The Chronicle of Broadway and me #215(Do Re Mi/Dream True/Reunion: A Musical Epic In Miniature/Exactly Like You/The Wizard Of Oz/Forbidden Broadway Cleans Up Its Act!/An Evening With Adam Guettel)

1999年5月@ニューヨーク(その11)

 観劇当時に感想をサイトに書いていない7作品について、もっぱらデータ的な事項を中心に上げておく(アップを忘れてました)。

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 『Do Re Mi』(5月7日20:00@City Center)はシティ・センターの「アンコールズ!」シリーズの1つ。ジューリー・スタイン作曲、コムデン&グリーン作詞。脚本はガーソン・ケニン。
 第2幕で歌われる「Make Someone Happy」が有名。初演版は1960年暮れにブロードウェイでオープンして1年強のロングラン(ただし盛夏にひと月休演している)。以来ブロードウェイでのリヴァイヴァルなし。

 不良だった男が、正業に就けという妻の願いをよそに、昔の仲間とジュークボックス商売でひと山当てようと目論む。その過程で才能のある歌手志望の娘を見出すが、彼女が音楽業界の実力者と恋に落ちてしまう。で、業界内でのゴタゴタに発展し、それに巻き込まれた主人公の男は妻に見放されるが、最後は全てを失った男の元に妻が帰って来る。そんな話。
 出演者が素晴らしい。主人公がネイサン・レイン(設定が出世作『Guys And Dolls』と似ているのが起用の動機か)、その妻がランディ・グラフ(大好き)、歌手志望の娘が翌年『Aida』でスターになるヘザー・ヘドリー、彼女と恋に落ちるのがブライアン・ストークス・ミッチェル。贅沢な顔ぶれだ。
 演出はジョン・ランドウ。

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 『Dream True』(5月8日15:00@Vineyard Theatre)は、ティナ・ランドウ(作詞・脚本・演出)とリッキー・イアン・ゴードン(作曲・補作詞)による、不思議に深く印象に残るミュージカル。原作はジョージ・デュ・モーリアの小説『Peter Ibbetson』らしいが、どうも細部が違っているようだ。

 サブ・タイトルが「My Life With Vernon Dixon」。親しかった2人の男の子が、親の事情で離ればなれになり、明暗が分かれた全く違った人生を送ることになるが、子供の頃やったように寝っ転がって足を交差させると、彼らの心が通い合う。そんな2人の何十年かを描くことで、アメリカの市井の人々が歩んで来た1940年代から1980年代にかけての半世紀近い道筋をたどろうとした。そんな作品。
 出演は、ジェフ・マッカーシー、ジュディ・キューン、ジェシカ・モラスキー、ダニエル・ジェンキンズ、フランシス・ジュー、スティーヴン・スカイベル、エイミー・ホーン他。

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 『Reunion: A Musical Epic In Miniature』(5月9日15:00@Theatre Row Theatre)は、旅の劇団が往時の楽曲を使いながら南北戦争を振り返ってみせるショウ、という体裁のミュージカル。なので、表現方法は多分にヴォードヴィル的。

 劇団の主宰者が少年の頃にリンカーンの暗殺を目撃したという触れ込みで(劇団の誇大広告かもしれないが)、リンカーンの大統領就任から暗殺までの時代が描かれるが、戦争そのものよりも、巻き込まれた人々に焦点を合わせた感じ……だった気がする。
 原案・演出ロン・ホルゲイト、脚本ジャック・キリーリーソン。

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 『Exactly Like You』(5月9日19:30@York Theatre)は、ジミー・マクヒュー(作曲)×ドロシー・フィールズ(作詞)の同名スタンダード曲を含むレヴュー的なショウかと思いきや、サイ・コールマンとA・E・ホッチナーによる新作ミュージカルだった(前年にコネティカットのグッドスピード・オペラ・ハウスで試演があったらしい)。

 法廷を舞台にしてコメディで、バーバラ・ウォルシュ、マイケル・マッグラス他が出演。
 演出・振付のパトリシア・バーチは、1997年リヴァイヴァル版『Candide』や翌年の『Parade』の振付家。
 やはりコールマン(作曲・作詞・プロデュース)、ホッチナー(作詞・脚本・プロデュース)、バーチ(振付)の顔ぶれで作られ、短命(1か月未満)に終わった1989年のブロードウェイ・ミュージカル『Welcome to the Club』の要素(登場人物や楽曲)をいくぶんか受け継いでいる、というコールマンの発言も見受けられる。

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 『The Wizard Of Oz』(5月10日11:00@The Theatre/Madison Square Garden)は、マディソン・スクエア・ガーデン内劇場でのファミリー向けミュージカル。ハロルド・アーレン(作曲)×イップ・ハーバーグ(作詞)によるジュディ・ガーランド主演の映画版を踏襲している。

 肝はMGMでガーランドと数多く共演していたミッキー・ルーニーの出演で、魔法使い役。他に、西の悪い魔女(ウィキッド!)役でアーサ・キットも出ている。ドロシー役はジェシカ・グローヴ。
 このマディソン・スクエア・ガーデンでの公演の後、1年以上のツアーに出ているようだ。

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 『Forbidden Broadway Cleans Up Its Act!』(5月10日20:15@Stardust Theatre)は、ブロードウェイ・ミュージカルの名物パロディ・ショウの『Forbidden Broadway Strikes Back!』に次ぐ最新版。前ヴァージョンの途中で引っ越したミッドタウンのレストラン・シアターでの引き続きの上演だった。

 よく覚えていないが、1998/1999シーズンのトニー賞直前だし、それに絡んだネタが多かったはず。
 このシリーズを次に観るのは、2003年夏の20周年記念版ということになる。

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 『An Evening With Adam Guettel』(5月12日20:00@Town Hall)は、文字通り一夜限りのコンサート。

 楽曲作者アダム・ゲテールが『The Light In The Piazza』でトニーを獲るのは6年後だが、すでに大きな期待を集めていた。というのも、1996年の2月から3月にかけてオフのプレイライツ・ホライズンズで上演されたミュージカル『Floyd Collins』が評判を呼んだからだ(脚本・演出は上記『Dream True』のティナ・ランドウ)。同作を、ちょうど渡米の狭間で捉まえ損なったこともあって、このイヴェントはぜひ観たかったのだが、ありがたいことに、コンサート半ばに(確かゲテールによるナレーション付きで)ダイジェスト的に『Floyd Collins』の楽曲を歌い継いでくれるコーナーがあった。
 スペシャル・ゲストは、リヴァイヴァル版『You’re A Goodman, Charlie Brown』のサリー役でトニー賞を獲る直前のクリスティン・チェノウェス。すでに観客からはスター扱いされていた。ちなみに、ゲテール自身は、ピアノ演奏だけでなく、歌ってもいた。

(追記)
 オードラ・マクドナルドも出てました。あと、ジェイソン・ダニーリー、ビリー・ポーター、ジュビラント・サイクス、テレサ・マッカーシー。指揮がテッド・スパーリング。

The Chronicle of Broadway and me #247(Betty Buckley/Divas At The Donmar)

2000年8~9月@ロンドン(その3)

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 Betty Buckley/Divas At The Donmar(9月2日16:00@Donmar Warehouse)について、「アメリカ人のこだわり」というタイトルで旧サイトに書いた感想です。文中の「勘違い/聞き違い」について、当時ご指摘いただいた件についても「追記」の形で書いていますので、お読み落としなきよう。

<ブロードウェイ『Cats』が最終公演日を迎えた9月10日に開かれたイヴェント『Broadway On Broadway』で、同作品のヒット曲「Memory」を歌った(らしい)ブロードウェイ版初代グリザベラ、ベティ・バックリー。実は、長い間、縁がなかった。
 『Sunset Boulevard』は失敗作だったから途中から彼女が主役に就いたからといって改めては観なかったし、『Triumph Of Love』は観た回が代役だったし、『My Favorite Broadway』は直前に出演キャンセルだったしで、結局、この目で生バックリーを観たのは、『Sweet Charity: The Concert』の時に1曲歌った姿のみ(しかもデュオ)。
 縁がないなあと思うと同時に、CDなどを聴いてもイマイチその魅力をつかみきれないでいた彼女だったのだが、今回、なんとロンドンの、しかも、とても小さな劇場で出会えて、なるほど、と思った。
 パーソナルな感情が伝わる距離で、特別な演出もなく歌うバックリーは、『Cats』『Sunset Boulevard』といった大作ミュージカルの華やかな主演女優である以前に、激しく移り変わる現代を生きてきた1人のアメリカ人であり、そうした自分の体験を元にして物語を紡ぎ出そうとする歌手/演技者だった。そして、アメリカのシンガー・ソングライターやミュージカル界の若い楽曲作家に対する共感のまなざしは、今なおみずみずしい彼女の精神の反映に違いなく、その先に彼女が見ようとしているのは、アメリカン・ミュージカルの豊かであるべき未来。
 素晴らしいミュージカル女優の深い水脈をかいま見ることのできた、刺激的なコンサートだった。

 もちろん「As If We Never Said Goodbye」(『Sunset Boulevard』)や「Memory」はキメどころ(前者が第1部、後者が第2部の、それぞれ最後)で歌われる。しかし、それは、ミュージカル好きの観客に対するサーヴィスという印象。むしろハイライト曲は、第2部の中盤に歌われた「Fire And Rain」だと感じた。
 日本のミュージカル・ファンにおなじみかどうかはわからないが(イギリスではどうなんだろう?)、1970年9月にアメリカのポップ・チャートで3位にまで上昇した大ヒット曲。シンガー・ソングライター、ジェイムズ・テイラーを一躍“時の人”にしてしまった、1970年(あるいは’70年代の始まり)を象徴する歌だ。
 “炎と雨”は激動の’60年代後半を象徴する言葉と捉えられ、そうした時代をくぐり抜けて深い自省の時を迎える気分を歌った、とされるこの歌を歌う前に、バックリーは、“’60年代の子供たち”(Sixties’ children)という言葉を使った。
 「ここにいるのは’60年代の子供たちでしょ?」
 第2部の冒頭に『Peter Pan』の「Neverland」を歌い、初めて観た舞台ミュージカルはメアリー・マーティンがピーター・パンを演じたTV放映版(注)で、その時8歳だったと言っていたから、 ’70年にはベティ・バックリーは18歳。最も多感な時期に’60年代後半のアメリカの変動を体験した、まさに“’60年代の子供たち”の1人だ。
 そして歌われた「Fire and Rain」のアレンジは、深みを感じさせるゴスペル調。アメリカから一緒にやって来た3人のミュージシャン(ピアノ&音楽監督/ケニー・ワーナー、ベース/トニー・マリノ、ドラムズ&パーカッション/ジェイミー・ハダッド)の演奏は、伝統に根ざした、しかも今日的な息吹も感じさせる、一級のアメリカン・ミュージック。
 それをバックに、バックリーは、激しさを秘めながらも淡々と歌い込んでいく。まるで、自分の人生を友人に語りかけるように。
 そこには、パーソナルな感触と、ストーリーテラーとしてのドラマティックな表現力との、絶妙のバランス、融合があった。

 実は、その布石は第1部にあった。
 2人の若いアメリカ人のミュージカル楽曲作者が書いた作品を、立て続けに歌ったのだが、それがいずれも、シンガー・ソングライター的な手触りを持つもの。
 その2人とは、ジェイソン・ロバート・ブラウンとアダム・ゲテール。
 ブラウンは1998/1999年シーズンの最高作『Parade』で、ゲテールはオフの『Floyd Collins』で注目された人。残念ながら『Floyd Collins』は観ていないが、昨年5月にゲテール自身も歌うの彼の楽曲によるコンサートを観て深い感銘を受けた。
 ブラウンやゲテール(これに『Marie Christine』のマイケル・ジョン・ラキウザを加えてもいい)の楽曲に共通するのは、①ブルーズ、カントリー、ゴスペル、ジャズなどのアメリカのルーツ・ミュージックに1度立ち返ってから再構築された印象があること、と、②本来フィクションである劇場作品のために書かれていながら、どこか作者個人の思いの発露であるような切実な響きがあること(その対極にいるのが、アメリカ人で言えば、『Jekyll & Hyde』『The Scarlet Pimpernel』『The Civil War』のフランク・ワイルドホーンだが、本題を外れるので、その話はまた)。
 そうした作家たちにベティ・バックリーが反応するのは、「Fire and Rain」を自分の歌として歌うのと同じ地平にあることで、とても自然なことだろう。

 実は、今回バックリーに共感を覚えたのは、この段階でだった。と言うのは、ブラウンやゲテール(やラキウザ)の楽曲の方向性こそがアメリカン・ミュージカルの新たな道を切り拓くに違いない、ということを、このところずっと考えていたからだ。まあ、異邦人の思いつきにすぎないのだが(笑)、バックリーのような実績のあるミュージカル女優が、彼らに敬意を払って、その楽曲を採り上げているということは、その思いつきも、まんざら当てずっぽうってわけでもないのかも、と思ったわけだ。
 で、その意見の一致(?)に気をよくして、ロイド・ウェバー色の濃いパブリック・イメージを持つ割にはわかってる人なんじゃん(笑)、とイメージの変更を図っていたら、ジョニ・ミッチェルらアメリカ人女性シンガー・ソングライターの楽曲やなんかを次々に歌うので、さらに認識を新たにし、「Fire and Rain」に到ってすっかり打ちのめされた、というのが事の成り行き。

 さて、この日、バックリーは、「Fire and Rain」の後にも、ドロシー・パーカーの詩に曲を付けた楽曲なんていう渋いレパートリーなどを披露。充分に懐の深さを見せたうえで、最後は前述したように、ミュージカル・ファン納得の「Memory」で締めたわけだが、もちろん、アンコールの拍手が起こった。
 そのアンコール曲。タイトルをバックリーがつぶやいた瞬間、とても納得がいったのだが、アメリカのスピリチュアルな伝承曲(だと思う)「Amazing Grace」。サウス・ダコタ生まれだと言った彼女の、心を支える1曲なのかもしれないこの曲。ロイド・ウェバーの2曲を除いては、とことんアメリカにこだわった、この日のコンサートらしい終幕の曲だ。しかも、バンドの演奏には不思議な不協和音を潜ませて、感傷に流されない幕切れにしたのは見事。

 しかし、こうなると、アメリカン・ミュージカルのド真ん中の直球と言うべき『Gypsy』に主演した彼女を、ペイパー・ミルまで観にいくべきだったな、という後悔が生まれる。いや、「ゲキもは」の欲には限りがなくて困りますね(笑)。

(注)TV放映版『Peter Pan』
 1960年にNBC が制作したスペシャル番組。1954年のブロードウェイ版を演出・振付したジェローム・ロビンズがやはり演出・振付していて、スタジオ録画ながら、かなり舞台公演的な作り。ピーター・パン役のマーティンの他、フック船長役のシリル・リチャードも1954年版舞台のオリジナル・キャスト。アメリカではヴィデオが発売されている。

(追記)
 バックリーの年齢と出身地について、ペイパー・ミルでの『Gypsy』もご覧になったというベティ・ファンのRieさんから、次のようなご指摘をいただきました。

 「べティは1947年、テキサス州のフォートワース生まれの現在56歳で、70年には23歳でした。」

 出身地は彼女の公式サイトにも明示されていました。迂闊でした。
 年齢については、Rie さんは直接バックリーの口からもお聞きになったそうですので、これは確実でしょう。そう思いながら彼女の発言について考えていたら、次のようなことではなかったか、と思いついたので、とりあえず書いておきます。
 (注)に書いたように、メアリー・マーティンの『Peter Pan』のブロードウェイ初演は1954年。バックリーはこの年を念頭に置いて発言したのではないか。つまり、自分が8歳の時に初演された作品のTV版、と言った。それを半端に聞いた。……と、これでも1年のズレがあるのですが、そこは彼女の勘違いってことで。どうでしょう(笑)。

 Rieさん、ありがとうございました。>

 もう一件、お断りしておくと、「Amazing Grace」については楽曲作者がはっきりしている。それについては、同名ミュージカルを採り上げる時に改めて。

The Chronicle of Broadway and me #246(Mamma Mia!)

2000年8月~9月ロンドン(その2)

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 Mamma Mia!(9月1日17:00@Prince Edward Theatre)について、「柳の下に2匹目のフィーバー?」のタイトルで旧サイトに書いた感想です。

<前回のロンドン訪問の時にはプレヴュー開始直前で観られなかったのだが、そうこうするうちにチケット入手困難の噂が聞こえるヒット作となったのが、この『Mamma Mia!』
 先日、レコード店でオリジナルキャストCD の日本盤を見かけたが、元になったアバの原曲邦題に倣って、作品タイトルも『ママ・ミア!』という表記にしてあった。しかしながら、楽曲タイトルは「Mamma Mia」で“!”がないわけだから、この際ミュージカルのタイトルとは別物と考えて、ぜひとも歌っている印象に近い『ママ・ミーア!』という表記で推したい。なんてことは、実はどうでもいい(笑)。

 とにかく、ロンドンでのヒットの余勢を駆ってブロードウェイ『Cats』の後がまに決まったこの作品。こちらで指摘したロンドン産ミュージカルの特徴の1つ、“コンサート的ノリ”を基調にした舞台作りで、その意味では、同じロンドン産でも、『Cats』より、むしろ『Saturday Night Fever』に近い。なにしろ、往年のアバのヒット曲が20曲以上歌われるのだから、『Saturday Night Fever』同様、劇場の気分が仮想ディスコ化するのは、当然と言えば当然だ。
 そんなわけで、「表現の深みや芸術性の高さは求めず、そういう娯楽作品なんだと割り切ることができれば、まずは楽しんで観ていられる」という『Saturday Night Fever』に対する評が、そのまま流用できる、柳の下の2匹目のドジョウ的作品。したがって、ブロードウェイでのヒットは望み薄なのではないか、というのが個人的推測。

 ギリシアの小島に住む20歳のヒロイン、ソフィは、会ったことのない3人の男性に宛てて手紙を出す。もうじき迎える自分の結婚式に来てもらうためだ。そのわけは――。
 母と2人で暮らしてきたソフィは、父親のことを知らなかった。それが誰なのかも。ソフィの母ドナは元歌手で、昔“アバのような?”女性3人のグループを組んでいた。ソフィを身ごもったのは、そんな時代の話。盗み見たドナの日記から類推して、その頃彼女に言い寄っていた男性は3人。だったら、この際3人とも呼び寄せて、結婚式と同時に父親探しもやってしまおう。これがソフィの魂胆。
 結婚式前日、父親容疑者たちがそろって島にやって来る(彼らは友人同士)。でもって、迎え討つは、ドナとかつての歌手仲間の、こちらも3人(この辺で話の成りゆきが、なんとなく見えてくる)。
 ソフィに個別に事情を打ち明けられた3人のおじさんたちは、全員が自分こそ父親だと思い込むが、母親たるドナは真相を明かすどころか、何を今さらって感じ。予想に反してこじれる話に、ソフィはすっかり混乱。一方、ソフィの婚約者とその仲間たちは、バチェラー・パーティで勝手に盛り上がる。結婚式前夜の島は、わけのわからないドンチャン騒ぎに突入してしまい……。

 さあ、どうなる!? つったって、劇中の当事者はともあれ、観客にとっては深く感情移入するほどの事件じゃないし、仮にコメディとしてとらえても、ひねりが足りない。予想通りに大団円を迎える第2幕=結婚当日であってみれば、まあ、お話(脚本/キャサリン・ジョンソン)は“他愛ない”と言って差し支えないだろう。
 むしろ、アバの楽曲の内容にふさわしい状況を作り出すのに都合のいいストーリーを(言葉は悪いが)でっち上げた、という印象。ソフィの母がかつて歌手としてアバ風のグループを組んでいた、なんていうのは、それを実現するための強引な設定としか思えない。
 もっとも、作品そのものに、「A New Musical based on the songs of ABBA」というサブタイトルが付いているのだから、とやかく言う方が野暮なのかも。

 そう、とにもかくにも、この作品の肝は、アバのヒット曲がガンガン歌われるところにある。言ってみれば、ミュージカル仕立てのアバの疑似コンサートのようなもの。
 そうした製作サイドのねらいを裏打ちするように、楽曲の基本的なアレンジは、あくまでオリジナルに近く、しかもオリジナルの魅力を超えないというカラオケ状態。シンセサイザー主体のその音色には繊細さがなく、音量は劇場サイズに比べて大きすぎる。
 楽曲の挿入のされ方も、前述したように、楽曲に合わせてストーリーを組み立てたのでは? と感じるぐらい安易。唯一、偶然(!?)見つけたギターを爪弾いて歌い始めるところに別の人物が加わる、という工夫が「Thank You for the Music」のシーンであるが、これとても、ギターでコード名を言いながら歌い始める『Grease』の「Those Magic Changes」に酷似。ダンスにしても、第2幕冒頭の幻想的ダンス・シーンが、力の入った演出ゆえに逆に異質に見えてしまうほど、この作品のミュージカル・ナンバーにはアイディアがない。
 まあ、でも、観客の期待が別のところにあるのであれば、それも問題なし。出演者がひたすら気持ちよくアバ的に歌うのを聴かせていただくのが、この作品の楽しみ方ってもんなのだろう。

 そうした、総じて他愛ない舞台にあって、かろうじて芸を見せてくれるのが、ドナの仲間ロージーとターニャを演じる2人の女優(すでに主要キャストはオリジナルではなくなっているが、とりあえず観た回は、ロージーがレズリー・ニコル、ターニャがルイーズ・ゴールド)。彼女たちが歌うところは、それぞれのキャラクターを生かした、“ノリ”だけでないショウ場面になっていて、多少ホッとする。
 まあ、他の役者にしても、彼らに問題があるわけではなく、作品が彼らの芸を引き出す作りになっていないので、力量を知る機会がないということなのだが。

 半円形に弧を描いたギリシア風の白壁2つの組み合わせを様々に変えて場面転換とする装置は、シンプルでありながら効果的(人力で動かしていたのが大劇場では珍しい)。青を基調にしたバックとの対比も美しい。床に埋め込まれている遊歩道状の板張りが浮き上がって、艀になったりするアイディアも、大げさな装置の多いウェストエンドの舞台にあっては、使い方が適度で好感が持てた。装置/マーク・トンプソン。

 「話は他愛なくてもいい、演出や演技で芸を見せてほしい」。これまた『Saturday Night Fever』同様に、キャスト全員によるコンサート式(ロンドン式と言ってもいい)カーテンコールの「THE 夜もヒッパレ」的盛り上がりを観ながら、そう思わずにいられなかった。>

 その後、タイトルの日本語表記は劇団四季によって『マンマ・ミーア!』に落ち着き、予想に反してブロードウェイでも大当たりしたのは、ご承知の通り。それが、ジュークボックス・ミュージカル氾濫の口火となったわけだが。

The Chronicle of Broadway and me #245☆(2000/Aug./Sep.)

★2000年8~9月@ロンドン(その1)

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 4度目のロンドン(44歳)。
 当時、旧サイトに書いた概説から。

<仕事のスケジュールとかマイレージによるフリーフライトの空席状況とか、いろんな要素が絡まって、9月中旬にニューヨークに行く予定を急遽変更。3年に1度という範(?)を破って約1年半振り、昨年3月以来のロンドン訪問となった。
 夏の終わりのロンドンは、これまで体験したどのロンドンよりも気持ちよく、とても快適に過ごせたが、さて劇場はと言うと……。

 特別に目指した作品があったわけではなく、この時期、新作のまるでないニューヨークよりはいいだろう、ぐらいの気持ちだったのだが、こちらもどうやら不作気味。5泊の日程を未見の新作で埋めて、なお、野外劇場のリヴァイヴァルやベティ・バックリーのライヴ、さらに『Les Miserables』(英語版は12年前のニューヨーク以来。本場では初めて)まで観る余裕があった。
 で、結局、いちばん刺激的だったのはベティ・バックリーのステージ。ロンドンにいてアメリカ人アーティストの心の置き所について考えることになったのは皮肉だが、ロンドンの、それも極々小さな劇場で観たからこそ、いろんなことがわかったのかもしれない。おまけに、観に来ていたトレヴァー・ナンと握手もできたし(笑)。この1本に出会えただけでも行った価値のあるロンドンだった。

 しかし、ウェスト・エンドの新作群は、エスカレートする過剰な装置とデリカシーのない音楽という、“ロンドン産ミュージカルはあざとい”説を強固にする要素ばかりが目立って、先が思いやられます。>

8月29日19:45 Notre Dame De Paris@Dominion Theatre Tottenham Court Rd.
8月30日15:00 La Cava@Piccadilly Theatre Denman St.
8月30日19:30 Les Miserables@Palace Theatre Shaftesbury Ave.
8月31日14:30 The Pirates Of Penzance@Open Air Theatre Regent’s Park
8月31日20:15 Ridgeway’s Late Joys@Players’ Theatre VIlliers St.
9月1日17:00 Mamma Mia!@Prince Edward Theatre Old Compton St.
9月1日20:30 Pageant@Vaudeville Theatre The Strand
9月2日16:00 Betty Buckley/Divas At The Donmar@Donmar Warehouse Earlham St.
9月2日19:45 The Witches Of Eastwick@Drury Lane Theatre Royal Catherin St.

 各作品の感想は別稿で。

 上掲写真は、翌年9月に終わってしまい、結局観ることのできなかったロイド・ウェバーの新作。開幕を控えたケンブリッジ劇場。

The Chronicle of Broadway and me #244(Sweeney Todd/Blood On The Dining Room Floor/The Wild Party[PT][2]/Monday Night Magic/The Green Bird)

2000年5月@ニューヨーク(その7)

 この渡米時に観て、当時、旧サイトに感想を書いていない作品について、データ的なことを中心に、まとめて。

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 『Sweeney Todd』(5月5日20:00@Avery Fisher Hall)は、スティーヴン・ソンドハイムの70歳(1930年3月22日生まれ)を祝って5月の4、5、6日に行なわれたコンサート形式の公演で、バックはニューヨーク・フィルハーモニック。だから会場がエイヴリー・フィッシャー・ホール(現デイヴィッド・ゲフィン・ホール)。この舞台は映像ソフトにもなっているから、ご覧になった方もいらっしゃるだろう。
 出演者は、ジョージ・ハーン(スウィーニー・トッド)、パティ・ルポン(ラヴェット夫人)、オードラ・マクドナルド(物乞いの女性)、ニール・パトリック・ハリス(トバイアス・ラグ)、デイヴィス・ゲインズ(アンソニー・ホープ)のミュージカル勢に、ポール・プリシュカ(ターピン判事)、ハイディ・グラント・マーフィ(ジョアンナ)、ジョン・アラー(ビードル)、スタンフォード・オルセン(ピレリ)のオペラ/クラシック勢が加わった贅沢な顔ぶれ。
 指揮はアンドリュー・リットン、演出はロニー・プライス。

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 『Blood On The Dining Room Floor』(5月6日14:00@Peter Norton Space)は、ジョナサン・シェファー(作曲・作詞)のオペラ。原作はガートルード・スタインの同名小説(1933年刊)。
 1933年夏、ガートルード・スタインは、パートナーであるアリス・B・トクラスと共にフランスのビリナンという村で家を借りて、3つの殺人事件が起こる小説を書いていたが、スランプに陥っていて……。という話だったようだが、よく覚えていない。たぶんよく理解できなかったのだと思う。
 出演者は、キャロラン・ペイジ(ガートルード・スタイン)、ウェンディ・ヒル(アリス・B・トクラス)。他に、女優3人とオペラ系の男性歌手3人。
 演出ジェレミー・ドブリッシュ

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 『The Wild Party』(5月6日20:00@Virginia Theatre)パブリック・シアター版2度目の観劇の感想は、1度目及びマンハッタン・シアター・クラブ版と込みで、こちらに書きました。
 でも、なぜ2度目を観たのか。動機は覚えていない。

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 『Monday Night Magic』(5月8日15:00@Sullivan Street Playhouse)は、当時まだ超ロングラン中だった『The Fantasticks』の劇場で、同作が休演の月曜夜に行なわれていたマジック・ショウ。文字通りのマジック(手品)を何人かのマジシャンが披露する公演でした。

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 『The Green Bird』(5月10日14:00@Cort Theatre)は、『The Lion King』で名を馳せたジュリー・テイモアの演出・仮面デザイン・人形デザインによるプレイ。と説明すること自体が、この時点でのテイモアに対する注目ぶりを示している。
 元は18世紀の民話収集家カルロ・ゴッツィの書いた仮面劇。1996年に42丁目のニュー・ヴィクトリー劇場で短期上演された後、サンディエゴのラ・ホーヤ・プレイハウスでの公演が行われたことがあるらしい。
 『The Lion King』の動物たちを少し伝統的な仮面劇に寄せた感じの、想像力/創造力豊かな仮面や人形の姿は、「the green bird julie taymore」で検索するとご覧いただけると思います。
 音楽エリオット・ゴールデンサル(テイモアの連れ合いらしい)、衣装コンスタンス・ホフマン、装置クリスティン・ジョーンズ、照明ドナルド・ホールダー。
 ブロードウェイでは最終的に2か月ぐらいの公演で終わっているが、それはそれとして、こんな質の高い面白い舞台を安い値段で観ることのできる子供たち(@ニュー・ヴィクトリー劇場)がうらやましいと思う。

[Tony2000] 予想/結果と感想(season summary)

 1999/2000シーズンのトニー賞の予想と結果を再録します(過去シーズンはこちら→1997/19981998/1999)。
 旧サイトに別々に書いた「予想」と「結果と感想」とを同時にアップしますので、全体に編集してあります。ただし、予想や感想の内容には手を加えていません。

 下は予想と結果の一覧(は予想時のマーク。ニュアンスは、本命=審査員が投票しそう、対抗=案外これが獲るかも/獲ってくれないかな、といった感じ)。

[作品賞]
Contact 受賞
James Joyce’s The Dead
Swing!
The Wild Party
[リヴァイヴァル作品賞]
Kiss Me, Kate 受賞
The Music Man
Jesus Christ Superstar
Tango Argentino
[主演女優賞]
Toni Collette The Wild Party
Heather Headley Aida 受賞
Rebecca Luker The Music Man
Audra McDonald Marie Christine
Marin Mazzie Kiss Me, Kate
[主演男優賞]
Craig Bierko The Music Man
Brian Stokes Mitchell Kiss Me, Kate 受賞
George Hearn Putting It Together
Mandy Patinkin The Wild Party
Christopher Walken James Joyce’s The Dead
[助演女優賞]
Laura Benanti Swing!
Ann Hampton Callaway Swing!
Eartha Kitt The Wild Party
Deborah Yates Contact
Karen Ziemba Contact 受賞
[助演男優賞]
Michael Berresse Kiss Me, Kate
Boyd Gaines Contact 受賞
Michael Mulheren Kiss Me, Kate
Stephen Spinella James Joyce’s The Dead
Lee Wilkof Kiss Me, Kate
[演出賞]
Michael Blakemore Kiss Me, Kate受賞
Lynne Taylor Corbett Swing!
Susan Stroman The Music Man
Susan Stroman Contact
[振付賞]
Kathleen Marshall Kiss Me, Kate
Susan Stroman Contact 受賞
Susan Stroman The Music Man
Lynne Taylor-Corbett Swing!
[楽曲賞]
Elton John & Tim Rice Aida 受賞
Shaun Davey & Richard Nelson James Joyce’s The Dead
Michael John LaChiusa Marie Christine
Michael John LaChiusa The Wild Party
[脚本賞]
John Weidman Contact
Richard Nelson James Joyce’s The Dead 受賞
Michael John LaChuisa Marie Christine
Michael John LaChuisa & George C. Wolfe The Wild Party
[編曲賞]
Doug Besterman The Music Man
Don Sebesky Kiss Me, Kate受賞
Jonathan Tunick Marie Christine
Harold Wheeler Swing!
[装置デザイン賞]
Bob Crowley Aida 受賞
Thomas Lynch The Music Man
Robin Wagner Kiss Me, Kate
Tony Walton Uncle Vanya(play)
[衣装デザイン賞]
Bob Crowley Aida
Constance Hoffman The Green Bird(play)
William Ivey Long The Music Man
Martin Pakledinaz Kiss Me, Kate 受賞
[照明デザイン賞]
Jules Fisher & Peggy Eisenhauer Marie Christine
Jules Fisher & Peggy Eisenhauer The Wild Party
Peter Kaczorowski Kiss Me, Kate
Natasha Katz Aida 受賞

★予想

<今回はけっこうむずかしい。理由は3つ。
 ①演技者に対する賞の候補枠が 1人増えたこと(当たる確率が 5%ダウン)。
 ②質的に充実していた『James Joyce’s The Dead』『Marie Christine』の公演が終了していること。
 トニー賞はブロードウェイを全米に知らしめる数少ない機会なので、授賞にも宣伝効果を加味しようという側面がある。その意味では、終わってしまった作品の関係者には目をつぶってもらおうと考えるのは当然のこと。その辺をどう読むか……。
 ③7個のノミネーションを得ている『Contact』のスタイルが変則的なこと(各賞のところで詳述)。

 とは言え、毎年言ってますが、トニー賞は興行成績に直接影響が出るのでプロダクション側にとっては重要だけれども、選考には政治的判断による偏りもあるので、観客である我々には“話のタネ”に過ぎません。ですから、ここでのもっともらしい解説も、鼻毛でも抜きながら(笑)気楽に読み流してください。

 [作品賞]は、各方面で絶賛された『Contact』で決まりだろう。質的には、『Contact』同様オフの限定公演からオンでのロングランに移った『James Joyce’s The Dead』の方を高く評価するが、終わっちゃってるし、地味な作品だったから。
 ただ、劇場演奏家の組合からクレームがついたように、音楽はすべて既成の録音音源で役者も歌わない『Contact』をミュージカルのカテゴリーに加えるのはおかしい、という考え方も一方にはある。もっとも、演奏家組合のクレームの真意は自分たちの仕事を無視したことに対する抗議にあるはずで、逆に言えば、そうした圧力を与えておきたくなるほど、『Contact』受賞の可能性が高いということではないだろうか。とにかく、『Contact』には、弱点を補って余りあるアイディアと熱気があった。万が一(あくまで万が一)ひっくり返るとしたら、『The Wild Party』か。
 これ以降の賞の予想は、『Contact』が作品賞を受賞することが前提になっているので、ここが覆ったらハズれまくる可能性大(笑)。
 (個人的には、ノミネーションから外れた『Marie Christine』が今シーズンのベスト。ノミネートされなかった理由には、限定公演ですでに上演されていないことの他に、『Contact』と同じリンカーン・センターのプロデュース作品だということがあったのではないかと思われる。)

 [リヴァイヴァル作品賞]『Kiss Me, Kate』『The Music Man』の一騎打ち。出来はどっこいどっこい。好みは『The Music Man』だが、作品賞を『Contact』が獲るとすると、演出・振付(スーザン・ストロマン)がダブることもあって、こちらは『Kiss Me, Kate』に行く可能性が高い。役者の印象も派手だし。
 『Jesus Christ Superstar』は論外。数合わせのノミネーションとしか思えない。

 演技者の候補枠が 1人増えたのは、 TV中継の時の注目度を考えてのことか。

 [主演女優賞]は、ヘザー・ヘドリー、オードラ・マクドナルド、マリン・メイズィーの争い。 3人ともよかったが、一昨年『Ragtime』で獲ってもおかしくなかった助演女優賞を伏兵ナターシャ・リチャードソン(『Cabaret』)にさらわれた、メイズィーが獲る可能性が高いか。ヘドリーは脚本のせいで深みを出しきれない役だったのが惜しい。
 しかし、様々な意味で難易度の高い役を見事に演じて野心的な舞台を引っ張ったマクドナルドに、素直に1票。

 [主演男優賞]は、役柄の印象の強さプラス前作『Ragtime』以来の個人的アピール度の高さもあって、ブライアン・ストークス・ミッチェルが一歩リード。対抗馬はジョージ・ハーンとマンディ・パティンキンだが、危うい均衡の上に成り立った作品を懐の深い歌と演技で支えたパティンキンを、ミッチェル以上に評価。
 大穴で、大スター、クリストファー・ウォーケンもあり得るか。

 [助演女優賞]がむずかしいのは、『Contact』『Swing!』が主演女優を立てずに来たから。おかげで、本来なら主演扱いでもおかしくないカレン・ジエンバとアン・ハンプトン・キャラウェイが候補に入った。そうなると、この2人のどちらかに決まる可能性が高い。
 キャラウェイは、ジエンバびいきの目から見ても素晴らしいのだが、作品の強さもあってジエンバがついに受賞か。この2人が主演に回っていればローラ・ベナンティだったかも。

 [助演男優賞]にも、『Contact』の主演格、ボイド・ゲインズがノミネートされた。やはり彼が有力か。個人的には、今回の彼には不満があるのだが。
 『Kiss Me, Kate』の3人のうち、マイケル・ベイレイーズを、代役が立ったために観ていない。シャープなダンサーである彼は素晴らしかったんじゃないかと思うが、残念。そんなこんなで僕は、地味な作品に笑いとドラマを与えたスティーヴン・スピネラに1票。

 [演出賞]は、昨シーズン、振付と一緒に『Swan Lake』なんかに行っちゃったから(明らかにアメリカ人のイギリスに対するコンプレックスのせい)、その反動で今回はオーソドックスな作品に行く。というのは深読みしすぎ? そんなわけで本命の『Contact』はなし。その代わりに『The Music Man』でストロマンに渡す、という筋書きはどうでしょう。亡夫マイク・オクレントへの追悼の意味も込めて。やっぱ深読みか?
 個人的には、候補にならなかったグラシエラ・ダニエル(『Marie Christine』)で決まりなんだけど。彼女はどうも、ブロードウェイ世界では、少し異端扱いされてるようだ。

 [振付賞]は文句なしで『Contact』

 [楽曲賞]は、『Aida』を除く3作がいずれも充実。とりあえず、マイケル・ジョン・ラキウザ作のどちらかに。
 頼むから新しがって『Aida』に入れないでほしい。エルトン・ジョンは好きだが、ティム・ライスと組んだ仕事は必ずしも彼のよさが発揮されていない。

 [脚本賞]は、これまた変則スタイルのせいで判断がむずかしいが、全くのオリジナルだし、面白さから言っても、『Contact』がそのまま獲って不思議はない。名作小説をユニークなミュージカル舞台に仕上げた『James Joyce’s The Dead』の野心を買うが、残る2作も野心的な点では負けてはいないから……むずかしい(笑)。

 [編曲賞]『Swing!』が獲るとしたら、ここか。『The Music Man』も舞台上での楽器の使い方が面白かったが。ただ、個人的には『Marie Christine』の奥深さがたまらない。

 [装置デザイン賞]は、『Uncle Vanya』(ワーニャ叔父さん)の出来がわからないが、『The Lion King』のジュリー・テイモアがユニークなアイディアを展開した『The Green Bird』(装置/クリスティン・ジョーンズ、マスク&パペット/ジュリー・テイモア)が候補にならなかったからには、『Aida』だろう。

 [衣装デザイン賞]は、装置で候補にならなかった、その『The Green Bird』に。ライヴァルがいるとすれば『Aida』か。

 [照明デザイン賞]は、ダブルで候補になっているフィッシャー&アイゼンハワーのどちらかに行くのではないか。で、選考委員が選ぶのは上演中の『The Wild Party』。>

★結果と感想

<おめでとうカレン・ジエンバ、と、まずは言っておこう。例によって本人には届かないけど(笑)。
 いや、今年はむずかしかった。その理由は予想に書いた通りだけど。……なんて、いきなり言い訳モードです(笑)。でも、その割には、よく当てた方でしょう。だからどうしたと言われても困るんですが(笑)。
 本命◎で8個、対抗☆も含めると9個が当たり。9勝5敗(って、勝ち負けか?)。

 役者が案外予想通りでしたね。マリン・メイズィーはまたもや残念だったけど、前回よりは納得いくでしょう。
 不満は[楽曲賞]。あれほど頼んだのに、『Aida』に渡しちゃって(笑)。
 [演出賞]『Kiss Me, Kate』も、同作の感想に書いた理由でちょっと不満だけど、これはしかたないか。
しかし、『The Wild Party』はともかく、『The Music Man』の受賞なしは、劇場街にとっては痛いんじゃないでしょうか。>

The Chronicle of Broadway and me #243(Contact[2])

2000年5月@ニューヨーク(その6)

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 『Contact』(5月11日20:00@Vivian Beaumont Theatre)が劇場を移してロングランに入った公演を観ての感想。「主人公の妄想が伝染?」のタイトルで旧サイトに書いたものです。オフ公演の感想の最後に書いたように、思い違いを訂正しています。

<アウター・クリティーク賞に続いてドラマ・デスク賞も制した『Contact』。オフでの限定公演から同じリンカーン・センター内のオン扱いの劇場に移ってロングラン態勢。トニー賞も射程圏内だが、はたして……?

 多少広いが、構造的にはよく似た新たな劇場で観直しての感想は、根本的に前回と変わらない。
 面白い。細部に到るまでアイディアがあふれていて楽しい。ことに、擬音と役者の動きとのタイミングなど、実によく練れている。ダンサーたちの踊りも見事(中でも、第2部を引っぱるカレン・ジエンバ のコミカルかつ正確なダンスは、彼女の技量とキャラクターなしには考えられない彼女ならではのもので、素晴らしい)。
 同時に、第2幕(=第3部)にやや難あり、という印象も同じ。ダンサーたちが踊っている間、バーテンダーと話していたり、思い悩んだりしている主人公の男(ボイド・ゲインズ)が(まあ、ドラマ的には意味がなくはないものの)、手持ち無沙汰な感じに見えてしまうのが惜しい。それに、踊れない男を演じるゲインズが本当に踊れないのが、やはりもどかしい。
 とは言え、全体の出来から見れば、それも些細なこと。作り手の野心とエンタテインメント性が高いレヴェルで融合した、優れた作品であることは間違いない。その意味で、今シーズンのトニー賞のミュージカル作品賞は、候補作の中では『Contact』しかないと思う。
 ご覧になるなら、お早めに。

 それはともかく、今回の観劇記を書くにあたって前回分を読み直したのだが、あ、これは訂正しなくちゃ、という箇所が2つあった。

 1つは、第2部のストーリーで、「何かにつけてわめき立てる夫が騒ぎに巻き込まれ、撃ち殺されてしまう」という箇所。ここははっきり、妻(カレン・ジエンバ)が撃ち殺した、と書いておかなくてはならなかった。
 自分で撃ち殺す、という妄想が彼女のストレスの強さを表してるわけで、これは重要。その後の歓喜と絶望も、これがあればこそだ。

 もう1つは……。これが今回の本題。
 第3部の結末なのだが、こう書いた。

 [……と思ったところで我に返ると、そこは自室の床の上。今までの出来事は、自殺に失敗して気絶している間に見た妄想だったのだ。
 そこに隣室(階下?)から苦情の電話が入り、電話の主がやって来る。ドアを開けると、それはなんと、黄色いドレスの女そっくりの人。
 これでハッピー・エンドかと思いきや、その場面までも妄想で、実は男の自殺は成功していたのだった……。]

 「(階下?)」は間違いなく階下、なんてことはどうでもよくて(笑)、問題は最後の一文。この“再どんでん返し”が、実はなかったのだ。
 主人公が自殺(→自殺失敗→黄色いドレスの女をめぐる夜の彷徨)→自殺失敗→黄色いドレスの女にそっくりの女登場、で第3部の話は終わってハッピーエンド。主人公の妄想はカッコの中の部分だけ。その後に出てくる黄色いドレスの女にそっくりの女は、妄想じゃなかった。
 確かに、観劇後のメモにも、「結末はヨメるが、再び自殺シーンになるのがうまい」としか書いていない。なのに、なぜ、もう1度ひっくり返ると思い込んだのか。主人公の妄想が伝染したとしか思えない(笑)。それとも、無意識の内にブロードウェイ的ハッピーエンドを拒否しようとしたのか……。
 と、自分の無意識を探ってもしょうがないので、この辺にしておきます。それとも、オフの時には、やっぱり暗い結末があったとか……。だから妄想だって(笑)。>

The Chronicle of Broadway and me #242(The Music Man)

2000年5月@ニューヨーク(その5)

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 『The Music Man』(5月10日20:00@Neil Simon Theatre)について、「『C4U』似の楽しさ」というタイトルで旧サイトに書いた感想です。

<『The Music Man』(初演1957年)は、トニー賞のライヴァル『Kiss Me, Kate』同様、オリジナル・キャストのCDを愛聴し、1962年の映画版をヴィデオで楽しく観た作品だ(日本未公開。監督モートン・ダ・コスタ、振付オンナ・ホワイト、主演ロバート・プレストン、他何人かの出演者など、主要スタッフやキャストが舞台版初演とダブる)。そして、『Kiss Me, Kate』の場合とは逆に、こちらのリヴァイヴァルにはそれなりの期待を抱いた。
 と言うのは、『Contact』で調子を取り戻しているスーザン・ストロマンが演出・振付を手がけたからで、結果として、『Crazy For You』の香りがする楽しい作品に仕上がった。

 誤解がないように言っておくと、『Crazy For You』の香りがするから楽しいわけではない。『The Music Man』は、元々が心温まる楽しい作品なのだ。
 それよりも、ここでは『Crazy For You』とのプロットの共通点に注目したい。ストロマン起用の裏には、その辺が絡んでいるのではないか、というのが個人的な推理だ。

 まず、『The Music Man』のストーリーをざっと追ってみる。

 時は 1912年。
 音楽教授ハロルド・ヒルと名乗る詐欺師セールスマンが、アイオワ州のリヴァー・シティという小さな田舎町にやって来る。彼のねらいは、少年たちによるブラス・バンドを作ろうというアイディアを町の人々に吹き込み、楽器やユニフォームの代金をせしめて逃げることにある。
 刺激のない毎日を送る純朴な人々は、ハロルドの巧みな話術にたちまちノセられ始めるが、図書館員で自宅でピアノを教える、町で唯一音楽的素養のある女性マリアンだけは疑いを抱いている。逆に、そんな彼女に惹かれたハロルドは、一方で戸別訪問による契約集めをしながら、持ち前の調子のよさでマリアンを口説きにかかるのだが、そうこうする内に、彼女に、心を閉ざしがちな幼い弟ウィンスロップがいることを知る。
 ある日マリアンは、ハロルドの出身地(これは本当のことを言っていた)の教育年鑑を図書館で偶然手にする。動かぬ証拠を見つけたマリアンが、ハロルドの経歴詐称を暴こうとした日、町に荷馬車が着く。運ばれてきたのは、町の人々が注文した楽器類。ハロルドがコルネットを取り出してウィンスロップに手渡すのを見たマリアンは、弟のために計画を変えたハロルドの優しさを知り、手にした年鑑から彼に関するページを破りとる。(第1幕終わり)
 楽器のそろったバンドに演奏を教えたいのはやまやまなれど、方法を知らないハロルドはお手上げ状態。
そんな折に町に現れたのが、ハロルドに持ち場を荒らされて怒っているセールスマンの1人。男は、ハロルドの罪状を暴くべく、町の人々が集うパーティ会場の公園にやって来る。一方、ハロルドは、マリアンが自分の正体に気づきながら愛してくれていることを知り、さらに、セールスマンからハロルドの正体を聞かされたウィンスロップの動揺を見て、人生をやり直すことを決心し、逃げるのを止める。
 捕らえられ、広場で町の人々の審判を受けることになったハロルドを、彼が来てから町がどんなに活気づいたかを思い出して、とマリアンが弁護する。しかし彼が約束したバンドはどこにいるんだ!? という反論が起こった時、ヘタクソな演奏が近づいてくる。ウィンスロップはじめハロルドを信じようとする少年たちが、楽器を手に集まったのだ。
 これにて一件落着。

 さて、『The Music Man』『Crazy For You』のプロットは、どこが似ているか。

 ①交通網や情報網が発達していない時代の田舎町に1人のよそ者がやって来ることから話が始まる。→ハロルド(リヴァー・シティ)/ボビー(デッド・ロック)
 ②そのよそ者が身分を偽っている。→音楽教授/舞台プロデューサー(ザングラーに化けて)
 ③混乱しながらも、よそ者の言葉にノッて、人々が新しいこと(それもパフォーマンス)に挑戦しようとする。→ブラス・バンド/ミュージカル・ショウ
 ④それが挫折した時、よそ者を愛する女性が、彼によってみんなが変わったと、よそ者を弁護する。→マリアン(第2幕最後)/ポリー(第1幕最後)
 ⑤最後には計画がうまくいって、主役の男女が結ばれる。

 どうでしょう。似てませんか?
 おまけに、どちらも群舞のショウ場面が多い。ここは、『Crazy For You』を成功させたストロマンに任せてみようじゃないか、と考えたとしてもおかしくない(もし、マイク・オクレントが元気だったら、彼に演出を頼んだのだろうか?)。
 プロデューサーに『Crazy For You』のエリザベス・ウィリアムズが名前を連ねているのも、その裏付けのように思える。

 で、初めにも書いたように、ストロマンの起用は一応の成果を収めている。
 特に振付。
 例えば、序曲の演奏を、舞台上の汽車のセットにバンドを乗せてやらせるなんて楽しいアイディアは、ストロマンならでは。しかも、指揮者に向けてバトンがオーケストラ・ピットから飛んで出てくるという小技もある。
 ダンスの大きな見せ場である体育館や図書館のシーン(第1幕)、公園のシーン(第2幕)では、心おきなくテクニックの引き出しを全開にして、久々に『Crazy For You』を彷彿させる、弾ける群舞を展開。体育館では小道具が少なめだったが、図書館では本を使って得意のハラハラさせる振付も見せる。
 ハッピーエンドの後の派手なカーテン・コールも、もちろん用意されている。
 では演出はどうかと言うと、テンポはいい。転換などもうまい。
 が、コメディの演出に粘りが足りない気がしたのは、こちらが『Crazy For You』のイメージを追いすぎたせいか。典型的コメディ・リリーフである市長夫人(ルース・ウィリアムソン)など、必ずしも生かし切れていなかった気がするのだが。この辺、主演2人とのバランスの問題があるかもしれない。

 主演は、クレイグ・ビアーコ(ハロルド)、レベッカ・ルーカー(マリアン)の2人。
 ビアーコはもっぱら映画畑で活躍してきた人で、ブロードウェイの舞台初出演。柄は合っているし、熱演だが、やはり愛される悪人であるこの役には、もう少し懐の深さがほしい。ダンスもイマイチ。
 ルーカーも、生真面目で芯が強いというイメージはいいのだが、悪人を許して愛してやる包容力は、あまり感じられない。もちろん歌はうまいが。
 そんなわけで、この2人、水準には達しているが、この作品の主演としては強力とは言いがたい。主演に余裕がないと、脇のコメディ部分もビシッとキマらない、ということは考えられる。
 いずれにしても、ここが、今回のリヴァイヴァルの唯一にして最大の弱点だろう。

 しかし、脚本も書いたメレディス・ウィルソンによる楽曲のアイディアは素晴らしい。言葉の選び取り方とリズムの生かし方、リズムとメロディとの融合のさせ方など、実に独創的で、今聴いても新鮮。
 汽車のリズムに合わせたア・カペラの(まさに)ラップ「Rock Island」、言葉の速射砲「Trouble」、ピアノの練習曲が歌になる「Piano Lesson」、マリアンとライブラリアン(図書館員)の語呂合わせ「Marian The Librarian」、ハロルドの出身地を奇妙なワンワードのように歌う「Gary, Indiana」など枚挙にいとまがない。しかもバラードはシンプルで美しいし(「Till There Was You」他)、男性クァルテットの使い方はうまいし(「Sincere」他)。
 名作の名作たるゆえんだ。

 今回の『The Music Man』が古びていない理由には、こうした楽曲の素晴らしさと、もう1つ、初演の時にすでに、描かれている時代が懐かしい過去だったということがあると思う。言ってみれば、1992年に1930年代を描いた『Crazy For You』と同じだったわけで、だからこそストロマンが起用された……というのは牽強付会すぎますでしょうか(笑)。
 でも、逆に、『Crazy For You』のストーリーを作る時に『The Music Man』を参考にしたってことはあるんじゃないか? 元ネタが『Girl Crazy』とは言え、けっこうストーリー違ってるし。どうだろう(と妄想はふくらむ)。

 共同演出レイ・ローデリック、共同振付タラ・ヤングのクレジットあり。>

The Chronicle of Broadway and me #241(Aida)

2000年5月@ニューヨーク(その4)

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 『Aida』(5月9日19:00@Palace Theatre)について、「深めず華やかに、がディズニー流」のタイトルで旧サイトに書いた感想です。

<ディズニーは、ブロードウェイ進出3作めにして、ついにオリジナル・ミュージカルを作った。
 第1弾『Beauty And The Beast』がアニメーション映画の忠実な舞台化。第2弾『The Lion King』がアニメーション映画を元にした舞台的表現への大胆な挑戦。そして、第3弾『Aida』は……? なんてことを考え始めたら、それはもうディズニーの戦略にハマっている証拠。そういう人が見ず転で『Aida』のチケットを買うわけだ。シロウトが真顔で、企業戦略だのマーケティングだのについて語ったりするからバブルが起こる。……などと言いつつ、後で語りますが(笑)。

 ま、そんなこんなで、チケットが売れてる『Aida』
 出来はと言えば、『Beauty And The Beast』のようにディズニーランドのアトラクションに見えたりはしないが、けっして深い感動が得られるようなものではない。ただ、装置(ボブ・クロウリー)のアイディアと主演のヘザー・ヘドリーの歌が見どころになって、一級のエンタテインメントとしての面目は保たれている。

 内容は、エチオピアの王女と、その征服者であるエジプト軍の指揮官との許されない恋の物語。
 エチオピアに攻め入ったラダメス率いるエジプト軍は、捕らえたエチオピア人を奴隷にするために船で連れ帰ってくる。その中に身分を隠して紛れていたのが、誇り高い王女アイーダ。が、彼女に惹かれたラダメスはアイーダを連れ出して、エジプトの王女アムネリスへの貢ぎ物にする。そのアムネリスとラダメスの結婚を、アムネリスの父ファラオは世継ぎを得るために、ラダメスの父ゾウザーは野望のために(彼はファラオに少しずつ毒を盛っている)、そしてアムネリスはラダメスへの愛のために望んでいる。
 で、まあ、いろいろあって(笑)、ラダメスはアイーダを深く愛するようになり、アムネリスはアイーダを信頼して心を開くようになり、奴隷となったエチオピア人たちはアイーダを救済の支えとするようになる。アイーダは、人々の心に安らぎと勇気を与える太陽のような存在なのだ。
 ところが、やがて、アイーダもラダメスを愛するようになり、否応なくアイーダ、ラダメス、アムネリスの3人は、複雑な三角関係に陥っていく。
 そんな中、アイーダの父であるエチオピアの王アモナスロがエジプト軍に捕らえられる。幽閉された父に密かに会いに行ったアイーダは、ラダメスに対して抱く好意を非難される。さらに、囚われている娘の1人がアイーダの身代わりになってゾウザーの手先に殺されるに及んで、ついにアイーダはラダメスへの想いを断ち切る決心をする。
 最後にひと目、とラダメスに会ったアイーダは、自分たちが現世では結ばれようのないことを説き、アムネリスと結婚して王となりエチオピアとのいい関係を築いてくれるよう頼む。納得したラダメスは、結婚式の時にアイーダが逃げ出せるよう、港に小舟を用意しておくことを約束する。それを偶然聞いていたのが、アムネリスだった。
 ラダメスとアムネリスの婚礼が始まるが、エチオピア王の脱獄が発覚し中断。自分の用意した小舟にエチオピア王を乗せて逃げようとしているアイーダを見つけたラダメスは、裏切られたと誤解する。真意を説明するため岸に戻るアイーダ。そうこうする内にゾウザーがやって来る。ラダメスは舫(もやい)を切って王の乗った小舟を放つ。
 裏切り者として捕らえられたラダメスは、許しを乞うことを拒んだために、アイーダ同様砂漠に生き埋めにすることをファラオに宣告されるが、彼らを愛するアムネリスは、せめてもの慈悲として、2人を同じ石棺に入れて埋めることを願い出る……。

 とまあ、途中を「いろいろあって」と略しても、こんな長くなっちゃうんだけど、オペラ版とは、人物設定も含めて話がずいぶん違うみたい(オペラは未見)。
 まあ、それも後述するとして、構成上オペラ版と最も違うのは、前後に現代的なプロローグとエピローグが付いていること。メトロポリタン美術館のようなイメージの古代エジプト展示室が登場するのだ。

 プロローグ。いくつかの展示物が置かれた白い壁の部屋の中央に、こちらに向かってポッカリ穴の開いた石の立方体が1つ。その右には後ろ向きに立つ全身の王女像。観覧者が何人かいる中に、誰かを待っているような若い女性と若い男性が別々に現れる。石の立方体の説明を読もうとして接触してしまう2人。その時、王女像が正面を向いて歌い始める。全ての物語は愛の物語だ、と。
 おわかりですね。若い2人がアイーダとラダメスで、王女がアムネリス。そして、石の立方体が2人が閉じこめられた石棺。
 第2幕の最後、閉じこめられた石棺の中で2人が抱き合い、スポットライトが絞られていった後、この展示室がもう1度現れ、最初と同じように若い男女が出会い、今度ははっきりと意識し合う。その時、王女像は微笑んでいる。

 主要登場人物3人の関係の提示があり、時代設定(古代エジプト)の提示があり、謎(石棺)の提示があり、悲劇に終わっても最終的には救いがあることの提示(暗示)がある。同時に、現代にも通じる物語であるかのような錯覚も抱かされる。うまいものだ。

 そうした工夫が必要なほどに時代がかったこのメロドラマを描くにあたって、ディズニーはいつものように自分たちのルールを崩さない。理解しやすい類型的な人物像を用意し、エピソードは掘り下げすぎないように注意を払う。
 悪人(と言うよりワルモノ)の設定は典型的。ここではラダメスの父ゾウザーだが、資料を読む限りでは、この人物はオペラには出てこない。悪人が血縁のない人間だと、ラダメスとの関係を説明する必要が生じる。父親なら容易に逆らえないことが納得しやすい。そう考えてのゾウザーだと思うが、彼は陰謀のための陰謀家で、人間的な深みなどない。記号としての悪人だ。
 ゾウザー1人に悪役を押しつけて、他には悪い人はいないということにしたのも、話をわかりやすくするディズニー方式。例えば、オペラにあるアムネリスの嫉妬などを描きだしたら、キリがないからだ。おかげでアムネリスも素直ないい人になり、アイーダ、ラダメスとの三角関係も感傷的なものになる。
 ヒロインのアイーダが誇り高く行動的な娘であるのは、このところのディズニー・アニメーションの定番。運命に弄ばれるのではなく、運命を切り拓く。
 人物像が類型的であるから、エピソードそのものも、ストーリー展開が理解できる程度の描き方しかされない。
 それでよし、とするのがディズニーで、その背景には、これまでの実績と細かいマーケティングによる裏付けがあるはず。大ヒットさせるためには、少し“薄め”なくてはならないことを知っているのだ。薄めてあるからこそ感情移入しやすい人もいるわけだし、泣いて2度観たという日本のミュージカル女優の話も漏れ聞いた。
 その意味では、とことん描いて一部の人には違和感を覚えさせたらしい『Marie Christine』の対極にある作品と言えるかもしれない。

 『Marie Christine』との比較で言えば、音楽も対照的。登場人物の血の記憶にまでも踏み込んでドラマと音楽との有機的な結合を目指したように聴こえるのが『Marie Christine』の音楽だとすれば、『Aida』の音楽(作曲エルトン・ジョン、作詞ティム・ライス)は、極端に言うと、てっとり早い盛り上がりと、ミュージカル・マーケット以外でのヒットをねらったような作り。
 まあ、そんなわけで、個人的にはとても満足のできる作品ではなかった。が、ヘザー・ヘドリーの主演作品として長く記憶に残るだろう。
 トニー賞予想のところに書いたように、作品自体が浅いので、ここでの彼女の熱唱は深い感動を呼ぶところまで行かないのだが、それでも、その歌唱は素晴らしいし、演技も魅力的。ヘドリーは、昨年のアンコールズ!シリーズ『Do Re Mi』での歌声が最高で、心底シビレた。次回は、じっくりと作品を選んでほしい。

 最初に書いたように、この作品でもう1つ特筆すべきなのが、装置。

 笑いそうになるぐらいに驚かされるのが、プール。
 アムネリス登場のシーンに出てくるのだが、舞台正面の壁に、ドーンと垂直に、ちょうど真上から見る形でブルーの水面が現れる。右下には、プール内の梯子のところから泳ぎ出そうとしている水着姿の女性の背中が見える。が、よく見ると、マネキンのような作り物だとわかる……のだが、それを見計らったように2人の水着女性が水中に躍り出る。要するにプールの水面に見せかけた青いフィルターの向こうで宙吊りになっているわけで、100%ハッタリの、面白がるためだけに用意された仕掛けだが、これは新鮮だった。

 それに比べると、充分に意味があり、かつ美しいのが、川を表現するいくつかのセット。
 まず、水平線を境に、上下に完璧な相似形で描かれた木々のシルエット。このシルエットを背景に配するだけで、大きな川のほとりであることをわからせるアイディアが見事。さらに、そのシルエットを上下させると、向こう岸との距離感が変わって、移動しているような錯覚を覚える。
 奴隷女たちが川で洗濯をするシーンでは、その木々のシルエットの水平線の部分(床から2メートルぐらいの高さ)に一端が固定された大きな半透明の布が、手前に引き延ばされる。その布の中央には、奥から手前に向かって蛇行する川の流れが描かれている。川のほとりを、より具体的にしてみせたわけだが、この布、次の場面転換では、手前を引き上げて、天幕として使われる。さらには、固定された水平線部分が外されて、小さなテントになる。
 ここにも実は、上記のプールにつながる遊び心があり、それが観ていて楽しい。

 さて、その他に気づいたことを書いておくと――。

 役者では、アムネリスを演じたシェリー・レネ・スコットもよかった。オープニングでは語り部、登場時には美しい三枚目、そして哀しい恋の敗残者。そんな役柄を、肩に力を込めることなくこなして、最後には毅然とした演技で物語のむずかしい着地をきれいに決めた彼女の功績は小さくないし、歌にも聴かせるものがある。
 彼女、オリジナル・キャストじゃないけれども『Rent』に出ていたらしいが、ラダメスを通常演じているのが、こちらは同作のオリジナル・キャストだったアダム・パスカル。が、観た日は代役(エリック・サイオット)で、パスカルの出来は不明。
 ともあれ、このところ『Rent』役者が多くのミュージカルに起用されていることについては、役者の力とは別に、プロデューサーの側に、『Rent』の追っかけ的ファンを呼び込もうという意図があるように思えてならない。この作品の第1幕最後の「The Gods Love Nubia」という曲など、そうしたキャスティングとは関係ないが、『Rent』の「Seasons of Love」を意識して書かれているのではないか。

 閑話休題。
 振付のウェイン・シレントは、ゾウザーとその部下たちに、トニー賞を獲った『The Who’s Tommy』の「Pinball Wizard」で見せたような、暴力の香りのするダンスを踊らせて気を吐くが、残念ながら、脚本が浅いと振付も表面的に見えてしまう。
 その男たちのダンスで見せる照明(ナターシャ・カッツ)の、リズムに合わせた細かい動きは面白かった。

 最後に、冒頭に書いたディズニーの戦略について。
 1作目『Beauty And The Beast』では、アニメーション映画のヒットと高い評価を背景に、とりあえず手持ちのスタッフで忠実な舞台化を行なって様子を見た。それが、劇評とはかかわりなく一応の成果を収めたことと、『The Lion King』の映画が『Beauty And The Beast』をはるかに上回る大ヒットとなったことに力を得て、2作目ではエンターテインメントの感覚も持つ前衛的な演出家を採用。資金も注ぎ込んで、勝算があったとはいえ冒険に出た。それが興行的にも当たり、トニー賞に象徴されるように作品的評価も得た。
 そこで、満を持してのオリジナル舞台ミュージカル『Aida』の登場だが、映画のヒットという後ろ盾を持たない今回、ディズニーは最終的に、演出家に、昨年『Death Of A Salesman』でトニー賞を得た、ストレート・プレイ畑のロバート・フォールズを起用。ディズニー+エルトン・ジョン&ティム・ライスというブランドの強さで商売になることには自信を持ちつつも、オリジナル作品第1弾には用心深く、劇場街でのブランドを求めたということではないか。
 しかし、こうして3作観てきて思うのは、パーソナルな作家性を匂わせない匿名的エンターテインメントにこだわる限り、ディズニーは、新たなビジネスを劇場街にもたらしたとしても、けっして新たな文化はもたらさないだろうということだ。
 ま、そういう作品があっても、別にいいんですけど。>

 文中に出てくる「トニー賞予想」は、この次の『The Music Man』の後でアップする予定です。しばらくお待ちください。

The Chronicle of Broadway and me #240(Wonderful Town/Wonderful Town[2]/Wonderful Town[3])

2000年5月@ニューヨーク(その3)/★2004年1月@ニューヨーク(その4)/★2004年4月@ニューヨーク(その4)

 『Wonderful Town』(5月7日18:30@City Center)について、「職人技と個人芸が生み出す粋」というタイトルで、4年後のブロードウェイ移行版(2004年1月11日15:00/4月25日15:00@Al Hirschfeld Theatre)を観た後に、まとめて書いた感想。ちょっとくどいです(笑)。

<あまりリヴァイヴァル上演されていない過去のブロードウェイ・ミュージカルをコンサート形式で数回だけ舞台にかける、シティ・センターの春のシリーズ「アンコールズ!」に『Wonderful Town』が登場したのは2000年5月のこと。その舞台で、主演のドナ・マーフィという女優を見直した。

 “見直した”などと言っては失礼かもしれない。この時点で彼女は、すでに、トニー賞を2度、ミュージカル主演女優として受賞していたのだから。
 しかし、1度目の『Passion』(1994年5月7日観劇)の時は、熱演ではあったものの、異形と言っていいようなメイクで登場し、役柄も常軌を逸していて、とても感情移入できるようなものではなかった。そして、2度目の『The King And I』(1996年5月8日観劇)のイギリス人教師役も、特殊な設定の中で型にはまらざるを得なかった印象だった(この時のトニー賞受賞は『Victor/Victoria』のジュリー・アンドリューズがノミネーションを辞退したためという憶測が根強くあり、授賞式の表情からは、マーフィ自身もそう思っていたように見えた)。そんなこんなで、マーフィと言えば“しんねりむっつり”した役をやる女優だというイメージができあがっていた。
 ところが、シティ・センターで観たマーフィは、鉄火肌、とまでは行かないが、実にサバサバしたアメリカ女性を軽やかに演じていたのだ。まあ、考えてみれば、過去の2作で演じた役はどちらもアメリカ人ではなかったわけで(前者がイタリア人、後者がイギリス人)、案外、この役柄あたりが彼女の持ち味に近いのかも、と2000年5月の時点では思い、そうしたマーフィの軽妙な演技と共に、作品自体も、とても楽しんで観た。
 そのシティ・センター公演の好評を反映してのことだろう、ドナ・マーフィ版『Wonderful Town』が、若干の衣替えを施してブロードウェイに登場した。その舞台は、派手さや目新しさこそないものの、ミュージカル・コメディの本質的な楽しさ――軽快なドラマから絶妙のタイミングでソング&ダンスに昇華するワクワク感――に満ちている。

 ところで、『Wonderful Town』の話の元が『My Sister Eileen』であることはこちらに書いたが、繰り返すと次の通り。

 『My Sister Eileen』は、元々はニューヨーカー誌に発表されたルース・マッキニーの短編小説シリーズのタイトルで、その最初の舞台化が1940年にブロードウェイでヒットした同名のストレート・プレイ。そのミュージカル化が1953年にブロードウェイでオープンする『Wonderful Town』。そして、どちらも脚本は、ジョゼフ・フィールズとジェローム・チョードロフ。
 『Wonderful Town』は、559公演という当時としてはまずまずのロングランを記録していて、「Ohio」「Conga!」という傑出した楽曲があった(作曲レナード・バーンスタイン、作詞ベティ・コムデン&アドルフ・グリーン)。

 バーンスタイン、コムデン&グリーン、そして演出のジョージ・アボット(クレジットなしでジェローム・ロビンズも参加)という顔ぶれは、約10年前の1944年暮れにオープンした『On The Town』と同じ。しかも、どちらもニューヨークを舞台にしていて、タイトルも似ていることから、先行作の成功に乗った続編的な企画だと思われがちだが、そうではない、とスタンリー・グリーンは「BROADWAY MUSICALS Show By Show」で書いている。同書によると、バーンスタインとコムデン&グリーンが参加したのは、リハーサル開始のわずか5週間前だという。
 そんな状況だったにもかかわらず、ここまで魅力的な楽曲を書き上げたのは驚き。才人たちの素晴らしい仕事ぶりに脱帽する。
 しかし、うまくいった背景には、やはり、『On The Town』『Wonderful Town』とが似ている、という事実があったのではないか。

 『Wonderful Town』の舞台は、1935年のニューヨーク、グリニッチ・ヴィレッジ。そこに2人の若い女性がオハイオから夢を抱いてやって来る。作家志望の姉ルース(こちらがドナ・マーフィ)と女優志望の妹アイリーンのシャーウッド姉妹だ。
 田舎から出てきた2人にとって、ニューヨークは目の回るような忙しい街。チャンスをつかもうと行動しても、人波に翻弄されるばかり。おまけに、グリニッチ・ヴィレッジは、おかしな連中でいっぱい。地下鉄の轟音に悩まされる半地下の部屋に住みながら、ルースとアイリーンは、それぞれの夢をかなえることができるのだろうか。
 ――と、まあ、簡単に言うと、そんな話。

 一方、『On The Town』は、入港した“お上りさん”水兵たちが1日だけの休暇をニューヨークで過ごす話(全くの余談だが、初演オープン時、アメリカはまだ日本相手に戦争中。水兵たちはヨーロッパ戦線から帰国したということなのだろうか。ともあれ、この作品のロングラン中に東京大空襲があり、2個の原爆が落とされ、日米は終戦を迎えることになる)。

 『On The Town』の印象を、1999年リヴァイヴァル版の観劇記に、こう書いた。
 [ストーリーは必ずしも緊密に作られているわけではなく、むしろ、“ニューヨーク観光名所巡り”というコンセプトのスケッチ集という印象。登場人物のキャラクターもそれほど深くは描かれていない。それを、優れたダンス・ナンバーが支える――と言うより、ダンス・ナンバーをスケッチでつないでいくという発想か。]
 この、ダンス・ナンバー(=ショウ場面)を“ニューヨーク観光名所巡り”というコンセプトのスケッチでつないでいく、という印象が、『On The Town』『Wonderful Town』の共通点だ。

 もっとも、『Wonderful Town』の場合は、“ニューヨーク観光名所巡り”と言っても、かなり対象を絞り込んで、“’30年代ニューヨーク新風俗巡り”という様相を呈しているのだが、初演の時点で言っても20年近い過去の“新風俗”観て歩きは、時空を超えた“ニューヨーク観光名所巡り”と言えなくもない。
 導入部に、ガイドに率いられた観光客の一団が登場して物珍しそうに“流行りのエリア”グリニッチ・ヴィレッジを見て回る、という設定があり、1935年当時の新奇な衣装と立ち居振舞いの住人たちが次々に姿を見せる。その後、シャーウッド姉妹の住むアパートメントの半地下の部屋とその前の通りを中心に、ニューヨークのあちこちで珍事が起こっていく。
 で、その背景には、もちろんシャーウッド姉妹の物語がある。メインになるのは作家を志す姉のルースの仕事と恋がうまくいくかどうかという話で、男たちから言い寄られることしきりの妹アイリーン(ジェニファー・ウェストフェルド)をめぐって起こるトラブルが、そこに起伏をつける。そういう物語があることはあるのだが、しかし、構成としては、けっこう“緩め”。と言うか、脇道に逸れる。

 例えば第1幕。ルースが出版編集者ベイカー(グレッグ・エデルマン)のオフィスに原稿を持ち込んだ後の場面。一旦はゴミ箱行きにしようとしたルースの原稿を、思い直してベイカーが読むのだが、原稿を読むベイカーの頭の中(観客の目には、ベイカーのデスクの脇)に、ベイカーの同僚編集者2人を共演者として従えたルースが様々な役柄で現れて、ルースの原稿の類型的で馬鹿げた中身を再現する。ここ、ほとんど本筋と関係がない。なにしろ、主眼は、主演女優のおかしな扮装と誇張された動きにあるのだから。
 あえて言えば、無理して架空の物語を書こうとしているルースの原稿のひどさを示す場面。さらに深読みすれば、後に結ばれることになるベイカーがルースを強く意識したことを示す場面、ととれなくもない。そういう意味では本筋の伏線になってもいるのだが、でもまあ、印象としては、主演女優がコミカルな持ち味を発揮するためのスケッチ+ショウ場面だ。

 もっと本筋と関係ないのが、第1幕最後の「Conga!」の場面。電話で依頼を受けたルースが、来航中のブラジル海軍の取材に向かう。そこでの珍妙なやりとりの中で、なぜかルースがブラジルの水兵たちにコンガの踊りを教えることになる。で、テンポの速いラテンのリズムに乗って、彼らはそのままヴィレッジまでやって来て、街中を踊りの渦に巻き込む。ドラマ的には、騒ぎが起きるという以上の意味は全くと言っていいほど、ない。このエピソードは、陽気でコミカルなダンス・シーンを作り出すためにあると言っても、まず間違いではない。
 まあ、ここも、あえて言えば、ルースを引き離しアイリーンをピンチに陥らせる(部屋にやって来た男に迫られる)、という要素もないではないのだが、逆に、意味のない「Conga!」の話に意味を持たせるためにアイリーンの話の方を考えた、という風にも見える。

 ちなみに、第2幕にある「Swing」も、タイトルの趣向も含め「Conga!」と同じ発想で作られたショウ・ナンバー。ジャズに乗ろうとしてアタマ打ちでリズムをとるルースに、街の連中がアフター・ビートを教える(このアイディア、タイトルも同じ『Swing!』のローラ・ベナンティのナンバーでも使われてましたね)のをきっかけに、やはり街中が踊りの渦となる。これ、「Conga!」以上にドラマとは関係のない、ショウ場面のためのだけに存在するエピソードだ。

 ――というわけで、『Wonderful Town』は、『On The Town』同様、一応ドラマのストーリーは持ちながらも、ショウ場面を“ニューヨーク観光名所巡り”というコンセプトのスケッチでつないでいく、という印象の作品になっているのだ。
 で、話を戻すと、そういう、ショウ場面主体に構成されているミュージカルだからこそ、バーンスタインとコムデン&グリーンは、短期間の内に的確な仕事をすることができたのではないだろうか。おおよそのドラマの流れの中に、まずはショウ場面を設定していって、ドラマの流れではなくショウ場面のバランス主体に考えて楽曲を書いていく。「Conga!」や「Swing」が登場する背景には、そんな風な創作過程があったように思えてならない。

 そして、もちろん、そんな「Conga!」や「Swing」といった際立ったダンス・ナンバーを生み出すこと自体に、バーンスタインとコムデン&グリーンの楽曲作者としての才能が表れているのだが、彼らのミュージカルの達人としての“技”が本当に発揮されているのは、シャーウッド姉妹が新しい部屋に落ち着いてすぐに歌われる楽曲、「Ohio」においてだ。
 「Ohio」は、到着初日からニューヨークに翻弄された姉妹が故郷を思って歌う、のんびりしたテンポのユーモラスなナンバーで、幕開きから間もない時点で登場して、『Wonderful Town』が“とぼけた”調子の作品であることを知らしめる。と同時に、性格の違う姉妹の互いに対する愛情や、都会にやって来た“田舎者”の心情を、笑いにくるみつつ、でも、しっとりと温かく表わす。
 この楽曲が、汚く狭い半地下の部屋で肩を寄せ合うシャーウッド姉妹によって歌われることで、観客は、作品世界に惹き込まれ、すっかり主人公たちに感情移入してしまう。この時点で、作品は半ば成功していると言っていい。実に、うまい。
 こうした重要なポイントに、一見地味でありながら、実は印象的なメロディを持つ、ドラマ上も深い意味のあるナンバーを提出できる。そうしたことこそがミュージカルの楽曲作者に求められる能力であり、このような楽曲が時として脚本以上に大きな意味を持つから、ミュージカルにおいては誰よりも楽曲作者が先にクレジットされることになるのだ。
 『Wonderful Town』の楽しさの 1つは、そうしたスタッフの熟練の“技”を味わえるところにある。

 さて、話はさらに戻って、ドナ・マーフィ。
 “緩い”ドラマでつながったショウ場面主体のミュージカルの中で、これまで観た作品では(どちらかと言えばショウと言うよりも)ドラマ寄りに演技していたドナ・マーフィが、意外なほど軽快に、歌い、そして踊る(ま、踊りは、ブロードウェイのレヴェルとしてはほどほどだが、体力的にはかなり動き、果てにダイヴも見せるのには驚いた)。しかも、それがサマになっていて、充分な存在感を示し、舞台を支える。その見事なミュージカル・コメディエンヌぶりは、2001年リヴァイヴァル版『Bells Are Ringing』のフェイス・プリンスと肩を並べると言ってもいい(ちなみに、『Wonderful Town』と、その3年後に初演の幕を開けた『Bells Are Ringing』には、コムデン&グリーンやジェローム・ロビンズが参加していたり、舞台がダウンタウンの半地下部屋だったりと、共通項が多い)。
 そんなマーフィの“芸”が、スタッフの“技”とあいまって、イキイキとした形で観られる。それが『Wonderful Town』のもう1つの楽しさだ。
 ――と、大活躍を大いに認めた上で、今回観直して、ドナ・マーフィの“芸”について気づいたことがある。「彼女の持ち味に近いのかも」と4年前にシティ・センターで観た時には思ったマーフィのルース役だが、今回は、そう思わせるのも彼女の演技力なのかも、という風に感じたのだ。
 どういうことかと言うと、「Conga!」だの「Swing」だのといったジャズ/ラテン系のナンバーのビートに、マーフィの歌は必ずしもノリきっていなかった。微妙なニュアンスなのだが、グルーヴが生まれるところまで行っていない。例えば、『Swing!』のアン・ハンプトン・キャラウェイのような“本職”と比べた場合、ということだが。
 だから、マーフィの人間性は知らないが(もしかしたら本当にルースみたいな人なのかもしれないが)、歌い手としては、好きでビートのあるナンバーを歌い込んできた、というような人ではないのだと思う。むしろ、どんな役でも達者にこなしていくオールラウンドなミュージカル女優なのだろう。それはそれで素晴らしい。どちらにしても、この舞台がマーフィの“芸”によって成り立っているのは間違いないのだから。

 初演の舞台がどんなだったかを知らないので今回のリヴァイヴァルがどこまでその影響下にあるのかわからないが、演出も兼ねたキャスリーン・マーシャルの振付は、“ほどよい”冴えを見せ、ウキウキさせてくれる。
 “ほどよい”というのは、凝りすぎずに軽快なエンターテインメントの範囲内で鮮やかに見せている、というような意味。例えば、導入部の“流行りのエリア”グリニッチ・ヴィレッジ観光のシーンなど、モダン・バレエ的手法を使いつつも、わかりやすくユーモラスにまとめている。
 こうした“ほどよい”感じで全てが統一されているのが『Wonderful Town』の粋なところだ。

 後ろ半分にオーケストラを配するために舞台の前半分しか使えないという「アンコールズ!」の限られた条件を逆手にとって、袖から袖へと横に延びる橋状の通路と、そこから舞台に下りる短い階段を基本に、シンプルだが意匠を凝らした背景を上下に動かすことで様々な場所を表現した優れたアイディアの装置は、ジョン・リー・ビーティ。ブロードウェイの劇場に移しても、そのアイディアは、安っぽくならず、充分に生きた。

 繰り返すが、主演ドナ・マーフィの“芸”と楽曲作者バーンスタインとコムデン&グリーンの“技”は見事。
 ことに、ブロードウェイに移っての今回の再見再々見では、楽曲の細かいアイディアを再確認。メロディの一部を共有しながら楽曲同士が有機的に結びついて、楽曲でしか表現できない感情やユーモアを描き出す。これがミュージカルってもんだろう。
 今のブロードウェイで最もブロードウェイらしいミュージカル・コメディは何かと訊かれたら、迷わず『Wonderful Town』だと答える。>

 [追記]
 脚本補作デイヴィッド・アイヴズ。