『Jesus Christ Superstar』(5月7日15:00@Ford Center For Performing Arts)について、「現代的装いも空疎な的外れの演出」というタイトルで旧サイトに書いた感想です。
<1996年の12月に観て、それなりに感銘を受けたロンドン版リヴァイヴァルと同じ演出家(ゲイル・エドワーズ)でありながら、なぜこれほどまでにひどい舞台になったのか。その原因は、やはり、プロデューサー(リアリー・ユースフル・スーパースター・カンバニー≒アンドリュー・ロイド・ウェバー)の“あざとい”戦略にあるのではないか。 とにかく、世紀末のブロードウェイに降臨した『Jesus Christ Superstar』は、無意味に金のかかった装置ばかりが目立つ愚作で、ロイド・ウェバーは、『Sunset Boulevard』『Whistle Down The Wind』で犯したあやまちを、また繰り返したと言うしかない(詳細はこちらを参照)。
<1999/2000シーズンのブロードウェイ・オープン作品の残り、『Aida』『The Music Man』『Jesus Christ Superstar』と、劇場を移ってロングランに入った『Contact』を観てトニー賞の予想に備えようというのが、今回のニューヨーク訪問の最重要目的。 というのは半分で、もちろんそれらの作品を観には来たのだけれど、むしろ期待度が高かったのは、コンサート形式の特別公演『Sweeney Todd』や『Wonderful Town』の方。その期待が裏切られなかったのが、なによりうれしい。 『The Lion King』で名を売ったジュリー・テイモアの、ミュージカル風味のプレイ『The Green Bird』も予想以上に面白かった。どうかお観逃しなく。>
というわけで、トニー賞直前のニューヨーク。今からちょうど20年前です。
5月5日20:00 Sweeney Todd@Avery Fisher Hall/Lincoln Center 5月6日14:00 Blood On The Dining Room Floor@Peter Norton Space 555 W. 42nd St. 5月6日20:00 The Wild Party@Virginia Theatre 245 W. 52nd St. 5月7日15:00 Jesus Christ Superstar@Ford Center For Performing Arts 213 W. 42nd St. 5月7日18:30 Wonderful Town@City Center 131 W. 55th St, 5月8日15:00 Monday Night Magic@Sullivan Street Playhouse 181 Sullivan St. 5月9日19:00 Aida@Palace Theatre 1564 Broadway 5月10日14:00 The Green Bird@Cort Theatre 138 W. 48th St. 5月10日20:00 The Music Man@Neil Simon Theatre 250 W. 52nd St. 5月11日20:00 Contact@Vivian Beaumont Theatre/Lincoln Center
内容は、ブルックリンに住む若者がマンハッタンで一旗揚げようとする、という、ある意味『Saturday Night Fever』に通じなくもない内容。土曜の夜にたむろする同世代の仲間たちが出てくるし。ただ、時代は大恐慌直前の1929年。主人公は証券会社に勤めているので、ダンスではなく、まっすぐカネの話。それも少し危ない話。最後はハッピー・エンドだが。 脚本は、映画『Casablanca』で知られるジュリアス・Jとフィリップ・Gのエプスタイン兄弟で、彼ら自身の書いた『Front Porch In Flatbush』というストレート・プレイが元になっているようだ。 演出・振付キャスリーン・マーシャル。 ヒロインは、1994年版『Carousel』、1997年版『1776』に出ていて、この翌年の2001年リヴァイヴァル版『Follies』でヤング・サリーを、2013年に『Matilda The Musical』でミス・ハニーを演じるローレン・ワード。あと、『In The Heights』『On Your Feet!』『Smart Blonde』で主役級になるアンドレア・バーンズが出ていたことに、キャスト盤のライナーを見ていて気づいた。
『Taking A Chance On Love』(3月19日15:00@Theatre At ST. PETER’S)は、作詞家/脚本家ジョン・ラトゥーシュ (1914年~1956年)へのトリビュート・ショウ。 タイトル曲「Taking A Chance On Love」は1940年のブロードウェイ・ミュージカル『Cabin in the Sky』のために書かれたナンバーで、ラトゥーシュがテッド・フェッターと詞を共作、作曲はヴァーノン・デューク。その他、関わった『The Golden Apple』や『Beggar’s Holiday』といったミュージカルの楽曲を中心に、ラトゥーシュの書いたナンバーを歌い継ぎながら、彼の仕事と人生を描き出していく。詳細は省きますが、なかなか複雑な人だったらしい。 出演は、テリー・バレル(『And The World Goes ‘Round』『Swinging On A Star』)、ジェリー・ディクソン(『Once On This Island』『Five Guys Named Moe』)、ドナ・イングリッシュ(『Ruthless!』)、エディ・コービッチ(『Carousel』)の4人。演出ジャネット・ワトソン。
『The Big Bang』(3月19日19:00@Douglas Fairbanks Theatre)は、ジェド・ファウアー(作曲)とボイド・グレアム(作詞・脚本)の作家コンビが自ら演じる“地球の歴史”ミュージカル。 文字通りのビッグ・バン(宇宙の起源)から始まって上演されている2000年までに起こった地球上の出来事を2人だけ(+ピアノ伴奏者)で表わしていくという、特大スケールの超小規模ショウ。バカバカしくもおかしかったに違いないが、残念ながらよく覚えていない。以上(苦笑)。
[追記] “超大型ミュージカル”『The Big Bang』のバッカーズ・オーディション(資金集めのための試演)という設定だったようで(『Gutenberg!: The Musical!』と同じだ)、プレイビルに出資を募るチラシが挟んであった(笑)。
『The Bomb-Itty Of Errors』(3月18日17:00@45 Bleecker)について、「ス“ラップ”スティック・ミュージカル」というタイトルで旧サイトに書いた感想です。
<オフで上演されている(知る限り世界初の)本格的ラップ・ミュージカル『The Bomb-Itty Of Errors』が楽しい。 内容は、シェイクスピア『The Comedy Of Errors』(翻題:間違いの喜劇)の現代版で、元々詩的だと言われるシェイクスピアの作品が、現代的ポエトリー・リーディングとも言えるラップによってスピーディによみがえった。
『The Comedy Of Errors』とは。 昔々、同じ両親から生まれた2組の双子がいた。彼ら4人は、幼い頃に離ればなれになったために、お互いのことを全く知らない。でもって、なぜか、双子でない方の2人ずつがシラキュースとエフィサスという街に、それぞれ主従関係で暮らしている。そのシラキュースに住む2人が、母親と兄弟を探して旅する内にエフィサスにやって来ることから起こる、勘違いによる大混乱。
というわけで、これ、ごぞんじロジャーズ&ハートが1938年に発表したミュージカル『The Boys From Syracuse』(邦題:シラキュースから来た男たち)の元ネタだ。でもって、シェイクスピアが参考にした、さらなる元ネタは、『A Funny Thing Happened On The Way To The Forum』や『Scapin』の元ネタ同様、紀元前の作家タイタス・マキウス・プラウトゥスの作品らしい。 確かに設定がよく似ていて、ラップという目新しい意匠を取り払って観れば、伝統にのっとったスラップスティック・コメディであることがわかる。舞台上にいくつかある出入口を使って絶妙のタイミングで役者が登退場、件の双子たちが出会いそうで出会わないという作りなど、まさに定石。 しかし、上記2作品よりはるかに安上がりな舞台である『The Bomb-Itty Of Errors』が、イキのいい笑いという点でそれらより上を行っている理由の1つは、2組の双子はもちろん、その妻や義妹、父、召使いなどの全役を4人の出演者で演じてしまっていることにある。すれ違いのおかしさに、早替わりの面白さが加わっているわけだ。
ラップという手法で古典的コメディに新たなリズムを与え、現代的スピード感を持ったミュージカルとしてよみがえらせた『The Bomb-Itty Of Errors』。こうして本場で鍛えられた作者=役者たちによってイキイキと演じられているのを観ると、新奇さを超えた新時代ミュージカルの可能性をはらんでいるのがわかる。『Noise/Funk』のような歴史観はないが、画期的なミュージカルであることは間違いない。 日本のミュージカル関係者が安易に模倣しないことを祈る。>
しかし、そうした気分を持ちながら、演出が舞台をまとめ上げきれていない。 上述の高級アパートメントの場面に到る以前の、幕開きの、派手なダンス・ナンバーからクイニー&バーズのベッドルームでのやりとりまでは、ヴォードヴィルの舞台を模したスタイルで快調に飛ばす。ことに、クイニー&バーズのベッドルーム場面は2人のぎくしゃくした関係とパーティ開催の動機とを説明するためにあるのだが、極端にデフォルメされた装置の中でヴォードヴィルの一景のように演じられるので、スピーディであると同時に現実感がなく、それが不気味で、導入部として効果的。 ところが、客たちが訪れてきてパーティ・シーンに移ると、とたんにテンポが悪くなる。なぜなら、描写に導入部のような大胆なアイディアがなくなって一本調子になるから。ここからは、小振りの回転舞台が回っての場面転換ばかりで、視覚的にも変化に乏しい。 さらに、クイニー、バーズ、ブラックの三角関係だけでなく、その他の客たちのことも同じぐらいの比重で描かれていく、言ってみれば群像劇になっていることも、話の芯を見えにくくしてマイナス要素になっている。なにしろ、ブラックがケイトに連れられて登場するのは全体の3分の1を過ぎてからで、それまでは、観客は誰に感情移入していいのかすらわからない。 幕間なしで2時間強、という構成も、観客が集中力を維持するには厳しい条件となる(2幕に割ることも、構成上は可能だったと思うのだが……)。 ただ、人物描写はスキャンダラスで面白い。登場人物たちの華やかな仮面の背後に病んだ表情があることを徹底的に暴き出す。 例えば、黒人兄弟のヴォードヴィル・コンビが「A Little Mmm」という可愛らしい小唄を作ったような笑顔で歌う何気ないシーンにすら、近親同性愛の気分が潜んでいる。また、クイニーとブラックの前に拳銃を持って現れるバーズが、黒塗り化粧のミンストレルのスタイルをしているところに到っては、完全な狂気を感じさせて背筋が寒くなるほど。等々、人々のねじれが容赦なく描かれる。 そんなわけで、見どころも少ないわけではないのだが、残念ながら全体としては散漫な印象の作品となった。
ではあるが、ラキウザの楽曲は充実していて、さらに、その使われ方も見事なので、その一例を書き留めておく。 「The Lights of Broadway」。ジャズっぽさのない明るいニューヨーク讃歌(クイニーの持ち歌という設定か?)。 これをまず、アパートメントを訪れた田舎出の少女ネイディーンが、クイニーの前で、私もスターになれるかしら、という風に張り切ってワンフレーズだけ歌う。その場違いな感じにクイニーは顔をしかめるのだが、舞台半ばではクイニー自身が、私も昔はあの娘みたいだったと言って、抑えた調子でやや感傷的にワンフレーズ歌う。その対比の妙。 さらに、後半になって、この曲はもう1度ネイディーンによって最初の時以上に明るく、今度はフルコーラス歌われる。初めて味わったコカインによる躁状態の中で。その直後に彼女は性的暴力の対象となる。わずか数時間後の劇的変化。 ところで、ネイディーンの最初の「The Lights Of Broadway」は、「Welcome To My Party」という、テーマ曲とも言える狂騒的な歌の途中に挿入される。クイニーがパーティの始まりに、自分の気持ちを盛り立てるように激しく踊りながら歌っているところに、突然出てくる。そのことで、ネイディーンの危ういまでにイノセントな感じが強調されている(「Welcome To My Party」という歌自体も、最初はクイニーが歌ってパーティの始まりの宣言になるが、終盤にはバーズが皮肉な調子で歌って物語の終わりを暗示する)。 そして、クイニーによる「The Lights Of Broadway」は、パーティを抜け出して2人きりになったクイニーとブラックが心を通わせ合う、最もロマンティックなナンバー「People Like Us」の導入として歌われる。クイニーがブラックの中に自分と同じものを見つけて心を開く瞬間を、鮮やかに表しているのだ。 楽曲それぞれのよさもさることながら、こんな具合に重層的に使われることで、楽曲に様々な表情が生まれ、厚みが増す。これこそがミュージカルだ。
シティ・センター地下の小さな劇場、マンハッタン・シアター・クラブで上演された『The Wild Party』は、アンドリュー・リッパ (作曲・作詞・脚本)とガブリエル・バリ(演出)によるヴァージョン。 リッパは、1999年リヴァイヴァル版『You’re A Good Man, Charlie Brown』で編曲を手がけると共に、クリスティン・チェノウェスにトニー賞を獲らせた新曲「My New Philosophy」を書いた人。作曲と共同脚本を担当した1995年のオフ作品『John & Jen』は、2人の出演者だけでアメリカの現代史を描く優れたミュージカルだったが、その時の演出家がバリだった。 バリは、最初に役者として観たが(1993年『Jacques Brel Is Alive And Well And Living In Paris』)、演出作品は、『John & Jen』の翌年にコネティカットのグッドスピードオペラハウスで、『Sweeney Todd』のリヴァイヴァルを観ている。劇場の小ささを逆手に取って、傍観者に見立てたアンサンブルの存在を生かした舞台だった。
バリは、今回も、やはりアンサンブルを生かす演出をしている。ドラマを、クイニー&バーズとケイト&ブラックの2カップルに絞って、その他の役はアンサンブル的な扱い。それがパブリック・シアター版との最大の違いで、その分、こちらの舞台にはまとまりが出た(幕間のある2幕構成)。 が、そのアンサンブルの生かし方(絶えず舞台上に彼らがいて、主演クラスのドラマを見守っているようなところ)を含めて、全体の印象が、1998年リヴァイヴァル版の『Cabaret』に似たものになってしまっている。黒を基調にした、下着もあらわなファッションや、目の周りを黒くしたドイツ表現主義的なメイクアップが類似しているからでもあるが、演出も多分に1998年の『Cabaret』を意識しているのではないか。と言うとバリに失礼かもしれない。が、そう思えてしまうところに、この舞台の弱点がある。 ことに、オープニング(1曲目の歌詞はパブリック・シアター版と共通で、マーチの詩「Queenie Was A Blonde」をそのまま使っているが、当然のことながら全く印象が違う)。役者たちがうごめくようなダンス(振付マーク・デンディ)で登場するのが、『Cabaret』のバンド連中の動きとダブる。 まあ、1998年版『Cabaret』も小劇場的な演出なので似ていても無理はないのだが、どこかに独自性が感じられないと、型を崩したような演出そのものが1つの型に見えてしまうのも事実だ。結果、(実際のステージのサイズとは別に)スケールが小さく感じられる舞台になった。 もちろん、こぢんまりとまとまって、いい結果を生む作品もある。が、大恐慌前夜の金満アメリカの破滅的な狂騒を描きたい作品にあっては、まとまりがあることはともかく、こぢんまりとした印象はうまくない。パブリック・シアター版同様ベッドやバスタブやドアを載せた舞台が、どうしてもマンハッタンの高級アパートメントに見えてこないし、つかの間の栄華を極めた人間たちのパーティだと思えないからだ。 その分、パブリック・シアター版にあった頽廃の空気が薄らいで、凄みがなくなっている。
実は、設定に関する疑問が1つあって、マンハッタン・シアター・クラブ版のプレイビルには、“Time: 1929”という記述がある。パブリック・シアター版とは1年ズレているのだ。 もっとも、大恐慌の始まりは1929年の“秋”だから、それでも問題はないのだが、ここで気になるのは、オープニング曲「Queenie Was A Blonde」の“was”という時制だ。ジョゼフ・モンキュア・マーチの詩の中で、クイニーは、死んでいないまでも過去の人という設定だったのか。あるいは、マーチが詩を発表したのが 28年だという事実を前提に、マンハッタン・シアター・クラブ版は、その 28年を過去とする 29年を現在として設定して時制を合わせたということか。あのアパートメントでうごめいていたのは、大恐慌前には生きていた亡霊たちということなのか。 というのは、まあ、考えすぎだとは思う。どちらにしても、マンハッタン・シアター・クラブ版がパブリック・シアター版に比べて凄みに欠けるという事実は動かないのだし。
アンドリュー・リッパの楽曲は悪くない。個々の楽曲の完成度も高く、バラエティにも富んでいる。アンサンブルのコーラスの生かし方もうまい。ただ、ラキウザほど当時のジャズのスタイルにこだわっていないので(リズム&ブルーズ的な曲があったり、エレクトリック・ギターの単音弾きのフレーズが鳴り響く曲があったりする)、時代性が曖昧になることがあるのは、気になる。 もし、それが、大恐慌直前と現代とを重ね合わせるためにあえてしたことであるなら、方法が中途半端。どちらかにねらいを定めて徹底すべきだったのではないか。 それにしても、「An Old-fashoned Love Story」という曲のイントロが『Chicago』の序曲のイントロと酷似しているのは偶然か。どちらもミュート付きのトランペット演奏なのだが。『Chicago』は『Cabaret』と同じ楽曲作者の作品だけに、この類似もマイナスに思えた。
主役級4人を演じたのは以下の通り。 クイニー=ジュリア・マーニー。バーズ=ブライアン・ダーシー・ジェイムズ。ケイト=イディナ・メンゼル。ブラック=テイ・ディグズ。 中では、『Titanic』でも印象の強かったブライアン・ダーシー・ジェイムズの存在感が光った。こちらのバーズはクラウン(道化)という設定なので、最終場面での彼の扮装は丸い赤鼻。これも、不気味さでは黒塗りに劣らない。 ジュリア・マーニーは、まだブロードウェイ経験がないようだが、力は充分。次の舞台に期待したい。 メンゼル(モリーン)、ディグズ(ベニー)は『Rent』オリジナル・キャスト組。メンゼルはモリーン役の印象が鮮烈だっただけに、それを知る者にとっては今回の役は、見せ場はあるもののもの足りなさが残るが、本人の演技は悪くない。一方、ブラック役のディグズは、クイニー役、バーズ役に次いで見せ場が多く、中でも、クイニーと心を通わせるシーンで歌う「I’ll Be Here」が佳曲なので、面目躍如の感。 その他のキャストでは、メイ役のジェニファー・コディが、独特の小娘キャラクターで記憶に残った。
『Tango Argentino』(1月3日20:00@Gershwin Theatre)は、1985年にブロードウェイに登場したタンゴ・パフォーマンスのリヴァイヴァル。 プロデューサーは違っているが、作・演出は初演と同じクラウディオ・セゴビアとエクトル・オレソリ。1989年『Black And Blue』のコンビでもある(ちなみに、1985年版『Tango Argentino』と『Black And Blue』のプロデューサーは、いずれもメル・ハワードとドナルド・K・ドナルド)。
『The Great Gatsby』(1月4日20:00@Metropolitan Opera House)は、ジョン・ハービソンの新作オペラ。ジェームズ・レヴァインの音楽監督就任25周年記念作品だったらしい(彼が指揮している)。もちろん原作はスコット・フィッツジェラルドの同名小説。 ロングアイランドとマンハッタンの間の、物語の鍵となる車の修理工場のある薄汚れた街の場面が強く印象に残っている。 METオンデマンドで、3日前(2000年1月1日)の公演の音源を聴くことができる。
『James Joyce’s The Dead』(1月5日20:00@Belasco Theatre)のブロードウェイ移行後の公演。オフ公演と内容的には変わりなし。 あえて書き加えるとすれば、入場後に通路でアッシャーが来るのを待っていたら、そんな私を押しのけて、アッシャーを待たずに席に向かう日本人がいたことかな。俗にオザケンと呼ばれる人ですが、さる日本の若手女優と一緒だったので張り切っていたのでしょう(笑)。