The Chronicle of Broadway and me #218(Kat And The Kings)

1999年8月@ニューヨーク(その2)

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 『Kat And The Kings』(8月28日14:00@Cort Theatre)について「南ア産ノスタルジックは苦い味」というタイトルで旧サイトに書いた感想。

<1999/2000年シーズンの最初のミュージカルとしてブロードウェイに登場したのが『Kat And The Kings』。南アフリカ発、ロンドン経由(1999年オリヴィエ賞ベスト・ミュージカル)でのニューヨーク入りだ。
 ロンドンで当たったのがうなずける、オールディーズ風味コンサート的ノリの作品。出演者6人、バンド6人と小規模だが、根っこのところにある作者の歴史観と出演者の好演で、一見の価値のある舞台に仕上がっていた。

 南アフリカのケイプタウンに、一見ショボい黒人の靴磨きのオヤジがいる。これが1999年のキャット。
 キャットの回想として話が進むのだが、このオヤジ、外見とは裏腹に歌がうまい。それもそのはず、’50年代半ばにちょっと鳴らした人気コーラス・グループ、キングズのメンバーだったのだ。
 1957年、南アフリカの有色人種居住区ディストリクト・シックス。あの頃はよかった。通りは活気にあふれ、夢があった。
 街角にたむろする3人の不良少年は、お調子者のキャット、二枚目気取りのビンゴ、ちょっと抜けてるバリー。モテたい彼らは、優等生だが気のいいマグーとその姉でしっかり者のルーシーを巻き込んで、グループを結成。練習の甲斐があって、イキのいい歌とアクションで人気を集め始める。
 それから2年。レコーディングも果たし、本格的なプロになった彼らは、一流ホテルでのショウも成功させる。
 が、結婚したバリーは家庭にいる時間が欲しいとグループを抜け、愛し合っている白人のプロデューサーとの結婚が南アフリカにいる限り不可能なルーシーは国外に出ることを決意。マグーも学業に戻り、キャットたちの輝かしい青春の日々は去っていくのだった。

 ストーリーには、たいした起伏もヒネリもあるわけではない。むしろ、そこをとことんシンプルにして、描き分けのはっきりしたキャラクターの面白さと、グループの演奏(基本はドゥ・ワップ)の楽しさとで舞台を引っぱっていこうとしている。
 これだけだと、よくあるロンドン産のチープなロックンロール・ミュージカルと同じなのだが、注意深く観ると、微妙に違う点がいくつかある。
 その相違点とは……。人種差別に対する抗議の姿勢を見せていること、そのことと表裏一体のアフリカ人としての誇りを提示していること、そして、楽曲が全曲オリジナルであること。
 これ、実は本質的で大きな違いなのだが、それらを巧妙にカムフラージュして一見楽しいだけのショウの中に潜ませるあたりに、同じ南アフリカ産の『Sarafina!』の直裁さとは違った、柔軟で粘り強い作家精神が見えて興味深い。

 『Sarafina!』を観たのは1989年5月10日。
 1987年の10月25日にリンカーンセンターのミッズィ・E・ニューハウスで幕を開け、翌1988年1月28日から、奇しくも今回の『Kat And The Kings』と同じコート劇場に移ってロングランを続けていた。元々はヨハネスブルクで1986年に短期間上演されたものらしい。もしかして、来日公演もありましたっけ?
 コート劇場での感想を当時書いたもので振り返ると、こうだ。

 「アッと驚く反アパルトヘイトもの。音楽も踊りもアフリカ。バンドは、ドラムス、ベース、ギター、管3本(サックス1、トランペット2)に指揮者が付く。
 出演者はみんな若く、プレイビルによれば、実際に南アフリカからやって来た少年少女たち。彼らの少し上の世代が、ジュニアハイやハイスクールで反アパルトヘイトに立ち上がり、弾圧されて殺された、という経験を持つらしい。そんなこともあって、時にプロパガンダ色が必要以上に強くなる気がしたが、音楽は躍動感にあふれ、特に歌は、ソロもコーラスも素晴らしい。」

 要するに『Sarafina!』は、ある種の実録モノだったわけで、その分、主張の仕方がストレートだった(もちろん事件そのものの傷が深かったということもあるだろう)。

 それに比べれば、『Kat And The Kings』は、主張があるのかないのかわからないほどだ。が、そこに、したたかさを感じる。
 ’50年代にアメリカ黒人音楽(ドゥ・ワップ)の洗礼を受けたという自分たちの歴史をふまえつつ、それ風の、しかしあくまでオリジナルな楽曲を作り出す。人種差別に対しては、あからさまな抗議ではなく、ノスタルジーの衣にくるみながら、さりげない哀感として、その影を見せる。そして、ドゥ・ワップ・ショウの流れの中で、伝統のアフリカの歌と踊りを披露する。
 ここにあるのは、アメリカ文化に対する愛情を、自分たちの文化史を検証しながら血肉化したアメリカナイズされた方法で表現しつつ、自分たちのアイデンティティをも確認しようとする姿勢だ。アメリカ以外の国でミュージカルを作ろうとする場合に、これ以上の態度はない。見習え、日本。
 もっとも、それがそのまま、この作品への絶賛につながるわけではないが、その一見なにげないけれども、よく考えて作られた構造が、単なるノリノリのミュージカル以上のものにしていることは確かだ。

 役者は、この日代役だったアメリカ人によるマグーがちょっとモタついた以外は、エネルギッシュで魅力的。歌もダンスもうまい。どうやらみんな、南アフリカ→ロンドンで演じてきた人たちのようだ。
 若き日のキャット役のジョディ・J・エイブラハムズとビンゴ役のルクマーン・アダムズによる振付はスピーディで楽しく、劇中、登場人物たちが強調するショウの中でのギミックのアイディアも面白かった。

 ところで、この物語は最後、各登場人物のその後を語る“アメグラ方式”(※)で幕を閉じるのだが、そのナレーションに、「1966年、ディストリクト・シックスから有色人種が閉め出された」という一節があった。イギリス自治領南アフリカ連邦が独立して南アフリカ共和国になったのが1961年。民族解放の気運と逆行した、一部白人にのみ富をもたらす独立。この作品の描いた時代の後、黒人にとっては本当に厳しい季節がやって来たということなのだろう。>

 (※アメグラ方式=映画『American Graffiti』では、エンディングで主要登場人物のその後が字幕で語られる。)

 作曲タリープ・ピーターセン、作詞・脚本・演出デイヴィッド・クレイマー。翌年1月2日で幕を下ろしている。トニー賞のノミネーションには引っかからなかった。

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