The Chronicle of Broadway and me #164(The Sunshine Boys/Proposals)

1997年12月@ニューヨーク(その9)

 ニール・サイモンの新旧ストレート・プレイについての旧サイトの感想。
 「ニール・サイモンは映画や戯曲集で早くから日本に紹介されていたし、それらを観たり読んだりしてきたという経過もあって親しみがあり、できれば観るようにしている。」と当時書いている。もっとも、よく理解できているとは言いがたいのだが(笑)。

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 『The Sunshine Boys』(12月13日14:00@Lyceum Theatre 149 West 45th Street)についての感想は、<すでに評価の定まった名作だ。映画化、TV映画化もされ、翻訳も出されている(早川書房「ニール・サイモン戯曲集Ⅱ」酒井洋子訳)。>という書き出しで始まっている。

<かつて人気を誇った老コメディアン2人が、TVのスペシャル番組のためにコンビを復活させることになる。
 ところがこの2人、コンビ解散の経緯もあって非常に仲が悪く、おまけに、老いる自分に対するいらだちもあるものだから、再会してもいがみ合うばかり。
 いったい、番組はうまくいくのか?

 ウォルター・マッソーとジョージ・バーンズ(アカデミー最優秀助演男優賞)の映画版(監督ハーバート・ロス)をヴィデオ観たことがあるが、やや冗漫な印象だった。舞台はさすがに、キリッと締まった構成。なるほど、こういうことかと、傑作の傑作たるゆえんを確認したしだい。
 主演は、ウィリー・クラーク役が、つい最近まで日本でもやっていた TV ドラマ『Quincy, M.E.』(邦題:Dr.刑事クインシー)の主演ジャック・クラグマン、アル・ルイス役がトニー・ランドール。『The Odd Couple』(邦題:おかしな二人)のTVシリーズで共演し(最近、『The Odd Couple Returns』という続編も作られたらしい)、アメリカ国内、ロンドン、オーストラリアの舞台公演も行なった、アメリカではおなじみのコンビとのこと。
 そういう意味では、安定した興行を見込める芸術座的出し物なのかもしれないが(そして、事実そういう客層だったが)、そこまで含めてニール・サイモン芝居の魅力。
 昨年暮れに出た「ニール・サイモン自伝 書いては書き直し」(Rewrites: A Memoir)酒井洋子訳(早川書房)は、サイモンの創作過程や公演の裏話などが細かく書かれた興味深い本。残念なことに『The Sunshine Boys』については、ほとんど触れられていないが、読み物としてもさすがの出来なので、一読をオススメします。
 特に、タイトルに違わず演出家やプロデューサーとの話し合いの末に幾度も幾度も推敲を重ねる作者の姿は、プロフェッショナル作家の厳しさを見せつけて、シビレる。>

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 『Proposals』(12月14日15:00@Broadhurst Theatre)は、この時点での全くの新作。

『Proposals』は、プレイビルの紹介記事などでは“ロマンティック・コメディ”と呼ばれている。何組かのカップルの愛情が、時に滑稽に、時にほろ苦く描かれていく。
 ペンシルヴェニアの山中にある2階建ての古い家。前にたたずんでいるのは黒人の家政婦クレマ。彼女が思い出すのは’50年代のある夏のこと。
 ここに住んでいたのは、バートとジョシーのハインズ父娘。活動的だった母親のアニーは家を出て、今はヨーロッパで別の家庭を持っている。そのアニーが久しぶりに訪ねてくる、というのが主軸となる話だが、ジョシーをめぐって錯綜する若者たちの恋愛話もある。
 舞台に現れるジョシーは、ステディのケンに交際を止めたいと告げている。ケンの親友レイに惹かれ始めたことに罪の意識を感じてのことだ。ところがそこにレイが現れ、ケンに対するジェシーの仕打ちを非難する。さらにややこしいことに、ジョシーと婚約したつもりの自惚れイタリアン、ヴィニーまでやって来る。もう1人、レイとつき合っているトロい女の子サミーも加わって、若者たちの関係は混迷を深めていく。
 ハインズ家の家族同然のクレマは、そんなゴタゴタを苦笑しながら見ていたが、はるか昔に自分を捨てて出ていった亭主ルイスが尾羽打ち枯らした様子で帰ってくるに及んで、傍観者ではいられなくなる……。

 もっぱら、若者たちの恋模様はどうなっていくのだろうという興味で舞台は進んでいくが、そして実際そこのところでハラハラしながら笑わせられるが、作者がじっくり描こうとしているのは2組の(元)夫婦で、これまた笑わせられつつ切々と胸に迫るものがある。
 まあ、若者たちと2組の(元)夫婦は、結婚の使用前/使用後みたいなもの。ただし、ダイエット用品やシークレット・ブーツとは違って、“使用後”が“使用前”よりいいとは限らない。
 臆病になったり大胆になったりしながらも生涯の伴侶を求める若い世代の情熱と、現実の結婚も知り、自分の限界も知り、近づいてくる死の影にも怯える人たちが抱く愛情とは自ずから異なる。そして、どちらがいいということもない。なぜなら、それは誰もがいずれは通っていく道の途中にすぎないのだから。
 ……なんて感じで少し“感傷”が入るのは、回想というスタイルのせいもある。そこには、’50年代という、アメリカがまだまだ幸せだった時代へのノスタルジーもあるように感じる。
 そういう意味では、サイモンならではのピリッと辛い部分が、やや希薄だったかもしれないが、個人的にはしみじみと感動した。

 クレマ役のL・スコット・コールドウェルが、抑制の利いた演技で要所を押さえて全体を引き締めた。
 老いを迎えつつある奔放な女アニーを味わい深く演じたケリー・ビショップは『A Chorus Line』のオリジナル・シーラ。
 その夫バートは、軽さと苦さを併せ持つディック・ラテッサ。『The Will Rogers Follies』『Damn Yankees』『A Funny Thing Happened On The Way To The Forum』などのミュージカルでも活躍している人だ。
 若者たちの中では、もうけ役とは言え一歩間違えば嫌みになりかねないヴィニーを愛嬌たっぷりに陽気に演じたピーター・リニが目立った。

 演出は『Love! Valour! Compassion!』のジョー・マンテロ。
 ジョン・リー・ビーティの手がけた古い2階家を中心にした装置は、シンプルだが美しく効果的。

 残念ながら1月11日にクローズ。>