The Chronicle of Broadway and me #441(Tarzan)

2006年4月@ニューヨーク(その4)

Tarzan』(4月19日20:00@Richard Rodgers Theatre)について旧サイトに書いた観劇当時の感想(<>内)。

<前作『Aida』が興行的に必ずしも成功しなかったディズニーは、ブロードウェイ第4弾『Tarzan』で再びアニメーション映画の舞台化という安全策に立ち戻った。
 しかしながら、これは失敗作。
 そもそも“ターザンもの”の面白さの1つは、ドラマとは別に、主人公の“超人”ぶりにあると思うのだが、この舞台では、主人公を助けてくれたゴリラの群れのゴリラたちが皆“超人”的アクロバットを披露する。でもって、観客の目にはゴリラたちも人間が演じていることは一目瞭然なので、ターザンがちっとも“超人”に思えない。
 じゃあドラマはどうかと言うと、人間に対する不信感からターザンに距離を置く父ゴリラとの葛藤を軸に据えるものの、ターザンがスネ者に見えるので、深まっていかない。おまけに、ワルモノがちゃっちいので、サスペンスもない。
 結果、フィル・コリンズの楽曲も効果なく、意味なく装置に凝った“宙吊りミュージカル”になってしまった。>

 フィル・コリンズは、映画で使われた楽曲(アカデミー賞を獲った「You’ll Be In My Heart」を含む5曲)の他に、舞台版のために9曲書き下ろしている。が、個人的には、全体に『The Lion King』の二番煎じ感が強いのが気になって(父と息子の葛藤という話の軸そのものが似ているからかもしれないが)、あまり心を動かされなかった。

 演出のボブ・クロウリーは、元来は装置/衣装デザイナー(今作でも両方を担当)。ディズニーの前作『Aida』でトニー賞装置デザイン賞を受賞している。1994年の『Carousel』でも同賞を得ていることからわかるように、イギリス出身でナショナル・シアター作品に長く関わってきた人で、この後も何度も同賞を受賞するが、演出は、ブロードウェイ作品に関する限りでは、この『Tarzan』の1度きり。推測だが、“宙吊り”主体の装置のアイディアが先にあって、その複雑な装置を使いこなす演出家としてクロウリーにお鉢が回った、ということなのではないだろうか(この失敗の教訓を生かさず、規模を大きくして同じ轍を踏んだのが『Spider-Man: Turn Off The Dark』だと言えなくもない)。
 脚本はデイヴィッド・ヘンリー・ホワン(『Flower Drum Song』)。『Aida』からの縁か。
 振付のメリル・タンカードはオーストラリアのバレエ畑の人で、ブロードウェイではこれ1作だが、2000年にロンドンでロイド・ウェバーの『The Beautiful Game』に携わっている。
 空中デザイン(Aerial Design)のピチョン・バルディヌはアルゼンチン出身。『Villa Villa』を上演したデ・ラ・ガルダの創設メンバーと聞けば納得がいく。
 この作品で唯一トニー賞にノミネートされたのが、照明デザインのナターシャ・カッツ。ディズニーとは『Beauty And The Beast』からの付き合いで(『The Lion King』は除く)、ここでは受賞しなかったが、『Aida』では同賞を受賞している。

 ターザン役のジョシュ・ストリックランドは「アメリカン・アイドル」出身で、ブロードウェイ出演は今のところ、これ1作。
 ジェイン役はジェン・ギャンバティース。これの前は『All Shook Up』に出ていて、以降も、もうすぐ始まる『Mrs. Doubtfire』までコンスタントにブロードウェイに出演している。ただし、観た回は代役のニキ・スカレラだった。
 ゴリラの、というかターザンの義母となるカーラ役はマール・ダンドリッジ。2000年の『Jesus Christ Superstar』でブロードウェイ・デビュー。最近作はリヴァイヴァル版『Once On This Island』
 ゴリラの義父カーチャック役のシュラー・ヘンズリーは、1999年ロンドン版&2002年ブロードウェイ版『Oklahoma!』のジャド役。
 ターザンの親友ゴリラ、ターク役は、チェスター・グレゴリー二世。この役、アニメーションではロージー・オドネルが声を担当。当時(1999年)のディズニー映画としては珍しくトランスジェンダー的に描かれているが、舞台でどうだったか……。ちなみに、チェスター・グレゴリー二世はゲイを公言している人ではないようだ。

 プレヴュー開始2006年3月24日、正式オープン5月10日、クローズ2007年7月8日。

 なお、上記の当時の感想で<前作『Aida』が興行的に必ずしも成功しなかった>と書いているが、これは、「ディズニーの思惑ではもっと長く続くはずだっただろう」という個人的な憶測からの発言で、実際には4年半のロングランを記録している。