The Chronicle of Broadway and me #392(Little Women)

2005年2月@ニューヨーク(その5)

 『Little Women』(2月6日15:00@Virginia Theatre)については、観劇直後に次のような感想を旧サイトに書いている。

<とにかく装置(+照明)が美しい(装置デレク・マクレイン、照明ケネス・ポスナー)。
 ごぞんじの通り古き佳きアメリカのどうということのない話だが、主演のサットン・フォスターが『Thoroughly Modern Millie』以上のハマり役。役者は少数精鋭でかっちりした作り。ミュージカルとしての飛翔感には乏しいが、観どころはある。>

 続いては、その14年半後に翻訳上演版を観て書いた感想の中にある、このブロードウェイ版の評価。いくぶんニュアンスが違ってきている。

<ジョー役サットン・フォスターと母親役モーリーン・マクガヴァーンの二枚看板だったが、印象に残っているのはフォスターの凧揚げシーンだけ。よくできているがピンと来ない、というのが正直な感想だった。
 観客の多くも同じ思いだったのか、あまり評判を呼ばず、トニー賞授賞式前の5月22日にクローズ。プレヴュー開始が前年12月7日だったから半年もたなかったわけだ。トニー賞もフォスターの主演女優賞ノミネーションだけに終わっている。

 ルイーザ・メイ・オルコットの小説『若草物語』『続・若草物語』を再構成する形で作られたミュージカルで、時代は南北戦争の頃。マサチューセッツに住む四姉妹とその母、その周辺の人々の話だが、中心になるのは次女のジョー。(中略)
  翻訳版を観て改めて思ったのは、狭い世界の話だな、ということ。地域的にも、マサチューセッツの自宅周辺とケープ・コッド、それにニューヨークのアパートメントと狭いが、人種的にも白人しか出てこない。それも、おそらく、ほとんどがWASP系だろう。
 なので、主人公ジョーが既成の社会の枠を突き破って生きていこうとする姿は痛快だが、その社会の枠は、ここに登場しない人種や階層の人々にとっての方が厳しいものであるに違いない、という風に考えてしまう。14年前、9.11からまだ4年も経っていない時期のニューヨークで、この作品を観てピンと来なかったのは、そんな理由からだったことを思い出した。>

 観劇直後に旧サイトに書いていた感想は、これから観る人に薦める意図が強くあるので、肯定的要素を強調する傾向がある。なにしろ、観ないことには始まらないわけだから。
 終わってしまった作品の評価ということになると、それは抜きでシニカルになる。……ということか(笑) 。
 いずれにしても、根本的評価は変わっていない。

 楽曲作者は、ジェイソン・ハウランド(作曲)とミンディ・ディックスタイン(作詞)。
 脚本のアラン・ニーは、10年後にブロードウェイに登場する『Finding Neverland』の元になる戯曲『The Man Who Was Peter Pan』を書いた人。
 演出スーザン・H・シュルマン(『The Secret Garden』『The Sound Of Music』)。