The Chronicle of Broadway and me #314(A Man Of No Importance)

2002年11月@ニューヨーク(その7)

 A Man Of No Importance(11月23日20:00@Mitzi E. Newhouse Theater)は、作曲スティーヴン・フラハーティ、作詞リン・アーレンズ、脚本テレンス・マクナリーという『Ragtime』のトリオによる、滋味深い作品。元になっているのは1994年のスリ・クリシュナーマ監督による同名映画。

 舞台設定は1964年のダブリン。主人公は中年のバス運転手。彼はカミングアウトしていないゲイで、教会で上演を行なう素人劇団の中心人物でもある。次の公演では、オスカー・ワイルドの『サロメ』を上演したいと思っている。

 1854年ダブリン生まれのオスカー・ワイルドは19世紀後半を丸々生きた人だが、晩年(と言っても40代になったばかり)に“男色”の罪で告発され、投獄されている。『サロメ』は内容が忌避されてイギリスでは1931年まで上演できなかった。
 彼の書いた戯曲に『A Woman Of No Importance』という作品があり(ブロードウェイでも2度上演されている)、その登場人物のセリフとして「A man of no Importance」(取るに足らない男)という言葉が出てくるようだ。これがタイトルの出どころだろう。
 そんな“オスカー・ワイルドまみれ”のミュージカル。ちなみに、上掲写真のポスターでも、主人公の後ろにオスカー・ワイルドが線画で描かれている(実際にワイルドの幻影は舞台に登場する)。

 バスの乗客や近所の住人による劇団の演目決めやリハーサルの様子がユーモラスに描かれる一方で、秘密を抱えながらオスカー・ワイルドの世界を愛する主人公が、小さなコミュニティの中で感じる違和感も見えてくる、という展開は、穏やかなトーンながらもスリリング。
 主人公がサロメを演じてもらおうと考えている、バス乗客の若い女性。彼女と主人公とを結び付けようと図る、主人公と一緒に暮らす妹(※姉が正解)。やはり主人公が芝居に巻き込もうとするが断られる、同僚の若い運転手。背徳的な内容の『サロメ』の上演を止めようとする、妹(※姉)の婚約者。
 主人公を取り巻くこの4人の動きが交錯して、話がこんがらがっていく。
 最終的には、『サロメ』公演はご破算になり、主人公の性的指向も露見する。ワイルドの時代から半世紀以上経っても、ワイルド的なものに対する偏見は去っていなかったわけだが、それでも、ワイルドほどの才人ではなく、心優しく善良な主人公は、劇団の仲間たちからは、“A man of no importance”(なんてことない男)として改めて受け入れられることになる。

 ミュージカルとしては、劇団の部分を膨らませて歌ったり踊ったりさせているのが楽しい。キャスト・アルバムを聴き直すと、劇団員たちが装置や衣装などの珍妙なアイディアを出し合うシーンで、サロメのダンスとして振付を考えた女性がタップを踊っている(笑)。

 フラハーティ&アーレンズの楽曲は、ビートルズ人気が隣国で爆発していた1964年という時代から考えるとおとなしめとも思えるが、主人公を含め、やや年かさの人物が多いから、ダブリンではこんな風だったのかもしれない。ケルト風味は30~40%。味わい深い楽曲が多い。

 主人公を演じたロジャー・リーズは、もっぱらストレート・プレイで活躍する人のようだ。
 主人公の妹(※姉)がフェイス・プリンス(『Jerome Robbins’ Broadway』『Guys And Dolls』『Little Me』『Bells Are Ringing』『Noises Off』)。ドラマでも歌でも、彼女の存在が大きかった。
 サロメ役を請われる若い女性はサリー・マーフィ。1994年のブロードウェイ版『Carousel』でジュリー・ジョーダンを、2000年のパブリック・シアター版『The Wild Party』でサリーを演じた人。
 面白いのは、主人公たちの『サロメ』の上演を中止に追い込む妹の婚約者役と、オスカー・ワイルドの幻影を同じ役者が演じていること。チャールズ・キーティング。ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーのメンバーらしい。

 演出は『Love! Valour! Compassion!』でテレンス・マクナリーと組んだジョー・マンテロ、振付は後にウェスト・エンドの『Everybody’s Talking About Jamie』を手がけるジョナサン・バタレル。

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