太平洋序曲(Pacific Overtures)[2]@新国立劇場小劇場 2002/10/24 19:00

 『Pacific Overtures』翻訳版『太平洋序曲』の日本再演、及び、原語による『Pacific Overtures』宮本亜門演出ブロードウェイ版を観た後に、「日本語版の再々演を望む」というタイトルで旧サイトに書いた文章です。
 前置きから入って、とりあえず、日本再演版の感想までを転載します。宮本亜門演出ブロードウェイ版の感想は「別稿に続く」ということで。

2000年秋の新国立劇場日本初演以来、2002年夏のリンカーン・センター公演、同年秋の新国立劇場再演、そして今回のブロードウェイでの期間限定公演と、宮本亜門演出によるスティーヴン・ソンドハイム(作曲・作詞)×ジョン・ワイドマン(脚本)のミュージカル『Pacific Overtures』のリヴァイヴァル公演を追いかけてきたが、この刺激的な試みは、まだその円環を閉じていない。このプロジェクトは、日本語版のさらなる再演をもって、ようやく、ひとまずの目的を遂げるはずだ。少なくとも個人的妄想の中では。

 個人的妄想。それは――、

 『Pacific Overtures』翻訳版『太平洋序曲』は、「ブロードウェイ初演版の“ズレ”を意識的に残すことで、アメリカ人の目を通して描き出された日本人の歴史物語を、日本人観客の前に、問題をはらんだ“新たなフィクション”として提出した」ミュージカルなのではないか。

 ――ということ。
 その妄想にのっとった上で――、

 黎明期から今日まで変わらず続いている日本ミュージカルの英米崇拝“本物志向”の堂々巡りの中にあっては、「“ホンモノ”である初演版の“ズレ”を意識的に残して新たな意味を生み出した」ように見える『Pacific Overtures』日本語版は、明らかに異質で、面白い。

 ――という風に、この作品を観てきた。
 そんなわけで、個人的には、アメリカ人の役者が英語で演じることになったブロードウェイでの期間限定公演は、言ってみれば“オマケ”のようなものだった。だがら、宮本亜門が“東洋人初のブロードウェイ演出家”となる、なんてことには、まるで関心が湧かなかったし、さらに言えば、ブロードウェイ・リヴァイヴァル版開幕にあたって催されたという“宮本亜門を励ます会”なるものに米国大統領ブッシュの茶坊主的日本国首相小泉が出席した、なんて話は、『Pacific Overtures』の出来の悪いパロディとしか思えなかった。
 が、まあいいや。そういったことは、舞台を作った人たちとは関わりのない話だ。
 むしろ、ここでは、“オマケ”とはいえ、ブロードウェイでの原語版リヴァイヴァルが日本語版と基本的には変わらない宮本亜門の演出プランで上演された、ということに積極的な意味を見出す方向で論を進めたい。そのことの意味が日本語版に再び返ってくる、というのが個人的妄想の進展であり、その結果が、日本語版の再々演を望む、という、この文章のタイトルに到るはずだ。

 さて、リンカーン・センター公演後の新国立劇場再演について。

 2002年秋に新国立の小劇場で再び日本人観客を前に演じられた『Pacific Overtures』翻訳版『太平洋序曲』の演出は、その年の夏にニューヨークのリンカーン・センターでの公演と基本的には同じで(次いで行なわれたワシントン公演は未見)、 2年前の日本初演版を若干改訂したものだった(最も大きな改訂は、主人公の1人、香山の妻たまてが自害するくだり――たまては、香山が黒船との交渉にあたるよう命じられた時点で、任務に失敗して香山が命を落とすことを覚悟し、自ら命を絶つ――をわかりやすくしたこと)。
 ところで、これはあくまで“個人的には”ということだが、通算3度目の観劇となった日本再演の舞台は、直前に観たニューヨーク公演の劇場が大きかったこともあって、同じ新国立の小劇場でありながら初演の時より空間がさらに小さく見え、手の届くところで演じられていると感じられる、親密な印象のものとなった。
 そのせいもあってか、あるいは実際にアメリカ・ツアーを経て自信を得た結果なのか、役者たちの演技が、これまで以上に確信に満ちたものになっているように見えた。
 同時に、ハイライト・ナンバーである「Poems」「Someone In A Tree」「A Bowler Hat」での訳詞(橋本邦彦)のよさが、改めて、くっきりと表れた。

 ところで、『Pacific Overtures』のハイライト・ナンバーのあり方は、少し変わっている。上に挙げた3つのナンバーは、いずれも、本筋からややハズレたところで歌われる印象があるのだ(もっとも、これら3曲が“ハイライト・ナンバー”であることに異論があれば、また別の話だが)。
 具体的に言うと――。

 「Poems」は、ペリーを浦賀から帰すことにとりあえず成功した2人の主人公、香山とジョン万次郎とが、香山の家へと帰っていく道々やりとりする“連歌”を楽曲化したもの。ストーリー上では、ドタバタの黒船との交渉と、この後に待つ、たまての悲劇的な死との間に訪れる、ひと時の平穏、といった場面。淡々とした歌のやりとりが、香山と万次郎との静かな心の交流を表わす。
 終盤に出てくる「A Bowler Hat」も、やはり香山と万次郎との関係性の変化を暗示している。香山が、すでに入国している外国人との交渉にあたっていく中で、しだいに欧米の文化に親しんでいく心の様子を、自分の着衣や性格様式の変化として歌う楽曲で、一方で洋行帰り(?)の万次郎が国粋主義化していくのが様式的な動きで表現され、2人が皮肉な訣別へと向かっていく予感が生まれる。そういう意味では本筋ど真ん中の印象であっても不思議はないのだが、香山の歌は、直情的な心情吐露ではなく、またナレーション的説明でもなく、客観的な事実描写に近い内容を淡々と語るもので、ダイナミックに動いていくストーリーの中にあっては、非常に静的な印象を受ける。
 もう1曲の「Someone In A Tree」は、ストーリー上、ほとんど、あってもなくてもいい楽曲で、しかも、主要登場人物も絡まない。黒船の乗員を迎えて海辺の仮設の建物内で行なわれた日米交渉を少年の頃に近くの木の上から見ていたという“とある老人”と、警護のために床下に潜んで話を聴いたという“とある侍”とが、その時に見聞きしたことを証言する、という内容だが、証言の中身は、「見ていた」「聴いていた」というばかりで、具体的な会談の様子は全く見えてこない。にもかかわらず、歴史の転換点を庶民の視点で捉えたという点で、印象としては作品全体の要になるような、実に不思議な楽曲。

 これらの楽曲が本筋からややハズレたところで歌われる印象があることと、日本初演観劇記で指摘した次の事実、――あくまで歴史主体で描こうとした『Pacific Overtures』にあっては、主人公たちすら、歴史のある瞬間にいあわせた人たち、という印象になる――、ということとは、表裏一体をなすと言っていいだろう。

 そして、もう1つ。これらの楽曲に共通する“静的な印象”の根源は、スティーヴン・ソンドハイムが短歌や俳句を意識して書いたことにある。そのことに改めて気づいたのはブロードウェイでの英語版を観たからで、日本語版では脚本の翻訳も手がけた橋本邦彦の、これらの楽曲における訳詩が素晴らしく、ハイライト・ナンバーとして一際輝いていたのだが、それは原曲のニュアンスを――単に意味を巧みに翻訳したということではなく――音楽的にも効果的に日本語に移し替えたゆえだったのだということを、原語での歌を聴いて確信した。
 しかも、元々は日本の文化である短歌や俳句が一旦アメリカ人楽曲作者の意識を通過して英語的に表現されたものを再び日本人の意識で日本語に戻す、という経過をたどっているために、あらかじめ“翻訳調”であったものを翻訳し直した二重の“翻訳調”という複雑なニュアンスをまとい、それが結果的に、文化衝突の中で翻弄される日本人の心情を反映しているように聴こえるという、製作者たちが意図した以上の効果を生んでいるのだ。
 そういう意味でも、『Pacific Overtures』翻訳版『太平洋序曲』は、日米のミュージカル製作に携わる人たちが、約四半世紀の時と太平洋を隔てて(さらに言えば、一世紀半に及ぶ日米間の歴史を隔てて)不思議に“交感”した結果、成立した舞台のように思える。

 いずれにしても、新国立劇場再演の舞台は、2年前の初演に負けず劣らず充実していた。
 とは言いながら、この時点で、「ブロードウェイ初演版の“ズレ”を意識的に残すことで、アメリカ人の目を通して描き出された日本人の歴史物語を、日本人観客の前に、問題をはらんだ“新たなフィクション”として提出した」というのが個人的な妄想に過ぎないことは、すでに実感していた。
 それは、公演の合間に新国立劇場小劇場で開かれた、宮本亜門と松井るみ(装置)によるニューヨーク公演報告会(正式のタイトルは別にあったと思うが※注)での彼らの発言を聞いていても、わかった。彼らは、“ズレ”を意識的に残すと言うよりも、かなりストレートに原典を尊重して日本語版を作っている。そう思った。もっとも、そこには契約上の問題もあったとは思うが。
 しかし、まあ、それはそれでいい。無意識の内に作られたにせよ、そうした妄想を抱かせるだけの“何か”が日本語版にはあった。それは間違いない。
 「日本とアメリカという歪みのある合わせ鏡の間を様々なカルチャー・ギャップが乱反射するような刺激的な舞台」という評価は変わらないのだ。>

 宮本亜門演出ブロードウェイ版の感想はこちらで。

※注:新国立劇場シアター・トーク「ブロードウェイ・ミュージカル『太平洋序曲』アメリカに渡る~宮本亜門氏と松井るみ氏を迎えて~」10月29日(火)15時開演(上掲写真は告知チラシ)