The Chronicle of Broadway and me #865(Marie And Rosetta)

2016年9月@ニューヨーク(その4)

 『Marie And Rosetta』(9月24日14:00@Linda Gross Theater)について旧サイトに書いた観劇当時の感想(<>内)。

<高い人気を誇ったギター弾きゴスペル・シンガー、シスター・ロゼッタ・サープと、一時期パートナーだったピアノ弾きシンガーのマリー・ナイトの登場する2人ミュージカル。
 追って、こちらにもアップするつもりですが、とりあえずは、無料の電子音楽誌「ERIS」17号に詳しく書いたので、そちらを読んでいただければ幸いです。>

 その「ERIS」17号の記事から、この作品に関する部分だけを編集、(かなり)短縮して以下に転載します(<>内)。

<タイトルにあるロゼッタとは、ゴスペルのシンガー・ソングライター、シスター・ロゼッタ・サープのことだ。
 シスター・ロゼッタ・サープのことを初めて知ったのは、1970年代半ばに故・中村とうよう監修で出たMCAレーベルのコンピレーション・アルバムの1枚に入っていた音源「Didn’t It Rain」でだった。当時、仲間内でちょっとしたゴスペル・ブームが起きて、その手のアルバムを何枚か買った頃の話だ。そんな素晴らしいゴスペル楽曲群の中にあって、「Didn’t It Rain」はひと際印象的だった。
 女性シンガーによる力強いギター弾き語りというスタイルが意外だったこともある。加えて、楽曲の軽快でポップな感触が新鮮で、「これもゴスペルなの?」と意外に思ったものだ。
 今、「ギター弾き語り」と書いたが、当時はアルバムに載っていたギターを抱えたロゼッタ・サープの写真の印象が強く、長い間そう思い込んでいた。が、実は……ってほどのこともなく(笑)、聴けば、バックにピアノの演奏と、ロゼッタとコール&レスポンスで歌う女性の声が入っていることがわかる。それが、マリー・ナイトで、一時期デュオとしてサープと活動を共にしていた。
 ……と『Marie And Rosetta』を観る前に予習のつもりでロゼッタ・サープについて調べている過程で知った。なるほど、だから「マリーとロゼッタ」なのか。

 『Marie And Rosetta』は、そのロゼッタとマリーとの出会いを描いた作品。
 1940年代から’50年代初めにかけて絶大な人気を得ていたロゼッタ・サープ。なにしろ、デューク・エリントンやキャブ・キャロウェイと対等に共演し、入場料を取って野球場で行なわれた3度目の結婚式にはファンが2万5000人集まったというほど。その大スター、ロゼッタが、1946年、マヘリア・ジャクソンのニューヨークでのコンサートに出演していたマリー・ナイトの才能に目を留め、彼女を訪ねて2人で組んでやっていこうと口説く。そしてツアーに向けての準備が始まる。その時の話。
 2人がリハーサルのために借りたのは空の棺桶が並べられた葬儀場のひと部屋。互いの真意を探り合うやりとりから浮かび上がってくる、ロゼッタとマリーの人となりと必ずしも平穏ではない人生。そんな中、手合わせのように、単独であるいは2人でギターやピアノの伴奏で歌われるレパートリーの数々。

 この作品、演劇サイト、プレイビル・オンラインのカテゴリー表示ではプレイ・ウィズ・ミュージックとなっている。つまり、音楽がなくても芝居として筋は成立する、というスタイル。ミュージシャン/ソングライターの伝記的舞台作品は、歌われる楽曲が既発表で独立して成立しているから、ミュージカルというよりプレイ・ウィズ・ミュージック〟になることが多く、この作品も例外ではないわけだ。
 こうしたミュージシャン/ソングライターの人物や音楽の検証/顕彰をする舞台作品が数多く作られている背景には、作り手と受け手の間で、多少センセーショナルな味付けはあるにせよ、ある種の文化の継承についてのキャッチボールが成り立つ土壌がある、ということだ。と同時に、劇場文化と音楽文化が当然のように親密な関係にあるということもわかる。
 そんな中で、『Marie And Rosetta』はどういう立ち位置にあるのか。

 “そっくり”という点で言うと、さほど“そっくり”ではない。しかしながら、ロゼッタ役のケシア・ルウィス、マリー役のレベッカ・ナオミ・ジョーンズ、共にうまく、全く気にならない。ケシア・ルウィスは、『Once On This Island』『Dessa Rose』といった、スティーヴン・フラハーティ(作曲)×リン・アーレンズ(作詞・脚本)×グラシエラ・ダニエル(演出)組のエネルギッシュな舞台でゴスペル色の強いパワフルな歌声を披露してきた人。レベッカ・ナオミ・ジョーンズは、グリーン・デイのミュージカル『American Idiot』や映画にもなった『Hedwig And the Angry Inch』の近年のブロードウェイ版等の舞台に登場、柔らかい中にも芯の通った歌声が印象的。
 加えて言うと、ホンモノのロゼッタやマリーはギターもピアノも弾き語りだったが、ここでは両方の奏者が舞台背後に別にいて、役者は当て振り。そこはやや残念なのだが、これが絶妙にシンクロしている上に、演奏そのものも見事。ギターが、デイヴィッド・レターマン「レイト・ショウ」のレギュラー・バンドだったCBSオーケストラにいたフェリシア・コリンズ。ピアノのディア・ハリオットはブルックリンを中心にニューヨークでゴスペル関係の演奏やプロデュースをしているという。

 構成は、先に書いたように、これから一緒にやっていこうというロゼッタとマリーの本格的顔合わせの日から描き出す2人の人生……と思っていたら、これがビックリ、突然のメタフィクション的展開でシスター・ロゼッタ・サープの人生と音楽の検証/顕彰を具体的にやってみせて驚いた。という話を、好評につき当初の予定より期間延長されたニューヨーク公演も終わったので、ネタバレ御免で明かしてしまおう。
 当初、ゴスペルの世界にR&B的な要素を持ち込んだロゼッタの音楽的才能を敬愛しながらも、自らがその演奏に加わることに抵抗を覚えているかのようだったマリーは、しだいにロゼッタに感化されてノリのいい演奏を始める。2人の絆が深まっていく予感。ところが終盤になって突然、感極まったマリーはロゼッタに向かって、あなたはエルヴィスやジミ・ヘンドリクスにも影響を与えたのだ、ということを口走る。エルヴィス? ジミ何? と戸惑うロゼッタ。そこで意を決したマリーの口から明かされる、もうロゼッタもマリーも亡くなっているのだという事実。
 急転直下のファンタジー化に驚かされる。と同時に、これで一気に舞台が“現在”と繋がる。そして、マリー・アンド・ロゼッタの音楽が今も生きていることが観客たちに実感される。グッと来る瞬間だ。

 そんなわけで、『Marie And Rosetta』は、20年ほどの間にオフで観てきたミュージシャン/ソングライターの伝記的舞台の中でも、ひと際印象深い作品となった。>

 脚本ジョージ・ブラント。
 演出ニール・ペペ(『Hands On A Hardbody』)。

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