The Chronicle of Broadway and me #195(Side Man)

1999年1月@ニューヨーク(その9)

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 『Side Man』(1月8日20:00@John Golden Theatre)について、「人生もそれほど悪くない」というタイトルで旧サイトに書いた感想。

<ラウンダバウト劇場の本拠地クリテリオン・センターでの期間限定公演の後、ブロードウェイでのロングランに入ったストレート・プレイ『Side Man』
 同じラウンダバウトの製作した『Cabaret』のエムシー役を演じるために去った、限定公演時のナレーター役ロバート・セラに替わって、ゴールデン劇場の舞台にはクリスチャン・スレイターが登場。注目度の高い作品になっていた(現在は再びセラが出演中)。
 とは言え、ミュージカルを優先させる観劇予定にストレート・プレイが入ることはめったにない。この舞台も、雪で帰国便が飛ばないというアクシデントがなければ観ることはなかった。
 しかし、観てよかった。
 つらくはあっても、生きてることは、そんなに悪くない。そんな風に思わせてくれる作品だった。

 なんてことを言いながら、ここで正直に告白しておくと、上に書いたように、その日の朝JFKへ向かい、手続きを済ませてからの待ち時間約2時間半、定刻に飛行機に乗り込んでから待つことさらに5時間、結局飛ばずに寒風の中をタクシーの列に約1時間並んでマンハッタンへ舞い戻るという事態の後だったので、劇場2階席の暖かさの中で時折誘惑の手を差し伸べてくる睡魔からは、完全に逃れることはできなかったのであります。
 んなわけで、いろいろと観逃しているのは間違いないのですが、それでも感銘を受けたというあたりに、この舞台のよさがあるとご解釈いただきたい(笑)。

 舞台上の“今”は1985年。ナレーターである青年クリフォードの案内で、観客は、その“今”と、クリフォードの両親たちがまだ若かった1950年代とを行き来する。そこで語られるのは、ビッグ・バンドのサイド・マンだったクリフォードの父親と、結婚して主婦になった母親、そしてバンドの仲間たちの人生。
 面白いのがバンド・マンたちのキャラクターで、彼らの気ままな人生観と、曰く言いがたい仲間意識とが、不思議に懐かしい温かさを生む。気分は、映画『Broadway Danny Rose』(邦題:ブロードウェイのダニー・ローズ)の冒頭で芸人連中がカーネギー・デリに集ってしゃべっている、あの感じに近い。
 ミュージシャン気質も巧みに描かれているようで、偶然同じ日にこの舞台をご覧になっていたピアニストの島健氏によると、夭折した伝説のトランペッター、クリフォード・ブラウン(主人公の名前の出所だ)のラスト・レコーディングを、同時代に生きた若い彼らが雁首そろえて聴き入るシーンなど、かなり“わかっている”感じだったそうだ。
 男連中が気ままな分、現実のつらさを引き受けてみずみずしさを失っていく母親役を演じたイーディ・ファルコは、この作品がラウンダバウトの劇場にかかる、そのまた前のオフ公演でこの役をやっていた“オリジナル”・キャストだとか。熱演に拍手が湧いていた。
 半分眠ってた観客として言えるのは、このぐらいでしょうか(笑)。

 脚本ウォーレン・ライトのアイディアと技の勝利だと思う。
 演出はマイケル・メイヤー。
 ニール・パテルによる1950年代的ノスタルジーに満ちたセットは印象的だった。>

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