リトル・ウィメン~若草物語~@シアタークリエ 2019/09/10 13:30

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 丁寧に作られているし、よくできてもいる。翻訳(小山ゆうな)も訳詞(小林香)もこなれて自然だった。それだけに考えさせられた。日本の翻訳ミュージカルはこれでいいのか、と。

 『リトル・ウィメン~若草物語~』は、2004/2005年シーズンにブロードウェイに登場した『Little Women』の翻訳上演作品。そのブロードウェイ版は2005年2月6日に観ている。
 ジョー役サットン・フォスターと母親役モーリーン・マクガヴァーンの二枚看板だったが、印象に残っているのはフォスターの凧揚げシーンだけ。よくできているがピンと来ない、というのが正直な感想だった。
 観客の多くも同じ思いだったのか、あまり評判を呼ばず、トニー賞授賞式前の5月22日にクローズ。プレヴュー開始が前年12月7日だったから半年もたなかったわけだ。トニー賞もフォスターの主演女優賞ノミネーションだけに終わっている。

 ルイーザ・メイ・オルコットの小説『若草物語』『続・若草物語』を再構成する形で作られたミュージカルで、時代は南北戦争の頃。マサチューセッツに住む四姉妹とその母、その周辺の人々の話だが、中心になるのは次女のジョー。「女性が職業を持って働くことが稀であった時代に、小説家をめざして世の中に漕ぎ出そうと奮闘し、夢をつかんでいくジョー。その姿は、いまだ窮屈の多い現代を生きる我々にも勇気を与え、また彼女を取り巻く家族との絆は身近な人の大切さを改めて感じさせてくれるでしょう。」と、東宝公式サイトの紹介文にある。

 今回、翻訳版を観て改めて思ったのは、狭い世界の話だな、ということ。地域的にも、マサチューセッツの自宅周辺とケープ・コッド、それにニューヨークのアパートメントと狭いが、人種的にも白人しか出てこない。それも、おそらく、ほとんどがWASP系だろう。
 なので、主人公ジョーが既成の社会の枠を突き破って生きていこうとする姿は痛快だが、その社会の枠は、ここに登場しない人種や階層の人々にとっての方が厳しいものであるに違いない、という風に考えてしまう。14年前、9.11からまだ4年も経っていない時期のニューヨークで、この作品を観てピンと来なかったのは、そんな理由からだったことを思い出した。
 とはいえ、ブロードウェイで観ていれば、そういうことに気づく。そういう世界のただ中に劇場があり、舞台上もそういう世界の一部だから。トランプ登場後の今なら、もっと感じるだろう。
 が、2019年9月の東京・日比谷の日本人ばかりが演じている舞台上には、そうした歴史観や社会観は希薄だ。おそらく、観客の多くも意識していないだろう。
 確かに、女性の社会進出というテーマや家族愛のドラマには国境や文化を超える普遍性があるかもしれない。だが、違和感の方はどうなんだろう。消えてしまうのか。19世紀後半の合衆国東部に生きた白人たちのドラマと、現代の日本人の人生とが、そんなに簡単に重なり合うものなのだろうか。そこには様々な「捻れ」があるのではないだろうか。もし、そうした「捻れ」をすっ飛ばして観客が共感を覚えているとしたら、それは明治以来の自分たちを準白人だとみなすこの国の風潮と深く関係しているのではないだろうか。……なんてところにまで思いが到って、落ち着かなくなる。
 繰り返すが、よくできているだけに、よけいに考えさせられる舞台だった。

 役者について……てか、宝塚出身の3人について少しだけ。
 ジョー役の朝夏まなとはキャラクターぴったりで魅力があった。声もよく出ていたが、終盤やや荒れてきたのは出づっぱりだったからか。さらなる精進を期待したい。
 なんと言っても母親役の香寿たつき。うまさに磨きがかかっている。声も、柔らかさが増して厚みも出てきた。これからも楽しみ。
 長女役の彩乃かなみも安定感があった。観るのは退団後初かも。

 いつものことだが、松井るみの装置が素晴らしかった。

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