The Chronicle of Broadway and me #319(Hank Williams: Lost Highway)

2003年1月@ニューヨーク(その5)

 『Hank Williams: Lost Highway』(1月8日20:00@Manhattan Ensemble Theater)は、夭逝したカントリー・ミュージックの伝説的スター、ハンク・ウィリアムズの伝記的ミュージカル。
 元々はナッシュヴィルのライマン・オーディトリアム及びクリーヴランド・プレイ・ハウスで作られた、とプレイビルには書いてある。

 ライマン・オーディトリアムは1925年から続くカントリー・ミュージックの公開ライヴを放送するラジオ番組「グランド・オール・オープリー」の主会場として知られる劇場。近年は、やはり公開ライヴ・ラジオ番組でマンドリン奏者クリス・シーリーをホストとする「ライヴ・フロム・ヒア」(残念ながらコロナ禍で終了)の前身「ア・プレイリー・ホーム・コンパニオン」の会場としても使われていた。言ってみれば、カントリー・ミュージックの聖地。
 その聖地での1996年の公演でハンク・ウィリアムズ役だったジェイソン・ペティが、このオフ公演でも主役を務めている。

 そのジェイソン・ペティはじめ、バンドのメンバーたちが、芝居と演奏を両方こなす。それも見事に。
 後に、そうした光景(演奏できる役者たち/演技できる演奏者たち)を複数の舞台で観ることになるが、この時は「へぇ~!」と感心した。
 プレイビルで確認すると、ギターのドリュー・パーキンズとスティール・ギターのラス・ウェヴァーはミュージシャン、他は役者が専門だ。
 ジェイソン・ペティはどうかと言うと、「ヴェテランの俳優、脚本家、ミュージシャン」と書いてある。彼は、この舞台の評判を足がかりに、以降、『Hank And My Honky Tonk Heroes』と題したコンサートで各地を回ることになったようだ。

 ハンク・ウィリアムズは29歳で亡くなる。1953年の大晦日の深夜あるいは翌年の元旦の早朝、悪天候の中、公演に向かう途中のクルマの中で。
 幕開きに、そのニュースが流れ、そこから亡きハンク自身の回想が始まる。子供の頃に音楽を教わった黒人ブルーズ・マン、ティー・トットことルーファス・ペインを話の相方にして。
 ストーリーの軸は2本。人気が出るに従ってツアーで忙しくなる歌手生活と、妻オードリーとの紆余曲折するごたごた。その狭間で、アルコール依存がしだいに酷くなっていき……という展開。
 不慮の死を遂げることがわかっているので、終盤に向けて空気は重苦しくなっていく。同時に観客の思い入れも強くなっていき、歌われる楽曲がより心に沁みるようになってくる。ハンク・ウィリアムズのレパートリーには、そうした気分の名曲が揃っているから、そこはハズさない。

 ……と、そんな、ある意味予想通りに進んでいく舞台。
 そこが物足りないと言えば物足りない。やはりカントリー・ミュージックのスターで夭逝したパッツィ・クラインの伝記的ミュージカル『Always…Patsy Cline』の小技の効いた語り口が思い浮かんだりするので、比べると、ひねりが足りないとは感じる。
 が、先に書いたように、演技と演奏とが混然一体となったパフォーマンスに感心したこともあって、不満というほどでもなかった、という記憶がある。

 ちなみに、「Lost Highway」という象徴的なタイトルはハンク・ウィリアムズのヒット曲から採られているが、不思議なことに、同曲は彼の書いた曲ではないし、彼のレコードがオリジナルでもない。書いて歌ったのは6歳年上のシンガー・ソングライター、レオン・ペイン。

 上演されたマンハッタン・アンサンブル・シアターは、同名の非営利劇団の本拠地として実質2001年から2006年の間だけ使われた席数140の小劇場。

 書き落としていたが、演出・脚本は『It Ain’t Nothin’ But The Blues』『Love, Janis』のランダル・マイラー。共同脚本が、役者として知られているマーク・ハレリック。彼とは、後に『The Light in the Piazza』で出会うことになる。

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