The Chronicle of Broadway and me #826(Sayonara)

2015年7月@ニューヨーク(その4)

 『Sayonara』(7月16日19:30@Clurman Theatre/Theatre Row)は、『South Pacific』の原作小説として知られる『Tales Of The South Pacific』(翻訳邦題:南太平洋物語)を書いたジェイムズ・ミッチェナーの同名小説(1954年)を元にしたミュージカル。
 同名の映画化作品もあり(邦題:サヨナラ)、マーロン・ブランドやミヨシ・ウメキ/ナンシー梅木(アカデミー助演女優賞受賞)らが出演している。

 舞台は1952年の日本。アメリカ空軍のエース・パイロットである少佐が朝鮮戦争(1950年6月25日~1953年7月27日)の最前線を離れ、地上勤務のために神戸にやって来る。そして、婚約者がありながらタカラヅカ・シアターのスターと恋に落ちる(ただし、タカラヅカ・シアター、タカラヅカ・ガールズと言っているだけで、タカラヅカ・レヴュー・カンパニーとは言っていない)。
 まるで『Madame Butterfly』をなぞったような話だが、映画版(1957年)はヒットしたらしい。そんな空気感の時代だったのか。そう言えば、イタリアと東宝の合同製作でチネチッタで撮った八千草薫(宝塚歌劇団在団中)出演の映画版『Madama Butterfly』(イタリア語表記、邦題:蝶々夫人)もこの頃(1954年)。製作年から言って、その『Madama Butterfly』に刺激されて映画版『Sayonara』が作られた可能性もありそう(ちなみに、映画版では、ヒロインが所属するのは松林歌劇団という名前になっていて、大阪松竹歌劇団=現OSK日本歌劇団の劇場で撮影されている)。

 閑話休題。
 その古めかしい話を蒸し返して舞台ミュージカル化されたのは1987年、ペイパー・ミル・プレイハウスでのこと(振付スーザン・ストロマン!)。1993年にヒューストンで再演されているが、ニューヨークに登場したのは、このオフ版が初めてだとか。
 製作は、ティサ・チャン率いるパン・エイジアン・レパートリー・シアター(1977年~)で、演出もティサ・チャン。彼女は重慶生まれ(1941年)のニューヨーク育ち。女優でもあり、’70年代にはブロードウェイにも出ているが、その役柄が沖縄人だったりヴェトナム人だったりしている。

 いずれにしても、文化的に様々に捻じれている作品で、そうした諸々が興味深くて観に行ったわけだが、3年前に観た『Takarazuka!!!』に感じた、誤解から生じたようなファンタジー感はなく、’50年代の宝塚はこうだっただろうなと思わせるリアリティがあった。
 それというのも、おそらく、『Tamar Of The River』に出ていたアコ(Ako)の存在があったからだと思われる。夏海陽子の名で宝塚歌劇の月組に在団していた人だ。彼女はペイパー・ミル・プレイハウス版、ヒューストン版にも出演していて、この作品には最初から深く関わっている。この公演ではタカラヅカ・シアターの教師役だが(気品がある)、監修も兼ねていたようだ。
 もちろん、だからといって、朝鮮戦争を背景にしたアメリカの軍人と日本人女性との恋愛物語が、すんなりこちらの心に入って来るわけもないのだが。

 ともあれ、こうなると、微妙なストーリーは脇に置いて、個人的な関心はタカラヅカ・シアターのショウ場面に絞られる。これが悪くなかった。人海戦術で華やかに見せる宝塚歌劇とは、圧倒的な人数の差で異質にならざるをえない中、そのエッセンスを残しながら独自のショウ場面を作ってみせていて楽しく観た。
 振付は劇団四季出身のルミ・オヤマ(小山るみ)。出演もしていて、その役でフレッド・アンド・アデール・アステア賞を日本人として初めて受賞したらしい。この年の秋、『Allegiance』に出演してブロードウェイ・デビューを果たすことになる。

 出演は他に、ヒロインのタカラヅカ・シアターのスター役が台湾出身のヤ・ハン・チャン、彼女と恋に落ちる少佐役がモーガン・マッキャン、もう一組のアメリカ人と日本人のカップルがエドワード・トルヴとナツコ・ヒラノ。

 肝心の楽曲は、作曲ジョージ・フィショフ、作詞ハイ・ギルバート。残念ながら、あまり印象に残っていない。
 脚本ウィリアム・ルーチェはストレート・プレイ畑の人。
 ギルバートは不明だが、フィショフとルーチェはすでに故人。

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