向に生かせないまま、ブロードウェイ版は日本語版にあった刺激的な“何か”を失い、(それなりの完成度は見せながらも)中途半端な印象の舞台になってしまった。
 僕の目には、そう映った。

 宮本版『Pacific Overtures』『太平洋序曲』の2度に及ぶ太平洋往復は、そもそもは作者であるソンドハイムとワイドマンが日本語版初演を観て感銘を受けたところから始まったという。彼らは日本語版の“何”に感銘を受けたのか。
 ここで、新国立劇場日本初演の観劇記で引用した大平和登「ブロードウェイ」(作品社)掲載のオリジナル・ブロードウェイ版初演評から再び引く。

 [台本と演出と衣裳は、(中略)いわゆる「日本的」なもの――俳句から茶の道具、琴からチャンバラに至るまで、全てを劇画的とでもいいたいように、意識的(?)にとり入れていて、かえってはなはだ浅薄な感じを与えているのは、日本が他国文化の模倣をやらかす場合と大差がなく、ご愛きょうではあるが。整理されたイメージがもうひとつしぼられたら、プリンスの知的意図がより輝かしいものになったにちがいないと惜しまれるのだが、半ばエキゾチシズムによる大衆への興味をつながねばならなかったところに問題が残るのである。]

 こうした「日本的」なイメージが、宮本版では“整理され”、“しぼられ”ている、と、ソンドハイムとワイドマンの目に映っただろうということは想像に難くない。能舞台を思わせるセット、歌舞伎や能や文楽や殺陣を巧みに取り入れた演出――それらは、彼らには、かなり“ホンモノ”に見えたはずだ。
 しかし、彼らに、“カルチャー・ギャップの乱反射”が見えたかどうか。
 日本語版の製作スタッフにも必ずしも見えていなかった日本語版の発する“カルチャー・ギャップの乱反射”は、オリジナル・プロダクションの中心スタッフであるとはいえ、アメリカで活動するアメリカ人である彼らには見えていなかったのではないか。
 あるいは、ペリーをはじめとする来航者を“異形の者”とする日本人ならではの視点などには刺激を受けたかもしれない。しかし、“ホンモノ”に見える「日本的」なイメージが実は日本にあってもけっして“ホンモノ”ではなく、歌舞伎や能といった“伝統芸能”を通過したヴァーチャルな様式であることや、日本人がミュージカルを上演する時に覚えるアメリカ=“ホンモノ”という潜在的なコンプレックス、さらには、幕末の日米関係が第二次大戦後の占領を経て今日に到る日米関係と二重写しになって見えることなどは、アメリカ人には実感としてはわからなかったはずだ。
 “カルチャー・ギャップの乱反射”は、政治的にも文化的にもアメリカの強い影響下にある日本で生まれ育った観客だからこそ感じとることのできる事象なのではないか。そのぐらいには、演劇に対する理解は、時代と地域を限定するものだろう。
 最終的に、アメリカ側による『Pacific Overtures』日本語版に対するプラスの評価は、ソンドハイムとワイドマンが感銘を受けたと思しい、「日本的」なイメージがかなり“ホンモノ”に見えた、というあたりに留まったのだと思う。だからこそ、宮本亜門演出日本語版を英語版に戻してアメリカ人俳優でブロードウェイで上演するという安易なアイディアが生まれたのだし、そうであってみれば、その結果が日本語版以上の実を結ばなかったのは必然と言う他ない。

 そうした日米の認識のすれ違いが如実に表れたのが、役者においてだった。
 こちらでも書いたように、劇中で日本人役の役者は“外人”のことを“野蛮人(barbarian)”と呼ぶのだが、前述の報告会でのスタッフの発言によれば、主役と呼ぶべきナレーターを演じた B・ D・ウォングはアメリカ人観客の目の前でアメリカ人を「バーバリアン」と呼ぶことに抵抗を感じていたという。それはそうだろうと思う。中国系アメリカ人であるウォングは、2つの理由で抵抗を覚えたはずだ。
 1つは、中国系アメリカ人がアメリカ合衆国ではマイノリティである、ということ。そして、もう1つは、ウォングが過去の日本と中国の関係を歴史的事実として知っているであろう、ということ。
 同じアメリカ人ではあっても積極的に社会に溶け込んでいく必要のあるアジア系移民の子孫であるウォングが、劇中のこととはいえ、西欧白人系のアメリカ人が多数を占めるブロードウェイの観客の前で、明らかに“彼らの”祖先であるアメリカ人や西欧人を「バーバリアン」と呼ぶのは、微妙に過激な行為ではあるだろう。まだニューヨークだから許されるのであって、これが中西部の劇場だったらどうか……。というぐらいには過激だ。
 しかも、そうしたセリフをウォングは日本人として言うことになる。ラスト・ナンバーの「Next」でも歌われるように、西欧列強に開国を迫られた後、急速な近代化を図った日本は、当時すでに西欧列強の植民地化していた中国をはじめとするアジア諸国を、やがて西欧諸国に替わり、その支配下に収めていく。が、第二次大戦に敗れた日本はアメリカ及び中国を含む連合国の占領下に置かれる。支配、被支配が交錯する中国、日本、アメリカの複雑な関係の中で、ほとんどずっと被支配国であった中国を出自のルーツとする自分が、なぜここに来て、日本人としてアメリカ人に対する過激な発言をすることになるのか。それも、自分の立場を危うくしてまで。そんな葛藤がウォングの中であったとしてもおかしくない。
 もちろん、プロの役者であるウォングは、ブロードウェイ・ミュージカルの主演という機会を逃しはしないし、最終的には何事もなかったように脚本通りに演技し、その水準も高いのだが、しかしながら、同種の葛藤やとまどいが、日本人を演じた多くのアジア系アメリカ人俳優にあったのではないだろうか。そうした役者の心理の、演出家の意図との微妙な“ズレ”が、ブロードウェイ版の舞台全体に表れているように思えてならなかった。

 と、まあ、個人的には、そのように感じたブロードウェイでの宮本亜門版『Pacific Overtures』だが、改めて言うまでもなく、ブロードウェイ版の“失敗”(と、あえて言うが)は、日本語版の価値をいささかも貶めるものではない。むしろ、性急に作られたブロードウェイ版の失敗の理由の中にこそ、日本語版の意義深さが表れていると言ってもいい。
 となれば、だ。“オマケ”であるブロードウェイ公演で見えた、日本語版でなければ表現し得なかった“カルチャー・ギャップの乱反射”する『Pacific Overtures』日本語版『太平洋序曲』の面白さを、作り手たちも、舞台上で再び、日本人観客と共に確認してほしいと思うのだ。そうすることで、宮本亜門版『Pacific Overtures』『太平洋序曲』は、ようやく、ひとまずの円環を閉じ、日本のミュージカル界の様々な問題に対する大いなる回答として、その存在を歴史に刻むことになるだろう。>

 望んだ「日本語版の再々演」は2011年6月になって実現する。が、結果としては「望んだ」ような公演にはならなかった。
 簡単な感想だが、別稿として、こちらに上げておく。

 なお、ここに出てくる「報告会」は、リンカーン・センター公演後の新国立劇場での「シアター・トーク」とは別。ブロードウェイ公演後の2005年1月23日に世田谷パブリックシアターで行なわれた。

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