The Chronicle of Broadway and me #645(The Shaggs: Philosophy Of The World)

2011年6月~7月@ニューヨーク(その4)

 『The Shaggs: Philosophy Of The World』(7月1日20:00@Playwrights Horizons)について旧サイトに書いた観劇当時の感想(<>内)。

<今回オフで最も気になっていたのが、これ。知る人ぞ知る“奇跡のバンド”の実話に基づいたミュージカルだ。
 何が“奇跡”かと言うと――。
 自分の亡母の予言を盲信する父親が、その予言に従って全く楽器演奏経験のない娘3人をバンドに仕立て(ドラムス1人+ギター2人という編成がすごい)、自作自演のアルバムを1枚製作してしまう。1969年の退屈な田舎町ニューハンプシャー州フリーモントでの話。当然のごとく全く売れず、知る人もないまま歴史に埋もれる。ところが、後年、ロック界のカリスマであるフランク・ザッパやニルヴァーナのカート・コベインの賛辞を受けて、その無垢な音楽性が再評価され、一風変わった“名盤”となる。そういう“奇跡”だ。
 その“名盤”がなぜ生まれたのか。バンドを結成させられた姉妹や、その両親はどういう人間だったのか。そして当時のアメリカの田舎はどんなだったのか。それを描いたのがこの舞台で、簡単に言えば、視野が狭く思い込みが激しく父権主義者でもある父親に翻弄された娘たちの悲劇、だ。
 ストーリーの大筋は上に書いた通りだが、全体の空気はスティーヴン・キングの『Carrie』に近い。アメリカの田舎の不気味さ、といった気配濃厚。
 娘たちがそれなりに個性的で、生命力に乏しいわけでもなく、さらに言えば父親より広い視野を持っているにもかかわらず身動きがとれなくなるあたり。ことに、売れないことがわかって以降もバンドを続けることを強要されるくだりは、実に怖い。
 結局、父親が亡くなるまで、その束縛から逃れられなかった姉妹だが、その後も何か喪失感のようなものに支配されているようで、不思議な“哀しみ”が残る。

 ミュージカルとしての楽曲は舞台のために書き下ろされたもので、シャッグズの楽曲ではない。当然、役者たちの歌はホンモノのシャッグズより(少なくとも技術的には)はるかにうまい。
 その落差を効果的に使ったのがレコーディングの場面。役者たちの演奏(舞台裏にバンドがいるが)と歌は、似せてヘタにやってはいるが、それでもマトモ。そのことに気づくのは、録音した演奏を調整室で聴く時。流される音源がホンモノのシャッグズの演奏に切り替わって、それが物凄くひどいから。
 ……という表現で浮かび上がるのは、本人たちには(役者が演奏している程度には)マトモに聴こえているが、第三者が聴くと物凄くひどい、という現実。父親の思い込みの激しさが具体的に見えるシーンだ。

 決して楽しくはない。が、手応えは充分。とてもよくできた、深みのあるミュージカルだった。期間限定公演ですでに終了。>

 サブタイトルの「Philosophy Of The World」は1969年にリリースされた彼女たちのファースト・アルバムのタイトル。
 上記感想で触れている『Carrie』は原作小説及びその映画化のこと。この時点では舞台ミュージカル版はまだ観ていない。

 作曲グナー・マドセン、作詞ジョイ・グレゴリー&グナー・マドセン。脚本ジョイ・グレゴリー。原案ジョイ・グレゴリー、グナー・マドセン、ジョン・ラングズ。
 演出ジョン・ラングズ。振付ケン・ロート。

 父親役ピーター・フリードマン(『Ragtime』『The Slug Bearers Of Kayrol Island(or, The Friends Of Dr. Rushower)』)。母親役アニー・ゴールデン(『Hair』『Leader Of The Pack』『On The Town』『The Full Monty』『Xanadu』)。娘たちは、ジェイミー・フッド、サラ・ソコロヴィック、エミリー・ウォルトン(『Saved』)。他に、ケヴィン・カフーン(『The Lion King』『The Rocky Horror Show』『Chitty Chitty Bang Bang』『The Wedding Singer』)等。

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